ありふれたアフターⅡ ティオ編 黒神龍顕現
暁の中から現れた百を優に超える艦隊。飛空艦の数は無数、先に沈めた空母艦オスティナートと同クラスが三十はあり、それを超えるアーヴェンスト級の空母艦が十隻、空戦機に至っては星の数ほど、そして旗艦と思われる超ド級の巨大戦艦が一隻、悠然と進軍してくる。
その威容は、天空を統べる国という言葉が過剰な表現でないことを、確かに示していた。
「……なぜ、どうして、ここが」
捕捉されてはいないと思っていた。そうであるなら、自分達はとっくの昔に滅ぼされているはずだから。ゲリラ的とはいえ、戦えているという事実が、船上国家アーヴェンストが見つかっていない証左だと、そう思っていたのだ。
だから、ローゼは突然姿を見せた死の具現を前に、呆然とするしかない。「なぜ」「どうして」と、意味のない疑問の言葉を垂れ流すしかない。
それは、クロー姉弟や他の幹部達も同じ。戦闘員であるボーヴィッドや、サバスだけが、「あぁ、ついに来たか」という覚悟の決まった顔を見せている。彼等だけは、その可能性に薄々気がついていたのかもしれない。ただ、気がついていたところで、どうしようもなかったというだけで。
白銀が瞬いた。
「チッ。おい、女王さん! いつまで呆けるつもりだっ。やる気がないなら、もう次は防いでやらねぇぞ!」
「っ」
ハジメの怒声が空気を震わせた直後、艦隊からの第二波が空母艦アーヴェンストに襲い掛かった。先程と同じく横腹を突くような白銀の砲撃。それが、一度に十二。
対するは、いつの間にか浮遊していた幾つもの可変式円月輪〝オレステス〟だ。
一瞬で射線上に割り込んだオレステスは、カシュンッと音を響かせて展開。その内側に空間を越えるゲートを開く。
大気を鳴動させながら迫った白銀の砲撃は、それぞれ、オレステスの内側に捉えられると、刹那、アーヴェンストの上空に浮遊していた別のオレステスより艦隊に向けて返された。
自らが放った主砲級の攻撃を、そっくりそのまま返された艦隊は、しかし、その直撃を受けて轟沈するという間抜けな姿は見せない。艦隊の前方に展開していた飛空艇級複数が白銀に輝くと同時に、戦列の前方に障壁が展開されたのだ。
これまた白銀に輝く障壁は、返ってきた主砲を完全に受け止めた。それどころか、まるで吸収でもしているかのように砲撃の威力を削ぎ落としてしまい、ものの数秒で掻き消してしまう。
「へぇ。流石に、自分達の兵器については対策もできているか」
「あの規模じゃと、おそらく本国が出てきたようじゃの。一部か、総戦力かは分からんが……。ご主人様よ、どうやら生き残りがいたようじゃぞ?」
空母艦オスティナートの生き残りが本国に報告した結果だと推測して、ティオが少し感心したように唸る。まさか、あの鬼畜の所業ともいうべきハジメの攻勢を生き残り、自国に辿り着いたとは……なんという強運の持ち主だろう、と。
実際、その強運の持ち主は、半ば発狂しながら帰還し、その後、拷問紛いの事情聴取を受けた結果、性格が反転でもしたのか、悟りでも開いたかのように穏やかな性格になり、竜と自然とお日様をこよなく愛する聖人のような人物になっていたりするのだが……
「おっと、今度は物理か。一応、俺達を避けてはいるようだな」
艦隊から飛び出した幾百のミサイル。その全ては、前部甲板の艦首付近にいるハジメ達を避けるように、空母艦アーヴェンストの後ろ半分と、飛空艇二隻を狙って飛んでくる。
どうやら、ハジメ達の存在には気が付いているようだ。その上で、ハジメ達への直撃コースを狙わないということは、あわよくば捕獲を、と考えているのだろう。
「まぁ、纏まっている方が対処はしやすいのぅ。ご主人様よ、撃ち漏らしを頼むのじゃ」
「あいよ」
ティオが両手を突き出す。ものを左右から挟み込むような構えだ。そうすれば、瞬く間に集束する漆黒の魔力。渦巻き、スパークを放つほど集束され――放たれる。
轟ッと、先程の敵艦主砲に負けない規模の砲撃が迸る。
ティオが誇る竜人族のブレス。それは、迫り来るミサイルの群れの一部をあっさり消し飛ばす。更に、ティオが腕を振るえば、まるで漆黒の光でできた巨大なレーザーブレードの如く、ミサイルの群れは水平に薙ぎ払われることなった。
撃ち漏らしの数十発は、ハジメが狙撃で撃ち落とした。
同時に、
「さて、礼儀に則って、返礼はきちんとしないとな」
そう言って取り出されたのは、もちろん天ちゅ……太陽光集束型レーザー〝バルス・ヒュベリオン〟だ。
「第一圧縮炉――〝解放〟」
既に集束済みの太陽エネルギーが、指向性を持たされて放たれる。朝焼けの空を更に上書きするような強烈極まりない閃光が網膜を焼く。
当然、防壁艦隊が白銀の障壁を張った。バルス・ヒュベリオンの光は、その障壁に容赦なく突き立つ。大気を鳴動させるような衝撃音が響き、威力に押されて防壁艦隊の一部が後退する。
「第二圧縮炉――〝解放〟」
容赦なく威力を増すレーザー砲撃。白銀の砲撃とは異なって吸収することもできず、障壁はビキリッ、パキパキッと嫌な音を響かせていく。戦列が乱れ、レーザーの直撃している場所の近くにいる防壁艦は、纏っている白銀の光を弱々しく明滅させた。
「第三圧縮炉――〝解放〟」
もちろん、更にゴリゴリ押していくハジメさん。極大化した太陽光レーザーが、いよいよ艦隊の防壁を突破しようとする。
が、流石は本国の艦隊というべきか。そう簡単にはいかないようだった。
燦然と輝き出したのは、最も巨大な戦艦。旗艦と思われるそれは、防壁艦と同じように白銀を纏うと、それを放射するように防壁艦へと放った。
「ふぅん? まるで、王竜が他の竜に力を与えているみたいだな」
第四圧縮炉を解放しながらハジメが呟く。王竜が他の竜達に力を与えるように、旗艦は他の飛行艦に力を与えることができるらしい。
「……それが、クヴァイレン国王の専用艦――ドゥルグラントの能力です。あの旗艦がいる限り、艦隊の砲撃を防ぎきる術はなく、障壁を抜くことは叶わないのです」
ハジメの呟きに、覇気のない言葉で答えたのはローゼだった。その瞳には絶望の影がチラついている。よく知っているのだろう。正面から戦っても勝てないその理由を。今まで、何度も煮え湯を飲まされてきたに違いない。
ダメ押しをするように、空母艦アーヴェンストを中心に、艦隊とは別の三方からも艦隊が浮かび上がってくる。どうやら、雲海の表層を隠れながら進み、包囲網を完成させたらしい。
「なるほど。確かに、堅い障壁だな。……相応の代償を払っているようだが」
不意に響いたのは絶叫。獣があげる断末魔の叫び。わざわざ外部に伝わるようスピーカーを使って伝えているところに明白な悪意を感じる。
「……艦隊、全てにリンクして竜核エネルギーを増大させる装置。それも当然、竜核を動力としています。彼等は、アーヴェンストの大地を使って養殖をしていますから、文字通り、使い捨てで竜核を消費しているのです」
更に言えば、竜核は竜の成長と共に大きくなる。年を経て成長した竜ほど、上質な竜核を体内に保有する。そのために、生後すぐ使える竜核を収穫する目的で、薬物による成長促進も行われていたりする。
ローゼ達が、今この瞬間も次々と殺され命の源を搾取され続ける竜達の悲鳴に、まるで自分が切り裂かれているかのような悲痛の表情を浮かべた。
ハジメはそんなローゼ達を見て溜息を吐くと、バルス・ヒュベリオンの照射を中止した。
本当は、バルス・ヒュベリオン全機を取り出して一点集中+昇華魔法による最大砲撃をしてやろうかと思っていたのだが……隣のティオが、無表情ながら明らかに怒りと悲哀の感情を湧き上がらせていると分かったので自重したのだ。
バルス・ヒュベリオンの攻撃が終わり、無傷の艦隊が悠然と進軍を再開する。ハジメの攻撃を凌いで、どこか沸き立っているような雰囲気だ。
と、そのとき、絶望と悲鳴が蔓延する空域に、男の声音が響いた。嘲笑と悪意と、凶暴性をたっぷりと塗り込んだような声だ。
『今の砲撃はお前か、黒髪の』
名乗りもない。前置きもない。自分が問えば、相手は必ず答える。答えざるを得ないし、黙秘も許さない。そんな傲慢さが隠されもしない問いかけ。
なので、取り敢えず、ハジメはアハト・アハトした。
等身大程度の銃身。集束もしてないゼロタイム射撃。
バルス・ヒュベリオンの極大砲撃を見た後では、豆鉄砲に見えただろう。
だが、それは間違いだ。何せその狙撃砲は、貫通特化。電磁加速という認識の埒外にある速度は、イコール破壊力。一点突破という条件下では、殲滅兵器であるバルス・ヒュベリオンの遥か上をいく。
「まぁ、本体もそれなりに頑丈だな。今ので大将が吹き飛んでいたら早かったんだが」
「それっぽく見えるだけで、あそこが艦橋とは限らんじゃろ。ほれ、何となく怒りが伝わってくる。何者かは知らんが、しっかり生きておるようじゃぞ?」
旗艦ドゥルグラントのスピーカー越しに、剣呑な雰囲気が伝わった。当然だろう。砲撃を以て返答された挙句、その砲弾によって障壁をあっさりくり貫かれ、旗艦ドゥルグラントの艦橋と思しき場所の一部を吹き飛ばしたのだから。
全体から見れば、本当に一部の損壊だが……
艦隊の動揺が手に取るように分かる。先程問いかけてきた者の怒気は、もっとよく分かる。
そして、その動揺は背後のローゼ達からも。「うそ、今まで、一度も傷ついたことがないドゥルグラントが……」とか、「こんなに、あっさり伝説が……」とか、「相変わらずの容赦のなさ……痺れるぜ、ハジメさんよぉ」なんて言葉が聞こえてくる。
ドゥルグラントの纏う輝きが増し、同時に再び竜達の悲鳴が広がった。
『黒髪の。聞こえるか? 別に、燃料を取り出してるわけじゃねぇよ? ただ、拷問してるだけだ。良い声で鳴くだろう? てめぇらが大事にしているこの獣共の鳴き声はよ。――楽に死なせてやりたいなら、二度と舐めたまねを――』
『さっきから何をくっちゃべってんだ? ずっと待ってやってるのにちんたらと意味のないことを。とろくさい奴だな。ほら、用件はなんだ? 聞いてやるからさっさと話せ』
傲慢に対して、更なる傲慢が襲い掛かった。腕を組んで踏ん反り返るような態度を取ったまま、念話で答えるハジメ。その様子はいかにも面倒くさげで、今さっき、SFに出てくる宇宙戦争もかくやという砲撃合戦をしたとは思えない。相手の正体も問い質さない。
相手が何者であろうと、心底、興味がない。取るに足りない相手である。
その空域にいる全ての人間に、その言外の考えは如実に伝わった。
『……俺が誰かも分からねぇのか? アーヴェンストの協力者ってのは、随分と頭が悪いみたいだな』
『名乗られてもないのに知るわけないだろ。まぁ、しゃべり方からして品性の欠片もないし、成り上がりのチンピラってところか? あんまり背伸びしない方がいいぞ。お友達を沢山連れて気が大きくなっているのかもしれないが……噛ませ犬臭がぷんぷんしてるし』
ハジメの背後から、声の主の正体を知るローゼ達の噴き出す音が聞えた。「ぶふっ」と、思わず笑いが漏れたようだ。
というか、この状況で旗艦に乗っている者が誰かなど、ハジメだって分からないはずがない。つまり、正体が分からないという点以外は、ただの本音である。
『安い挑発だな。そうやって、今も必死に打開策を考えているんだろう? 嗤えるぜ。お前の滑稽な姿に免じて名乗ってやろう。――グレゴール・クリュゼ・クヴァイレン。クヴァイレン天空神国の王だ。分かるか? お前の前にいるのは、この世界の神王だ』
それは、ある意味で間違いないのだろう。最大の軍事力を持ち、限られた資源の中でそのほとんどを独占しているのだ。与えるも奪うも、生かすも殺すも彼次第。神を名乗っても、否定できる者はいない。
だが、それを聞いたハジメは、
『そうか。まぁ、なんだ、あれだ。頑張れよ、神様。いろいろ、大変だと思うけどさ』
何故か、とても優しい表情で励ましの言葉を贈った。
ハジメの脳裏に過るのは、とある異世界の神様だ。「自分、神だから。友達いないし、お国も滅んじゃったし、お人形作ってかまってちゃんしているけど、マジ神だから! だから、みんな、言うこときいてね!」と主張したところ、風穴を空けられてピチュンした存在だ。
今思えば、可哀想な奴だった。まったく、誰だろう。あんな、残念で可哀想な駄神を塵も残さずぶっ殺した奴は。酷い奴だ。
『ご主人様よ。それはツッコミ待ちかの? 一応、言っておくが、自称神を怒りに任せて滅殺したのはご主人様じゃからな? ついでに、忘れておるようじゃから言うが、眷属の神を魔王城で削り殺したのもご主人様じゃ。あの、苦痛と恐怖を煽るように、四肢をぶった切って消滅させた後、体の端から徐々に削り殺した所業を忘れるとか、マジっぱないの』
どうやら、途中から、エヒトピチュン事件を念話で漏らしていたらしい。ティオから呆れたようなツッコミが入る。
ローゼ達はドン引きしたような表情で一歩後退った。とても、人ができる殺し方じゃない! と戦慄もあらわに距離を取っている。幹部達から「なんとなく思ってたけど……やっぱり悪魔だ」とか、「鬼畜だよぉ、ここに鬼畜がいるよぉ」とか、「なんて容赦のなさだ……そこに憧れるぜ」などという呟きが聞こえる。
当然、外部に伝播する念話であるから、自称神という言葉も、残念で可哀想な駄神という言葉も全ての人間に筒抜けなわけで、そんな神と同列に語られた挙句、優しい表情をされた神国の王は、
『ローゼ。選べ。揃って滅亡するか、王竜と共に国を捨てて俺のもとに下るか』
矛先を変えた。別に気まずくて、というわけではない。感情の消えた声音が、内心のマグマのように煮え立つ怒りをこれ以上なく示している。
王位を簒奪し、国を乗っ取った怨敵の言葉に、しかし、ローゼは咄嗟に答えられない。グレゴールの目的は明白だ。クワイベルには王竜の力を、ローゼには王家の血を捧げさせること、そして、二人を失ったアーヴェンストの足掻きを楽しむこと。
その場合、それこそ削り殺すように、アーヴェンストの民は滅んでいくのだろう。そして、クワイベルは王竜の量産という実験と強制的な交配を強いられ、ローゼも慰みものになるのだ。
だが、従わなければ、今、アーヴェンストは滅ぶ。遅いか、早いかの違いでしかない。
晴れた世界で戦いを挑むにしても、戦えない者だけは、安全な場所に置いておきたかった。が、もはや、その選択肢もないらしい。
僅かな瞑目の後、ローゼは決断した。
「ハジメ様、ティオ様。どうぞ、心置きなく、ヘルムート討伐にお行きください。お二人の力なら、包囲を突破することも容易でしょう」
ハジメが、肩越しに視線だけを向けた。
「この場で決戦か?」
「いいえ。私とクワイベルのみ、グレゴールのもとへ行きます」
にわかに悲鳴があがる。クロー姉弟、サバス、ボーヴィッド達戦闘員、その他の幹部達がこぞって止めに入る。女王と王竜を犠牲にしてまで、命を永らえたいなどと思わない。そんな恥知らずな生き方は、誰にも教わっていない! と。
「私は、諦めてはおりません。望みは薄くとも、茨の道であっても、生きてさえいれば望みはある。それこそ、ハジメ様とティオ様がヘルムートを討伐してくださるなら、生じた混乱に乗じて挽回のチャンスも生まれるかもしれません。今は、今を生きるのです!」
幹部達と、そして初撃の砲撃によって叩き起こされ、甲板に顔を出し始めたアーヴェンストの民に向かって、ローゼは堂々と命令した。絶望の淵にあって、炯々と光る瞳には、なるほど、確かに諦めの色はない。あるのは、ただひたすら強固な覚悟のみ。
今度は、ローゼ以外の人々が言葉を詰まらせた。理屈なく、ただ自分達の言葉では、女王の決断を覆せないと理解したのだ。今を生きろという命令が胸を突き刺す。
そんなローゼ達を見て、肩越しに視線を向けていたハジメは、僅かに、口元を歪めた。それは、小さな笑みの形。
隣を見れば、ティオがとても優しい、慈愛に満ちた表情をしている。地獄の道と分かっていても、最期の瞬間まで諦めない姿は――とても美しいのだ。
ハジメは肩を竦める。そして、暁の中に艦隊が現れたときから分かりきっていたことを聞いた。
『おい、グロメール。実を言うと、俺とこっちの女は、アーヴェンストとは関係ないんだ。見逃す気はあるか?』
『……』
答える気はないらしい。既に、ハジメに見切りをつけているのだろう。それこそ死んでいなければいいレベルで半死半生にでもし、力の秘密を拷問まがいの実験で探り出すのだろう。ティオも同じはずだ。
……きっと、ナチュラルに名前を間違えられたことにむっつりしているわけではないはずだ。
無言を否定と取ったハジメは、隣で、ティオがむず痒いような、沸き上がる気持ちを抑えているような表情をしているのを感じながら、大きく息を吸うと――
『ごほんっ。あ~、いたいけな竜達を誘拐・監禁している犯人達に告ぐ~。今すぐ彼等を解放しなさ~~~~い! 田舎のおふくろさんが泣いているぞぉ!』
取り敢えず、「こいつは何を言っているんだ」という視線が背後から突き刺さる。同時に、艦隊からも何となく、そんな雰囲気が伝わる。
だが、ハジメさんは誰の戸惑いを気にすることもなく突っ走り始める。何故なら、それがハジメクオリティーだから!
『君達には、弁護士を依頼する権利が、ない! 情状酌量の余地も、ない! でも、黙秘は許す! 竜質を解放して、だまっ~てお家に帰れば、後ろからは撃たないであげよう! さぁ、死刑を免れる千載一遇のチャンスだぞ! ベロデールがなんだ! 誘拐犯諸君! 恐れず全力で、逃げ帰りなさ~~い!』
もう、言ってることが滅茶苦茶だった。ついでに、王様の名前も滅茶苦茶だった。
『いいか、これは忠告だ! 今すぐ竜質を解放しないと、ほんと~~に大変なことになるからな! ハゲテールの命令なんて無視しろ! 嘘じゃないぞ? 俺に嘘を吐かせたら大した――』
旗艦ドゥルグラントから砲撃! きっと、もう「ル」しか合っていない名前の返礼だ。
それを結界で防ぐハジメに、ローゼから慌てたような声がかかった。
「ハジメ様!? いったい、どういうつもりですか!? どうして、そのような挑発をっ」
「どっちにしろ、艦隊が到着する前に出発しなかった時点で、あいつらは俺達を見逃しはしなかっただろう。もちろん、さっさと逃げることはできるが……」
敵意を抱いて攻撃してきた者に、背を見せるなどあり得ない。もちろん、戦うべきはローゼ達であるというのは、今も変わらない。だから、ハジメは、今のところ直接手を出すつもりはなかった。
ならば、何故……と、問うローゼに、ハジメはニヤリと笑いながら言う。
「この世界には、女王さん達以外にも、戦うべき奴等がいるだろう? 己の生存と尊厳を賭けて魂を燃やすべき奴等がさ」
「え?」
戸惑うローゼから視線を逸らし、ハジメはティオを見やる。
「ティオ。後輩のちびっ子竜に、本当の竜の王ってのを見せてやらないか?」
「くふふっ。実はさっきからな、竜達の悲鳴が耳にこびりついて離れんのじゃ。ご主人様がここから離れると決断しても、妾はやるつもりじゃった。が、ご主人様はこういうとき、必ず応えてくれるからのぅ」
嬉しそうに、されど獰猛に口元を歪めるティオ。その瞳孔は縦に割れ、既に竜眼へと成っている。竜族への意味のない拷問に、相当腹を立てていたようだ。
ハジメは同じように獰猛な笑みを浮かべると、少々真面目な口調でグレゴールへ念話をした。
『メンソール。俺達が、未知の力を持っていると知っていて、既に自国の空母艦が為す術なく撃沈されていると分かっていて、それでもなお、止まる気はないんだな?』
『……確かに、てめぇの力は未知数だ。だが、だからこそ、奪い甲斐があるんだろうが。俺は奪う者。目の前に極上の宝があって、最大限の力を振るえるってときに、止まるわけがねぇだろう? 勝率が一%でもあれば、俺は常に奪い取ってきた。今回も同じだ』
『なるほど。お前はお前で、確固たるものがあるわけだ。……だが、自称神王とやら、一つ、勘違いしているぞ』
『なに?』
旗艦ドゥルグラントからの砲撃が途絶える。直後、ハジメとティオは甲板から跳び立った。
空中に躍り出たハジメとティオは空中に寄り添うようにして止まる。
そして、互いに、今にもキスをしそうな至近距離で見つめ合うと、そのまま……
バチコンッ
「あはんっ」
ハジメの平手打ちが、ティオのお尻に炸裂した。真紅の波紋が広がっていることから、どうやら〝魔衝波〟付きらしい。その、ダメージはほとんどないのに、体の芯まで痺れるような快感が奔り抜ける達人打ちに、駄竜さんは思わず四つん這いになった。空中なのに器用にも。
「ほれ、がんばれ、駄竜。竜人族の姫なのに、大軍を前にして喘いでいる変態」
「あ、喘いでおるのは、ご主人様のせい……」
バチコンッ
「あひぃっ。今の、凄いとこ来たのじゃっ」
「変態のくせに、なに人のせいにしてんだ」
そう言ってもう一つ平手打ち。ティオの大きなお尻が衝撃に波打つ。ついでに、再び艶やかな声が響いた。空域全体に。
もちろん、アーヴェンストのみなさんも、神国の大艦隊のみなさんも、あのグレゴールさんだって例外なく、「いきなり、なに始めちゃってんの、この人達ぃ!?」と目が飛び出さんばかりの勢いで驚いている。
ユエとはまた異なる、二人っきりの世界を構築しながら、ハジメは容赦なくティオの尻を平手打ちしつつ、懐から出した試験管型の容器のキャップを口で外した。そして、喘ぎで開いたティオの口に突っ込む。
「んぐぅ!?」
いきなり口にものを突っ込まれ、更に液体を流し込まれたティオは、尻叩きと合わせて物凄く幸せそうな表情になっている! なんという変態! 流石、駄竜!
その辺りで、ようやく現実に帰ってきたらしいグレゴールが、命令を出した。取り敢えず、なんかよく分からないけど、砲撃でも浴びせておこうということだろう。いくつかの空母艦の主砲が、ハジメ達の方へ向くの分かった。
「んむぅ!? キタッ! キタッのじゃ、ご主人様ぁっ! 流石、ご主人様の直接ご褒美は、変換率が違う! ユエの血盟契約ならぬ、まさに愛のなせる主従契約じゃ!」
「嫌だなぁ。それ、もしスキル名が付くとしたら、絶対に変態契約とか、SM契約とか、そんな感じだぞ」
四つん這いで、ハァハァと荒い息を吐きつつ、恍惚の表情を晒しているティオが、興奮の滲む声で叫ぶ。そして、よろよろ、もじもじと立ち上がると、ハジメから紅い宝珠のついたネックレスを受け取った。
「竜化しなくてもいいのか?」
「ふふん、はぁはぁ、侮るでないよ。はぁはぁ、んんっ。ぶっつけ本番の、神域での戦いとはわけが違うのじゃ。ぁふぅ……研鑽を積み、妾の技は更に磨きがかかっておる。ハァハァ……まして、ご主人様から直接ご褒美を貰ったのじゃ。今の妾に、不可能はない!」
「あ、そう」
そっけないハジメの返事に、ティオはぶるぶると感じ入ったように震える。
そして、いざ、主砲が放たれるという直前で、大きく仰け反りながら息を吸うと……
グルァアアアアアアアアアアアアアアアッ
人の身で、竜の咆哮を放った。快感を一気に吐き出すような、非常に気持ち悪い笑顔のまま。
放たれた咆哮は、しかし、ただの叫びではなかった。ティオを中心に、黒色の波紋となって空域を駆け巡る。幾重にも、幾重にも波打つ黒色の波動は、障壁を無視して透過するように艦隊を抜けていった。
未知の攻撃か……。だって見てみろ。あの女の笑顔。普通じゃない!
艦隊の主砲が警戒するように発射準備完了段階で止まる。
直後、脈動が世界に響いた。
ドクンッ
ドクンッ
ドクンッ
一つや二つではない。無数の、数えきれないほどの脈動。まるで、世界そのものが目覚めようとしているかのような、不気味でありながらも圧倒される気配、気配、気配ッ!!
――さぁ、目覚めよ。我が同胞よ。誇り高き、強き存在よ。
念話に似た、されどどこか異なる声が降ってくる。
――竜の眼は、悲痛を浮かべるためのものではない。不退転の炎を宿すためにある
『陛下ッ。燃料が、いえ、竜達がっ』
『こちら、第二空母艦アンビシオン! 燃料庫で異常発生! 奴等、いったいどうしたんだ!?』
グレゴールの耳に、荘厳で威厳に満ちた声音が響くと同時に、次々と悲鳴じみた報告が飛び込んでくる。そのどれもが各艦の燃料の異変を伝えるもの。
――竜の爪は、震える己を抱き締めるためのものではない。悪意を切り裂き、守るべきものを守るためにある。
『第八空母艦グラナーダ! 竜が、染まっていく! 何が起きているんだ!?』
『第十四空母艦フュデルタですっ。こっちは竜共が肥大化している! このままじゃ檻が破られます! 陛下、ご指示をっ』
『報告しますっ。黒く染まった竜が、口から高熱のエネルギーを吐き出しました! くそっ、燃料庫が破られたっ』
艦隊からの報告だけではない。旗艦ドゥルグラントの燃料庫からも悲鳴じみた報告と、指示を仰ぐ怒声が響いて来る。更には、衝撃音が轟き、その振動がグレゴールのいる艦橋にまで伝わってきた。
「何が起きた!?」
「っ。拷問用に檻から出していた竜が拘束を破壊! 乗員を殺害して暴れ回っています!」
「馬鹿な。あの拘束はシンセハイアーを組み込んだ対竜用だぞ! 何故、起動しない!」
「しています! 拘束具についたもの以外にも、乗員が作動させました! ですが、黒い竜には効いていません!」
「どうなってやがるっ。ええい、各艦にも伝えろ! 異変を起こした竜は、全て殺処分とする。直ぐに殺せ!」
命令を得た途端。燃料庫の脈動を続ける竜達に、殺傷用の銃器が向けられる。未だ、己の変化に戸惑う竜達は、その銃口と殺気立つ乗員達を見て、怯えたように身を縮めようとした。
――竜の牙は、死を前にして閉ざすためにあるのではない。己の弱さを噛み砕き、理性ある闘争の魂を示すためにある。
小さくなろうとしていた竜達が、ピタリと動きを止める。その変化に、銃器を構えた乗員達は、一瞬、訝しそうに動きを止めた。止めてしまった。
「グルルルルッ」
無数の低い唸り声が響き渡る。漆黒に染まり、元のサイズにかかわりなく成長した竜達は、許しを乞うように下げていた頭をゆっくりと持ち上げた。
「ひっ」
「う、ぁ」
乗員の何人か、短い悲鳴を上げた。それは紛れもなく、恐怖の声。目が合ったのだ。顔を上げた竜達と。その闘争心と、不退転の魂を宿らせた竜眼に射貫かれたのだ。
――咆哮を上げよ! 竜の咆哮を! 己が存在を、世界に示せ! 誇り高き魂を、掲げてみせよ! そなたらは――竜族である!
刹那、世界を揺るがすような無数の咆哮が天空の世界に響き渡った。
あるいは、全ての艦隊が内側から破裂でもしたのではないかと錯覚するような、激烈にして壮絶な竜の咆哮!
それだけで、近くにいた乗員達は鼓膜をやられ、中には白目を剥いて意識を喪失する者までいた。
――魂魄・変成・昇華複合魔法 【黒神龍の権威】
かつて、神域にてティオが使った【竜王の権威】。他の生物を黒竜へと変成させる神代の魔法。以前は、黒隷鞭との併用で、一体ずつしかできなかった。
それが今は、痛覚変換により力を溜め込んだ状態で、かつ竜に近しい生物でなければならないという条件はあるにせよ、咆哮一発で範囲内の全ての竜を強靭な黒鱗を持つ黒竜に変成させることができる。しかも、【神言】のアレンジ――【神龍の言霊】により、竜の本能を呼び覚ますこともできる。
そう、ティオの力によって、燃料として大量に保管していた艦隊の竜達は全て――勇壮なる黒竜へと変成したのだ!
結果、
ドゴォオオオオオオオオッ
無数の爆音が響き渡った。原因は一つ。黒竜と化したことで使えるようになった〝ブレス〟が、全ての飛行艦の内部で炸裂したからだ。
『ダメだっ。押さえきれギャッ』
『くそっ。なんだあの鱗は!? 銃弾が通らねぇっ』
報告は、次第にただの悲鳴へと変わっていく。そして、放たれたブレスが内壁をぶち壊し、檻から溢れ出た黒竜達は艦内を蹂躙して、遂に外へと飛び出した。
まるで、風に煽られた灰が舞い上がるように、ブレスの閃光で融解した外壁を抜けて次々と天空へと帰還する竜達。
空母艦ならば、一つの艦でも軽く百を超える竜が保管されていたのだ。飛び出してくる黒竜の数は尋常ではない。
『撃てっ! 勝手に外に出てくれるなら好都合だ! 出てきたものから撃ち落とせ!』
グレゴールの指示が飛ぶ。艦載重火器が、直ちに火を噴いた。
空中へ飛び出した黒竜の群れに、流星の如き弾丸が迫る。が、その射線に、先に飛び出していた別の黒竜が割り込んだ。翼を広げ、その身を盾にして仲間を庇う!
親譲りの黒鱗は、艦載重火器とて容易く貫けるものではない。だが、それでも無傷で済むかと言えば、答えは否だ。弾丸が直撃する度に黒鱗は砕かれ、四散し、遂にはその身を穿って血肉を撒き散らす。
だが、仲間のために己の身を盾にする黒竜は、死を目の前にしても揺るがなかった。ただ、最後まで戦い抜くのだと、仲間を守るのだと、その意思のみで最後のブレスすら撃ち放った。
既に力なくか細いブレスは、しかし、艦載銃器の一つを見事に破壊する。同時に、穴だらけにされた黒竜は、血反吐を吐きながら力を失った。
だが、その犠牲のおかげで、穴から出るところを狙い撃ちにされることもなく、何十体もの黒竜が空へと飛び出すことができた。
――翼を打て。気高き子よ。その魂に祝福を
響き渡る壮絶な咆哮。再び空域に広がった波紋は、力なく墜ちる傷ついた黒竜達を包み込む。
次の瞬間、確かに満身創痍だったはずの黒竜達は、竜翼を強く一打ち。空中で体勢を立て直すと、不思議そうに己の体を見下ろす。そこには、既に傷はなく、黒鱗も急速に再生している光景があった。
原因は? 決まっている。自分達を〝竜〟として目覚めさせた、母だ。
黒竜の視線が、宙に人の姿で立つ偉大な存在を捉える。なんかハァハァしてるけど。
「クワァアアアアッ」
「ガァアアアアアアッ」
「グルァアアアアッ」
天空に響き渡る咆哮の意味は一つ。
――集え。ハァハァしている偉大な竜のもとへ。
黒竜が一斉に、戦域の中心目指して飛び出す。当然、背後から弾丸やミサイルが飛んでくるが、常に幾体かの黒竜が仲間を庇い、その隙に反転したものがブレスを放って迎撃する。そして、傷ついた黒竜は、勇壮な咆哮が響き渡ると同時にその身を癒され戦線に復帰する。
「なんて……光景なの……」
それはローゼの呟き。抱えられているクワイベルは、まるでその目に全てを焼き付けようというかのようにジッと視線を固定したまま動かない。そして、アーヴェンストの人々もまた、呆然と空を見上げたまま動かない。だが、心情は、ローゼと全く一緒だということは、その表情だけで分かった。
――数多の、黒き竜による竜巻。
ティオを中心に、旋回する黒竜達が作り出した、この世界に未だかつて存在しない光景。
大きく顔を覗かせる陽の光が、黒竜達の鱗に反射してキラキラと煌めく。それはまるで、職人の手により完璧にカットされたブラックダイヤモンドが、光を乱反射しながら踊っているかのよう。
なんて雄大で、壮絶で、美しい光景なのだろうか。
あるいは、艦隊の人間達をして、魂を揺さぶられるような気持ちを湧き上がらせる中、ティオの言葉が、強奪の王へと向けられる。
『天空を統べる神王とやら。もはや、御託は並べん。――刮目せよ。竜とは、如何なる存在か。天空を統べるということの、本当の意味を!』
『っ。構わんっ、撃てっ。ボサッとするな! 殺害を許可する! 全火力を向けろ! 旗艦反転っ。全艦隊は、ドゥルグラントの撤退を援護しろ! 逆らった者は一族郎党、皆殺しにする!』
殺害命令が響き渡る。同時に、潔いほどの撤退命令。ただし、王たる自分のみの。恐怖による長い支配は、明らかに不味い状況だと分かっていても、彼の言葉に逆らうことを許さない。
旗艦ドゥルグラントが反転すると同時に、全艦隊から一斉に攻撃が放たれた。白銀の砲撃もあれば、ミサイル攻撃もある。全方位から放たれるそれは、まるで火線でできた檻だ。
「何気に、生で見るのは初めてだな。楽しみにしている」
「ふふ、期待には応えようぞ。――〝限界突破〟」
先に渡されたネックレス――〝ラスト・ゼーレ〟。
限界突破をもたらすアーティファクトと、先程飲んだチートメイトⅡ(うま○棒めんたいこ味、ドリンクver)の効果が合わさって、本来、満身創痍レベルのダメージがなければ発動できないティオ=クラルスの奥義が発動する!
轟ッと唸る風。真紅と漆黒が混じった魔力の嵐。螺旋を描き、天を衝くそれは、黒竜達の竜巻を更に外側から包み込むほど巨大。雲海が捻じれ、台風のように渦巻いていく。
殺到する白銀の砲撃も、ミサイルの群れも、一緒くたに巻き上げてただの一発も通しはしない。圧倒的な力の奔流が、一切合切を無力化する!
陽の光が消えていく。
雲海の上で、更に空が覆われていく。
「あぁ、やはり、貴女様は……」
真なる竜は、天地をも操る。自分が教えた伝承だ。それが、今、目の前で起きている。ローゼは自然と、涙を流していた。感動だろうか? 恐怖だろうか? ローゼにも、そして同じように涙を流すアーヴェンストの人々にも、よく分からない。ただ、胸に迫るものがあったのだ。
落雷と、爆ぜる音が世界を蹂躙する。
雲海の更に上空に発生したそれは、雷炎の海。世界を焼き尽くさんばかりに燃え広がる天空の炎の海に、プロミネンスの如く雷が瞬く。
真紅と漆黒の竜巻が霧散した。残された黒竜達は、ただ天空を見上げている。まるで、そこにいる存在を崇めているかのように。
ずるりと、雷炎の海に、何かがせり出した。長い胴体の一部。光を吸い込みそうな漆黒の鱗が見える。波打つように、雷炎の海から天地逆に浮かび上がっては、消え、また浮かび上がる。
おおよそ、竜の肉体ではない。大きさも、その形状も。だが、この空域にいる全ての存在が理解していた。
――あれは、人知を超えた……竜だ
ズズズッと、地鳴りのような音を響かせて、雷炎の海を泳いでいた存在が姿を見せる。
炎の波と、凄まじいスパークを纏いながら現れたそれ。縦に割れた黄金の龍眼が、下界の全てを睥睨する。
優に、一キロメートルは超えているであろう巨体でとぐろを巻き、稲妻とプロミネンスで周囲を彩る。
一拍。
――ゴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!
一瞬、世界が弾け飛んだかと、誰もが錯覚した。爆音じみた咆哮だったから……ではない。
『天空を……統べる……神……』
そう、まさに神威。ただの咆哮一発が、世界を壊すような断罪の意志に感じられたのだ。
敵味方区別なく、全ての存在に畏敬の念を覚えさせる存在。
――黒神龍 ティオ=クラルス
ここに顕現。
艦隊の勝率など、一%もあるわけがなかった。
いつも読んで下さりありがとうございます
感想・誤字・脱字報告もありがとうございます。
※竜+人質=竜質(造語)
指摘が多かったので念のため。わかりづらくてすみません。




