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ありふれた職業で世界最強  作者: 厨二好き/白米良
ありふれたアフターストーリーⅡ
238/547

ありふれたアフターⅡ ティオ編 女王様の決意

 夜明け前の壮麗な王宮の廊下に、慌ただしい足音が響き渡った。


 既に働き始めている使用人達が、ドタドタッと踏み鳴らされる足音に何事かと視線を転じ、そこに厳しい表情をした高官の姿を認めてギョッとした表情になる。神国の高官には、夜明け前に起きるような習慣も、奇矯な人物もいないからだ。


 高官の男は、いくつもの通路を曲がり、やがて銃火器で武装した兵士が立っている部屋の前へとやってきた。顔見知りではあっても、高官の男の尋常ならざる様子に、衛兵達が思わず身構える。


「お前達、直ぐに陛下へ取り次いでくれ! 緊急の用件だっ」

「サイラス様。しかし、陛下はまだご就寝中で……」


 怒声を上げる高官の男――サイラスに、衛兵の一人が答えるが、サイラスは更なる怒声をもって切り捨てる。


「かまわんっ、起こせ! 早くしろ! 緊急だと言ってるだろうっ」

「りょ、了解しました!」


 衛兵の一人が室内に呼びかける。しばらくして出てきたのは不機嫌そうな表情の薄着の女だ。衛兵が事情を伝えると、更に不機嫌そうな表情になりつつも奥へと引っ込んだ。


 待っている間、イライラとした様子で足をタップするサイラスに、衛兵達は居心地悪そうに身じろぎする。


 しばらくすると、先程の不機嫌そうな女が、今度はそれなりに身なりを整えた状態で顔を出した。そして、サイラスに入るよう促す。


 女を押しのけるようにして部屋へと踏み込んだサイラスは、背後から聞こえる女の小さな悪態を無視しつつ、部屋の奥にある扉へと向かった。そちらが寝室の一つ手前の部屋になる。応接する場所だ。


 少々乱暴にノックをし、中から響いた殊更機嫌の悪そうな声の「入れ」という言葉に従い、サイラスは扉を開いた。


「サイラス。俺を叩き起こしただけの理由が、本当にあるんだろうな?」


 初老の男が一人。グラスに注いだ琥珀色の酒を煽りながら、そう問いただす。ガウンを羽織っただけの姿とはいえ、鋭い眼光と険しい表情は、見る者を自然と威圧する迫力があった。


 この男こそ、クヴァイレン天空神国の王――簒奪者グレゴール=クリュゼ=クヴァイレンその人だ。


 物心がついた頃から、他者より何かを奪うことで生きてきたこの国王が、たとえ腹心の部下といえど、あっさり見限ることをサイラスは知っている。圧倒的な暴力と、暴力を十全に生かす狡猾さ、そして強奪の性が染みついた凶悪な雰囲気ははりぼてではないのだ。


 普通なら萎縮しそうな空気の中、しかし、サイラスは生唾を一つ呑み込むだけで口を開いた。


「空母艦オスティナートが、墜ちました。――撃墜です」

「……なんだと?」


 建国以来、一度としてなかった神国空母艦の撃墜。その報告に、グレゴールの目が僅かに見開かれた。先程よりも更に威圧感を増しながら、「どういうことだ」と続きを促す。


「夜中に、オスティナートに艦載されていた空戦機が、単機で戻ってきました。パイロットはグローサー隊のヒッグスという男です。ほとんど正気を失っていましたので事情聴取に苦労しましたが、奴曰く、アーヴェンストと交戦中に化け物二人に襲われ、オスティナートは撃墜されたということです」

「化け物? ボーヴィッドの部隊のことか? 確かに、化け物じみた腕前だが――」

「いえ、それが……個人で空母艦の主砲級の砲撃を放つ男と、音速で飛び、炎や風を意のままに操る黒い竜にやられたと」

「……聴取をやり直せ。どう考えても狂ってやがるだろう。まさかと思うが、そんな戯言を鵜呑みにして、俺を起こしたわけじゃないだろうな?」


 不機嫌さが一気に増したグレゴールが、机の上に置いてあった銃に指を滑らせる。サイラスがそんな無能なら、もう不要だということだろう。


 サイラスは冷や汗を流しつつも、報告を続ける。


「もちろん、戯言ではないと確認の上での報告です。聴取の後、念の為、広域通信によりオスティナートへ連絡を取りました。が、結果は不通。そこで、オスティナートが墜ちたという場所に探索部隊を飛ばしましたところ……」

「本当だったわけか?」

「はい」


 探索部隊とは、主に地上の探索をする部隊のことだ。武装がほとんどない代わりに、高速かつ装甲の厚い飛空艇で、部隊のメンバーも、黒い雨の浸蝕を少しの間防いでくれる特殊な防護服を着る。


 地上に長年降り注いでいる黒い雨は、空気中に溶け込んだ水分にもたっぷりと含まれているので、直接触れずとも呼吸をするだけで体内を浸蝕されてしまう。地上の探査には、空気をろ過するタイプの呼吸器ではなく、完全防護状態での酸素ボンベが必要だ。


 故に、探索部隊といっても、地上での活動には時間的制限があるのだが……


「緊急で送った探索部隊ですので、詳細を見て回れたわけではありませんが――」


 言葉に詰まるサイラス。躊躇うように、言葉を選ぶように口元が歪む。「いいから、そのまま報告しろ」と、グレゴールがイラついたように促した。


「オスティナートの外装は、三連主砲部分および後部船底部分がごっそりとえぐり取られていたそうです。艦載していた空戦機はほとんどなく、主要部分のほとんどが内側から爆破でもされたように吹き飛んでいたと。そして……乗組員ですが……」

「ふん。どうせ全滅だろう?」

「はい。ですが、黒い雨だけが原因ではないようです」


 そう言って、サイラスは探索部隊が持ち帰った艦内の記録映像の媒体を取り出した。何故か青褪めているサイラスに、グレゴールは訝しそうにしながら記録媒体を受け取ると、それを専用のコンソールに差し込んだ。


 ディスプレイに映し出されたのは……


『奴がっ、奴が来るっ。早く逃げろっ』

『やめろっ、俺だ! 撃つなっ』

『いやだぁっ、もういやだぁっ。声が離れないっ。誰かっ、たすけ――』

『アァ゛、ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ』

『しねっ、しねぇぇえええっ』


 目を覆いたくなるような混乱と狂乱の光景だった。映像には、オスティナートの乗組員しか映っていない。しかし、誰もが、見えない何かに追い立てられているかのように戦い、泣き喚き、あるいは必死に逃げようとしている。


 そうして、早々に正気を失った者は近くにいた者へと襲い掛かり、それを迎撃しようとして流れ弾が他の者を襲い……後はもう、坂道を転がる石の如く。目に見えない恐怖と、目の前の仲間に対する疑心暗鬼が生み出す狂乱の坩堝だ。


「なんだ、これは……」

「……」


 グレゴールの、無意識に出た呟きに、サイラスは答えることができなかった。


 やがて、狂乱がピークに達したころ、艦内のあちこちが不自然に爆発し、とうとうオスティナートは地上へと墜ちた。雲海の中の雷撃で更に船体を破損しつつ、誰かが最期の意地を見せたのだろうか、地上に激突する寸前で一瞬浮力を取り戻し、どうにか全壊には至らなかったものの見るも無残な姿を晒すことになった。


「サイラス、オスティナートで何が起きた?」

「分かりません。艦内の映像では侵入者の存在を確認できませんでした。乗組員がいったい〝なに〟に怯えていたのか……あるいは、それがヒッグスのいう〝化け物〟なのかもしれません」


 しんっと室内が静まった。虫が息を殺したような、という表現をしたくなる不気味な静けさだ。


「……アーヴェンストとの交戦記録は? オスティナートが〝なに〟と戦ったのか分かるだろう?」

「それが、原因不明の爆発により、この艦内の一部の映像以外は壊れていて回収できませんでした」


 あるいは、それも〝化け物〟の仕業か……言葉にせずとも、二人は同じことを考えた。


 しばらくの間、沈黙が場を支配した。グレゴールは夜明けが近い空を窓越しに見つつ、おもむろに酒を煽った。瓶ごと豪快に飲む。度数が高く、かなりの量が残っていたのだが、お構いなしに飲み干した。


 そして、酒瓶を床に投げ捨て叩き割ると、乱暴に口元を拭い、ギラギラと輝く眼差しでサイラスを見る。


 野生の獣にでも睨まれたかのような錯覚に陥り体をビクリッとさせるサイラスに、グレゴールはその凶暴な性質を見せつけるかのような笑みを浮かべ命令を下した。


「艦隊を招集しろ。守護艦隊以外の全てだ」

「なっ、それは……。陛下、ついに奴等を?」

「ああ。アーヴェンストの奴等の足掻きは格好の娯楽だったがな。奴等が何を飼い始めたのかはしらんが、今回はやり過ぎた。ここらで消えてもらうとしよう」


 アーヴェンストは、決して神国に対しゲリラ戦法を成功させていたわけではなかった。もともと、圧倒的なまでの物量差と技術格差があったのだ。グレゴールがその気になれば、殲滅など容易いことだったのである。


 彼等が生き残っていたのは、ひとえに、突発的に起きる戦いがグレゴールの娯楽になっていたから。それだけだったのだ。


 だが、神国の誇る空母艦の撃墜は、流石に看過できない事態だ。天空を統べる神の国と名乗るからには、賊如きに傷の一つもつけられてはならない。国家の威信にかけて。


 故に、国の防衛用に残す艦隊は別として、全戦力により圧倒する。塵一つ残さず、この世から消滅させるのだ。


 サイラスは無言で頭を下げ、自らの仕事を果たすべく踵を返した。


「そういえば、あのお姫さんも今は良い年ごろか……くくっ、王家の血を取り入れるというのも、悪くはないか。あるいは、生き残り共の前で、最後の王族が堕ちるところでも見せつけてやるか」


 楽しそうに嗤う声が響く。


 グレゴール=クリュゼ=クヴァイレン――彼は紛れもなく簒奪者であった。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 雲山の狭間に停泊する巨大な空母艦アーヴェンスト。


 ハジメが沈めた神国の空母艦オスティナートも巨大ではあったが、アーヴェンストは更に二回りは大きかった。


 もっとも、大きさで勝るからといって、そこにオスティナートを超える威容を感じるかと問われれば、〝否〟と答えざるを得ないだろう。


 なにせ、


「……砲塔に、めっちゃ洗濯物が干してあるんだが」

「……甲板に、めっちゃ農園が広がっておるんじゃが」


 徐々に近づいてくるアーヴェンストを双眼鏡で観察していたハジメとティオが、思わずといった様子で呟いた。


 そう、空母艦アーヴェンストは、その外部が物凄く平和的だったのだ。外装の銃身や砲塔は、それぞれワイヤーで結ばれ、そこに洗濯物がずらりと並んでいる。主砲の先の突起に、どこかのご婦人のパンティーがぶら下がっているのは、正直脱力せずにはいられない。


 更に、甲板の上には立派な農園があって、今も、せっせと世話をしている人が多く見える。そして、そんな甲板の上では子供達が元気に走り回っていた。甲板から外に伸びる滑り台のようなもので、一気に船底まで滑り下りる猛者もいる。


「い、一応、〝王都〟扱いですので、生活重視といいますか……そもそも、動力となっていた王竜の竜核はヘルムートが回収しているので、武装なんてあっても碌に起動なんてしないのです。ですので、どうせなら有効活用した方がいいといいますか……」


 ちょっと恥ずかしそうに頬を染めて、ローゼがそんな弁解をする。


 実はこの空母艦アーヴェンストは、かつての王子が相棒の竜核を使って作り出したあの戦艦だったりする。もっとも、ヘルムートによって竜核を抜き取られているので、今は天核のみを動力としていることから、辛うじて飛ぶことができる程度なのだ。


 そんなことで、いざ見つかったらどうするんだという当然の疑問を視線で投げつけるハジメに、ローゼはむんっと胸を張って指を差した。


「大丈夫です。武装はほとんど機能しませんが、装甲の厚さは現存する飛行艦の中でもトップクラスです。たとえ空母艦の主砲の直撃を受けたとしても、数発程度なら余裕で耐えることができます。それに、アーヴェンストを守る飛空艦が常に傍にいますから」


 見れば、空母艦アーヴェンストの傍には一隻の飛空艦が停泊していた。


 飛空艦アベリア――ローゼの戦闘艦であるロゼリアの姉妹艦だ。ロゼリアが、どちらかといえば速度と機動力重視なのに対し、アベリアは火力を重視した戦闘艦である。


 この二艦が、今までアーヴェンスト竜王国の末裔達を守ってきたのだと、ローゼは誇らしげに語った。


 そんな彼女を横目に見つつ、ハジメは内心で首を捻った。


(たった二艦、それも空母級ですらない駆逐艦レベル……お荷物を守りながらという条件で、本当に凌ぎ続けたのか? それほど、腕に差がある? いや、それでも……)


 ハジメが視線をティオに向けた。ティオもちょうどハジメに視線を向けたところで、二人は視線が合うと何とも言えない表情になった。ローゼ本人は守り続けてきたと言うが、あるいは、それは……と、互いに同じ結論に至ったのだ。


 そうこうしているうちに、いよいよ空母艦アーヴェンストに近づいてきた。


 飛空艦ロゼリアの存在にも当然気が付いていたようで、農作業をしてた人達も、子供達もわらわらと甲板の一部へ集まってくる。そこがロゼリアの接舷位置なのだろう。


 ローゼが大きく手を振る。それだけで大きな歓声が上がった。どうやら彼女は人望のある女王らしい。


 クロー姉弟やボーヴィッド達空戦機部隊の面々も甲板に出てきて、アーヴェンストに乗り移る準備をする。


 接舷する頃には、空母艦アーヴェンストの甲板上にはあふれんばかりの人でごった返していた。ある程度ハジメが直したとはいえ、ロゼリアは中々に酷い有様だ。その状態は、女王を出迎えに来た人々の顔色を青くさせるには十分だったらしい。


「皆さん、心配には及びません。クヴァイレンの攻撃を受けましたが、この通り! 私も、クワイベルも無事です!」

「ぴぃっ!!」


 ローゼがクワイベルを両手で掲げるように持ち上げると、再び歓声が起こった。クワイベルを抱え直したローゼは、片手を上げて歓声を抑えると、今度は神妙な表情で声を張った。


「ですが、私達を生かすために、多くのパイロットがその尊い命を散らしました。帰ってくることができなかった勇敢な戦士達に、どうか想いを馳せてください。そして、彼等を称えて下さい。私達は、彼等に守られたのです」


 甲板に並ぶ空戦機パイロット達。その中に、見送ったはずの大切な人の姿がないと知るや、あちこちですすり泣く声が響いた。ボーヴィッド達が胸に拳を当てて、空を仰ぎ見る。それは竜王国での敬礼だ。先に逝った仲間に黙祷を捧げる。


 自然、甲板上の人々も黙祷を捧げ出した。


 ゆるやかな風が吹く空の上に、静かな祈りが広がる。


 しばらくの黙祷が続いたあと、人垣の前に初老の男が進み出た。


「ローゼ様、お帰りなさいませ」


 立派な口ひげをこさえた白髪の男性は、ぴんっと伸びた背筋のまま、深々と頭を下げた。


「じぃ。ただいま戻りました。問題はありませんでしたか?」

「ええ、ございませんとも。このサバスチャン=オールトがローゼ様の留守を預かっているのです。そうそう、問題など起こりませんとも」


 穏やかだが確かな自信をもって答えた彼は、どうやらローゼの腹心らしい。見た目といい、呼び方といい、その雰囲気といい、服装こそ普通の作業着であるが絶対に家令だと、ハジメとティオは思った。


 なにより、


『『おしいっ』』


 ハジメとティオは思わずツッコミを入れる。〝サ〟ではなく〝セ〟であったなら、異世界共通で執事といえば〝セバスチャン〟という暗黙のルールの存在が証明できたのに! と。


 場の空気を読まない異世界組二人が微妙な表情をしていると、それを詰まらなさそうにしていると勘違いしたローゼが慌ててタラップを降り始めた。ハジメとティオを様付けで呼びつつ、だ。


 当然、女王による様付けに人々が訝しまないわけがなく、その筆頭として、サバスが質問の声をあげる。


「ローゼ様、そちらのお二人は?」

「お客様です。こちらがハジメ=ナグモ様、そちらの方がティオ=クラルス様。しばらくアーヴェンストに滞在していただきます。……大切な、本当に大切な方々なので、絶対に失礼のないようにお願いしますね」

「……ローゼ様の、大切な、方?」


 じぃの視線がハジメを捉えた。その視線の意味を知って、ハジメは視線を逸らした。大切な〝方々〟と言っただろうと、内心でツッコミを入れる。


「失礼ですが、ローゼ様、具体的にどういったお知り合いの方でしょうか? もしや、クヴァイレンの?」

「いいえ、じぃ。クヴァイレンとは関係ありません。その、ちょっと素性は、ここでは……。とにかく、私がどうしてもとお願いしてきてもらったのです! 最大限のおもてなしをお願いします! ……何としてでも、ハジメ様に気に入っていただかないと」


 最後の一言は小さく、周囲の人々には聞こえなかったが、優秀な執事イヤーを持っているサバスにはばっちり聞こえていた。生まれたときからローゼを世話してきたサバスは、実の娘のようにローゼを愛している。


 そんな愛娘ともいうべき主が、自分の知らない男に、必死に気に入られようとしている……


 OK。よく分かりました。つまり、敵ですな? と。


 もちろん、ローゼ的には、アーヴェンストを気に入ってほしいという意味で呟いたのであり、ハジメがその気になれば、ティオに否はないと理解していたからこその発言なのだが、そんなことは知らないサバスじぃは、一瞬で人殺しの目になった。にこやかに、穏やかに笑いながら。


「さようでございますか。それでは、直ぐにお部屋と食事の用意を致しましょう。ナグモ様、クラルス様、御用がございましたら、どうぞ遠慮なく、このサバスにお申し付けください」


 さすがは王族直属の家令だ。なんとも上品な礼を見せる。にこやかに、穏やかに笑いながら。人殺しの目で。


 取り敢えず、じぃに面倒をかけられる前に誤解を解いておこうと、ハジメが口を開いた。


「あぁ、サバスさん? どうも誤解しているようだから言っておくが、女王さんが言っているのはそういう意味じゃないからな? というか、俺、既婚者だから。ほら、こいつが俺の嫁だから」


 そう言って、ティオの腕を掴んでぐいっと押し出すハジメ。ティオは、何故か楚々と頭を垂れると「どうも、いつも夫がお世話になっておりますのじゃ」と、何故か夫が勤める会社の上司にするような挨拶をした。


 どうやら、昼のドラマを見て、一度言ってみたかったらしい。「どうじゃ? どうじゃった? 妻らしかったかのぅ?」と、ハジメにチラチラと視線を向けている。


 ハジメは状況が違うだろうと苦笑いしつつも、ティオの頭をポンポンと撫でた。平手打ちとはまた異なる甘美な快感がティオの頬を赤く染める。


 傍から見ても、二人が浅からぬ関係だというのは一目瞭然だ。


 これで誤解も解けただろうと、ハジメがサバスを見てみると……確かに、大切な主を狙う不届き者という誤解は解けたようだが、代わりに新たな誤解が生じたようだ。


 わなわなと震え出したサバスは、その瞳を悲し気に湿らせると、


「ローゼ様……じぃは悲しゅうございますっ」

「え? えぇ? ど、どうしたの、じぃ!? どうしていきなり泣きそうなのですか!?」


 狼狽えるローゼちゃん。じぃはローゼの肩をそっと両手で掴むと、諭すように口を開いた。


「ローゼ様――不倫はいけませんぞ」

「じぃ、頭は大丈夫?」


 ついに耄碌し始めたのかしらん? と、ローゼが首を傾げる。後ろでクロー姉弟が呆れた表情をし、ボーヴィッドが必死に笑いを堪えている。


「確かに、ローゼ様には厳しく接してきました。恋愛についても、じぃは目を光らせてまいりました。今や、ローゼ様と釣り合う血筋などまずないとはいえ、その辺の男にローゼ様を任せるわけにはいきません。故に、ローゼ様への、身の程知らずなラブレターは検閲した後、全て破棄しておりましたが……」

「え!? ちょっと待ってください。それ初耳ですけど? 私に、ラ、ラブレターを下さった方がいるのですか? このアーヴェンストに? というか、それを検閲して破棄したってどういうことですか!?」


 アーヴェンストにおけるローゼの人気は高い。そして、同じ船上に住んでおり、普通にいつでも会えるうえ、誰とでも気さくに接するローゼは、若い男連中からは絶大な人気を誇っている。


 もちろん、ローゼを女王として敬ってはいるし、本当にいい関係に成れるとは思っていないが、思いの丈をしたためて送るくらいのことはしていたりするのだ。結構な数の者達が。


 しかし、ローゼは一度も、ラブレターなんてものを受け取ったことはない。告白を受けたこともない。年頃なので、そういう話に興味がないわけではないのだが、自分の身分が邪魔をして、誰もそんな風に思ってくれないのだろうなぁとは思っていた。


 だが、まさか、そんなことになっていたとは……


 じぃを問い詰めるむっつりローゼちゃんだったが、思い詰めるじぃの耳には届いていない。


「ローゼ様、どうか思い止まってくださいませ! 奥方のいる男性を狙うなど……王族としてのモラル以前に、人として間違っております! 略奪愛など、どうかお止めください!」

「本当に、何を言ってるの、じぃ!? ロゼリアの主砲に詰めてぶっ放しますよ!」


 アーヴェンストの人々がざわついた。「陛下が、略奪愛……なんてこった」とか、「奥方ごと、気に入った男を拉致してきたのか……さすが、我等の女王様だ」とか、「俺の、ラブレター……」とか、「ていうか、誰なんだ、ローゼ様を射止めたあの男は」とか、「なんてぇ胸だ。あの黒髪の美女が奥さん……羨ましい、妬ましい」とか、「あんた、あたしよりああいう女が好みなのかい? なら、来世での出会いを期待しな」とか、「ちょっ、冗談だって。俺はお前一筋だからっ。あ、まって、押さないで! 落ちる、落ちるからっ、やめっ、ア~~~~ッ」とか、そんな声が聞こえてくる。


 ローゼが、必死に弁解の声を張り上げる。しかし、男性陣はともかく、意外にも女性陣の誤解は中々解けそうになかった。どうやら、アーヴェンストの女性陣は、自分達の女王様がお年頃のむっつりさんであることを、割と知っているらしい。


 何を言っても生暖かい眼差しを向けられるローゼの、「誤解なんです~~~~~っ!!」という叫びが、青々とした大空に響き渡るのだった。





 ハジメとティオが空母艦アーヴェンストに到着して丸二日が経った。


 その間、ハジメ達は、ローゼ達ができる最高のもてなしを受けた。


 初日に、幹部を集めてハジメとティオの事情と素性に関する情報が共有されていたので、誤解の解けたサバスを筆頭に、幹部達が自主的に、それはもう必死にもてなしたので、ハジメ達はちょっとしたVIP待遇を味わった。


 この世界の不可思議な食材を使ったいろいろな料理を堪能した。基本は穀物や果物、野菜であったが、天核の効能を受けたそれらは非常に美味で、料理人の腕と相まって二人を満足させるには十分だった。


 大きな湖を保有する浮島にも案内された。浮島から流れ出る水が空中で霧散して白い霧となり、島全体を包んでいたのだが、その光景はまさに、神秘のベールに覆われた秘境ともいうべきもので、それを見られただけでもこの世界に来た価値はあったと思ったほどだ。


 また、湖の周辺に点在する天核は、空気中の水分を取り込んで湧き水とする性質を持っているようで、その地域、環境により微妙に性質を変えるのだという事実に、ハジメの錬成師としての血は騒ぎに騒いだ。


 アーヴェンストの天核を扱う職人達とは、神結晶の欠片も交えていろいろと論争を繰り広げ、大いに仲良くなった。天核の様々な性質を理解したハジメの表情はほくほくだ。


 ローゼが横恋慕する夫妻という誤解が広がっていたこともあってか、アーヴェンストの人々もハジメ達には興味津々で、艦内を歩けば誰かしら声をかけては親切に接してくれた。


 何よりよかったのは、この竜と人の共存生活を見られたことだろう。


 巡回や艦の外装修理のため、浮島への収穫や荷物の配達のため、時には、洗濯物を干すためだけに、人と竜が飛び回る。相棒となった人と竜は、全体の人口から見れば極小だが、それでも古き良きこの世界の在り方がそこにはあって、ティオをいたく感心させたものだ。


 総じて、アーヴェンストという船上の国は、人々の気質も、価値観も、共存の在り方も、実にハジメとティオの好みに合っており、居心地のいい国であった。少なくとも、出会い頭に、問答無用で殺そうとしたり、ティオへ暴言を吐いたりするような気質の国よりはずっと。


 そして、十分にアーヴェンストという国や、この世界を楽しんだハジメとティオが迎えた三日目の朝。


 二人は、空母艦アーヴェンストの前部甲板にて何度目かの日の出を待っていた。


 そこへ、僅かな緊張と覚悟を孕んだ声がかけられる。


「……ハジメ様、ティオ様。我が国は、いかがでしたか?」


 肩越しに振り返れば、そこには、相変わらずクワイベルを抱えたローゼがいた。否、彼女だけでなく、クロー姉弟やボーヴィッド、サバスチャンに、飛空艦アベリアの艦長を始めとしたアーヴェンストの幹部達が勢ぞろいしていた。誰もが、岐路に立たされた旅人のように、難しい表情をしている。


「いい国だな、と思ったよ。もてなしなんてなくても、普通に居心地がいいだろうなぁと思えるくらいに」

「そう、ですか。それは、良かったです」


 そう答えるローゼの表情には苦笑いが浮かんでいた。察してしまったのだろう。情を抱かせれば、あるいはハジメが翻意して助力してくれるかもしれない、という考えが否定されたことを。


「私達の英雄、という立場など、やはり対価にはなり得ませんでしたか」

「最初から、分かっていたことだろう? あれだけのもてなしを受けておいて、さくっと割り切れちまうような男が、救国の英雄なんて望むかよ。柄でもなけりゃあ、似合いもしねぇ」

「ふふ。確かに、クヴァイレンの空母艦を追い詰めたときの所業を思えば、英雄なんて肩書は似合いませんね」

「言うじゃねぇか、女王様。……逆に、あんたの方が、少し吹っ切れた感じだな?」


 幹部達が悔しそうな、悲痛そうな表情をしている中、ローゼだけは諦観と共に、どこか決然としたものを瞳に宿しているようだった。


 ハジメの指摘に、ローゼは大きく深呼吸をする。


「そうですね。この二日間、お二人をずっと見てきました。楽しんではおられても、揺るがない心を見てきました。何故? こんなに気のいい人々が死ぬかもしれないのに、どうして見捨てられるの? 酷い人だ。そんな風に思うこともありました」

「ふん? 今は違うのか?」

「まったく違うと言えば、嘘になります。私はどうしたって、アーヴェンストの絶対的な味方ですから。でも、なんとなく、お二人のことを、私達に関心を払わない非道の人ではなく……そうですね、言うなれば、〝大樹〟のような人だと思うようになりました」


 意味が分からず、首を傾げるハジメに、ローゼは言葉を選ぶように語る。複雑な表情をしていた幹部達も、ローゼの言葉に耳を傾けている。


「揺るがず、ただそこにある大きな存在。時に冷たい雨から身を守り、照りつける陽の光を和らげてくれる。でも、決して、求めたからといって枝葉を伸ばしてくれるわけじゃない、そんな存在です」

「……言い得て妙だな」


 目をぱちくりとさせるハジメに、「お褒めに与り光栄です」と言いながらくすりと笑うローゼ。


 少しずつ東の空が白み始める。夜明けが近い。ローゼは、輝き始めた東の空に視線を向けながら言葉を重ねる。幹部達も静かに耳を傾けている。


「あのとき、日の出を見て、お二人は〝この世界は美しい〟とおっしゃってくださいました。ずっと忘れていましたが、確かに、こんな有様になっても、この世界は美しいのです。美しいのに、こんなに壊しても、人間は未だ悔い改めない。……少しだけ、思ってしまいました。国を取り戻す、ヘルムートを討つ、かつての世界を取り戻す――それに意味はあるのかと」


 幹部達がにわかにざわつき始めた。それはそうだろう。自分達の王が、人間の存続を否定するようなことを口走ったのだから。


「破滅思考か? その割には、随分と必死に俺を勧誘していたと思うが?」

「それはそうです。ちょっと思ってしまっただけで、私が悲願を捨てることなんてありませんから」


 ホッと安堵の吐息が漏れた。幹部達が胸を撫で下ろしている。


 そんな中、いったい何が言いたいのだろうと首を傾げるハジメに、ローゼは言う。


「きっと、意味がないのです」

「悲願にか?」

「いいえ。救われることに、です」


 どこか、困ったようにクワイベルが鳴いた。最初に、ハジメ達に助けを求めたのはクワイベルだ。ただ、あの時の危機的な状況を打開するためではない。王竜としての感覚が捉えた、ティオの圧倒的な存在感に、竜王国そのものの救済を求めたのだ。


 ローゼの言いたいことを察して、ハッと表情を改めた幹部達も、どこか困ったような表情になった。


「私達は、私達で、私達を救わねばならないのでしょう。そうでなければ、救われた後の世界で、私達はきっとまた世界を壊す道を行く……そう思うのです」

「竜王国の人間なら、大丈夫な気もするけどな?」

「いいえ。クヴァイレンとの戦争において、民を皆殺しにでもしない限り、この世界で生きるのは竜王国の民だけではありません。超常の存在が全てを終わらせた後に、悔い改めて生きていきましょうと言って、そんな言葉のどこに説得力が生まれるのでしょうか?」


 いきなり現れて、よく分からない存在に国が滅ぼされ、たいして戦いもしなかった亡国の人間が道理を説いたとして、誰が聞く耳を持つというのか。


 ハジメとティオが見せた圧倒的な力は、ある意味、猛毒だ。振るうことができれば、間違いなく己の意志を通せる。それは、無力に嘆く者、悲願に向けて手を伸ばす者からすれば、強力無比な魅了の魔法と言っても過言ではないだろう。


 故に、魅了され虜となって助力を求めたローゼだったが、この二日間のごく普通の日常生活と、なんでもない日常の全てに感心と感嘆を見せるハジメ達の姿に、茹った頭は冷静さを取り戻したらしい。


「本当なら、ヘルムートの討伐も、〝手を出さないで、これは私達の問題です〟と言うべきところなのでしょうが……」

「二日前とはえらい違いだな。まぁ、好ましい言葉ではあるが……うちの嫁が、ヘルムート君をボッコボコのメッコメコにしてやりたい! って言ってるからな、無理だ」

「い、いや、ご主人様? 妾、別にそこまで言っては……」


 実は、〝邪〟竜を見てみたいとか思っているハジメさん。ただの竜ではないのだ。〝邪〟竜なのだ。魂をくすぐられるじゃないか! 一応、シリアスな場面なので、空気を読んで内心を吐露したりはしない。


「そうですよね。ならば、私達は、晴れた世界で戦うことにしましょう。ヘルムートの討伐成功を祈っています。そして、できることなら、覚えてくれていると嬉しいです。アーヴェンスト竜王国のことを。異世界の酷い竜騎士様」

「言ったろ、祈ってるって。女王さん達の悲願が叶うことをな。というか、酷い竜騎士様ってなんだ。やっぱりちょっと根に持ってるだろ」

「さぁ、どうでしょうか?」


 そんなことを言ってくすくすと笑うローゼ。


 どうやら、本当に代理戦争の依頼をする気はなくなったらしい。


 勝利には二通りある。意味のある勝利と、意味のない勝利だ。ローゼ達が進む道は困難に満ちているだろうが、前者を求めるなら、彼女達は自分達で戦わねばならない。それを明確に自覚し、覚悟したが故の、朗らかな笑顔なのだろう。


 女王の決断に、困ったような表情をしていた幹部達だが、ローゼが振り返り「異論はありますか?」と眼差しで問うと、一斉に頭を垂れた。そして、再び顔を上げたときには、その瞳にローゼと同じ決意と覚悟が宿っていた。


「ハジメ様、ティオ様。出会えてよかったです。どうか、お元気で」

「おう、そっちもな。竜と共に生きる天空の民のことは忘れない」

「ローゼ殿。お主と、お主の大切な人々に、無限の幸運を祈っておるよ」


 朝日が顔を覗かせた。雲海の彼方から、温かな光で世界を満たす。


 互いに握手をしたハジメ達とローゼは、そうして、別れようとして――


「ッ、クロスビット!!」


 突如、叫ばれたハジメの言葉。直後、太陽から放たれた特大の閃光が、空母艦アーヴェンストの側面に襲い掛かった。


 それを、二日前、この艦に到着したときからこっそりと展開させていたクロスビットの結界で防ぐハジメ。


 轟音と衝撃が世界を揺らす。ローゼが悲鳴を上げて転がりそうになり、それをティオが支える。


 凄絶な威力の閃光は、全面を覆う結界でなかったこともあって、その余波をもって空母艦アーヴェンストを傾けさせた。甲板上の幹部達がそろって膝を突く。


 十秒か、一分か。


 太陽からの放たれた閃光が虚空へと溶け込むようにして消える。


「日の出に隠れて、とは味な真似をしてくれる」


 ハジメの呟きに、ティオやローゼ達が視線を朝日に向ければ――


 そこには、無数の黒点が。


 一つや二つではない。おびただしい数の黒点が燃える光で世界を照らす太陽の中に見える。


 否、それは、太陽を背に、その光で姿を隠して現れた――


「クヴァイレンの艦隊……そんな、どうしてこの場所が!?」


 ローゼの悲鳴のような言葉が響いた。




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― 新着の感想 ―
タイミング悪すぎる
あと3時間後だったら歴史は変わっていただろうなー……
ああ~、死亡フラグが立っていくよ、たくさんたくさん立っていくよ。 もう、「神国」とか「簒奪者」とか言ってるだけでも、死亡フラグが立ってしまうのに………。
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