デート、したかった……
足音を立てず、周囲を最大限に警戒し、されど走る速度はトップスピード。存在しない機関のエージェント――アレンは、逃亡したヴァイスを驚異的な速度で追跡していた。
どうやら施設の動力関係を設置している場所に向かっているようで、廊下には大小様々なパイプや電子機器が見られる。
と、そのとき、不意にアレンの視界に警戒すべきものが映った。それは、進路上に目立たないよう設置された極細のワイヤーだ。簡易のトラップだろう。
アレンは顔色も変えず、速度も落とさず、壁に向かって跳躍した。そして、三角跳びの要領で天井近くまでと上がると、パイプの一本に手を引っ掛けて、振り子の要領でワイヤーを大きく飛び越える。
ワイヤー一本を飛び越えるにしては些か過剰な跳躍だが、実はそのワイヤーはブラフで、飛び越えた先に赤外線タイプのトラップが仕掛けられていたので、結果的に正解だった。アレンの長年の経験による咄嗟の判断だ。
「彼のように天井を走れれば楽なんですがねッと!!」
「チッ。これに反応するとか、てめぇも十分化け物だろうがっ」
アレンの着地の瞬間を狙って、物陰に隠れていたヴァイスが発砲した。しかし、アレンはそれも読んでいたのか、着地と同時にへばりつくように床へ伏せたので、弾丸は虚しく彼の頭上を通過するに終わる。
寝そべったまま、タイムラグなく引き金を引いたアレンの弾丸が、ヴァイスにカウンターとなって迫る。ヴァイスは「うおっ!?」と声を漏らしながらも、ゴキブリ並みの素早さで身を隠して回避に成功する。
「これでも喰らっとけ!」
「こんな場所で馬鹿じゃない!?」
ヴァイスは手榴弾を怒声と共に投げつけた。こんな狭い場所で、しかも、何を通しているかも分からないパイプが密集する場所で爆弾を投げるなんて何を考えてんだ! と悪態を吐きながら跳ね起きたアレンは、膝立ちの状態から両手構えで照準を付ける。
そうして放たれた弾丸は、狙い違わず宙にある手榴弾を撃ち抜き、ヴァイスとアレンの中間で爆発した。発砲と同時に通路の端に転がり込み、防弾防刃耐衝撃の性能を持つコートを頭から被ったアレンは、それでも十分に苦痛を感じるレベルの衝撃に歯を食いしばりつつ、ヴァイスを狙撃しようとして、
「イッ!?」
「汝に光あれ、てな?」
コロンと転がる足元の〝それ〟に、頬を引き攣らせた。直後、カッと猛烈な光が迸る。
アレンの腕前を、ある意味で信用して、投げた手榴弾が撃墜されることを予想していたヴァイスは、ほぼ同時にフラッシュバンを投げ込んでいたのだ。
手持ちの手榴弾やフラッシュバンは今ので最後。二重のトラップも手榴弾も、ここでアレンの視力を奪うための布石だったのである。
光が収まり始めたのと同時に、ヴァイスはアレンが居た場所にマシンガンの弾丸を送り込んだ。躊躇いも容赦もない、圧倒的な戦闘経験がもたらす流れるような戦術。これをもって悪徳をなし、捕えに来た多くの警察、エージェントを返り討ちにしてきたが故に、J・D機関の標的となった。
そのJ・D機関のエージェントからさえ、一度は逃げおおせているのだから、その軽い態度に反して実力は折り紙付きだ。
もっとも、それがJ・Dの中でも、国家保安局局長の傍仕えを指名されるほどの男に、そう易々と通じるかと言われれば、
タンッタンッ
「つぁ!? ちくしょうがっ」
二発の銃声が響くと同時に、ヴァイスのマシンガンが吹き飛んだ。指まで持っていかれなかったのは、ただの運だろう。
すかさずハンドガンを抜いたヴァイスが発砲しようとする。が、閃光が収まった空間に現れたそれに「そりゃあねぇよ」と嫌そうな表情で呟いた。
「スパイに七つ道具はつきものでしょう? うちは存在しない機関ですが、所属する連中は割とロマン信者なんですよ」
そう言って手に持ったそれ――盾のように硬化し銃弾を受け止めているコートを、アレンは軽く振った。内心では「今のはやばかった!」と冷や汗をダラダラ流しているが、いつものヘラヘラした笑顔で隠す。
「リアルO07は勘弁だぜ。まさか、マジで開発者はQなんて名前じゃないだろうな?」
「……ノーコメントで」
「Qなのかよ!? お前の機関ふざけすぎだろ!」
「ノ、ノーコメントで」
互いに芸人みたいなボケとツッコミを入れつつ、同時に引き金を引いた。ふざけた会話をしながら流れるように命を奪い合う。手練れの傭兵と一流の暗殺者の黒いコミュニケーション。
やはり互いに相手の行動を予測していたようで、弾丸は半身になった二人の頬を掠めて通過する。
アレンはコートを盾代わりに一気に突っ込んだ。それほど広くはない通路で、大きく広がり硬化したコートでのシールドバッシュは回避不能だ。
組み倒される未来を幻視したヴァイスは――逆に前へと踏み込んだ。ここで背を向ければ間違いなく撃たれて終わる。退路は、前にしかないと判断したのだ。
ヴァイスは、アレンと接触する寸前でスライディングした。股抜けしようというのか、そんな方法を許すわけがないとアレンが盾を振り下ろす――直前で、ヴァイスが天井に向かって連射した。
「ッ」
飛び出し弾丸は天井のパイプに当たって複雑に跳弾し地上へと返ってくる。アレンは咄嗟にコートの盾を掲げて跳弾を防ぐ。その瞬間、ヴァイスは床を滑りながら通り過ぎ……ようとして引き抜いたナイフでアレンの足を刈ろうとする。
アレンはそのナイフを金属板入りの靴で受け止め、コートを捨てると同時に片手を支点にして逆足を振り抜いた。その逆足の靴の先端からは仕込みナイフが飛び出してる。
ヴァイスはそれを銃身で受け止めつつ、滑る勢いに加算して蹴りの間合いから離脱。一回転しながら膝立ちのまま銃口をアレンへと向ける。アレンもまた、膝立ち状態で銃口を向けており、
「そろそろ死ねよ、国の犬」
「そろそろ死んでください、傭兵」
一拍。
タンッタンッタンッ
互いに至近距離から銃弾を浴びせた。もっとも、アレンの銃は、ヴァイスのナイフを当てられ微妙に射線をずらされており、ヴァイスの銃もアレンがいつの間にか取り出していた伸縮式特殊警棒によって射線をずらされていて、互いの頬を掠めるに終わる。
ジャコッと、そんな音を立てて弾丸が尽きたのは同時。ヴァイスが左手のナイフを振り抜くと見せかけて、途中で右手に投げ渡す。左手はそのままアレンの警棒を掴み、吸い込まれるように握られたナイフがアレンの喉笛を切り裂こうと迫る。
アレンは警棒をあっさり捨てると地を這うような低さで踏み込み、ヴァイスの凶刃を回避しつつ、その襟首を掴んだ。そして、反転。腰に乗せたヴァイスを跳ね上げる。
いわゆる背負い投げの要領で投げ飛ばされたヴァイスは、そのまま背中から床に叩きつけられ、「がはっ」と肺の空気を吐き出す。
「ほい、終わりっと」
「まぁ、そういうなよっと」
予備の銃を抜いたアレンがヴァイスの額に銃口を押し当てた。同時に、ヴァイスが顔をしかめつつも軽口を叩き、腕時計のボタンを押し込む。
刹那、アレンの背後で轟音と爆風が吹き荒れた。それによりアレンの銃口が僅かにぶれて、ヴァイスが頭部を振ったために銃弾がそれる。
跳ね起きたヴァイスが、一番近くの扉へと猛ダッシュする。アレンがすかさず発砲するが、ヴァイスが通り過ぎざまに足で跳ね飛ばしたアレンのコートが弾丸を遮った。それでも全てを回避することはできず、ヴァイスは肩に銃弾を食らったようだが、お構いなしに体当たりで扉を開けて飛び込んでしまう。
「全く、なんてしぶとさ。Jが逃がしたというのも頷けますね」
アレンは取り逃がした失態に苦い表情をしながら直ぐに後を追う。
扉に張り付き、ゆっくりと顔を覗かせる。途端、雨あられと降り注ぐ弾丸の嵐。どうやら、予備のマシンガンがあったらしい。おそらく、用心深いヴァイスのことであるから、逃走ルートのあちこち武器を置いてあるのだろう。
アレンは自分の銃からマガジンを抜いて残りの弾丸を確認する。残弾は僅か。腰元のホルスターにはマガジンがあと一本。
「はぁ、前半のベルセルクで少々使いすぎましたかね」
苦笑いしつつマガジンを新しいものに換え、使用中のマガジンをしまう。そして、時計からピンを引き抜き床に落とした。途端、ピンから虫のような小さな足が飛び出す。
アレンは、時計の回転式ベゼルを半時計周りに半周させた。途端、風防部分がディスプレイになり、床と水平の映像が映る。
「リアルQ自慢の一品。とくとご覧あれってね」
小さな金属の虫は、しゃかしゃかと足を動かして何やら挑発を繰り返しながらマシンガンを撃ち込んでくるヴァイスのもとへと進み出した。アレンは時計のディスプレイを見ながら、ベゼルを回転させて小虫を操作する。
そうして見えたヴァイスの足元。ニヤッと笑ったアレンだったが、そこはやはりゴキブリ並みにしぶといヴァイスだ。アレンがボタンを押し込む寸前で、ふと足元に注目。変な足の生えた金属を見つけて盛大に頬を引き攣らせる。
次の瞬間、ドォオオンッと爆発音が響き渡り、銃声が止んだ。
アレンは警戒を緩めず、銃を構えたまま部屋に突入する。大きな部屋だった。二階くらいまでの高さで吹き抜けとなっており、金網タイプの床でできた二階部分もある。多くの動力関係の機械が置かれた部屋だった。
侵入し進んでいくと、ひしゃげた機械に、途中で折れて白煙を噴き出すパイプが見えた。一瞬、有毒ガスかと警戒するアレンだったが、時計に表示される空気中成分に警告の反応はない。
ただの蒸気だろうと当たりをつけ、アレンは白煙を迂回しながら気配のする物陰にバッと銃口を向けた。
「よぉ、ワンコ。ありゃ、反則じゃね?」
「国のワンコだからこその力ですよ。悪くなかったでしょう?」
「ざけんな。これだから……エリートの坊ちゃんは、嫌いなんだ」
軽口を叩くヴァイスに、アレンもまた銃口を向けたまま軽口で返す。だが、その瞳には油断はなくとも最大級の警戒まではなかった。それもそのはず。ヴァイスは脇腹が大きく抉れ、既に致命傷を負っていたのだ。持って数分程度の命だろう。
ごふっと血を吐き出しながら、ぐったりと壁にもたれて座り込むヴァイスは、震える手でタバコを取り出した。アレンは、お構いなしに引き金を引こうとするが、
「なぁ、ワンコ。ヒュドラの……情報、欲しくね?」
「……いえ、別に?」
「そうか? 今回の、件は、ケイシスの野郎の独断……だ。ヒュドラは、ヒュドラで、別の計画が……ある。知っておいて……損はねぇだろ?」
確かに、【ベルセルク事件】はケイシスがヒュドラの幹部を見返すために独断専行で行われたものだ。そして、ケイシスのデータに、近く行われる大きなヒュドラの計画はなかった。もし、ヒュドラが何か別の計画を進行中なら、それは知っておくべきことだ。
故に、アレンの引き金を引く指が僅かに緩まった。ヴァイスは口元をニヤニヤと歪めながら、血濡れの口元にタバコを運ぶ。美味そうに紫煙を吐き出す姿は、死が確定したものには見えない。
「何故、話そうと?」
「嫌がらせ、さ。こんな割の合わねぇ……仕事を回された、な」
アレンは僅かに逡巡を見せ、一拍、視線で続きを促した。
ヴァイスの瞳は既に光を失いかけ、声は小さい。ボソリッと呟くような声音で、蒸気が噴出する音が響く空間では酷く聞き取りづらい。仕方なく、アレンはヴァイスに身を寄せた。
もちろん、これが罠で、近寄った瞬間、相手がナイフなり銃なりを取り出してくることは予想している。それでも反応速度には自信のあるアレンは、この状況なら確実に自分の方が速いと判断して最大限警戒しながら近寄った。
「で、だ……ヒュドラは、今度……」
「どうせ死ぬなら気張ってください。聞こえませんよ」
「こいつぁ、手厳しい……。でもよぉ、それだけ、近けりゃあ……十分だぜ?」
直後、ヴァイスの両手が跳ね上がった。半死人とは思えない速度のそれは、一瞬でアレンの両手首を掴む。もっとも、アレンは冷静だった。銃やナイフを取り出されることを最大限に警戒していたため僅かに反応が遅れたが、ただ掴まれただけなら何の問題もない。
アレンは靴から仕込みナイフを出すと、そのままヴァイスの腹を蹴り上げた。ごふっと血を吐いて体を浮き上がらせるヴァイス。
が、ここで予想外の事態が発生した。死にかけて膂力などもうないはずで、止めの一撃と共に吹き飛ぶはずだったヴァイスの握力が、更に増したのだ。まるで磁石のようにアレンの腕を掴んだまま離さない。
「ッ、火事場の馬鹿力ってやつですかね!」
「ヒヒッ、自暴自棄の道連れだよ」
連続で叩きこまれる蹴り。肋骨が砕け、仕込みナイフは腹をずたずたに引き裂き、更には心臓にも突き込まれる。だが、ヴァイスは死なない。掴まれた腕への圧力は、増していく!
「まさかっ、さっきのタバコですかっ」
「大正解っ! 頭は狙わせねぇよぉ」
両手さえ掴んでおけば、アレンに頭部を破壊する術はない。近すぎる距離が、足での破壊を封じてしまう。
アレンは、指先だけで手品のように銃を反転。小指をトリガーにかけ、逆さまの状態にした銃でヴァイスの頭部を狙うが、更に強まった腕の力が正確な狙いを許さない。強烈なナイフ付きの蹴りが連続して叩き込まれるが、その傷口は白煙を上げて徐々に再生を始めている。
「ハハッ、俺は寂しがりで、ね。あの世への旅、ちょっくら付き合ってくれよぉ」
「このっ。離しなさいってのっ」
血濡れになりながら、凄惨に嗤うヴァイス。タバコにしこまれた【ベルセルク】は中身に染み込んだものであるが故に、タバコを吸う振りをしながらその実、噛み千切って呑み込んだあと、少しずつ染み出てヴァイスを変貌させる。
ゆっくりとした変化であるが故に、直ぐにベルセルク化するとは判断できないというメリットがあると同時に、完全にベルセルク化する前の中途半端な段階で頭部を撃たれればあっさり終わってしまうというデメリットもある。
だからこそ、ヴァイスはアレンの両手を封じたのだ。
アレンは、さすがに焦燥をあらわにしながら、眼前でいよいよ変貌し始めたヴァイスに嵐のような脚撃を繰り出す。しかし、ヴァイスの再生能力も加速度的に高まっていき、既に最初に刺した傷は治ってしまっていた。
「ぐっ」
「それじゃあ、向こうで会おうぜ。ワンコ」
圧し折れる寸前まで力の込められた両腕に呻き声を上げるアレンに、ヴァイスの狂気に満ちた言葉が突き刺さる。直後、ヴァイスから咆哮が上がった。筋肉が肥大化していき、凄まじい速度で傷が塞がっていく。
「なめるなぁあああああっ」
いつにない裂帛の気合いと共に、アレンは両腕を引き上げながら、猛烈な蹴りをヴァイスの腹部に叩き込んだ。浮き上がるヴァイスの体は直ぐに落下するが、その前にアレンは床へと体を滑り込ませて掲げた足にヴァイスの体を乗せる。そして、両手を引きながら足を思いっきり跳ね上げた。
いわゆる巴投げの要領で、変貌中のヴァイスの体は反転。反対側に仰向けの状態で飛ばされる。それでもヴァイスの両手はアレンを離さなかったが、反転させられたヴァイスはアレンの射線上だ。
再び指先だけで銃をくるりと回転させたアレンは、連続して引き金を引いた。頭部を狙うには至らなかったが、それでも肩を抉るには十分。当たり所が良かったのか、片手がアレンから外れた。
アレンは素早く起き上がると、もう片方の手を掴んでいる野太くなった腕の筋を狙って発砲。手が外れた瞬間、転がるようにして距離を取りつつ、ヴァイスの頭部目がけて発砲した。
が、ここで更に予想外の事態が発生する。
「なっ!? 避けた!?」
「アァアアアアアアアッ!!」
そう、避けたのだ。ベルセルクが。迫る弾丸を察して、横っ飛びしながら。
ベルセルクは本能の塊だ。頭部という弱点を腕で庇う程度のことはするが、基本的に猪突猛進。その肉体的ポテンシャルと超再生任せに突っ込むことしかしない。今まで、ただの一体とて、〝回避行動〟を取るようなベルセルクはいなかった。
「チッ、ベルセルクになっても厄介な奴ですねぇ!」
アレンは投擲用ナイフを取り出すと、それをヴァイス目がけて放つ。それで回避した瞬間に、頭部を撃とうと考えたのだ。だが、やはり、このベルセルク――ベルセルク・ヴァイスは普通ではないらしい。
投擲されたナイフを、今度は避けずに叩き落としたのである。しかも、そのまま突っ込んでくるということもなく、獣のように深く腰を落としたまま「ゥ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ッ」と唸り声を上げて、アレンを睨み付けているのである。
そう、まるでアレンの出方を窺っているかのように。
「ちょ、ちょちょちょっと……話が違うじゃないですか! 〝戦闘〟ができるベルセルクなんて冗談じゃありませんよっ」
アレンは盛大に泣き言を吐いた。同時に銃弾を放つ。ベルセルクはアレンが銃口を向けた途端、凄まじい踏み込みと共に突進した。もっとも、その突進は今までのベルセルクと同じ猪突猛進なそれではなく、一瞬で姿勢を低くした、回避行動を伴う銃弾に対するカウンターのような突進だった。
「マジ勘弁っ」
今度はアレンが横っ飛びする。一瞬前までいた場所にベルセルク・ヴァイスの拳が突き刺さり、コンクリートの床にクレーターが出来上がった。
アレンは横っ飛びからの片手倒立状態で更に発砲。恐ろしいほどの正確性をもって頭部へ迫るが、ベルセルク・ヴァイスはやはり最初から分かっていたかのように腕を掲げており、弾丸はその腕に阻まれてしまった。
ベルセルク・ヴァイスは雄叫びを上げながら近くの折れたパイプを握ると、力任せに引き千切ってそれをアレンへと投げつけた。
「ひぃいいっ」
情けない悲鳴を上げながら地面にへばりつくようにして転がり、どうにか回避に成功する。しかし、ベルセルクが道具を使ったという事実に、アレンの表情は戦慄で引き攣りまくっている。
と、そのとき、アレンの視界の端に、軽マシンガンが落ちているのが映った。おそらくヴァイスが使っていたもので、小虫爆弾により吹き飛ばされたものだろう。アレンは縋り付くような面持で飛びつくと、突進しようと身をたわめていたベルセルク・ヴァイスに向かって引き金を引いた。
ダダダダダダッと軽快な音を響かせて、弾丸の群れがベルセルク・ヴァイスを強襲する。
「ガァッ」
「やっぱり避けてるし! あぁ、もうっ」
ベルセルク・ヴァイスは、アレンが引き金を引くと同時に真横へと走り出した。そして、時に障害物を利用しながら、アレンを中心に円を描くように走り周る。
ガチンッと音を響かせて、軽マシンガンが弾切れを示した。アレンの顔が青褪める。
ベルセルク・ヴァイスは弾切れの瞬間を狙っていたかのようなタイミングで攻勢に転じた。ドンッと大砲でも撃ったかのような踏み込み音を響かせてアレンへと迫る。
「こ、こなくそっ」
アレンはベルトのバックルから小型の筒を取り出すと、それを二階部分の柱に撃ち込んだ。ワイヤーが伸び、ピタリと張り付いた先端が固定されると同時に、バックルのボタンを押せば、一気に巻き取られてアレンは空中へと飛び出す。
その下を、間一髪、ベルセルク・ヴァイスが通り過ぎた。勢い余って何かの機械を木っ端微塵に砕きながら。
「冗談じゃない。どこが本能の塊ですか! こんな戦闘慣れしたベルセルクなんて……」
空中に避難しながら冷や汗を流すアレンは、自分の言葉でふと推測が湧き上がった。今まで相対したベルセルクは、基本的に一般人か、多少は荒事に慣れている程度の連中ばかりだった。だから、本能に従えば猪突猛進こそが当然の行動だった。
だが、もし、戦闘となれば攻撃の機を読むことも、最適な回避行動を取ることも、無意識レベルで体が動くほど戦闘慣れした一流の戦闘者がベルセルク化したら? 戦闘技術が無意識に刻まれるほどの手練れが理性を失くしたとして、果たして一般人と同じように猪突猛進の怪物となるのか。
その答えが、もしかしたら、目の前のベルセルク・ヴァイスなのかもしれない。最高位のエージェントとすら互角以上にやり合う手練れの傭兵が、ベルセルク化した結果。もちろん、ただの推測にすぎず、他の要因があるのかもしれないが。
「ははっ、これは兵器転用されたらマジでヤバイかも」
そんなことを思わず呟いたアレンだったが、直ぐに顔が強張った。ベルセルク・ヴァイスが自動車くらいありそうな機材を固定器具を引き千切りながら持ち上げようとしているのだ。
それが何のためか、理由は明白だ。
「やばいやばいやばいっ」
アレンがバックルを操作してワイヤーを切り離し地面へ落ちたのと、自動車サイズの機材がぶっ飛んできたのは同時だった。轟音と共に、アレンがワイヤーを固定していた柱を粉砕し、そのまま二階部分の通路をも破壊する機材。
アレンは受け身を取って着地するが、当然、その隙をベルセルク・ヴァイスが逃すはずもなく、アレンが体勢を立て直したときには既に、巌のような拳が迫っていた。
「がはっ」
アレンにできたことは、両腕でガードしつつ、全力のバックステップで少しでも威力を落とすことだけ。地面と水平にぶっ飛び、背後の機械に背中から突っ込むと、あまりの衝撃に悲鳴すら漏らせず、そのままずるずると滑り落ちながら座り込む。
カハッと、ようやく吐き出した呼吸には血が混じっていた。内臓を傷つけたらしい。両腕はだらんと下がり、おかしな角度で曲がっている。
だが、それでも生きている。それどころか意識を保って、ゆっくりと歩み寄ってくるベルセルク・ヴァイスを見ることができているのは、神業レベルの衝撃相殺と受け身のおかげだろう。
「あぁ……げほっ。本当に、洒落にならない。……時間稼ぎは、十分じゃないですかねぇ? アビスゲートさ~ん、そろそろ駆けつけてくれても……ごほっ、いいですよぉ」
衝撃でピクリとも反応してくれない体に苦笑いしながら、張りのない声で助けを呼ぶ。が、アレンにも分かっていた。詰んだ、と。
ベルセルク・ヴァイスは直ぐそこまで来ている。心なし、アレンを嘲笑っているように見えるのは気のせいだろうか。
アレンはその役目がら、常に死を受け入れている。故に恐怖はない。ただ、心残りがあるとすれば……
「最後に、一回くらい。超絶美女か美少女と……デートがしたかった」
同じエージェントなのに、どうしてジェーム○・ボンドはあんなにモテて、自分はモテないのか。無念……。そう呟くアレン。
ベルセルク・ヴァイスの拳が振り上げられた。そして、振り下ろされるという寸前で、
「撃てぇっ」
号令一つ。銃弾の嵐がベルセルク・ヴァイスを強襲した。四方上方から集中砲火されて、ベルセルク・ヴァイスはたまらず機械の隙間へ身を投げ込み回避する。
「チッ。初撃で仕留められなかったか。どんな勘をしてやがる。おい、アレン、あのベルセルクはなんだ?」
そう言って、二階の通路から他の機材を足場に飛び降りてきたのは、
「バ、バーナードさん!」
「おう、こっ酷くやられたな、アレン。飛沫は浴びてないだろうな?」
そう、二階から強襲をかけてくれたのは、死亡フラグの高速建築というとんでもない技を披露した、あのバーナードだったのだ!
どうやら、あの死地を潜り抜けて救援に来てくれたらしい。間一髪、まるで物語のヒロインのように命を救われたアレンは、心の内に湧き上がる気持ちそのままに、不敵な笑みを浮かべるバーナードに言った。
「取り敢えず、チェンジで」
「残念だ。既にベルセルク化していたか」
ジャコッと、バーナードの銃口がアレンの額をロックオンする。慌てて「嘘です、嘘です! 美女じゃないけど、助けに来てもらえてうれしいなぁ!」と弁解するアレン。
満身創痍でありながら口の減らないエージェントに、バーナードは呆れ顔をしながら助け起こす。
「えっと、助かりました。バーナードさん。でも、あいつ、ちょっと本当にやばいんで」
「いや、大丈夫だろう」
普通ではないベルセルク・ヴァイスに警戒を促すアレンだったが、バーナードはあっけらかんという。訝しむアレンに、バーナードは苦笑いしながら口を開いた。
「私達がここにいるんだ。彼がいないわけないだろう?」
「あ。あぁ、そうですね。ははっ、本当に助かった……」
直後、ゴバッァアアアツという凄まじい衝撃音と共にベルセルク・ヴァイスが物陰から飛び出してきた。ただし、自ら、というわけではなく、黒く渦巻く球体を掌に収めた状態で、それを掌底のように突き出した浩介――否、アビスゲート卿に吹き飛ばされるという形で。
「本体から情報は受け取っている。随分と外道な真似をしてくれたじゃないか。――楽に死ねると思うなよ」
悠然と歩み出てきた卿は、その瞳に怒りを宿し、二刀の小太刀を引き抜いた。一刀は蒼炎を纏い、一刀はダイヤモンドダストのような煌めきを纏う。超高熱の溶断刀〝炎龍牙〟と、対を成す絶対零度の氷刀〝凍龍牙〟。
ベルセルク・ヴァイスが雄叫びと共に起き上がり、卿へとパイプや機材を投擲する。
卿は踏み込んだ。直後、跳躍し、回転しながら飛来したパイプをトンッと蹴りつける。そして、そのまま次々と飛来する機材やその破片を蹴りつけ一直線にベルセルク・ヴァイスへと突き進んだ。
ベルセルク・ヴァイスが脅威を感じたのか真横に回避しようとする。だが、
「どこへ行く気だ?」
そんな言葉が届いた。回避しようとした真横から。同時に、眼前に迫っていた卿の姿がゆらりと消える。既に、技能〝木葉舞〟による跳躍途中で幻影と入れ替わっていたのだ。
咄嗟に、ベルセルク・ヴァイスが拳を振るう。敵を潰さんと丸太の如き腕が砲弾の如く突き込まれた。そして、宙を飛んだ。肘から先を溶断された腕がくるくると。
痛みを感じないベルセルク・ヴァイスは、逆の手ですかさず致命の一撃を放つが、既に標的の姿はない。そして、ガクンッと片膝をつかされた。片足が斬り飛ばされ氷漬けにされていたが故に。
ベルセルク・ヴァイスの腕を斬り飛ばすと同時に死角から背後へと潜り抜けた卿が、すれ違いざまに〝凍龍牙〟を振り抜いたのである。極限まで薄く形成された氷の刃は既に単分子レベルだ。そして纏わりつく冷気が対象を一瞬で凍てつかせる。
「アァアアアアアッ」
「誰が吠えていいと言った?」
片膝立ちになりながらも裏拳を放ったベルセルク・ヴァイスだったが、その体は意思に反してゆっくり傾いた。宙を飛ぶのは裏拳を繰り出した腕。転がっているのはもう片方の足。
四肢を失ったベルセルク・ヴァイスは、超再生が発動して手足を再生し始める。が、生え始めた直後、再び振るわれた二刀の小太刀が、その手足を斬り飛ばした。
後は作業だ。再生しては復元される前に斬り飛ばされ、四肢欠損の状態を脱せない。上半身を跳ねさせて距離を取ろうとしても、黒く渦巻く球体が圧し掛かり、超重量をもって押さえつけるので動くことも叶わない。
「いくらでも再生する? いいだろう。ならば、死ぬまで付き合ってやる。好きなだけ再生し、好きなだけもがけ。終わりが来るそのときまで」
霞む卿の両腕。その度に宙を舞うベルセルク・ヴァイスの四肢。もともと、タバコに仕込める【ベルセルク】の量などたかがしれている。
もがきつづけ、本能の在り方が他のベルセルクと異なるベルセルク・ヴァイスは、やがてその瞳に狂気以外の何かを宿しながら、そのときを迎えた。再生速度が急激に下がり、噴き上がる白煙が勢いを減じる。
再生の限界が来たのだ。
徐々に収縮する肉体。それにともない、死の間際、枯れ果てたヴァイスが意識を取り戻す。
「ちくしょうがっ。まったく、ついて、ねぇったらありゃしねぇ」
こんなときでも悪態と軽口はなくさないヴァイス。その瞳は、いくら甚振ろうが、お前等の望むような反応も言葉も贈ってやらないという、嫌味ったらしい色が宿っていた。
どうせ数秒もせずに死ぬ。ならばむしろ、呪いじみた言葉の一つでも吐き出してやろう。そんな意図を乗せて口を開きかけたヴァイスの、その頭を、卿は鷲掴んだ。そして、取り出されたのは糸のついた五円玉水晶。
「貴様に後悔と絶望を与えるのに、一瞬もあれば十分だ」
「なにを、するつも――ひっ、あっ、ぁあああああああああっ」
聞くに堪えない絶叫が響き渡る。それは紛れもなく後悔と絶望の声。ヴァイスは悲鳴を上げながら、その肉体を完全に干からびさせて朽ち果てた。
「こ、こえぇ。アビィ、いったい何をしたんだ?」
「ははっ。私は聞きたくないんですが……」
バーナードが部下を伴い、アレンに肩を貸しながら尋ねた。部下共々、滅茶苦茶引き攣った表情をしている。アレンは聞きたくないとイヤイヤをしているが、まともに動けないうえに両腕が折れているので耳を塞ぐこともできない。
そんなバーナード達に、卿は胸糞が悪いといいたげな表情で言った。
「悪夢を見せただけだ。亡者に生きたまま食われる悪夢をな。取り敢えず、脳内換算で百回ほど」
「「……」」
聞かなきゃ良かった。バーナード達は無言の内に同じ感想を抱いた。
と、卿が不意に顔を上げた。どうしたのか視線で問うバーナード達に、卿は言う。
「どうやら本体の援護に向かう必要があるようだ。バーナード。あとを頼む」
「了解だ。何が起きているのか分からないが、こっちは任せろ。残りの所員は、一人も逃がさん」
バーナードの言葉に頷いた卿は、ボフンッと煙になって姿を消す。
直後、離れた場所からでも分かるほどの激震が施設を襲った。
「派手にやってるな、アビィは。凄まじいもんだ」
「彼を愛称で呼べるバーナードさんも大概だと思いますよ」
アレンの言葉にキョトンとした表情をしたバーナードは、気を取り直して部下に指示を出し始めるのだった。
いつも読んで下さり有難うございます。
感想・意見・誤字脱字報告も有難うございます。
次回の更新も土曜日の18時の予定です。




