DAS
「ようこそ、ここは【Gamma製薬】です。ようこそ、ここは【Gamma製薬】です。ようこそ、ここは【Gamma製薬】です。ようこ――」
「よし、成功だな」
壊れたレコーダーのように、同じセリフをにこやかに笑いながら口にし続けるケイシスを見て、浩介は満足気に頷いた。
後ろから様子を見守っていたマグダネス局長とアレンが、何かおぞましいものを見たといった様子で目元を引き攣らせている。
二人共、策謀と暴力が渦巻く裏の世界と戦ってきた人間であり、むしろ裏の世界の人間といっても過言ではないのに、そんな二人をしてドン引きさせる魔王直伝洗脳術……。そして、その結果に満足そうな笑みを浮かべる浩介……。
二人は素直に思った。「帰還者集団……マジ、ヤバイ」と。
浩介は、後頭部に突き刺さる保安局組の視線をさくっと無視すると、アーティファクト〝村人の誇りに賭けて〟をしまいながら、尋問――もとい質問を開始した。
「さて、ケイシス。まずは、ベルセルクを使って何をしようとしていたのか、お前の計画を教えてくれ」
「ようこそ! ここは【Gamma製薬】です!」
「……いや、そうじゃなくて、お前の計画を――」
「ようこそっ。ここは【Gamma製薬】ですっ」
「いや、だから計画――」
「ようこそぉ! ここは【Gamma製薬】ですぅ!」
「……」
ケイシスは既に、立派な村人だった。おそらく、村人の中でも、特に意味もなく、昼間から何をするでもなく、入り口付近をうろうろしている無職なハイクラス村人――〝始まりの村人〟にジョブチェンジしたのだろう。
「……ねぇ、こうすけ。もしかしてやりすぎたんじゃ」
「い、いや、そんなはずは……」
ポリポリと頬を掻きながら、浩介はエミリーの言葉を否定する。しかし、実際にケイシスが〝始まりの村人〟化している以上、質問ができない。仕方なく、浩介はもう一度〝村人の誇りに賭けて〟を取り出そうと懐に手を入れた。
しかし、そんな浩介を、隣にいたヴァネッサが止めた。というか、その行動に驚いて止められてしまった。
「真面目にやりなさい」
そんなことを言って、ヴァネッサはいきなり、ケイシスの頭に肘鉄を落としたのだ。ボグゥと、鳴ってはいけない生々しい音が響き、エミリーが「ひゃ!?」と可愛らしい悲鳴を上げる。
「調子の悪い機械は、叩けば直ります」
「じょじょそっ。ぎょぎょはっ、ギャンマじぇいじゃ、っ、です!」
「ちょっ、ちょっとヴァネッサ! 人は機械じゃないし、この人、余計変な感じになってるわよ!」
カクカクと気味の悪い動きをしながら、ぎょぎょぎょ! ぎょぎょぎょ! と鳴き始めたケイシスさん。エミリーが指を差しながらツッコミを入れる。
「おかしいですね? アルマゲ○ンでも、ロシアの宇宙飛行士が、スパナアタックでシャトルのエンジンを直していたのですが……。角度が悪かったのかもしれません」
「いや、ちょっ、ヴァネッサ。ま――」
浩介がヴァネッサを止めようとするが、その前に、ヴァネッサの無駄に洗練された美しい左フックがケイシスのテンプルを捉えた。スパンッ! とこれまた美しい音色が響く。同時に、ケイシスの頭が弾かれたように右へ吹っ飛んだ。
「△☆け○どが×jtこそ♡じょばばば~」
「むっ。角度ではなく、威力の問題ですか?」
ケイシスさんの頭が、今度は左へ吹っ飛んだ。一回転して遠心力を乗せたヴァネッサの、芸術的とすら言える裏拳が右側頭部を捉えたのだ。
しかし、ケイシスさんはますます〝見せられないよ!〟の自主規制が入りそうな表情と壊れた言葉を垂れ流すだけで、一向にまともな回答を返さない。
ヴァネッサは訝しみながらも、その後、「捻りが足りない?」とか、「連撃にすべきですか?」とか「衝撃ではなくシェイクがいいかもしれない」とか、「ネコだまし!」とか、いろいろと挑戦したのだが……
遂に、浩介達が「止めたげてぇ! もう止めたげてよぉ!」と、ヴァネッサを羽交い締めにしながら引き離し、ちょっとした拷問劇は幕を閉じた。マグダネス局長が、ちょっぴり感心したような眼差しをヴァネッサに向けているのは、その容赦の無さが原因だろうか。
「あぁ、もう。これ回復しなきゃまずいかな……。取り敢えず、診察だけして、もう一度、アーティファクトを――」
「初めまして、お客人。私はケイシス。この【Gamma製薬】の長をしている。それで、私に、どのような用事かな?」
「なんか治ってる!? ちょっと変な感じだけど!」
ケイシスが正気(?)を取り戻した。やはり、壊れかけたものは、叩いて直すのが正解らしい。彼の瞳には理知の光が宿り、口調には村長の如き威厳が感じられる。……鼻血をダバダバと流し、前歯が無くなり、目元にパンダのような鮮やかな青痣をこさえているが。
隣でドヤ顔しているヴァネッサにちょっぴりイラッとしながら、浩介は咳払いを一つして、改めて、ケイシスの計画について尋ねた。
「ふむ、私の計画か。なにから話せばいいものか……」
「取り敢えず、概要を教えてくれ」
「そうだな。簡単に言えば、世界中の人間を潜在的なベルセルク化し、日常的に抑制する薬を飲まなければならないように仕向け、利益を得る。そうして組織内での私の地位を確固たるものとし、組織力とベルセルクをもって世界を裏から操る総帥となる……そんなところだ」
さくっと語られた計画だが、内容は凄まじく悪魔的だ。人を人とも思わない、利益を生み出す駒としか見ていない、ケイシス=ウェントワークスの性質があらわになったおぞましい計画。
思わず、エミリーが息を呑み、ヴァネッサの視線が険しくなる。動じていないように見えるのは浩介とマグダネス局長くらいで、アレンですら瞳の奥から笑みを消したほど。
「潜在的なベルセルク化、それに抑制剤ってのはどういうことだ? 起爆装置付きのカプセルなんて、いずれ体外に排出されてしまうだろうし、それとは別ということだろう?」
「うむ。そういう物理的な手段ではなく、ベルセルクの改良薬を使うということだ。ベルセルクが偶然にも生まれた直後から、我々は協力者により持ち込まれたデータと薬品を使って様々な実験を繰り返した」
そう言って続けられたケイシスの言葉。要約すれば、こういうことらしい。
ベルセルクは、服用者の細胞を異常活性させる薬品だ。その急速すぎる活性が自壊と回復を強制的に繰り返させ、あのような肥大化と超人的な能力を生み出す。
だが、薬品の服用量に比例して活性の度合いが変わるように、ベルセルクの活性率はある程度コントロールができる。数多の人体実験の末、その服用量とベルセルク化の時間、効果に関するデータは既に揃っているらしい。
それでも、どうしても服用直後からの活性と変身まではコントロールできず、起爆装置付きのカプセルという物理的手段で誤魔化していたわけであるが……
開発者であるエミリーがいれば話は別だ。
ケイシス達がエミリーに望むのは、活性率――簡単に言えば、変身するほどの活性化までの時間を引き延ばした改良薬の開発だった。同時に、完全に回復する特効薬ではなく、服用する限り活性化を抑え続ける抑制薬の開発も望んでいた。
人々は己が理性なき怪物にならぬよう、毎日、【Gamma製薬】製の抑制薬を飲まなければならないのだ。
「だけど、どうやって世界中の人を、潜在的ベルセルクにするつもりだったんだ? 自分の命を握られると分かったら、市販の風邪薬ですら服用する人はいなくなるぞ」
「そうだろう。だが、日常的に飲まなければならないものに含まれていたら、服用を避けることはできまい」
「日常的に? ……まさか」
「そう、君が今想像している通り。水だよ」
ベルセルクの培養は、データさえあればいくらでも作れる。それらを上水道はもちろん、ダムや川、浄水場など、水の供給場所に流し汚染するのだ。
ベルセルクに特効薬はない。一度汚染されてしまえば、その水を浄化する方法はないのだ。それこそ、蒸発させるか、海に流すか、それくらいしか方法がない。ケイシスは、最終的には雨水や海水すらベルセルクで汚染させる計画も立てていたようだ。
「なんてことを……正気じゃありません」
「流石に、これは笑えない。本来、こういう輩を始末するのが、私の役目なんですけど、ね」
ヴァネッサが嫌悪感を隠しもせずケイシスを睨み付け、アレンは世界の危機を前に後手に回っていたことを理解して吐き捨てるようにそう言った。
エミリーの顔面は蒼白だ。だが、そのキャットアイに絶望はない。キッとケイシスを睨み付けたまま、強い意志の色を輝かせている。
「なるほど。たとえ、政府に黒幕が自分達であると露見しても、問題はなかったというわけね。一日程度でベルセルク化してしまうのは政府側の人間も同じ。抑制剤の製法を確保しない限りは、一切手を出せない。破棄でもされようものなら、世界が終わるのだから」
マグダネス局長が厳しい眼差しのまま、深く溜息を吐いた。そして、もう一つ、ケイシスの発言で気になっていたところを尋ねた。
「あなたのいう〝組織〟について教えなさい」
「〝組織〟について、か。そうだな……凝り固まった思想と妄執に囚われた老害共の集まり、と言うべきか。歴史は古く、構成員も数知れず、権力も財力も暴力も揃っているというのに、こそこそとオカルトを追い駆けるしか能のない馬鹿の集まりさ」
自分が所属しているというのに、ケイシスは随分と辛辣な評価を下した。マグダネス局長が無言で続きを促すと、村長から一瞬だけ蛇社長の顔に戻ったケイシスは、その組織の名を口にした。
「遙か古より連綿と本物の神秘を求める裏の組織。名を、〝ヒュドラ〟という。局長様なら、名前くらいご存じでは?」
「そう……あの〝ヒュドラ〟。典型的なオカルト狂信者集団ね。幾度となく潰しているはずなのだけど、時折、なにかの事件の折に顔を覗かせる、根絶の難しい組織ね」
その組織名を知っていたらしいマグダネス局長が、珍しくも苦虫を噛み潰したような表情になった。その言葉からすると、どうやら過去に何度か対決したことがあるのかもしれない。アレンも名前だけは知っていたらしく、ここでその名前が出るかと、意外半分納得半分といった表情をしていた。
一方、エミリーやヴァネッサのように頭上に〝?〟マークを浮かべている傍らで、浩介は「あ~」と天を仰いでいた。凄く、聞き覚えのある組織名だったのだ。
「ギリシャ神話に出て来る多頭の怪物。いくら頭を潰しても、一本でも残っている限り復活する……また、出てきたというわけね。しかし、随分と辛辣な口ぶりね。組織に不満でも?」
「ええ、ええ、不満ならありますとも。今時、神秘だの、超常現象だの、頭がおかしいとしか言えない。組織の規模、力を用いれば、より世界に対し優位に立てるというのに、あの老害共ときたら、科学の力を軽んじすぎる。なにが組織の理念に反する、だ。あるかどうかも分からない神秘なんてものにこだわるから、組織は未だに日陰者なんだ」
吐き捨てるようにそう語るケイシス。どうやら、ケイシスは、科学の力で世界に干渉するだけの力を得たのなら、それを使えばいいという考え方で、対してヒュドラの幹部達は、あくまで神秘を求め、その神秘で世界に干渉することが目的であり、それ以外は認めないという考え方らしい。
設立の発端が神秘を手にすることにあったのだから、確かにケイシスの考え方は組織の設立理念に反するだろう。組織を探究者の集まりではなく、単なる〝力〟として捉えた、ある意味で組織の人間としては対極の性質――現実主義者だったというわけだ。
「ベルセルクで世界を変える――そうすれば、流石に彼等も、私を若造と言って無視はできないでしょう。ふふふっ、あのいつでも自分こそ上位者だという態度で私を馬鹿にするジェファーソン=オルグレイも、私に跪き、許しを請う。本当の上位者が誰か、その骨身に刻む! ……そうなるはずだったのだがなぁ」
野望は潰えたとケイシスはがっくりと肩を落とした。
反対に、マグダネス局長は興奮を示すように思わず踏み出しながら、ケイシスの肩を両手で掴み、ガクガクと揺さ振り始めた。
「今、ジェファーソン=オルグレイと言ったかしら? あの不動産王にして政治家の?」
「あ、ああ。そのオルグレイだ」
「他には! 他の、あなたの知っているヒュドラの構成員は!? 教えなさい!」
「わ、分かった。他の幹部としては――」
そう言って告げられていく名前の何と豪勢なことか。幾人かは保安局でも嫌疑をかけていた相手で、内偵を進めていた者もいるが、それでもリストアップされたオカルト狂信者集団の幹部達のビッグネームぶりは凄まじかった。
ケイシスが知っている限りの幹部の名前を告げ終わると、マグダネス局長はアレンが彼等の名前を記録したことを視線で確認し、浩介へ顔を向けた。
「ミスターアビスゲート。感謝するわよ。黒い噂はあれど、実体を掴めなかった連中に引導を渡せるかもしれない」
「あ~、うん。そうか……」
なんとも歯切れの悪い浩介の返答。浩介はしばらく視線を彷徨わせたあと、おずおずとした様子で尋ねた。
「あのさ、局長さん。そのオルグレイ氏とか、やっぱり逮捕しちゃう感じ?」
「なにを言っているの? 当然でしょう。今回の事件とは関係がなくとも、ヒュドラが関与したと思われる事件は山ほどあるわ。毎回、トカゲのしっぽ切りよろしく、下っ端共の逮捕で終わるか、未解決事件として処理されるのよ。それらが一気に片付くかもしれないわ」
「う、う~ん。そう、だよなぁ~」
流石に、浩介の態度に不審を感じたらしいマグダネス局長は、訝しそうにしながら何か問題でもあるのかと疑問を口にする。
と、そのとき、背後から「え!?」という驚愕の声が響いた。見れば、そこにはタブレットを凝視しながら目を見開いて驚きをあらわにするアレンの姿がある。
「? アレン?」
「あ、あ~、局長。今、オルグレイ達の情報を引っ張っていたんですけど……これ」
そう言って、アレンは困惑したようにタブレットを見せる。受け取ったマグダネス局長に続き、ヴァネッサやエミリーも覗き込むようにタブレットのディスプレイへ視線を向けた。
そこには、
『では、今回のような寄付は、今後も続けていくと?』
『うむ、その通りだ。今までの私は、まるで悪夢の中を彷徨っているようだった。金や権力を溜め込むことに、既存の立場にしがみつくことに、いったい、どれだけの価値があるというのか! 笑顔だ。子供達の笑顔にこそ価値はある。子供達が笑って暮らせる未来にこそ、私の人生を費やすに足る価値があるのだ!』
なんて力強い演説しちゃってる不動産王さんがいた。
マグダネス局長が「なんでぇ!?」とかつて出したことのない声を出し、飛び出すくらい目を剥いている。保安局の局長であるから、オルグレイ氏の黒い噂は嫌というほど知っている。故に、彼の輝かしい笑顔と、慈愛と誠意に溢れた演説は、正直、逆に悪夢だった。
ディスプレイの中で、特番に出演しているらしいオルグレイ氏へのインタビューは続く。
『素晴らしい考えです、ミスターオルグレイ。あなたの考えに賛同する方々が多数いるという話も聞いていますが、それについては?』
『それは事実だ。彼等は私の個人的な友人であり、同志だ。今後は、同志達と共に、少しでも世界をよりよくするため、粉骨砕身の想いで活動していきたいと思う!』
『なるほど。その決意の象徴が、あなたの設立した慈善団体〝村人の誇りに賭けて〟なのですね?』
『その通りだ。世界を動かすのは一人の英雄かもしれない。だが、世界を支えるのは村人一人一人なのだ。私は特別な人間ではない。一人の村人として、微力ながら世界を支えていこうと思う!』
感動的な演説に、スタジオの観客は総立ちで拍手喝采だ。同時に、テロップが流れて、オルグレイ氏の賛同者として名前が流れる。……どれも、今、ケイシスが挙げた名前だった。
固まっているマグダネス局長達の中で、引き攣った表情のエミリーがいち早く動き出し、視線を明後日の方向に向けている浩介へ尋ねる。
「ねぇ、こうすけ。慈善団体の名称が〝村人の誇りに賭けて〟なんだけど……」
「そ、そうか……」
「ねぇ、こうすけ。こうすけの催眠術をかける道具の名前、なんだっけ?」
「……〝村人の誇りに賭けて〟、だな」
直後、マグダネス局長がタブレットを放り投げた。アレンが「ほわっ」と奇声を上げながらダイビングキャッチする。
ツカツカと競歩するマグダネス局長は、今度は浩介の肩をガッした。
「説明なさい。ミスターアビスゲート。簡潔に、迅速に」
「イ、イエス、マム! も、元々、俺がこの国に来たのは奴等を潰すため! 潰したあと、即洗脳! 彼等は心優しい村人になりました! 以上っす!」
血走った目と、押し殺した声音で説明を求められた浩介は、マグダネス局長のあまりの迫力に、思わず敬礼しながら答えた。ヴァネッサとアレンが、気持ちは分かると深く頷く。
マグダネス局長は、ダラダラと冷や汗を流す浩介をしばらくジッと視線で抉ると、それはもう深い溜息を吐いて引き下がった。ついでに、片手で目元を覆って天を仰いでしまった。
そんな局長の姿を見て、ヴァネッサが一言。
「流石、コウスケさん。そのうち、〝だいたいアビスゲートのせい〟というのが広まりそうですね」
やかましい、というツッコミは、何故か口にできない浩介だった。
オルグレイ氏達は、今後、自らの資産を惜しみなく慈善活動のために使っていくだろう。自然、政治家でもあるオルグレイの人気は、最初こそ人気取りと揶揄されることもあるだろうが、そう時間もかからずうなぎ上りとなることだろう。
果たして、人々の信頼と多くの人間を救う彼を逮捕して、世間はどうなるか……。もちろん、明確な証拠さえあれば問題はないのだが、それでも何事もなく、とはいかないだろう。マグダネス局長の心痛レベルが上がることは想像に難くない。
こほんっと咳払い一つ。きょとんとしているケイシスに向き直った浩介は、微妙な空気を戻すべく尋問に戻った。
「それで、ケイシス。ベルセルクのデータと薬品は、全部ここにあるのか?」
「いや。当然のことながら、分散してある。データと薬品が保管されている研究所のリストなら、デスクの引き出しの中にある媒体に保存されているから確認するといい」
どうにか精神を平常に戻したマグダネス局長の視線を受けて、アレンが調べにいく。そうして、見つけた媒体を調べてみれば、確かに保管場所のデータのみならず、一連の計画の詳細なども入っていた。
これで、知るべきことはほとんど知れた。あとは、全てのデータと薬品を破棄すれば、ベルセルクの脅威は消滅する。エミリーが、これ以上、罪悪感に濡れることもないだろうし、犠牲になってしまった大切な人達の無念も、少しは晴れるだろう。
だから、結局浩介が後回しにし、最後まで聞くべきか否か迷っていたことは、敢えて知る必要はなかったのかもしれない。
しかし、今、ここにいるのは、自らの意思で、巨悪と真相に立ち向かうと決めた強い女の子なのだ。恐がりで、直ぐに小さくなるが、それでも進むことを止めない子なのだ。
だから、
「最後よ。教えて。……あなたに、ベルセルクの存在を教えたのは……誰なの?」
「ふむ、それは――」
エミリーは、真相を知った。
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深夜をとうの昔に回った時間。空に星はなく、月の明かりもない。夜天は曇に覆われ、陰気な雰囲気を漂わせている。
保安局が用意してくれたホテルのベランダから見える町の夜景。真夜中にもかかわらず、街の中心というのは眠らないが故に、地上の星は煌々と闇夜を照らし、ほんの少しだけ、その観覧者に慰めを与えていた。
「……エミリー。眠れないのか?」
「こうすけ……うん。ちょっとね」
ベランダに出て、手すりに両腕を預けながら何となしに夜景を眺めていたエミリーに、隣のベランダから声がかけられた。
「寒くないのか?」
浩介は、冬用の厚い生地でできたものとはいえ、ナイトガウン一枚という姿のエミリーに眉をしかめた。エミリーは、苦笑いしながら首を振る。
「そっか。ま、確かに、冬の夜の空気は気持ちいいよな」
そう言って、浩介は隣り合うベランダに、エミリーと同じように両腕を預けて夜景を眺めだした。
二人共、しばらく言葉もなく、ただ静かに遠くを見る。図ったように、エミリーが眠れない理由は口に出されない。分かり切ったことだから。そして、今、明日のことについて、交わさなければならない言葉はないから。
だから、浩介はポツリと、一言だけ呟いた。
「もうちょっとだ。頑張ろうな、一緒に」
「っ……うん。うんっ」
何かを噛み締めるように、エミリーは俯いた。だが、応える声は、キンキンと冷えた空気に余すことなく響き渡った。
再び訪れる沈黙。どれくらいそうしていたのか。エミリーは、不意に、浩介に尋ねた。
「ねぇ、こうすけ。今回のことが終わったら、こうすけはどうするの?」
「ん? そりゃあ、日本に帰るさ。言ったろ? 俺、学生だぜ? まだ冬休みとはいえ、冬期講習をぶっちぎってるからな。早く戻って参加しないと」
その答えに、エミリーは一瞬きょとんとすると、直後、堪えきれないというように笑い出した。
「ふ、ふふ……裏の組織どころか、保安局の人達も翻弄している人が、講習って……くふっ、ふふふふっ」
「お、おい、笑うなよ。ここだけの話、魔王だって普通に学生してるんだぞ。俺が学生でも何もおかしくないだろう?」
「で、でも。アビスゲートとか名乗って、武装した人達と戦う人が、普通に授業受けてるとか……あはっ、ダメ、想像したらシュール過ぎて笑えちゃう。あはははっ」
「ぐふっ。ア、アビスゲート言うな……」
胸を押さえて項垂れる浩介に、エミリーはますます可笑しそうに笑う。
一連の事件が始まってから、こんな風に笑ったことはない。
明日は、きっと全てに決着がつく日となる。緊張と、不安と、胸の中にある真実という名の痛み。本当は、薄々分かっていたこと。必死に、目を逸らしてたこと。それらが、エミリーに突きつけられることになる。
――もし一人なら、耐えられただろうか?
そう考えて、エミリーは心の中で首を振る。
――ヴァネッサと二人だけで、ここまで来られただろうか?
やっぱり、心の中で首を振る。
――辛くて、不安で、痛くて、苦しい今この時に、それでもこんな風に笑えただろうか?
そんなわけがない。
エミリーは、ぶすっとしている浩介を横目に、目尻に溜まった涙を指先で拭いながら、ふわりと微笑んだ。
「こうすけ、ありがとう」
「それを言うには、まだ早いだろ。明日、全部、終わってからだ」
未だ、ちょっぴり拗ねが入っている浩介のそっけない言葉。でも、エミリーにとっては何だかくすぐったいような、そんな気持ちになる言葉だった。
頬杖をついて遠くを見る浩介の横顔を、エミリーはジッと見つめる。その視線に気が付いているらしい浩介は、少しだけ居心地が悪そうだ。
エミリーは、そろそろ体が冷えてきたなぁと思いながら、思い切って浩介にお願いをしてみた。
「あのね、こうすけ」
「ん?」
「明日、全部終わったらね……こうすけのこと、教えてほしい」
「俺のこと?」
肩眉を上げ、視線をエミリーへと転じた浩介に、エミリーは少し頬を染めながら頷いた。
「うん。どうして、あんな不思議な力が使えるのか、とか。帰還者って何なのか、とか。そういう、こうすけのいろいろなこと」
「……」
「うっ。ひ、秘密だってことは分かってるわよ? でも、私、絶対に秘密は守るわ。本当よ? それに、なにかあったときは、今度は私がこうすけの力になれるかもしれないし、それにえっと、それに……」
思わず無言になってしまった浩介に、エミリーは少々焦ったように言葉を重ねた。
浩介としては、特に帰還者のことについて教えることに問題はなかった。もともと、メディアには異世界で邪神の軍勢と戦ってきたと、正直に真実を話しているのだ。信じる信じないは相手方の勝手である。
エミリーは、浩介の力を目の当たりにしているわけだから、当然、信じるだろうし、納得するだろう。故に、特に、隠すようなこともないのだ。
流石に、政府の上層部全員に知れ渡るようになって私生活に支障が出ては本末転倒なので、その場合は魔王の(特にその嫁)の洗脳技に出てもらうなど大規模な対策は必要だが、浩介達帰還者の怖さを知り安易な行動に出ないだろうマグダネス局長や、エミリーのような一個人に教えるくらいは問題ない。
では、どうして浩介が無言になったかというと、それはもちろん、美少女から「あなたのことが知りたいの!」などと言われたからである。頬を染めながら。
果たして、恋人のいる身で、これ以上踏み込ませていいものか。つくづく、さっさと恋人の存在を告げなかったことが悔やまれる。思い返してもタイミングがなかったと言えばなかったのだが。流石に、今伝えるのもまずい。何がまずいって、もちろん、エミリーの精神が灰になってしまう可能性がある点だ。
浩介は、心の中のミニ浩介会議を一瞬で終えると、未だにあせあせと言葉を重ねているエミリーに返事をした。
「いや、別にそれくらい、構わない――」
「本当!?」
「お、おう」
ベランダから身を乗り出して、浩介の方へキラキラの眼差しを向けてくるエミリー。自分のことを知りたいというのなら、そのときに恋人がいることも告げようと思っていた浩介だが……
「私、嬉しい!」と全身で訴えるエミリーを見て、心の中のミニ浩介は、罪悪感とかその他の諸々で転げ回った。
エミリーは、身を乗り出したせいで浩介との距離が触れてしまいそうなほど近いことに気が付くと、恥ずかしそうにあわあわしながら身を引いた。
そして、浩介が引いていないか、チラチラと確認するという中々のあざとさを見せつける。浩介の心の中に、ローリ○ガール(某にこにこする動画)の曲が流れ出した。
「楽しみにしてるわ、こうすけ。あ、でも、その、一つだけ、今、聞いてもいい?」
「な、なんだ?」
もじもじ、下ろした髪の先をいじいじ、くるくるしながら、冷えた空気を温めそうなほど頬を染めたエミリーが、身構えた浩介にボディブロウの如き質問を放った。
「あのね、あくまでただの興味本位なんだけど……こうすけの好みの女の子って、どんな子?」
そんな見え見えの態度で、あくまで興味本位ってなんだ!? あざとい! 流石、エミリーちゃん! あざとい! と、ミニ浩介は絶叫しながら、心の中の坂道を転がり落ちて行った。
浩介は、ジッと見つめて来るエミリーに視線を彷徨わせたあと、正直に答えることにした。
「ウサミミお姉さん」
「……え?」
エミリーにカウンター。目を点にして絶句したエミリーの脳裏に、バニーガールの姿をした自分が、妖艶な雰囲気で浩介を誘惑する姿が浮かび上がる。
ボッと音が鳴ったのではと錯覚するほど、一瞬で完熟トマトになったエミリーは、あわわっ、あわわっと右往左往し、最終的に、
「こ、こうすけのえっち!」
などと言いながら、部屋の中に駆け込んでしまった。
「……全部終わったら、エミリーと話す前に南雲に電話しよう」
女の子とのあれこれについては遥か先を行く先輩である友人に、浩介は相談しようと心に決める。
もっとも、その選択が間違いであることに気が付くのは……もう少し後の話だ。
いつも読んで下さり有難うございます。
感想・意見・誤字脱字報告も有難うございます。
思えば、白米が初めて見たにこにこする動画は、ロー○ンガールだった気がします。
なにがきっかけだったかは忘れてしまいましたが、衝撃的でした。
次回の更新も土曜日の18時の予定です。




