歓迎と婚約のパーティー
日がすっかり落ち、辺りが暗闇で覆われた帝城の一角。地下牢がある建物の外周を二人の帝国兵が警備のため決められたルートを巡回していた。その手には魔法的な火が燃え盛る松明のようなものが持たれており、不埒な侵入者の味方をする夜闇を懸命に払っている。
「はぁ、今頃、お偉方はパーティーか……美味いもん食ってんだろうなぁ……」
「おい、無駄口叩くなよ。バレたら連帯責任なんだぞ」
一人の兵士が遠くに見える明かりを眺めながら溜息混じりに愚痴をこぼした。相方の兵士が顔をしかめながら注意するが、その表情の原因は言葉通りのものではないようだ。どちらかといえば、〝暑い時に暑いと言うと余計に暑い気がするから言うな〟と言ううんざり気味の雰囲気が漂っている。内心では、同じく愚痴を吐いていたらしい。
「だけどさ、お前も早く出世して、ああいうのに出たいと思うだろ?」
「……そりゃあな。あそこに出られるくらいなら、金も女もまず困らねぇしな……」
「だよなぁ~。パーティーで散々飲み食いした後は、お嬢様方と朝までしっぽりだろ? 天国じゃん。あ~、こんなとこで意味のねぇ巡回なんかしてないで女抱きてぇ~。兎人族の女がいいなぁ~」
「お前、兎人族の女、好きだなぁ。亜人族の女は皆いい体してっけど、お前、娼館行っても兎人族ばっかだもんな」
「そりゃあ、あいつらが一番いたぶりがいあるからな。いい声で泣くんだよ」
「趣味わりぃな……」
「何言ってんだよ。兎人族って、ほら、イジメてくださいオーラが出てるだろ? 俺はそれを叶えてやってんの。お前だって、何人も使い潰してんだろ」
「しょうがねぇだろ? いい声で泣くんだから」
二人の巡回兵は、顔を見合わせると何が面白いのか下品な笑い声を上げた。
帝国において、亜人は所詮道具と変わらない。ストレスや性欲を発散するための、いくらでも替えの利く道具なのだ。故に、この二人が特別、嗜虐的な性格なのではなく、亜人を辱め弄ぶのは帝国兵全体に蔓延している常識と言ってよかった。
と、その時、片割れの兵士が建物の影に何かを見たのか警戒したような表情になって声を上げた。
「ん? ……おい、今、何か……」
「あ? どうした?」
歩み寄りながら松明を前に突き出し、建物の影を照らしだそうとする兵士。疑問の声を上げながらもう一人も追随する。
先行していた兵士は「誰かいるのか?」と誰何しながら、ちょうど人一人がギリギリ通れる程度の建物と建物の隙間にバッ! と松明の火を向けた。
しかし、その先に人影はなく「見間違いだったか……」と呟きながら安堵の吐息を漏らす。そうして、苦笑いしながら相棒を振り返った兵士だったが……
「悪い、見間違い……? おい、マウル? どこだ? マウル?」
そこに相棒の姿はなく、足元に彼が持っていたはずの松明だけが残されていた。どこに行ったんだと、キョロキョロと辺りを見渡す兵士だったが、周囲に人影はない。彼の背筋に冷たいものが流れる。
湧き上がる恐怖心を押し殺して、兵士は、咄嗟に落ちている松明を拾いながら、相棒に少し緊張感の宿った呼び声をかけようとして……
「おい、マウル。悪ふざけならッんぐっ!?」
その瞬間、誰もいなかったはずの建物の隙間からスッと二本の腕が音もなく伸びた。
闇の中から直接生えてきたかのような腕の一本には光を吸収する艶消しの黒色ナイフが握られており、片手が兵士の口もと塞ぐと同時に、一瞬で延髄に深く突き立てられる。
一瞬、ビクンと痙攣したあとグッタリと力を抜いた兵士は、そのまま二本の腕に引きずられて闇の中へと消えていった。
そして、いつの間にか、彼が拾おうとしていた松明も消え去り、後には何も残らず、ただ生温い夜風だけがゆるゆると吹き抜けるのだった。
闇の中、風に紛れそうなほど小さな囁き声がする。
「HQ、こちらアルファ。Cポイント制圧完了」
『アルファ、こちらHQ。了解。E2ポイントへ向かえ。歩哨四人。東より回りこめ』
「HQ、こちらアルファ。了解」
そんな囁きのあと、全身黒ずくめの衣装に身を包んだ複数の人影が足音一つ立てず移動を開始する。
顔面まで黒い布できっちり隠しているが、目の部分だけは視界確保のために空いており、そこから鋭い眼光が覗いていて、さらに背中には小太刀が二本括りつけられている。日本人がその姿を見たのなら間違いなく「あっ、忍者!」と言いそうな格好だ。
だが、個人の特定は出来なくとも、残念なことにその正体までは全く忍べていなかった。なぜなら、覆面の頭上からはニョッキリとウサミミが生えていたからだ。どこからどう見ても兎人族であり、ハウリア族であった。
彼等は、闇に紛れて建物の影に身を潜める。そこからそっと顔を覗かせれば、報告通り四人の歩哨が二組に分かれて互いに目視できる位置に佇んでいた。先程通信していたハウリア族の一人が背後に控える三人にハンドシグナルを送る。
それに頷いた三人はスッと後ろに下がると、まるで溶け込むように夜の闇へと姿を消した。
待つこと数秒。指示した場所から、歩哨の視線が逸れた隙にチカッ! と光が瞬く。同じく、歩哨の視界に入らないように考慮して、ハウリアの一人がライターサイズの容器の蓋を一瞬だけ開けた。これは、中に緑光石が仕込まれた簡易の懐中電灯のようなものだ。
合図を送ったハウリアは背後の二人を振り返るとハンドシグナルで指示を出しながら動き出した。
二組の歩哨が互いの姿を視界の外に置いた瞬間、気配を極限まで薄くして一気に接近し、一人が兵士の口と鼻を片手で覆いながら延髄を一突き、もう一人も同じく片手で拘束しながら別の兵士の腎臓を突き刺し組み倒す。
最後の一人は、歩哨が手放した松明を落ちる前にキャッチして火を消し、その他の痕跡が残っていないか確認する。そして、一気に建物の影に引きずっていった。
しかし、流石に無音とはいかずもう一組の歩哨が「ん?」と視線を向けた。
その視線の先に先程までいた仲間の姿はない。松明の光もなく暗闇が存在するだけだ。「あいつらどこに行ったんだ?」と、訝しみながら目を凝らす歩哨は、闇の中で微かに動く人影を捉えた。何か大きなものを引き摺る姿だ。
「何かヤバイ!」と、歩哨は、咄嗟に首元に下げた警笛を吹き鳴らそうと手を伸ばすが……
次の瞬間、その歩哨の首にナイフが突き立てられ、悲鳴を上げることも苦痛を感じる暇もなく、その意識を永遠の闇に沈めることになった。
警笛を握った歩哨の隣では、やはり相方の歩哨も同じようにナイフを突き立てられて絶命している。同時に、松明の火が消されて建物の影に引き摺られていった。
現在、帝城の至るところで同じような殺戮が行われていた。
既に、複数の詰所に控えていた多くの兵士達が胴体と永遠のお別れを済ました後であり、兵舎で就寝中の兵士達は樹海製の眠り薬によって普段とは比べ物にならないほど深い眠りにつかされていた。警報が鳴ったとしても、朝までぐっすり眠り、普段の疲れを存分に癒すことだろう。
今宵の空に浮かぶのは繊月。
別名〝二日月〟と呼ばれる新月の翌日に昇る見えるか見えないかくらいの極細の月だ。
それはまるで、悪魔が浮かべた笑みのよう。
実力至上主義を掲げた者達が最弱と罵った相手に蹂躙されるという、この月下の喜劇を嘲笑っているかのようだった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
――HQ、こちらアルファ。H4ポイント制圧完了
――HQ、こちらブラボー。全Jポイント制圧完了
――HQ、こちらチャーリー。全兵舎への睡眠薬散布完了
――HQ、こちらエコー。皇子、皇太孫並びに皇女二名確保
煌びやかなパーティー会場で、ハジメは、普段では有り得ない満面の笑みを浮かべながら、話しかけてくる帝国貴族と会話をしつつ、次々と入ってくるハウリア達の報告を聞いていた。
会場は広く、そこかしこに豪華絢爛な装飾が施されている。立食形式のパーティーで、純白のテーブルクロスが敷かれたテーブルの上には何百種類もの趣向を凝らした料理やスイーツが並べられており、礼儀作法を弁えた熟練の給仕達が颯爽とグラスを配り歩いていた。
参加している者は全員、帝国のお偉方だ。ただ、煌びやかな衣装に身を包んでいても文官と武官ではその雰囲気からして丸分かりであり、実力至上主義という国柄からか偉ぶった武官と、どこか遠慮がちな文官達という構図が浮き彫りになっていて武官の方が立場は上のようだと実感できた。
そんな武官達から積極的に声を掛けられているのがハジメ達だ。
何せ、〝神の使徒〟にして〝勇者一行〟だ。世間一般では【オルクス大迷宮】の攻略階層を破竹の勢いで更新した強者と思われており、〝強さ〟が基準の彼等からすれば何とも興味をそそる存在なのだろう。もちろん、あわよくば個人的な繋がりを持ちたいという下心もたっぷりある。
もっとも、現在、ハジメに話しかけている者達はそうした下心と興味以外に、パーティーが始まってから片時もハジメの傍を離れない美貌の女性陣にも強い興味があるようだった。ハジメに話しかけながらもチラチラとハジメの背後に控えるユエ達に視線が向いているのでバレバレである。
だが、それも無理のないことだろう。リリアーナの歓迎と婚約祝いを兼ねたパーティーにおいて、ユエ達の存在は、花を添えるどころの騒ぎではなく、むしろ自分達こそこの会場の主役だと言わんばかりの存在感を放っていた。
シアは、ムーンライト色のミニスカートドレスを纏っており、そのスラリと長く引き締まった美脚を惜しげもなく晒している。
しかし、決して下品さはなく、ふんわりと広がったスカートと、珍しく楚々としたシアの雰囲気が彼女の可愛らしさをこれでもかと引き立てていた。普段は真っ直ぐ下ろしている美しい髪を根元で纏めて前に垂らしている姿も、彼女に上品さと可愛らしさを与えている要因だろう。
その横で、上品にワインを傾けるティオは、普段の黒い和装モドキと同じような黒いロングドレス姿だ。しかし、体のラインが出るようなタイプのドレスなので、凹凸の激しいボディラインが丸分かりであり、更に、背中と胸元が大きく開けているので、彼女の見事としか言いようのない美しい双丘が今にもこぼれ落ちそうなほどあらわになっている。会場の男性陣の視線が、動く度にいちいちプルンッ! と震える凶器に吸い寄せられ、パートナーの女性に嫌味を言われる姿が続出していた。
香織は、肩口が完全に露出したタイプのスレンダーラインのドレスを着ている。ティオほどの激しいボディラインではないが、そのバランスはまさに神の造形。チャイナドレスのように深いスリットが入った裾からふとした拍子にチラリと覗く美脚や、アップに纏められた銀髪の輝き、色気を感じさせる項は思わず視線を攫われてしまう。
そして、ハジメの本命、最愛の吸血姫はというと――純白のウエディングドレス(モドキ)を纏っていた。
光沢のある生地で、肩口が露出しており、裾はフリルが何段も重ねられ大きく広がっている。髪はポニーテールにしていて上品な白い花を模した髪飾りで纏められていた。露出は一番少ないが、白く艶かしい首筋や、やけに目を引く赤いルージュの引かれた唇、そして僅かに潤んで熱を孕んだ瞳がどうしようもなく男の劣情を誘った。いつもの、外見の幼さと纏う妖艶な雰囲気のギャップからくるユエの魅力が何十倍にも引き立てられている。
部屋で、ユエ達の着替えが終わるまで待っていたハジメ達男性陣だったが、彼女達が入ってきた瞬間、その溢れ出る魅力にやられて完全に硬直したのも仕方のないことだ。
特に、ハジメの目はユエに釘付けになっていて、誰の目から見ても心奪われているのが丸分かりだった。ユエの方も、それを察したのだろう。嬉しそうに微笑むと真っ直ぐにハジメを見つめた。
ハジメの視線が一点から離れないことにムッとした女性陣がハジメに文句を言おうとしたが、それより先に動いたハジメが有無を言わさずユエを抱きしめて、そのまま濃厚なキスをし始めたので、今度は違う意味で男女関係なく硬直し、その後、いつまでも続けているハジメとユエを無理やり引き剥がしにかかるという〝ハジメ理性ぶっ飛び事件〟もあったが……
とにかく、「これ誰の婚約パーティーか理解してる? ねぇ? してる?」とツッコミを入れられそうなくらいユエ達は魅力的だった。
ちなみに、雫と鈴も十分に着飾っていて、帝国の令嬢方に負けないくらいに華やかだったのだが……流石に、ユエ達の原動力がハジメの心を奪いたいというものである以上、そういう強い動機がない二人では数歩及ばず、どうしてもユエ達と比べると大人しい印象だったので、余り目立ってはいなかった。
「それにしても、南雲殿のお連れは美しい方ばかりですな」
「全くだ。このあとのダンスでは是非一曲お相手願いたいものだ」
――HQ、こちらデルタ。全ポイント爆破準備完了
――HQ、こちらインディア。Mポイント制圧完了
そんな帝国貴族達の半ば本気の言葉を、耳から入る念話の報告を聞きつつハジメが笑顔でかわしていると、会場の入口がにわかに騒がしくなった。どうやら、主役であるリリアーナ姫とバイアス殿下のご登場らしい。文官風の男が大声で風情たっぷりに二人の登場を伝えた。
ザワッ……
大仰に開けられた扉から現れたリリアーナのドレス姿に、会場の人々が困惑と驚きの混じった声を上げる。
それは、リリアーナが全ての光を吸い込んでしまいそうな漆黒のドレスを着ていたからだ。本来なら、リリアーナの容姿や婚約パーティーという趣旨を考えれば、もっと明るい色のドレスが相応しい。その如何にも「義務としてここにいます」と言わんばかりの澄まし顔と合わせて、漆黒のドレスはリリアーナが張った防壁のように見えた。
パートナーのバイアス殿下の方も、どこか苦虫を噛み潰したような表情であり、どう見てもこれから夫婦になる二人には見えず、会場は取り敢えず拍手で迎え入れたものの、何とも微妙な雰囲気だ。
そのまま、二人は壇上に上がる。
司会の男は、困惑を残したままパーティーを進行させた。リリアーナとバイアスの様子を見て、今にも笑い出しそうなガハルドの挨拶が終わると、会場に音楽が流れ始めた。リリアーナ達の挨拶回りとダンスタイムだ。微妙な雰囲気を払拭しようと流麗な音楽が会場に響き渡る。
会場の中央では、それぞれ会場の花を連れ出した男達が思い思いに踊り始めた。リリアーナとバイアスも踊るが何とも機械的だ。主に、リリアーナの表情や纏う雰囲気が原因だが。
バイアスが強引に抱き寄せても、旋律に合わせて気が付けば微妙な距離が空いている。そうこうしている内に一曲終わってしまい、リリアーナはさっさと挨拶回りに進んでしまった。
イラついた表情で、しかし、挨拶回りは必要なので追随するバイアス。微妙に股を気にしている様子だ。実は、ついさっき目覚めたばかりの挙句、何があったのかリリアーナを問い詰める間もなくパーティーに駆り出されたとは誰も知らない。何故か感覚のない息子の復活(復活させられるだろう人物の紹介)を盾にされて、リリアーナに従うしかない状況に焦燥と苛立ちを感じていることも、誰も知らないのだ。
――HQ、こちらロメオ。Pポイント制圧完了
――HQ、こちらタンゴ。Rポイント制圧完了
「何て言うか、リリィらしくないね。いつもなら、内心を悟らせるような態度は取らないのに……」
香織が、特に笑顔もなく淡々と挨拶を交わすリリアーナを見てポツリと呟く。
「……まぁ、あんなことがありゃあなぁ。姫さんも色々思うところがあったんだろ」
「……あんなこと?」
ハジメの言葉にユエ達が首を傾げてハジメを見る。
「南雲君、リリィに何かしたの?」
「おい、八重樫。それはどういう意味だ、こら」
ワインレッドのロングドレスを着た雫が胡乱な眼差しをハジメに向けている。
「だって、リリィが公の場であんな態度を取るなんて……何か非常識な事が起これば、大体南雲君のせいじゃない? 今までの経験則からいって。実際、何か知っているみたいだし」
「チッ、言い返しづらいことを……だが、今回は本当に何もしていないぞ。ただ、皇太子にレイプされそうになってた姫さんを通りすがりに助けただけだし」
「そう、リリィがレイ……ナンデスッテ?」
「ちょっと、ハジメくん!? 今、なんて!?」
雫や香織を筆頭に、驚愕の眼差しをハジメに向ける一同。
ダンスが始まってから散々ユエ達を誘おうと男連中がやって来たのだが、ユエ達にハジメ以外の男と踊るつもりは皆無だったので、現在は、ハジメの〝威圧〟により追い払われており、周囲にはユエ達と雫しかいない。
光輝は、半ば強引に淑女達に連れ出されて慣れないダンスを必死に踊り、龍太郎はひたすら食っている。鈴は、どこぞのダンディーなおっさんと「ほぇ~」と流されるままに踊っている。
なので、リリアーナがバイアスにレイプされかけたという発言はユエ達以外には伝わっていない。いないが、香織と雫が掴みかからんばかりの勢いでハジメに説明を求めるので、何事かと注目が集まり出している。
「あ~、うん、だから………………ユエ、一曲踊らないか?」
「んっ……喜んで」
「あ、ちょっと、南雲君! 面倒になったからって逃げないで! きちんと説明してちょうだい!」
「そ、そうだよ! 重大事だよ! ちゃんと説明して!」
雫の言葉通り、説明が面倒になったハジメはユエの手を取ってダンスホールへと逃亡を図った。ある意味、主役のリリアーナより目立っている芸術品の如き美貌の少女とそのパートナーたる白髪眼帯の少年(タキシードVer.)に注目が集まる。
元々、王族としてダンスの嗜みがあるユエのリードに合わせて、〝瞬光〟すら利用して踊るハジメ。踊りを観察していたこともあり、それなりに様になっている。楽しげで、幸せそうなユエの表情と、それに目元を和らげるハジメの姿は、互いの衣装と相まって傍から見れば完全に二人の婚約パーティーである。
どこかギスギスしていた空気に楽士達も場を盛り上げることだけに必死になっていたのだが、ハジメとユエの雰囲気に気分が乗ってきたようで楽しげに演奏し始める。今や、会場の主役はハジメとユエであり、誰もが幸せそうにくるくると踊る二人に注目していた。
そんな二人の様子を、リリアーナは微笑みながら見つめている。そこには、僅かばかり羨望の色が含まれていた。
一方、ハジメを慕う女性陣は、これから起こることも、リリアーナの事件も一時的に頭の隅に押し込めて、「次は誰だ!」と、二番手争いに躍起になっていた。
やがて演奏が終わり、微笑み合いながら軽くキスを交わす二人に帝国貴族達から盛大な拍手が贈られる。彼等の瞳には、ただ純粋に称賛の気持ちがあらわれていた。帝国貴族の令嬢達も「ほぅ」と熱い溜息をついてうっとりとしている。
贈られる拍手に優雅に礼を返したハジメとユエが、仲睦まじく手を繋ぎながら仲間の元へ戻って来た。そこへどうやら競り勝ったらしいティオが進み出て、期待に満ちた眼差しをハジメに向ける。
しかし、ティオの期待はあっさり裏切られた。
「南雲ハジメ様、一曲踊って頂けませんか?」
そう、ハジメに声を掛けてきた者がいたからだ。
その相手はリリアーナだった。
「姫さん……主役がパートナーと離れて、いきなりどうした?」
「あら、その主役の座を奪っておいて、その言い方は酷くありませんか?」
「あんな仕事顔してるからだろ? っていうか皇太子は放っておいていいのか?」
「挨拶回りなら大体終わりましたし、今は、パーティーを楽しむ時間ですよ。もともと、何曲かは他の人と踊るものです。ほら、皇太子様も愛人の一人と踊っていらっしゃいますし」
「愛人って……あっけらかんとしてんなぁ」
「ふふ。それより、そろそろ手を取って頂きたいのですが……踊っては頂けないのですか?」
ハジメは、単に踊りたいだけでなく何か言いたげな様子のリリアーナを見て、大体その内容を察していたので、どうしたものかと頬をカリカリと掻いた。正直、ユエとのダンスの余韻に浸っていたかったのだが……
と、渋るハジメに、隣のユエが「メッ!」とした。どうやら、公の場でリリアーナに恥をかかさないで、と言いたいらしい。ユエの「メッ!」に勝てるわけもないハジメの結論は決まっている。
「あ~、わかったよ。……喜んでお相手致します。姫」
「……はぃ」
注目を集めていることもあってか、ハジメが普段からは考えられないほど恭しくリリアーナの手を取り、ダンスホールの中央に導いた。先程の、ユエとのダンスが脳裏に過ぎっているのだろう。リリアーナの恥じらうような態度のこともあって注目度は高い。
ちなみに、リリアーナとのやり取りの間、ずっと手を差し出したまま固まっていたティオには誰も目をくれなかった。「こ、このタイミングで、そう来るとはっ! どこまで弁えておるご主人様じゃ! はぁはぁ……んっ」などとほざきながら頬を赤らめていたが、誰もツッコミは入れなかった。
ゆったりした曲調の旋律が流れ始める。ゆらりゆらゆらと優雅に体を揺らしながら密着するリリアーナとハジメ。ハジメの肩口に顔を寄せながらリリアーナがそっと囁くように話しかけた。
「……先程は有難うございました」
「やっぱり、それか……よくわかったな」
「あんな非常識なもの、貴方以外にはいないでしょう? それに、貴方の〝紅〟はとても綺麗ですから……見間違いません」
「そうか。まぁ、帝国の皇子筆頭があれじゃ、その場凌ぎだがな。遅かれ早かれだろ」
「はっきり言いますね。……でも、たとえそうでも嬉しかったですよ。香織から貴方に助けられたときの事を聞いて、少し憧れていたのです」
そう言って、リリアーナはハジメの肩口から少し顔を離すと言葉通り嬉しそうな微笑みを浮かべた。その笑顔は、先程までバイアスの傍らにいたときとは比べるべくもないリリアーナ本来の魅力に満ちたもので、注目していた周囲の帝国貴族達が僅かに騒めいた。
「それで、色々吹っ切れてあの態度とそのドレスか?」
「似合いませんか?」
「似合ってるさ。だが、やはりあの桃色のドレスの方が合ってる。真逆にしたのは当てつけか?」
「ええ、妻を暴行するような夫にはこの程度で十分ですから……それより……やっぱりあの蜘蛛を通して見えていたのですね。……私のあられもない姿も……あぁ、もうお嫁にいけません」
よよよっ! と、わざとらしく泣き崩れる振りをしながら再びハジメの肩口に顔を埋めるリリアーナに「何言ってんだか……」と呆れた表情をするハジメ。
「小声とは言え、こんな場所で滅多なこと言うんじゃねぇよ。というか、さっきから密着しすぎだろ? 皇太子が何やらすごい形相になってんぞ?」
「いいじゃないですか。今夜が終われば私は皇太子妃です。今くらい、女の子で居させて下さい。それとも、近いうちに暴行されて、愛人達に苛められる哀れな姫の些細なわがままも聞いてくれないのですか?」
「暴行されて、苛められるのは確定なのか……」
「確定ですよ……」
そこでリリアーナは、一度ギュッとハジメに抱きつくと表情を隠しながらポツリと、つい零れ落ちたかのような声音で呟いた。
「……もし……もし、〝助けて〟と言ったらどうしますか?」
リリアーナ自身、こんなことを聞くつもりはなかった。帝国の皇子との婚姻関係の締結は今後の為にやらねばならないこと。両国が魔物と魔人族の襲撃によりダメージを負い、聖教教会総本山が消滅して不安定になっている北大陸の人々を安心させるために見て分かる形で人間族の結束の強さを示さなければならないのだ。王族の一員として、果たさねばならない役目なのだ。たとえ、尊厳すら奪われかねない辛い結婚生活が待っているとしても。
それでもハジメにこんなことを聞いてしまったのは、声も届かず誰の助けも期待できない状況で心底恐怖に震える自分を助けてくれたこと、ハジメに包み込まれて幸せそうな表情をするユエを見たこと、そしてきっとハジメなら〝断ってくれる〟と思ったからだろう。それで、本当に覚悟を決めることが出来ると。それは、一つの甘えといってもいいかもしれない。
だが、ハジメの返答はリリアーナの予想斜め上のものだった。
「まぁ、俺がどうこうする前に、結果的に助かるんじゃね? 場合によっちゃあ、今夜で今の帝国は終わるかも知れないし……少なくとも、皇太子はダメだろうなぁ」
「……はい?」
――HQ、こちらヴィクター。Sポイント制圧完了
――HQ、こちらイクスレイ。Yポイント制圧完了
目を点にして思わず顔を上げるリリアーナに、ハジメはニヤリと口元を吊り上げる。
その表情を見て、リリアーナの胸中に凄まじく嫌な予感が押し寄せた。さっきまでのしんみりした雰囲気はなく、リリアーナは自分の頬が引き攣るのを感じた。そんなリリアーナの耳元にハジメがそっと口を寄せる。
「それとな、甘えるならもう少し分かりやすくしろ。俺は、察しが悪いからさ、うっかり何かしちまうかもしれない」
「っ……」
リリアーナの体がビクッと震える。それは耳元にかかる息と声音のせいもあったが、ハジメが言外に何を言っているのか察したからだ。
すなわち、〝助けてやる〟と。リリアーナの心が激しく動揺する。それはダメだと王女のリリアーナが叫ぶ。結婚は果たさねばならない責務だ。だからこそ、夢想を抱く女の子の自分をバッサリ切り捨てて欲しかったのに、と。
「なぜ?」と、ある意味残酷な仕打ちにか、それとも嬉しさのせいか潤む瞳をハジメに向けるリリアーナに、ハジメは何でもないように、ある意味全く空気を読まない最低の答えを返す。
「姫さんが不幸だと、悲しむ奴等がいるからな」
そう言ってチラリと香織達を見るハジメ。要するに、リリアーナ本人のためではなく、リリアーナが不幸だと、ハジメの〝大切〟が傷つくからと言いたいらしい。それを察したリリアーナが、ジト目をハジメに向ける。
「そこは、嘘でもお前の為だと言うべきじゃありませんか? 私、きっと落ちていましたよ?」
「落としてどうする。まぁ、取り敢えず、姫さんにとっての最悪だけは起こらないと思ってればいいさ。あいつらの大切な友人である限り、な」
「……ぶれないですね、南雲さんは……本当、ユエさんが羨ましい……」
リリアーナは少し憎らしそうな表情でハジメを見つめる。そんな目を向けられてもハジメはどこ吹く風だ。曲はいよいよ終盤。ハジメが動じないことに、やがて諦めたリリアーナは「ふぅ~」と息を吐くと、体をハジメに預けて、ただ今この瞬間のダンスを楽しむことにした。
そして、余韻をたっぷり残して曲が終わり、どこか名残惜しげに体を離したリリアーナは、繋いだ手を離さずに少しの間、ジッとハジメを見つめて……「ありがとう」と呟いた。咲き誇る満開の花の如き可憐な微笑みと共に。
それは唯の十四歳の女の子の微笑み。余りに純粋で濁りのない笑みは、それを見た者全ての心を軽く撃ち抜いた。そこかしから熱の篭った溜息が漏れ聞こえる。そして、僅かな間のあと、先程のユエとのダンスに負けないくらい盛大な拍手が贈られた。
リリアーナは、他のお偉いさんと踊る必要があるようだったので、途中で分かれて一人戻ってきたハジメを、女性陣のジト目が迎えた。
「ハジメくんの女ったらし……」
「……ハジメさん、一体いつの間に……油断も隙もないですぅ」
「のぉ、ご主人様よ。放置プレイで少し濡れてしまったのじゃが、下着を替えてきてもよいかの?」
「さっきの暴行発言と関係あるわね。……リリィが危ないところを助けたって言っていたし、今のダンスで止めを刺したってところかしら? ねぇ、一体、何を囁いていたの? 一応、リリィは人妻なのよ? 分かってる? ねぇ、分かっているの? 南雲君?」
「はわわ、南雲君、遂にNETORI属性まで……大人過ぎるよ。鈴のキャパを超えてるよぉ」
若干、変態発言が混じっていたが、一様に、リリアーナに手を出したみたいな言い方をする女性陣にハジメが「何言ってんだ」と呆れた表情を向けた。
ハジメのした事といえば、通りすがりでちょいと助けに入り、求めに応じてダンスをしただけである。後は、香織達が気にするだろうから、必要最低限の助けくらいはすると伝えただけだ。
口説く意図など微塵もない。それで万が一、億が一、リリアーナがハジメに好意を持ったとしても、ハジメとしては「知ったことか」である。
一応、念の為、誤解がないようにユエに視線を向けるが、ユエは分かっているとでも言うように頷きながらハジメの手をニギニギしてきたので、やっぱりユエは違うなと、唯でさえ天元突破しているユエへの愛情が止まるところを知らず上昇していく。ニギニギがいつもより強めだと感じるのは気のせいに違いない。
――HQ、こちらズールー。Zポイント制圧完了
――全隊へ通達。こちらHQ、全ての配置が完了した。カウントダウンを開始します。
通信を聞いているシアの表情が僅かに強ばった。香織も僅かに緊張したような表情だ。念話石(改良Ver)を渡されていない雫達が、二人を見て訝しそうな表情になる。またハジメかと追及の視線が向いたところでタイミングよく壇上にガハルドが上がった。どうやらスピーチと再び乾杯でもするようだ。
「さて、まずは、リリアーナ姫の我が国訪問と息子との正式な婚約を祝うパーティーに集まってもらったことを感謝させてもらおう。色々とサプライズがあって実に面白い催しとなった」
そこでガハルドは意味ありげな視線をハジメに向ける。ハジメは知らんふりだ。それに益々面白げな表情になるガハルド。
同時に、ハジメの念話石から決然とした声が響いた。
――全隊へ。こちらアルファワン。これより我等は、数百年に及ぶ迫害に終止符を打ち、この世界の歴史に名を刻む。恐怖の代名詞となる名だ。この場所は運命の交差点。地獄へ落ちるか未来へ進むか、全てはこの一戦にかかっている。遠慮容赦は一切無用。さぁ、最弱の爪牙がどれほどのものか見せてやろう
――十、九、八……
――ボス。この戦場へ導いて下さったこと、感謝します
ハジメ達と、蔓延るウサギ達にだけ響く運命のカウントダウン。
何も知らない帝国の貴族達。
二種族の長が重なるように演説する。
「パーティーはまだまだ始まったばかりだ。今宵は、大いに食べ、大いに飲み、大いに踊って心ゆくまで楽しんでくれ。それが、息子と義理の娘の門出に対する何よりの祝福となる。さぁ、杯を掲げろ!」
ガハルドは、会場の全員が杯を掲げるのを確認すると、自らもワインがなみなみと注がれた杯を掲げて一呼吸を置く。そして、息をスゥーと吸うと覇気に満ちた声で音頭を取った。
念話の向こうも、また、同じく。
――気合を入れろ! ゆくぞ!!!
――「「「「「「「「「「おうっ!!!」」」」」」」」」」
――四、三、二、一……
そして、カウントダウンは遂に――
「この婚姻により人間族の結束はより強固となった! 恐れるものなど何もない! 我等、人間族に栄光あれ!」
「「「「「「「「「「栄光あれ!!」」」」」」」」」」
――ゼロ。ご武運を
その瞬間。
全ての光が消え失せ、会場は闇に呑み込まれた。
いつも読んで下さり有難うございます。
感想・意見・誤字脱字報告も有難うございます。
次回も、土曜日の18時更新予定です。