第九十五話 ハイエルフ 後
完全にブチ切れたリドウであったが、頭の方は冷静だった。戦闘思考と感情は別――そういう訓練をしているのだ。
その冷静な頭で、彼は慎重に考える。
レイチェルの言った「今のままでは本気を出せない」という台詞。そして、今実際に感じる“空気の違い”。
それらから考えて、どうやら戯言ではなさそうだと判断する。
魔王のように普段は己の力を封印していて、それを解き放ったのだろうか?
いや、それにしては、感じ取れる力の大きさ自体は全く変わっていない。
それに、「星が産み落とせし精霊種」とは如何なるモノなのか?
リドウは判断に迷い、迂闊に仕掛けられない。
敵を知り、己を知れば、百戦危うからず、という言葉が存在するように、実戦において相手の手の内を知るというのは重要だ。特にハイレベル同士の戦闘においては、闘いの中で勝敗を決する半分くらいの原因はここに在ると言っても構うまい。
故にリドウは思考する――レイチェルの何がどう変わり、それがどういった戦力を発揮するものなのか。
「ん? どうした? 来ないのか?」
レイチェルは嘲るように言う。
「なら、我から行かせてもらおうか」
刹那、リドウの身を無数の風刃が襲い来る。
特に変わったところは無い。リドウは冷静に風刃の幾つかを刀で切り裂き、また身を捻って回避しようとする。
が――
「――――ッ!?」
何かが己の足首に巻き付いて拘束している感触に足を取られて、一瞬動きが止まってしまう。
すぐに全力で足を引き抜いたが、風刃を避ける事は叶わず、もろに食らってしまう。
それ自体は闘気を最大に強化する事でダメージを減じる事ができ、常人で言えば軽く殴られたという程度のダメージしか負う事は無かったが……己の足下を振り返り、リドウは愕然とする。
そこには木の蔦が這い出ていた。周辺には遠くにしか、樹木など見当たらないのに、だ。
(強度まで込みで植物を操ったのか? できねぇって事もねぇだろうが……わざわざ植物である意義がねぇだろ。親和属性でなくても、地を操った方が遥かに楽なはずだ。しかも、魔法と考えるには魔力の働きが全く感じられなかったな……)
疑問に思っている間に、レイチェルの更なる攻撃が重ねられる。
慎重に相手を観察しながらそれらを避け続ける。その際、何度も足首を木の蔦に拘束されていたが、最初から想定していれば、引き千切るのに苦労するものではなかった。
だが、植物攻撃はそれだけに留まらなかった。
巨大な樹木を思わせる根っこが、四方八方から、まるでリドウを突き刺そうとするように襲ってきたのだ。間違いなく、そんな巨木など、視界の範囲内には見当たらないというのに。
「あははははははっ。踊れ、人間めが!」
「ちぃっ」
舌打ちを鳴らしながら巨木の根攻撃を避けるが、レイチェルは同時に魔法攻撃まで重ねてくる。
ただの木の根なら、どんなに大きかろうとリドウの防御力を越えるものではないが、どうやら何かしらの手段により根自体が強化されているらしく、更にとてつもないスピードが加算されている事によって、リドウでもまともに受ける気にはならない攻撃力を誇っていた。
無数の木の根と魔法による同時攻撃。時には身のこなしで躱し、あるいは刀で切り裂くリドウであったが、彼をしてその対処だけで精一杯になってしまう。
魔法を使えれば話は別だったが、残り少ない魔力を迂闊に使用するのは躊躇われたため、何とか魔法を使わずに打開できる作戦はないものかと思考を巡らす。
「不思議に思うか? そうであろうな」
必死の形相で避け続けるリドウに、レイチェルは優越感に浸った表情で話し掛ける。
「我は元々、人間ではない。生物として確立している存在ではあるが、自然の守護者として星が産み落とせし精霊が肉を持ったにすぎん。故に、魔力など伴わずとも、我が『お願い』するだけで、木々は我の願いを聞き届けてくれる」
なるほど、それでか――と、リドウは防戦の一方の中、頭の中で呟く。
魔王とは、本質的には『生物』ではなく、転化した際の己の肉体を唯一無二の依代にした精神生命体である、とリドウは母たちから聞いている。精霊というのがどういった存在なのか、それもリドウの知る言葉ではなく、彼もまだ良く理解していなかったが、レイチェルは性質的に魔王と似たような存在のため、彼女をまるで魔王かのように感じてしまったのだろうとリドウは思う。
しかしながら、木々へお願いするためには契約が必要で、そのための時間稼ぎが先ほどの暴挙だったとレイチェルは言うが、あんな戦略級の魔法で市街地を攻撃する理由にはなってねぇだろ、とリドウは悪態をつく。
だが、レイチェルはリドウの内心に気づく事はなく、朗々と語っている。
「この意味が理解できるか? 人間よ。世界を異にする我であるのに、こうして木々は我の願いを受け入れてくれている。つまり――ルスティニアにおいても森の守護者として、我は世界に歓迎されているのだ!」
故に、正義は我に在り――そう、レイチェルは高らかと言い放つ。
「そう! 世界は我に告げているのだ――貴様ら人間は世界に仇為す害虫であるとな!」
憤怒とも憎悪とも取れるような絶叫が鳴り響いた瞬間、植物攻撃を捌くので手一杯になってしまっているリドウを、巨大な竜巻が襲った。
天まで届く荒れ狂う竜巻。その直径はキロメートル単位に相当するだろう。
幾ら切り裂いても止むことは無い植物攻撃に対処しながら、この巨大竜巻から逃れるのは、リドウでも流石に困難を極めた。
残存魔力を気にしていられる状況ではないと判断し、咄嗟に空間転移で逃れる。
が、リドウが現れた先を正確に見つめながら、手のひらを向けて壮絶に笑っているレイチェルがいた。
「死ぬがいい!」
目を剥くリドウに向かって、特大の魔力砲撃が一直線に伸びる。
「うらぁっ!」
リドウは光線を切り裂こうと刀を振るうが、徐々に押されてしまう。以前、天武リーチェンが言っていたように、特に技巧を凝らしたわけでもない気功士の通常攻撃力は、同等の魔道士のトリプルキャストに相当すると言われる。気功士としてのリドウと魔道士としてのレイチェルには殆ど格差が無く、彼女の使用するクワッド魔力砲が相手では、単純計算でシングルキャスト分、彼女の攻撃が上回るのは至極道理であった。
が、リドウの攻撃力がトリプルキャストに匹敵するからと言って、四引く三で残りは一、という単純計算は成り立たない。突破されてしまえばクワッドキャスト分をほぼそっくりそのまま食らってしまう羽目になる。防御手段が魔力障壁であってもそれは同様だ。
ならば、押し負けない内に再び空間を渡るのが正解――
と思われるが、リドウはその手段を採用しなかった。
背後から迫りくる巨大植物の動きを感じながら、闘気を全て肉体の強化に回す。
「がぁあああああああっ」
苦痛に苛まれながらも、意思を緩めることなく、魔力砲の威力に耐える。
その光景を、レイチェルは驚きを以って眺めざるを得なかった。
レイチェルの魔法に耐え切り、全身から白煙を上げながら地面に膝をつくリドウは、追撃が来ない事を怪訝に思いながらも、好都合と判断して即座に全身を治療する。
「馬鹿な……正気か貴様? 貴様がどんな手段で我の空間転移先を察知していたのかを理解した我に、迂闊に空間転移を使用するのは二の舞になるだけだと、このたった一度で迷うことなく『そんなはずはない』という希望的観測を捨て、木々と魔力砲を同時に食らうくらいなら、魔力砲を無防備に食らう代わりに、魔力砲によって木々を消滅させようと瞬時に決断したのか!?」
「ご丁寧な説明ありがとうよ」
加えて言えば、その方が消費魔力が少なく済むというのもあった。物理攻撃にしろ魔法攻撃にしろ、何らかの方法で見た目以上のダメージを与えるような攻撃である可能性も常にあるため、本来なら綺麗に避ける方が遥かに正解ではあるのだが、一瞬にして色々な状況を考慮して、あっさりと賭けに出てしまったのだ。
リドウは首を左に倒しながら、刀を右肩に担いで、何かに慄いてすらいる様子のレイチェルを見据える。
「なるほど、ランスロットが負けるわけだ。貴様はあの戦闘狂いのランスロットよりも遥かに狂っているな……」
「流石に、狂人扱いされるのは勘弁願いてぇな」
平然と言ってくるリドウに、レイチェルは恐ろしい物を見るような目で、ごくりと喉を鳴らした。
「……貴様のような狂人とこれ以上闘うのは、我としても御免こうむりたくなってきたな」
この手の戦闘マシーンよろしくといった感じの人間は、本気で自分の身など顧みずに、こちらの予想もつかない行動をしてくる。それはありえないだろう、なんてこの手の人間には通用しない。それを彼女は、僅かながらもあった元ランスロット卿たるアレクサンドル・ラヴァリエーレとの付き合いのおかげで多少は知っていた。特にこの男たちは殲滅師であるが故に、『気合いである程度は防御できるし、最悪死にさえしなければ回復できる』という根拠を持ち合わせているため、痛みなんて我慢してしまえばいいと、本気でほざくのだ。
「おい、人間――いや、月紅」
「あん?」
「我と取り引きをせんか?」
リドウは刀でぽんぽんと自分の肩を叩きながら、胡散臭そうに狭まった目で、レイチェルを見やる。
「言うだけ言ってみな」
「ある質問に答えてくれるだけでいい。それで我はこのまま引き返そう」
「見逃してくれ――ってことかい?」
「対等な取り引きだと言っている!」
そこは重要なようで、レイチェルは怒気を隠そうとせずに抗議した。
もっとも、リドウは皮肉っぽく笑うだけで、レイチェルの本音など、どうでも良さそうな雰囲気だったが。
「なるほど、で? 言うだけ言ってみな」
「狂嵐の行方について、知っているだけ話せ」
「知らねぇな」
レイチェルは探るような視線で数瞬の間、リドウを見つめていたが、
「ならば、いい」
今までの常に敵愾心が露わな態度とは打って変わって、素直に納得を示した。
「取り引きってなら、俺からも質問させてもらおうか」
「なぜ?」
レイチェルは本気で意味が分かっていない様子で応じる。
「あ?」
「我は大人しく引き下がってやる対価として情報を望んだ。言い換えれば、見逃してやると言っているのだ」
「馬鹿か、あんた? それのどこが対等な取り引きだ」
「我の方が強者である以上、貴様には選択権など無い」
「せめて謝罪はしていってもらおうか」
「我が何を謝罪しなければならないのだ? 貴様を今一歩で殺すところだった事か?」
ぷっちーん!
リドウは顔の隅から隅までに“満面の笑み”を灯して、二度三度と頷いている。が、その雰囲気は些か……そう、こうとしか表現のしようがあるまい、すなわち――ヤバい。
「……てめぇ程、俺を怒らせるのが上手かった人間は、未だかつて覚えがねぇぜ」
「我は人間ではないと何度言ったら」
「そんなこたどうだっていい」
「ならば、我の何が貴様の気に障ったというのだ?」
「本気で理解できてねぇみてぇだな、てめぇ」
段々と表情から笑みが消え去っていくリドウ。その身が纏う雰囲気は壮絶で、己に対して怒りを抱く時と何ら変わらない危険な空気を醸し出している。
「もういい。てめぇと論じても時間の無駄だ。元々、敵方のてめぇをみすみす見逃す気は無かったが……それを除いても、この世界の人間にとって、てめぇは明らかに迷惑すぎる」
頭からこの世界の人間を害虫と決めこみ、己の目的のためならば無辜の民を犠牲にする事に一片の躊躇すら抱かない。野生の魔物たちならば絶対にやらない事も、妙に知恵と意思を持つからこそできてしまうこの女は、リドウ的価値観においては――有罪――だった。
「ふん。ならば最初からそう言え」
レイチェルは馬鹿にしたように鼻を鳴らし、両手を腰溜めに構える。
「貴様の相手が面倒になっただけであって、我の有利は揺るがぬ。せっかく見逃してやろうと言うのに、馬鹿な人間だ」
「今の内に好きなだけほざいときな……」
リドウはギラッと物騒に瞳を光らせた。
「俺を本気で怒らせた代償はでけぇぞ、パーシヴァル!」
「卿を付けろと何度言ったら理解できる、愚かな人間め!」
互いの怒声が鳴り響くと同時に、死闘が再開された。
リドウの立つ地面が爆発する。
彼は一気にレイチェルへ肉薄しようとしたが、木々が彼女を守ろうと壁のように重なり合う。
瞬間、リドウの肉体が燃え上がった。
文字通りに燃え上がったのではなく、彼の周囲でとぐろを巻くように現れた炎の巨竜のせいで、レイチェルからは一瞬そう見えてしまったのだ。
炎竜に触れた木々たちは一瞬で消し炭と化し、形を失って崩れ落ちていく。
それを目にしたレイチェルは目を剥いた。
(この人間、親和属性は火炎なのか? ちっ、我とは相性が悪いな)
所詮は樹木である以上、どんなに強化されていようが、火を弱点とする真理は覆せない。キャスティング程度の威力なら弾き返せる自信がレイチェルにはあったが、岩すら溶かすリドウの炎の前には、流石に抗い得なかったようだ。
親和属性ならば、術式展開速度、消費魔力、威力、それら全てが他の魔法よりも優遇される。レイチェルにとってはある意味、最悪の相性の持ち主がリドウであった。
後手に回ってしまったレイチェルは、迫りくるリドウを感じ取って、取り敢えず今回は空間転移で逃れてしまおうと決める。
(この人間はなぜか残存魔力キャパシティが少ない。故に今まではできるだけ温存していた。ならば、とにかく魔法を使わせ、さっさと魔力を枯渇させる。そうすれば我の方が手数で圧倒的に勝る。そのためには空中戦が一番だ)
一瞬で思考を巡らせ、遥か上空に転移する。
レイチェルを追って、リドウもすぐさま上空に現れた。
同時に風の刃に加え、要所要所で光の魔法がリドウを襲うが、その全てを彼は冷静に捌き切った。
そして、遂にリドウの刀はレイチェルを襲う。
が、レイチェルも冷静な思考を失う事はなく、圧縮したダブル魔力障壁でリドウの刃を受けた。
しかし――
その刃が、己の生み出した不可視の障壁へずりゅっと食い込むのをレイチェルは感じ取り、驚愕に目を見開く。
牽制のために用意しておいたシングル魔力砲をレイチェルは咄嗟に放つが、リドウは己の身を顧みずに突き進み――
結果、魔力砲の効果で多少はリドウを押し留める事に成功したが、レイチェルの左腕は半ば切り裂かれてしまい、盛大な血を噴出しながら、だらんと力を失い、垂れ下がってしまっている。
「くぁああっ!?」
すかさず追い打ちを掛けようとするリドウであったが、レイチェルは痛みに我を忘れる事だけはなく、瞬時に地面へと空間を渡ってしまう。
こういう部分だけは、敬意を抱くに値する闘争心の持ち主なのだがな、とリドウは思いながらも、追撃の手を緩める事は無い。
やはり、少しでも魔力を温存したいのは今でも変わらないため、空間を渡るのではなく、風で作った天井を足場にして、地面に向けて思い切り跳ぶ。
重力の威力を加算しての墜落攻撃、その威力は凄まじく、レイチェルの現れた場所を中心として、轟音と共に、まるで隕石の落下を思わせる巨大なクレーターを生み出してしまう。
リドウは更に、着地した反動を利用して横手に跳躍する。
土煙に紛れて現れるリドウを、空間転移で墜落攻撃からも逃れていたレイチェルが、依然として出血を続ける左腕を右手で押さえ、憎しみに滾った表情でリドウを睨んでいる。
「死ねぇっ、人間が!」
レイチェルは全力、威力にしてトリプルキャストの魔力砲を連発してリドウの接近を牽制する。片手は動かず、もう片方の手も塞がっているため、まるでお腹から光線が飛び出しているように見える。手から放つ方が『概念的に簡単』なため、本来ならフェイント等のために用いられる手法だ。
更に木々の攻撃も合わせる事でリドウの魔力消費を同時に誘いながら、残りの魔法で己の腕を治療する。しかし、殆ど千切れる寸前の重症では、いくら自分自身の肉体といえども、シングルキャストでは容易な完治が叶わず、段々と距離を縮めてくる彼の姿に、次第に焦りを覚え始める。
(出血が止まらん……)
精霊が肉体を得た存在とは言え、肉体によって生存している以上、出血量が一定値を越えてしまえば危険なのは、ハイエルフも変わらないらしい。
(とは言え、これ以上に手を緩めれば一瞬で詰められるのは確実……)
どうするかと思考を巡らすレイチェルは、しかし、
(だが、そうだ)
唐突に最高の手段を思いつき、にたっと笑みそうになる内心を押し隠し、
(己の甘さを呪うがいい、人間め)
一時的に腕の治療を諦め、流れ出る血液に構わず、“ダブル魔力砲を同時に”連発する。今のリドウを前に完全なクワッドキャストを用意している猶予は無いため、ダブルに威力を落とした魔力砲を一発撃つ間にもう一発用意する事で連射力を上げたのだ。
それすらリドウは避け切ってしまうが、“それはレイチェルの予想通り”だった。
魔法攻撃を増やした事で、木々の負担が減った。同時に、木々に対しては炎竜のおかげでほぼ無敵に近いリドウを、魔力砲によって、己の思う“位置”まで誘導していく。
(ここだ!)
そして、レイチェルが想定した場所までリドウが来た時、徐々に数を増やしていた木々たちが、一斉にリドウへ襲い掛かる。
同時に魔法攻撃を止め、怪我の無い右手を頭上に掲げる。
数を増し、質量も増した木々の攻撃は、リドウにとっても対処の時間を一瞬要してしまう。その僅か一瞬の隙が、レイチェルにとっては狙いだった。
「街ごと吹き飛べっ、人間ッ‼」
リドウをこの位置まで誘導した目的がそれだった。避ければ城下町が吹き飛ぶが、防げば少なくとも魔力は枯渇してしまうぞ。さあ、貴様ならばどうする? という。
――しかしレイチェルも、まさかここまでの全てが“リドウの想定範囲内”だったとは思いもしなかったであろう。
今まさに手を振り下ろそうとするレイチェルの目の前に、左足を前にして半身に構え、刀を右肩の辺りで水平にして両手に持つリドウの姿が、突然現れた。
目を丸くするレイチェルに向かい、リドウの右足の動きに合わせて、刀が突き出される。
ずぶり、と己の腹部を貫く感触に、レイチェルは……なぜか薄っすらと笑う。それも、今まで時折見せていた、常にどこか見下したような嫌味っぽい笑みではない。
「聞かせろ、“月紅”」
「何だい?」
「なぜ、最初は手を抜いていた?」
「別に手を抜いてたわけじゃねぇよ。あんたは全力疾走してる最中に、ちょうど半分の力で殴れって言われて、正確にそれを実現できるかい?」
二人が何を論じているのかと言えば、最初は圧縮魔力障壁で弾けたリドウの攻撃が、さっきは一息で切り裂かれてしまった意味だ。そこには何らかの論理があるはずであり、彼が自惚れから最初は手を抜いていたのではないのかと、レイチェルは問うていた。
しかしリドウの言った通り、ただでさえ全力で動き回っている人間が絶妙な加減をした力を振るえるものではなく、気功士が全力で動き回っているなら尚更である。そんなのはいくらこの男でも不可能だった。故に、捕縛優先の最初の内は、加減が利くギリギリの動きしかしていなかったのだ。それを手加減と言いはするだろうが、手を抜いていると言うには“少し違う”、少なくとも彼の感覚においては。むしろ全力で攻撃する方が遥かに楽だ。ある意味、『本気で手加減している』と述べるのが最も正しいだろう。
「なるほど。最初は我を生かして捕えるつもりだったが、途中からは殺すつもり」
「生きてたら幸運、くらいのつもりだったな」
何が何でも殺すつもりはなく、捕縛するつもりも“まだ有った”が、死んでしまっても一切構いはしないというつもりではあったと、リドウはレイチェルの言葉を遮って語った。
「最後の地上戦に入ってからは、あんたが最終的に街を盾か何かにするだろうとは予想していた。あんたがどうやって時間を稼ぐかは状況次第だったが、ダブルの空間転移とクワッドハーフの魔力砲の勝負だった分、あらかじめ予想していた俺の方が一瞬早かったな」
そして、魔力砲に全神経を注いでいた上に、一瞬だが「これで勝った!」と思い込んしまったレイチェルには、咄嗟にキャストスイッチで魔力障壁を展開したり、空間転移で逃げたりできるだけの余裕が、リドウ程の使い手を前にしては流石に無かったのだ。
「ふっ。道理で、やけにあっさりと誘導しきれ……た、わけ……」
ゆっくりと目を瞑り、リドウの体に寄り掛かるようにして倒れるレイチェルを、彼は彼女の体から刀を引き抜きながら受け止める。
気を失っているのが演技ではないのを確認し、リドウはレイチェルの体を地面に横たえる。
未だに千切れかかっている左腕や、真っ赤に濡れた腹部。絶世の美貌が見るも無残な有り様だったが、そこはリドウにとって『大した事』ではない。殺し合っていたのだ、それ以外の事なんて彼の知った話ではない。
「さて……残りの魔力でこいつを治療し切れるかね」
小さく呟きながら、まずレイチェルの腹部に手を当てる。死んでしまったのなら仕方なかったが、こうしてまだ生きている以上、答えてもらわなければならない事柄があるため、取り敢えず助ける事にしたらしい。
ルスティニアに生きる人類のためには今の内に死んでもらった方がいい気もするのだが、結界牢獄にでも監禁して、少しこの世界の人類について『オハナシ』でもしてみるかと思わなくもないリドウもいる。……いや、監禁っつってもお子様お断りな意味ではないけれども、念のため。
勇者ユーキの時と同じだ。結果的に人的被害は出なかったのだから、必要以上に裁く必要も無い。これから先、更生するか、闘う道から退くか、いずれにせよ他人を無暗に巻き込む事さえ無くなればいい。今はまだ、取り返しがつくのだから。
もっとも、レイチェルの場合、彼女自身の世界での事や、この世界に招かれて以降の今までにやらかしている可能性は十分に考えられるが、不確定の犯罪まで想像して裁けるほど、リドウは絶対正義の人ではないし、これも勇者ユーキの時と同じく、尋問(乃至は拷問)してまで、自分に無関係な場所で相手が起こした“かもしれない”なんて不確定な罪をわざわざ暴く事も、リドウの趣味ではない。
人間を好きになれとは言わないが、最低でも無暗に害するのだけは止め、また、所属を裏切って自分たちの味方をしろとまでも言わないが、戦争が終わるまでの間だけでも、二度とロンダイク聖教と関わらず、大人しくしてくれると確約してくれるなら、それでいい。嘘を見抜けなかったら危険だが、こちらには人間嘘発見器の聖帝シルヴィアが居るし……
もしかしたら、“そんな必要すら無い”かもしれない、とリドウは薄っすらと思う。
こういう時、『自分への被害』であれば、本人が被害届を出さなければ罪にはならないように、全て『無かった事』にできてしまうのが、このリドウという男であった。その根本には「被害なんぞ受ける程、俺は弱かねぇ」という思想があるからこそという、まさに強者の論理による賜物である。物理的な意味だけでなく、詐欺に始まる策略までを含めたあらゆる意味で、だ。まさしくプライドの極み。
まあ、レイチェルが宗旨替えをする意思を見せないようであれば、極めて無念だが、もう殺すしかないだろうと、リドウは同時に考えてもいるのだが。
リドウはレイチェルへの治療を続けながら、空いている手で煙管を取り出し、随分と久しぶりな気がする煙の味を楽しみながら、少し疲れた様子でふぅっと大きく煙を吐き出す。
「しかしある意味、ラヴァリエーレの時よりも疲れたな……」
魔道士寄りなせいで、魔法無しだと全戦力の半分も発揮できないのは確かに事実だが、それでも“この程度”の相手に苦戦してしまった自分自身が少し許せずに、ちょっと愚痴っぽくなってしまうリドウである。
(……ラヴァリエーレがこいつの名を挙げなかったわけだぜ)
レイチェルは普通に強い。しかも樹木を強化して操る事ができ、それだけでダブルキャスト分くらいの戦力を発揮するというのに、あの元最強勇者が彼女の名前を挙げなかった理由が、リドウには何となく理解できた。
もしかしたら、樹木操作は彼女にとっても隠し札で、あの男は知らなかったというケースも考えられたが、それ以上に――人間を常にどこかで侮っているレイチェルの思考は非常に読み易い――からだろうとリドウは推測する。
ランスロットやガウェインにであれば、ある程度は彼女も配慮する姿勢が無いわけではないようにも見えたが、それでも彼女は常に己自身を彼らと対等とは思っていないようでもあった。その証拠に、リドウが元同僚に勝利したのを確かな事実と認めながらも、彼女は常にリドウを格下として見做していた。
そういう敵は扱うのが比較的容易い。樹木操作とて、魔法の一部だと考えてしまえば、厄介と言う程のものではなかった。魔力が万全の状態で、人質の城下町も無く、制限無く自由に闘える状況だったら、もっとあっさり勝てたと、リドウは自信を持って言える。常に市街地を背に負わないよう気を遣わなければならなかったのが、実は苦戦した一番の要因でもあったのだ。だからこそ、レイチェルはそれに気づいたと同時に、無防備という危険を冒してまで市街地を攻撃しようとしたのだから。
しかし、それでも……決して弱くはなかった。と言うか、強かった。
「トリスタンと……カインってのがガウェインなのは間違いなさそうだな……」
それが自分の兄の本名なのかと心の中で呟きながら。
「その二人は少なくともこいつよりは厄介って事か」
更に、何人が存在しているのかも知れないが、破壊神の眷属も丸々残っている。
「先が思いやられるねぇ……」
深々と煙を吐き出しながら、しかしその唇は言葉面を裏切って、微かに笑っているリドウ。所詮はバトルジャンキーである。
この時、リドウの残存魔力がとうとうを底を尽きかけてしまうのを、彼自身は感覚で理解する。
しかし、治療の方はようやく腹部の傷が塞がっただけ。しかも完治とは程遠く、最低限の生命活動に支障は無い程度に臓器を修復し、出血を止めただけであった。
千切れかけた左腕の方は未だに出血を続けており、残りの魔力だけでは、せめて出血を止めるだけですら不可能だと判断する。
「……抗魔力高すぎだろ、こいつ。どうすっかね」
リドウは呆れた様子で呟きながら、どうしたものかと思考を巡らす。宮廷にまで運べば魔道士もそれなりに居るはずだし、彼ら全員の力を合わせれば今の自分よりも遥かにマシだろうと思うが、そんな余裕が生憎と見当たらない。全力で運んでしまったら、彼女の体に負担が多すぎて、結局は死ぬだろう。
いっそ完全に切り落として傷口を焼いてしまおうかとも思うが、ショック死されても面白くない。それに、レイチェル自身、千切れかけな腕の治療に手間取っていたように、失った手足の再生など本当に神業の領域だし、更に傷口を焼いてしまっては余計に困難になるのは必至だ。リドウにも、自分の肉体ならばできなくはないし、彼女の技量ならばやってのけるだろうが、わざわざ治療を困難にする方法を取る事もあるまい。“他にも方法はある”のだから。
最終的に、リドウは数瞬悩んだ末に、レイチェルの絹糸のような金髪を手ですくい上げた。
が、別に女タラシ的な意味ではなく、彼女の髪を指先で何度か擽るように弄ったと思うと、その内の何本かをぶちっと引き抜いた。仮にも女性に対して何してんだコラ、と怒られそうな話だったが、これも治療のために必要な措置だった。
摘み取った髪の両端を両手で持ち、軽く引っ張って何かを確認していたリドウは、おもむろに側に落ちていた拳大の石を拾い上げると、自身は立ち上がり、刀を抜き放って高速で振るう。
綺麗に削り取られた石は瞬く間に一本の針と化し、リドウは腰の酒ツボから酒を一口含み、ぶっと一息に針へ吹きかける。その後、針の糸を通す部分に、レイチェルから採取した頭髪を纏めて通した。
その針を右手に持ち、左手ではレイチェルの左腕を自身の太ももの上に置いて支えながら、慎重に彼女の体に針を通していく。この糸のためには、自分の髪の毛では短すぎたため、彼女の髪の毛を糸として使えそうか確認して、できそうだと判断するや否や、迷う事なく頂戴したのだ。
千切れた腕を縫い付けてから、魔法で止血だけを施す。この時点で魔力がほぼ枯渇してしまった。今なら竜華葬送を一発も撃てば完全に魔力が空っぽになるだろう。それですら最下級の魔法使いと比べれば大きな魔力なのだから、どれだけこの男が魔道士として恵まれているか知れる話だ。
リドウは最後に、元から真っ白なレイチェルの顔色が、血色が失せてしまい余計に青白くなっているのを見て、既に出血が危険域を通り越しているのかと判断し、懐から常備している丸薬を取り出すと、それを彼女の口に指で無理やり含ませる。
(身体的な構造は基本的に人間と殆ど変わらねぇようだし、大丈夫だろ……)
ちょっと慎重に考えながら、更に残り僅かの魔力で水を生成し、それは自分の口に含んでしまう。
そして、何の躊躇も無く、レイチェルの唇の己の唇を重ね合わせた。先ほどの丸薬は造血作用のある薬物で、魔力が尽きて回復できないケースの時に、最悪血液だけでも補充するために常備していたのだ。所詮は気休め程度の効果でしかなく、また大して資金の掛かる代物でもないのだが、魔力が回復するまで少しでも保たせられる可能性が上がるのならば、リドウにとっては割と重要アイテムだったりする。もっとも、使用するような事態を招かないのが最良であるし……純粋な人間ではないらしいレイチェルに効果があるかも判らなかったが。
ごくり、と彼女の喉が動いたのを確認したリドウは、一仕事を終えたとばかりに大きく息を吐き出すと、無表情で改めて煙管を口に銜える。
「……生きてたら幸運、かね、これでも」
これでも、レイチェルが生き残れるかは五分五分だろうとリドウは思うが、尋問できなくなってしまうのは残念だし……これだけの使い手が死んでしまう事もちょっと残念に思ってしまうところが、実にバトルジャンキーの度し難さだが、結局は死んだら運が悪かったと諦めるしかないのだ。元々は殺されても一切文句を言える立場ではないのだから、彼女は。
まだ灰と化す前の煙管の火種を地面に落とし、足で踏みつけて消しながら、リドウはレイチェルの首と膝の裏に手を通して抱き上げる。
まごうことなきお姫様抱っこだ。美貌ではレイチェルにも決して劣らない黒髪黒目の絶世の美女がこの光景を目にしていたら、全身から吹き荒れる瘴気だけで草花を絶やしていたかもしれない。いや、それ以前に、先ほどの人命救助の口付けからして大爆発していた事であろうが。
レイチェルの重さなんて微塵も感じさせない悠然とした足取りで、夜の闇の中を歩くリドウ。互いの死闘が作り出した廃墟よろしくな光景や、彼女の満身創痍な血塗れの姿を敢えて無視し、遠目に一瞬見てみるだけならば、これはこれで実に絵になる光景でなくもなかった。




