第六十一話 方針変更
リドウとアレクサンドルの闘いに決着がつく、その少しだけ前、イーサンの屋敷の方でもちょっとした動きがあった。
その頃、ガルフの娘にしてこの一家、延いてはこの国全てにおける実質的な支配者、いわゆる裏ボス的な、いとも美しき女傑であるレイアは、執務室で黙々とお仕事に精を出していた。
闘いに出て行った己が父やリドウを案ずる気持ちもなくはない。だが、彼らを案じて祈っていれば無事に帰ってくると考えるには、彼女は少しばかり、為政者として現実主義者の面が強すぎた。
……実は、彼女が秘かに最も心配している事柄は、父が暴走して三つ巴の泥沼な殺し合いにでもなってはいないか、という部分の方だったりするのだが。
もう夜もとっぷりとふけており、一般家庭の人間ならばとっくに就寝していておかしくない時間帯なのだが、彼女の仕事はまだまだ尽きない。お肌に悪いなと思いながらも、この仕事自体は彼女も本心から好きでやっているので、特に文句はない。
レイアは書類にサインをすると、ちょっと休憩しようかしらと、手を止めて呼び鈴を鳴らす。
呼び出された男は即座にドアをノックしてから入室してきた。ガルフの屋敷で勤める者たちの中では比較的若く、レイアよりも幾つか下、ちょうど二十歳くらいに見える。
例によって強面の彼に向かって、レイアは、
「休憩します、お茶の用意を」
と簡潔に告げる。
「うっす、ちょっとお待ち下さい」
男は威勢良く返答すると、部屋を出て行った。
これからお茶を淹れてくるのは彼自身の仕事だ。ごっついマフィアの男が華奢な美女に向かって丁寧に頭を下げ、しかもティーポットからカップに向けてお茶を落とす。よくよく考えてみると、なかなかシュールな光景である。
まあ世の中には、茶やコーヒーをこよなく愛し、自ら趣味としているヤクザやマフィアもどこかにはいらっしゃるだろうが……彼が特別に茶やコーヒーを愛しているわけでは決してない。
なのに、それを当然のような顔で命じるのが、このレイアという女性であった。
ちなみに、この屋敷には使用人の類は存在しない。忘れてはならないが、この国に現在住まう殆どの人間は、男性も女性も、脛に傷の一つや二つは持つはみ出し者ばかりなのだ。使用人に向いた気質の人間などそうそう存在しないのである。
レイアも、必要ならばそれなりの危険手当的な高給でスカウトしてくるかもしれないが、彼女は特に必要性を感じていないらしい。
部屋の中に戻ったレイアは、お茶の用意ができるまでの間、ただぼーっと待つ無駄を嫌い、少しでも仕事を片付けておくかと考えて、再び書類と向かい合う。
しばらくすると、ドアをノックする音が聞こえてくる。
入室してきた男がお茶の用意を整えてから退室するのに合わせて労いの言葉をかける。
「ご苦労様でした。今日はもう結構ですから、あなたはもうお休みなさい」
「お疲れ様っした!」
勢いよく頭を下げた男が部屋を辞していくのを見届けたレイアは、途中だった書類だけ片付けてから、ふぅと大きく息を吐き、全身の力を抜いて椅子にもたれてティーカップを手にとる。
窓から見える夜空に目を這わせながら、リドウたちはまだ戦っているのだろうかと思いを馳せるが、自分が考えてどうなることでもないかと、視線を部屋の中に戻す。
と、見事に女っ気の欠片もない無骨な部屋に苦笑する。
レイアの生家は大商人のお家柄だった。そこで生まれ育った彼女は、『女は嫁にいって家の役に立つもの』という生家の人間の考えから、特別に教育を受けた覚えはなかった。女としての教育ならば徹底的に叩き込まれたが、商売や政治に関することは全く。
特に、美しく生まれ育った彼女ならば、貴族の愛人、上手くいけば正妻すらありえるかと、非常に期待されていた。
しかし、基が優秀だったのだろう。門前の小僧習わぬ経を読むとばかりに、彼女は商売のいろはを自然と学んでいた。
そして他人が働いているところを見るたびに、「自分ならこうするのに」と思わされることが何度もあった。
働きたいと言っても、何かの案を進言しても、女の言うことだと一考もされずに退けられる日々が続き、とうとう彼女を疎ましがった生家の人間は、とっとと結婚させてしまおうと、彼ら曰く『良縁』を持ち込んできた。
相手の男と実際に会ってみれば、これがもうどうしようもないボンクラだった。
あの時、反射的に生家を飛び出し、実父のところまで逃げてきたことは、本当に正解だったと何度も思う。色々と困ったところのある人ではあるが、相手が男であっても女であっても、たとえ己の子供であっても、他人を道具扱いしたりすることは絶対になく、他人の意思を尊重してくれる人であり、己の才覚だけで生きている尊敬できる人でもある。
最初は父の才覚に寄り掛かって始めたこの仕事であった。何せ当時は十五、六の小娘。数え切れない苦労と辛酸の日々でもあった。
しかし、おかげで自分は様々な人間に出会うことができた。ボンクラ貴族の夫人として生きていたのでは到底味わえなかった楽しみだろう。
それもこれも、父が烈震であり、ガルフという人間だったからだ。レイアは何だかんだ言って、己の父には多大な感謝をしているのである。
そんなこと、死に際以外には絶対に言ってあげませんけどねと内心で思って微笑していると、ドアをノックする音が聞こえてきた。
「夜分遅くに申し訳ございません、姐さん」
「お入りなさい」
「失礼します」
入ってきたのは先ほどお茶の用意を命じた男ではなかった。レイアよりも幾分年嵩の男だが、それでも彼女の呼び名は『姐さん』なのだ。この屋敷内における彼女の権威が実に良く窺える。
「もう時間も時間なので、明日で済む用向きなら、控えてもらいたいのですが」
「それが、例の目撃者が現れました」
「そうですか」
レイアは答えながら軽く首を傾げる。
仕事が一つ片付いたのは嬉しい話なのだが、男の顔色は何かに戸惑っている様子なのだ。
「どうかしましたか?」
「その目撃者なのですが……おそらく、かなり高位の魔道士と思われます」
「…………」
それはまた奇怪な話だなと、レイアは傾げていた首を逆に倒す。
一般的に『高位』と呼ぶ対象は最低でもハイクラスというのが暗黙の常識だ。魔道士に限定してしまえば、その等級以上の使い手など、勇者まで含めても世界全体で五百人も居るかという話だ。
そんな人物が何だって一年以上前からこの街で大人しく暮らしていたと言うのだ?
別にありえないとは言えないだろうが、意味が分からない。
「……アグリアという勇者ではないのですね? 辛うじて生きているという話でしたが……」
クリスの報告から想定されるアグリアの実力から考えれば、意識を取り戻しさえすれば、多少の時間は必要とするだろうが、致命傷でも治療は可能だろうとレイアは推測する。リドウ一行へのちょっかい以外にも何やら良からぬことを考えていたようだし、まだ諦めてないとすれば……。
「クリスさんの報告とは似ても似つかない容姿の方です」
「お待ち頂いているのですね?」
「はい」
「そうですか。とりあえずお会いしてみましょう」
「お願いします」
ティーカップを置いて立ち上がるレイアだったが、ドアへ向かう途中に小声で零す。
「しかし……こうも高位能力者が売るほど現れるとは、本当に希少な存在なのか疑わしく思えてきますね。ありがたみが薄れますよ」
「全くですな」
男は隙の無い物腰で廊下を歩いているが、その横のレイアの歩き姿も、よくよく考えてみると、重心のブレが一切ない。
しかし、彼女が何らかの武術を極めているわけではない。マフィアの裏ボスとして護身程度には修めているもの確かだったが、それは武術的な意味での隙の無さではなく……例えてみれば、一流のショーモデルがステージを歩く姿にもよく似ている。美しい歩き方という点で、少なからず共通する部分があるということだろう。
こればかりは、昔に生家でほどこされた教育の賜物で、こうした貴族的な仕草ができるおかげで、交渉相手から侮られたりし難かったりして、生家の人間に感謝した方がいいのかなと思わないでもないレイアである。
しばらくして応接間に辿り着く。
はてさてどんな相手なのやらと中に入る。
椅子に座って待っていた人物が、それに合わせて立ち上がり、レイアの方を向いて軽く頭を下げた。
レイアはまず、その人物が女性であることに軽く驚いた。この国に全くの堅気の女性などそうそう存在しないからだ。
魔道士、つまりはおそらく冒険者だろう。冒険者も見ようによってはあまり堅気とはいえない商売だろうが、それでも一般的にマイナス方向のイメージはあまりない。
更に、その女性が非常に美しい容姿をしていることが、二重にレイアを驚かせる――よく今まで大した騒ぎも起こさずに潜伏していたものだな、と。
この街で小悪党の暗躍など断じて許すつもりはないが、それでも勘違いしたチンピラが妙な騒ぎを起こすのは日常茶飯事だ。高位の魔道士ならば無事でいられたのは納得できる話だが、騒動の一つもこさえなかったというのはいっそ不可思議だった。
この女性、ちょっと実際の年齢は不詳気味だが、おそらくは二十代でレイアと同年代だろう。肉感的な肢体に褐色の肌をしており、セミロングの黒髪がよく映える。胸元が大きく開いた衣装を着ており、むせっかえるような色気が醸し出されている。一言で言ってしまえばエロい。
何よりも目を惹くのは……ぴくりとも動かない表情だろう。そのせいか、まるで人形を思わせる作り物めいた美しさを他者に印象付ける女だ。ぱっと見の印象はお色気たっぷりなのに、そのせいなのだろう、清廉な趣が感じられもする。酷くアンバランスなようにレイアは思ってしまい、その感想が殊更にこの女性が人工物であるかのような、微かな違和感を抱かせる。
しかし、堅気の女性が一大マフィアの本拠地に単身で乗り込んできて、こうまで堂々とした態度をとれるのだから大したものだなとレイアは思う。高位の魔道士ということで、己の力を過信している風ではない。それだけの度胸がつくだけの人生も歩んできているのだろうとレイアは判断する。
「お初にお目に掛かります。ラスティアラとお呼び下さい」
見知らぬ女は率先して頭を下げてきた。ぴしっとした佇まいの見事な礼で、冒険者らしくないなと、いい意味でレイアは感心させられる。
「ご丁寧にありがとうございます。ガルフ一家の実務担当でレイアと申します。よしなに」
こちらも負けずに見事な礼を披露すると、お座り下さいと手で促す。
ラスティアラが座るのに合わせてレイアも対面の椅子に腰を下ろす。
「それで、我々が欲している情報をお持ちと伺いましたが、相違ありませんか?」
「おそらくは。異世界より召喚された、地球の若者たちをお探しということでよろしいですね?」
レイアは軽く目を見張った。探し人たちの特徴は明記して情報を流しているが、異世界人という部分まで広めてはいない。それを知るという事実は……ほぼ間違いないだろう。
真剣な顔で首肯するレイアに、ラスティアラは無表情ながらも頷き返す。
「彼らは私の方で保護しております」
「保護?」
「ええ。この世界で暮らすにはいささか常識と能力が不足しているお子様たちですので」
「ああ……」
レイアは曖昧な様子で苦笑する。頭に思い浮かぶ相手は恵子だった。彼女もこの世界にかなり順応している様子だったが、この世界で何の伝もなく独りで生きていけるような能力の持ち主ではない。いわんや、来訪したばかりで右も左も判らないという状況では話にならないだろう。小悪党の体のいいカモにされるのが落ちだ。
「もしお時間に余裕がお有りなようでしたら、よろしければ当家にしばらくご滞在下さいませんか?」
「なぜです?」
「その情報を欲しているのは我々ではなく、依頼者の方なのです。できればその方に直接あなたのお口からお聞かせ願いたいのです。あなたが保護されている方々の許までご一緒されるような場合は二度手間になってしまうと思われますし」
「その依頼者というのはリドウという名の若者に相違ありませんね? 私の勘違いでなければ月紅という者は彼だと思われますが」
レイアは反射的に目を鋭くしてしまうが、ラスティアラは何も感じてない様子で続けている。
「元々、その者に会うためにここまで来たのです」
「……と仰られますと?」
「そう慎重にならずともよろしいですよ。特に他意はありません、言葉通りの意味です」
やはりぴくりとも動かない表情で、かつ抑揚の少ない声で。
「もうこの国の探索は一通り終了して、お隣のカーライスを回っていたところ、彼の噂を聞きつけ、一言ご挨拶をと思って追いかけてきたのです」
レイアは顔に浮かぶ表情を警戒から疑問へ変える。
「……お知り合いなのですか?」
「極めて親しい間柄と思って頂いて構いません」
「左様ですか」
深くは突っ込まないことにしたレイアであった。ただ、リドウの名が売れ始める以前からの知り合いなのだろうという一事だけはまず確かであったが。ラスティアラにとってリドウは『リドウ』であり、月紅ではないのだろう。
「しかし、彼はどこかへお出かけなのですか?」
てっきりすぐに会えると思って期待していたらしい。
「実は――」
レイアはリドウがアレクサンドル・ラヴァリエーレという最強の勇者と戦いに行ってしまったという話をする。
「例のラウンドナイツという者たちの筆頭ですか……」
首を傾げるラスティアラの表情は相変わらずちっとも動かない。これでは心配しているのかも、レイアには判断がつかなかった。
「ご心配ですか? よろしければ、彼らの向かった先をお教え致しますが」
「いえ、まあ大丈夫でしょう」
「本当によろしいのですか?」
大人しく帰ってくるのを待つと言うラスティアラに、レイアは思わず確認してしまった。
しかし、返事の代わりに返ってきたのは、無言でじーっと見つめてくる眼差しで、レイアは少なからぬ居心地の悪さを感じる。若い頃だったら思わず動揺を表に出してしまったかもしれないなと内心で思う。
たっぷりと二十秒ほどもそうしていたラスティアラであったが、おもむろに口を開く。
「……彼が只人に敗北するなどありえません」
「信じていらっしゃるのですね」
「信じる? 違いますよ」
その時初めて、ラスティアラの表情が微かに動く。本当にほんの僅かなものであったが、口元が優しげに緩んだのだ。
「単純な事実です」
それから数刻後、無事な姿のリドウたちが屋敷に戻ってきたことで、その言葉が本当に事実であったと証明された。
屋敷へ戻って来たリドウたちである。
既に真夜中であったが、夜衛役の門番が数名立っており、親分並びにリドウらを迎える。
「お帰りなさいませ!」
「おう、ご苦労さん」
ガルフが陽気に手を挙げて彼らを労う。
その彼らは、じーっとリドウを見つめていた。
「リドウ殿が勝ったのですか?」
「ああ」
肩をすくめるだけのリドウに代わって、ガルフが言葉でも答える。
男たちの間から感嘆のため息やら声やらが零れ出た。
「それはおめでとうございます。それと、例の情報の持ち主が見つかりまして、今当家に滞在して頂いております」
今度はリドウ側の面々から喜びの声がそれぞれに上がる。
が、泰然と立っているのはリドウくらいで、女性陣は少なからぬ疲労を隠せない様子だった。実は既に闘気を使い果たす寸前の千鶴に比べると、ベアトリクスはまだマシな様子だが、過剰な集中力の行使で憔悴気味なのは明らか。常人の恵子は普通におねむである。
むしろリドウの方は、闘いが終わった直後こそ、見た目は平然を装っていたにしても、恵子や千鶴に言わせれば、一見するだけで疲れているのが判るほどであったのに、魔法で飛んでいる内に回復してきたようで、今では本当に元気だった。気力の充実した楽しい闘争が味わえたおかげもあるのかもしれない。
結局、レイアや情報の持ち主もとっくに就寝してしまったという話なので、話は翌日に持ち越しとなった。
して翌日……。
朝の諸々を片付けて、話を聞こうと応接間へ向かう。
そこにはガルフ、レイア、そして情報の持ち主であるラスティアラが先に待機していた。
そのラスティアラの姿を目にした途端に、大きな動揺を露にする人物が居た。
「お、お前、サティーか!?」
突然大声を上げたリドウに皆の視線が集中する。
その中、ラスティアラは冷然とした態度でリドウの目の前まで歩んだと思うと……
「お久しゅうございます、若様」
なんと、豊かな胸に右手を添えるようにして華麗に跪いた。
若様ー!? という驚きの声がそれぞれに上がるが、その中で一人だけ、ちょっと事情が違う者も居た。
恵子である。彼女も驚いていたには驚いていたが、それは『リドウを若様と呼ぶ人物』が登場した一事に対してであり、『リドウが若様と呼ばれた』ことに対してではなかった。
「ちょっとこっちに来い!」
リドウは慌てた様子でラスティアラの手を引っ張って無理やり立ち上がらせると、部屋の隅まで連れて行く。
壁に叩き付けるようにされてしまったラスティアラであったが、特に痛痒は感じていない平然とした顔でリドウを見上げており、彼は壁に片手をついて彼女と向かい合う。彼女の口元を皆から隠すためであったが、見ようによっては男が女を口説いているようにも見えなくもない。実際にそう思ったらしい千鶴が若干むっとしている。
「……遮音結界まで張るとは念の入ったことだな。よほど我々には聞かれたくないらしい」
「結界?」
「一般的に結界と呼ばれる技術は複数あるが、その中では比較的簡単な方だと言われている。空気の振動を一定範囲内から漏らさないことで、内緒話を確実にする技術だ」
これでは盗み聞きできないなと、ちらっと本音を零すベアトリクスに、千鶴は呆れ顔を隠さない。
「ところで若様とはどういう意味だ? ラヴァリエーレ殿の言葉が真実ならば、あの男が生まれ付きのルスティニア貴族ではないのは確かだが……」
「さあ?」
千鶴はすっ呆ける。実際、魔神関係なのだろうと当たりはつくが、正確なところまで知らないのは真実であった。
さて、壁まで避難したリドウとラスティアラである。
「おい、何でお前がここに居る?」
「若様は相変わらず強引でいらっしゃる。もっとも、私は多少強引に迫られるくらいの方が好みですが」
「茶化すんじゃねぇよ」
「姫様のお言い付けで」
「外界で姫様はよせ。妙に勘ぐられたくはねぇだろ」
ラスティアラは黙って首肯した。
「あの御方の言い付けで、我々『眷属』のおよそ半数は、麻木嬢のご友人方の探索のため、世界中に散っているのです」
「あの女……」
そんなこと一言も聞いてないぞと、リドウは盛大に顔をしかめる。
「サリスもか?」
「侍女長まで城をお出になられるわけには参りませんでしょう。我々が上げる情報を一括して纏められていらっしゃいます」
「そうか……。ところで、このタイミングでお前が出てきたってことは、ここに飛ばされたらしい連中は」
「私が確保致しました。城の方に送りましたので、何もなければ現在は城に滞在中かと」
リドウは大きなため息を吐いた。この僅かの間に色々と疲れてしまったせいだ。
「事情は把握した。これからあいつらに一部ぼかして伝えるが……」
何かを言いよどみ、軽く首を横に振った。
「いや、もう手遅れか。いいか? 若様はいいにしても、『姫様』だけはくれぐれもよせよ」
「畏まりました」
「本当に頼むぜ」
神妙な顔……殆ど動かない表情は常に神妙なものに見えるが、とにかく頷いたラスティアラを見て、リドウも一つ頷き返すと、結界を解いて一同の方まで戻る。
落ち着いて話をしようと着席を促すと、皆が席に着いたのを見届けたリドウとラスティアラも座ろうとするが、対面で四名用の椅子では、恵子、千鶴、ベアトリクスが座っていると、あと二人まで座れない。
そこで二人はガルフ側に座ることにするのだが、それが自分たちよりもラスティアラを優先する行動に思えた少女たちが、何となくむっとするものを感じてしまう。
別に、リドウにそんな思惑はなく、特に深く考えていないからこその行動だったのだが。
何やら機嫌を損ねているらしい少女たちの状態にリドウは気づいたが、まさかそんな下らないことが原因だとは流石に思いつかず、何だと一瞬首を傾げるも、別にいいかと捨て置いて、話を切り出す。
「ここに飛ばされた連中だが、どうも、俺の実家の方で保護してるらしいな――」
と、かいつまんで事情を説明する。
リドウの実家の真実を知る千鶴が顔を難しげに染める。例の大魔王様は、もたらされる情報のどこをどう考えても、凄まじいまでの善人だが、流石にちょっと心配な様子だった。
一方で、本人を直接知る恵子にしてみれば、「あんな暮らし易い場所で暢気にしていられるなんて、何て羨ましい!」と不満顔であった。もっとも、彼ら彼女らの無事を喜ぶ気持ちの方が強かったが、無事だと判れば他の感情が優先されてしまうのだ。
「あたしがこんな苦労してる意味ってあんの?」
ぽつりと零してしまう。
それをきっちりと聞きとがめたラスティアラの無感情な視線が向けられてしまい、恵子は思わずうろたえる。
「麻木嬢。我が主に直接まみえたあなたならば理解できるでしょう。あの御方は自らを助けようとしない怠惰を好しとはしません。あの御方が初めて接触した日本人はあなたです。あなたご自身こそが、あの御方にとっての日本人に対するイメージの全ての基礎なのです。他の方々が怠惰であろうと、あなたが努力しているからこそ、あの御方は助力しようというご気分にもなられるのですよ」
「仰ることは分かるんですけど……」
恵子には恵子の言い分があるようで、気持ち沈んだ様子で。
「かんっぺきな足手纏いでしかないあたしじゃ、言葉通りにリドウの足を引っ張ってばっかですし……」
日頃何度となく思わされてしまう事柄が、言葉にしたことでより強くなってしまったのか、その目は微かに潤んでいる。特に今回、それ自体に大した意味は無かったとはいえ、人質として誘拐されてしまったせいで、今の彼女は「自分ってやっぱ足手纏いなんだ」という気持ちが非常に強く浮かんでいたのもあった。
「恋人のこともおありになられるのでは? 我々の方でも、まだ発見したという報告はありません」
「芳樹のことは今でも心配ですけど……」
旅に出た当初は何年経っても必ず見つけるつもりだった。しかし、実際に一年以上もの時間をかけても見つからない現状で、うら若き彼女がモチベーションを維持するのは難しかった。
それに、このまま何年も見つからず、数年してからようやく再会しても、その時彼の隣に他の女性が我が物顔で立っていたら……
口汚く罵りたくはない。そんな人間になりたくはない。けど……
(あたし絶対、物凄い責めちゃうよ……ッ)
その確信があった。なぜならば、麻木恵子という少女にとって、恋という感情は決して色褪せてはならない特別な想いだったから。“そうでなくてはならない”のだから。
そうなるくらいなら、いっそ見つからない方がいいのではないか? 彼女は最近、そう思い始めてきていた。
それに、千鶴はとっくに帰る気は無いようだが、よくよく考えてみれば、恵子にも何が何でも日本へ帰らなくてはならない事情など特に無いのだ。不便な世界だとは思うが、慣れてしまえばどうということはない。
同級生たちの身は今でも心配だ。探してあげなくちゃとは強く思う。しかし、自分が探すまでもなく、こうして魔神リリステラが動いてくれているのだ。行動することにこそ意義があるのかもしれないが……今の彼女には……。
ついにぽろっと一筋の涙が頬を伝う。
リドウや千鶴はそんな彼女を難しげな顔で見つめていた。
「……一度帰ろう」
そして、リドウの口からおもむろにそんな言葉が発せられる。
「え?」
涙を拭いた恵子が意外なものを見る目でリドウを見つめる。
「シャイリーとの約束もあるし、俺の刀も折れちまったから、新しいのを用意しなくちゃならんし……その辺の鈍らでも、気功士の俺にとっちゃ実際あんま変わらねぇんだが、その僅かな差で負けたとあっちゃ目も当てられねぇしな」
言葉にはしなかったが、他にも『神』とやらの存在をリリステラに問い質さなければならなかったし、恵子にも休憩が必要なようだと思ったのもあった。
「なら、私はここまでかな」
リドウの言葉に呼応するように言い出したのはベアトリクスだ。
「えっ?」
「そう嬉しそうな顔をしてくれるな、一条。流石に少しばかり傷つくぞ。もっとも、そのブレなさ加減はいかにもお前らしいがな」
言葉通りの顔をしている千鶴に、ベアトリクスは思い切り苦笑を浮かべる。
「半年や一年の近い内ということもないだろうが、いずれ大戦が起こるのが確実となった以上、各国と対策を練らなければならん。私の言葉なら戯言と切り捨てられはせんしな」
と、表情を真剣なものにしてリドウを見つめる。
「できれば、あなたの力も念頭に置かせて頂きたいのだが?」
「悪ぃが、『戦争』に力を貸す気にはならんぜ」
「しかし」
「場合によりけりだ。全く手を貸さねぇとは言わねぇよ」
ベアトリクスは一先ずほっと安堵の息を吐く。
「だが、何がどうなるか、現状じゃ何も見通せねぇ。一応、俺のこた省いて考えておきな」
「了解した」
方針が決まると早く、一同はさっそく旅を再会することとなる。
お隣のカーライス王国まではベアトリクスも一緒だ。ラスティアラはリドウたちと一緒に帰還するよりも任務を優先させるとのことだが、彼女もカーライス王国の探索途中なので、そこまで一緒なのは変わらない。
去り行くリドウ一行に、アリアは街の外まで送ってくると言って、お付の三人衆たちと共について行く。
幹部たちに囲まれてその後姿を見送りながら、ガルフが不意に己の愛娘へ声をかける。
「レイア」
「何ですか?」
「国のことはお前に任せた。貴族たちとは上手くやってくれや」
「は?」
唐突な言葉に、レイアは鳩が豆鉄砲をくらったような顔になってしまう。
「いきなり何を仰るので?」
「鍛え直そうと思ってな。ちょっくら修行の旅に出てくるからよ、俺」
「何を!?」
言うが早いが、宙に浮き始めた父に、殆ど絶叫する。
「んじゃな、たまに戻ってくるからよ」
「お待ちなさい、父さん! ちょっと本当に! え? 本気なんですか!?」
ガルフは着の身着のままで行ってしまう。
レイアや幹部たちは、呆然とそれを見ているしかなかった。
「あ……あのスカポンタンっ、寿命のことはすっかり忘れて……ッ」
呻くように己の父を罵るレイアを、幹部たちは必死で宥めすかすのであった。




