第三十五話 王女様1
「今……あの女は……何と言ったのかしら……?」
麻木恵子と高坂愛奈は極々普通の少女である。愛奈の方は世界的に見て桁違いの魔力を潜在的に秘めているが、それでも精神的には一般人である。
そんな二人にとって、現代女子高生の基準からは色々な意味で外れまくった一条千鶴が発する、言葉になどとてもできたものではない、冷たくも特大の暗黒色を湛えたオーラは、びびってしまうには十二分であった。
友人たちへ向けて放たれた千鶴の言葉であったが、彼女はその答えが返ってこないのに疑問は持たず、続けて平然と言い放つ。
「これは私へ喧嘩を売っているのだと解釈すべきだわね……?」
ごぅっと全身から闘気の本流が溢れ出す。
「ま、マジギレ!?」
「千鶴さん! バトルジャンキー的な理由ならともかく、痴情の縺れで刃傷沙汰は止めましょう!」
「お、落ち着こう。いったん落ち着こうよ、千鶴ちゃん」
いつもニコニコ笑顔で、外見不相応に内面は豪胆なシャイリーすらもが、冷や汗まじりに千鶴を制止している。
その様子、特に膨大な闘気の発現に、銀髪紅眼の女が気付いた。
彼女は千鶴の実力にまず感心したようで、ほうと感嘆の吐息を零したが、更に千鶴の人間離れした美しさに少し息を呑んだ。そして首を傾げると、やおら納得顔で頷いてみせる。
「ふむ。彼女はあなたの恋人か?」
「いんや、俺の女ってわけじゃねぇよ」
リドウは苦笑しながら煙管を一吸いする。
「ただ、俺のことが好きらしいんだな、これが」
煙を吐き出しながら、肩をすくめてのこの言葉に、銀髪の女は再び感嘆の吐息を零した。
「あれほどの女の心を射止めるとは……ますます私の夫に相応しいと言うべきだな」
「…………」
笑いもしない真顔で満足そうに得心している様子に、リドウが眉をひそめながら煙管の灰を落として踏み消す。
「俺にはあんたからそう言われる覚えは無ぇ。ましてや“こんなマネ”までして俺を探そうたぁ……何が目的だ?」
この台詞に、銀髪の女は心底不思議そうに目を瞬かせる。
「目的? あなたを私の夫として契りを結ぶのが目的だと、私は先ほどから言っているのだが?」
リドウは目を鋭くする。嘘じゃなさそうだと彼は判断したが、だからと言って頭から信じる気にはならなかった。
銀髪の女はそれを『機嫌を悪くした』と解釈したらしい。
「ファルにあなたの名を騙らせた件を怒っているなら素直に謝罪しよう。あなたは目立つから、噂を辿って行けばいずれ辿り着けるとは思ったんだが、そちらからも探してもらえたら手間が省けると思ってな。もっとも、先刻からの様子を見るに、今日あなたに出逢えたのは偶然でしかないようだが」
「そうでもねぇさ。決闘騒ぎがなきゃ、ここまで来ちゃいねぇよ。しかし、どうしてそこまでして俺と結婚しようとなんざ考えてんだ?」
「私はあなたのファンなんだ」
堂々と言い切る銀髪の女に、リドウは「あ」と口を開けながら眉間に皺を寄せる。
「ファンだ?」
「うむ」
これまた、誰に恥じることも無いとばかりに肯定する。
「以前から月紅の噂はかねがね耳にしていた。特に極悪非道と名高い賊徒どもを、通りすがるたびに片付けて行く凄腕だと聞いて、最近の冒険者にはなかなか感心な男も居るものだと思ったものだが……決定的なのはやはりブランカ帝国でのリントブルム殺しだな。他にも討伐メンバーは居たらしいが、実際は殆ど独力で片付けたという話ではないか」
「信じてんのか? 酒の席での戯け話としてならともかく、普通なら大法螺を吹いたもんだと思うだろうに」
「確かに、半信半疑ではあった」
銀髪の女が笑う。千鶴や剣姫と似たような系統の女にありがちな、内心があまり表情に出ない性質らしく、唇が微かに苦笑気味に歪められているだけだったが。
「しかし、本人を視て納得した。あなたならば不思議ではない。それで、噂が真実だった時は私の夫になってもらおうと」
「冗談ではないわ」
リドウの横に立った千鶴が、凄まじいオーラを纏ったままで銀髪の女を睨み付ける。
千鶴はまるで、リドウを銀髪の女から庇うようにして、彼の前で手を横に上げている。
「この男は私のモノよ。あなたなんてお呼びじゃないの。他を当たりなさい」
「おい」
「リドウは黙ってて」
人を自分の所有物みたいに言うなとか、それ以前に恋人に成った覚えすら無いぞと抗議しようとしたリドウであったが、千鶴の鋭い眼差しを喰らい、苦笑しながら煙管を銜えた。
「お前と月紅殿は恋愛関係にないと伺ったが?」
「今はまだ、よ。素直じゃないのよ、この男は。少なくとも、“出遭った”ばかりのあなたよりも、私の方を憎からず想ってくれているのは確かだわ」
「随分と自信家のようだな、お前は」
「あなたも綺麗な女だとは認めて差し上げるけれど、私があなたに女として負けるとは思わないわね。戦士としても、一歩譲るにしても、遥かに及ばないとは思えないわ」
「私も、お前の言い分は認めて差し上げよう。女としての魅力だけでお前と張り合おうとは私には思えないし、闘う相手としては、そちらの月紅殿よりは遥かに私に近い実力者として楽しめそうな相手だとも思う。不本意でもあり残念なことだが、月紅殿では実力が違い過ぎて楽しめなそうだ」
言いながら、意味深に唇を歪める。
「もっとも、私個人としてはそれでも極めて楽しめるのだが……」
二人の会話を呆然と聞いている野次馬たちの中で、恵子や愛奈が「ああ……こいつもバトルジャンキーか……」と乾いた笑いを浮かべていたりしたが、全くの余談である。
「素直で結構なことね。そのまま素直に、この男のことは諦めなさい」
「断る。それとこれとは話が別だ」
千鶴は今まで以上に険悪に眼差しを鋭くするが、銀髪の女は全く意に介さない。
「それとも、その男は女を容姿だけで選ぶような男なのかな?」
千鶴が大きな舌打ちを鳴らした。そうこられては、はいそうですとは言えないし、確かにリドウはそんな男ではなかった。
「いや。俺は普通に男として美人が好きなんだがね」
リドウがおどけたように言うのだが、女性陣は全く聞いている様子もなく、彼はつまらなそうにすっぱーとやっている。
反論の言葉を考え出そうと頭を回す千鶴であったが、思いつく前に更なる口撃が重ねられてしまう。
「そもそもだ。出逢ったばかりでなんだが、その男が女の尻に敷かれて唯々諾々と品行方正に生きて行くようなタマか?」
ぐっと詰まってしまう千鶴であった。彼女だって正しくそう思っているのであるからして。
その横でリドウがはっきりと苦笑している。
(随分な言われようだな、おい。まあ特に反論しようとも思わねぇが)
どこからどう見ても肉食形な美男子であるリドウ。外見と内面が釣り合わない人間などさして珍しくないが、少なくともこの男に関しては見た目を裏切らない気質の持ち主であるのは違いない。
リドウ絡みで拒否するのは難しいと判断した千鶴は、今度は銀髪の女の方に責める材料を探し出す。
「……ファンだとか何とか言いますけれど、会ったこともない男と番おうだなんて、とんだ尻軽ね」
くすりとせせら笑う。こうして嫌味に笑う姿すら、ついつい見惚れてしまう美しくも麗しい容貌は、恵子や愛奈をして『人間離れしてる』とか『女として反則』とか言わしめるだけはある。
「会ったこともない男との婚姻が常識という世界もあるのだよ、お嬢さん」
しかしそれも、銀髪美女の余裕を突き崩すには弱かったらしい。
「こう見えて、私はいい所のお嬢様というやつでな」
ファルという男が『お嬢様』と呼んでいたことからも、確かにお嬢様ではあるのだろう。もっとも、世間一般がお嬢様という言葉に想像する、摘めば手折れる清楚な花、というのは大分難しいものがあるが。
髪は女の命と言うが、特に貴族女性は長く美しい髪に拘りを見せるものなのに、身動きを阻害したくないという意図なのか、彼女は見事なショートカットだ。しかしながら、それは彼女の魅力を妨げてしまうことはなく、冷たくも見えてしまう彼女の美貌をすっきりと魅せる印象を他者に与えている。
その代わりでもなかろうが、その肢体は千鶴に負けず劣らずのダイナマイトボディである。世間一般に想像されるお嬢様、に似合いなフリフリでフワフワなドレスが似合うタイプではなかろうが、派手で扇情的な印象のドレスであれば彼女にはぴったり似合うだろう。それを着て社交界に立っている彼女を放って置く紳士諸君は、もはや紳士とは言えまい。
「私もいい年なのでね。無理やり結婚させられそうになったのだが、自分が結婚する相手くらい自分で探すと啖呵を切って、お目付け役と――」
と、斜め背後で恭しく控えるファルをちらりと見る。
「期限付きではあるのだが、家出した身だったりするのだ。同性として、好きにもなれない相手と結婚させられそうな私を哀れと思わないか?」
「私の知ったことじゃないわね」
千鶴は冷徹に言い切る。
が、その口調の中に、僅かに苦々しい思いが込められているのに友人たちは気付いた。その思いの出所が、銀髪女の境遇を哀れに思ったのではなく、効果的な反論が思い浮かばないが故の屈辱と、それ故の切り捨ての言葉であったことも。
「あの女の人、凄いですね……」
「うん。千鶴が完全に言い負かされるの、初めて見た気がするわ」
銀髪の女は朗々と語っている。
「私が私の夫たる人物に求める条件は幾つかあるのだが、最たるものは『強い男』であることだ。あまりに品性下劣な暴漢紛いであれば私も躊躇うところだが」
「俺をお上品たぁ間違っても言えねぇと思うがな」
リドウが茶々を入れるも、銀髪の女は唇を歪めた。それが彼女の精一杯の笑顔であるようで、今度の笑いは面白そうな意味合いが含まれていそうだ。
「確かにあなたはあまり口がいいとは言えないだろうが、とても誇り高い人物であるように見受けられる。口先が上品なだけで、血筋以外に誇るものを持たない馬鹿どもとは、比べてしまってはあなたに失礼だろうがな――私としては遥かに好ましい。それに案外、礼節にも造詣が深いようにも見えるな」
「…………」
やはりそうか、とリドウは心の中で呟く。
リドウのことを『最近の冒険者』と彼女が口にした時、既にリドウは彼女をただの冒険者、ましてや一般人ではあるまいと察した。それに、千鶴以上に板についた『お上品な仕草』はその出自が上流階級であることを、リドウにとっては言われるまでもなく如実に語ってくれている。
それだけでなく、彼女が常にとり続ける尊大な態度が問題だった。自分を大きく見せようとした末の演技ではなく、彼女のそれは極めて自然なのだ。人の上に立つことに慣れた人物であるのだろう。更には『血筋以外に誇るものを持たない馬鹿ども』ときた。こうした場合、まず王侯貴族を揶揄した言葉だろう。しかも彼女の言い方からすると、自分も同じ領域に住まう人間でありながらの言葉に聞こえてくる……。
若干二十歳前後の若者。それも女でそのような条件が当て嵌まってしまう。
本人が自分を指して『いい所のお嬢様』と言ったが……ただの『いい所』などではなく、おそらくは『かなりいい所』のお嬢様なのだろう。
元々、リドウの目的のためにはプロポーズを受けるなど論外だったが、余計に受け入れるわけにはいかなくなってきた。
「悪ぃが、求婚しようってのに名も名乗らねぇ相手と結婚する気はねぇよ」
適当な理由でお断りしようとするリドウであったが、銀髪の女は即座に、とても申し訳なさそうな顔になってしまう。
「その件に関しては素直に謝罪しよう。しかし名乗らなかったのは故あってのことなのだ。私はこんな大勢の前でみだりに真名を名乗れなくてな。普段使用している偽名を名乗るのは至極容易なことであったのだが……」
胸に手を当て、真摯な眼差しで言い募る。
「あなたに真名以外の名を告げるのはあまり気が乗らなかったのだ。許してほしい」
なかなか洒落た言い訳であった。こうこられてしまっては、リドウとしてもそれを理由にしてお断りを入れるのも難しい。もっとも、それは『求婚を受け入れないのが難しい』というのではなく、『相手にしないのが難しい』というだけでしかなかったが。
リドウは深く煙管を吸うと、肺の中身を全部吐き出すように、大きく煙を吐き出す。
「なら、とっとと他人の目が無ぇ場所に行くぞ」
野次馬たちは途端に、痴話喧嘩の続きならここでやれと野次を飛ばすが、リドウが眼差し鋭く、ぐるりと見渡すと、それ以上に口を開ける人間は誰も居なくなっていた。
話し合いにリドウたちが選んだの宿屋であった。いつものように、一見さんの平民を受け入れてくれる中では最高級のそこであれば、野次馬根性を旺盛に発揮した野次馬たちでも容易に聞き耳を立てることはできない。お上品な宿屋だけあって静かなもので、これならば妙な気配があればリドウは即座に気付ける。
高級宿屋だけあって、多少のワガママであれば店員も叶えてくれる。本来であれば酒の肴程度の軽食しかルームサービスも行っていないのだが、近くのレストランから用立ててくれた料理が、一同が囲むテーブルの上に所狭しと置かれていた。
自分には無関係だとあっさり割り切ったシャイリーが即座にそれに手をつけだすと、自分も余計に関わりたくない愛奈がそれを見習って食事に集中する。
そうはいかないのがまず千鶴である。それと、何だかんだと自分も気になって仕方ない恵子も居た。
リドウはそんな重苦しい雰囲気の中心に居ても平然と食べながら酒を飲んでいる。この男も、食べてる間だけは煙管は吸わない。もっとも、自分が満腹になってしまうと、周囲を省みずに吸い出してしまう、ちょっとデリカシーに欠けた男ではあったが。
バトルジャンキーだったり、女癖が悪かったり、ヘビースモーカーだったり、たまに常識に疎かったり、案外欠点だらけの男である。
銀髪の女とその従者らしきファルという男はお腹が減ってはいないのか、料理に手をつけることはなく、さっそく話を始める。
「私の名はベアトリクス=ファン・クラウンディという」
「クラウンディだと……?」
リドウが食事の手を止めて、眉をひそめながらベアトリクスを見つめると、彼女は感心した風に吐息を零した。
「ほう。やはり一介の冒険者とは思えんな」
「……有名人なの?」
「というか、有名な家系なのかしら?」
恵子の疑問の声を、千鶴が補足する。
「リリス教六大国を知ってるか?」
「ううん」
「いいえ」
まずそこからか、と呟いたリドウが説明する。
リリス教六大国とは『紀元前』から続く最古の王国を指して言うそうだ。この『紀元』とは【魔神】が人々にキャスティングを授けた時を言う。そこから真の人の歴史が始まった、という意味であり、リリス教国家では基本的に共通して《リリス暦》と呼んで数えている。
ちなみに、魔神を敬うべきその暦をロンダイク聖教国家が好むわけもなく、ロンダイク聖教国家では基本的にその国独自の暦の数え方をする。
およそ五百年前――正確には、今年はリリス暦五百十七年なので、五百十七年前の紀元当時に魔神の恩恵を直接的に授かった国は殆ど全てがリリス教に傾倒したため、紀元前から続く古い国でロンダイク聖教という国は現在では存在しない。
当然だが、数百年前であれば『六大』などということもなく、もっと沢山存在していたが、栄枯盛衰は世の理である。この世の物事は諸行無常なのだ。
「ユクリナス大陸じゃジャルマニカ帝国がその六大国の一つだ。そんで、このアイルゼン大陸には六大国が二つ存在する。その一つにアレスブルグって王制国家があるんだが……クラウンディってのはそこの王族の姓だ」
「アレスブルグなのにアレスブルグじゃないの?」
「王族の姓と国名が違うのは別に珍しくねぇよ。まあアレスブルグに関しては、正確にはクラウンディ朝アレスブルグと言うべきだろうがな」
今一内容が不明瞭な恵子の質問であったが、彼女が何を疑問に思ったのか的確に察したリドウが説明を重ねるも、悲しいことに歴史に疎い彼女はそれでも理解できなかったようで、疑問の浮かんだ顔は解けていない。
「国の名前はそのままで、王族だけが入れ替わるという例があるのよ。言うなれば、初代アレスブルグ王国はアレスブルグ朝アレスブルグなのよ……初代の姓次第では別の言い方になるでしょうけれど」
千鶴の説明でようやく納得した恵子の横で、千鶴自身がなるほどねと呟いている。
「血筋を重んじる連中は大抵『家』に拘るから妙だとは思ったけれど、だから六大王家、ではなく六大国というわけね」
「その通りだ。他の五王家から言わせれば我々が六大国の一員だなどと、片腹痛いだろうな」
どうでも良さそうな口調であった。彼女にとっては本当にどうでもいいのだろう。
「ジャルマニカ帝国やベギンシュタイン王国は別ですが、他の王家など歴史が古いだけで、我が国と比べれば落ち目もいい所ですがね。ま、クラウンディ家も既に十分古いですが」
これまで黙ってベアトリクスに付き従っていたファルが口を開いた。内容は嫌味であったが、顔は完全に苦笑している。悪い男ではなさそうだ。リドウの偽者を騙るために身に着けていた安物のコートは既に取っ払っており、自分の部屋で鎧も脱いで来たらしく身軽な服装だ。
「申し送れたけど、僕はファーゼ=ファン・クロイツェフ。一応伯爵家の者だけど、継承権も有って無いような五男坊だ。何の因果か生まれつき闘気に覚醒してたせいで、姫様のお守り役を強制的にさせられているんだ」
笑顔での自己紹介。
しかしその内容にシャイリーがぴくりと反応し、じっとファーゼを見つめている。
「全く、お前は本当に……私を相手に毒を平気で吐くわ、折角の才能を腐らせるわ……」
困った男だとベアトリクスがため息している。
「欲しくて得てしまった才ではありませんよ。僕は伯爵家の五男として、それなりに裕福で怠惰な生活を送れればそれで十分なんです。血生臭い世界はごめんですよ。姫様にいつまでも付き合っていたら命が幾つあっても足りません。さもなきゃ、あんな恥ずかしいマネ、いくらご命令とはいえ断固拒否していましたよ」
やれやれと手のひらを仰向けにして首を振っている。
「というわけでリドウくん。さっさと姫様と結婚しちゃってくんないかな?」
軽薄なのは見た目に違わないようだが、この時のファーゼはとても真剣だった。それだけ本当に姫様のお守りが嫌なのだろう。
一方では、シャイリーがファーゼの観察を止め、食事を再開していた。
何事も無かったように振舞うシャイリーを訝しく思った愛奈が小声で話しかけている姿も見られる。
「あの人に何かあったんじゃないんですか?」
「うん? ああ……もういーんだ」
「そうですか」
疑問は尽きない愛奈であったが、深く突っ込むのも変に思えて、それ以上の追求はしなかった。
天然気功士嫌いというシャイリーであったが、彼が嫌いなのは『闘う道を選んだくせに闘気に甘えているカス』であり、ファーゼは闘気を持ってはいても闘う意思は持たない。才能があるんだから闘う道を選ぶのが当然だなどとシャイリーに言う気は無く、彼にファーゼを嫌う理由も特に思い浮かばなかったようだ。
「俺が誰だか分かってて俺の前に立ち塞がったんだ。言う割にはきっちり護衛騎士してんじゃねぇか」
「一応面子ってものがあるんでね。姫様が僕より先にお亡くなりになるようなことがあれば、どの道生きてはいられないんだよ」
早い話が損得勘定でリドウの前に立ち塞がったらしい。誇りや矜持とは無縁そうだが、中々面白い男だとリドウは思う。
「しかし……姫様、ねぇ……」
「私の身代を疑っているのであれば、一応これで証明できると思うが」
ベアトリクスが懐からナイフを取り出し、刃の方を持って柄をリドウへ差し出す。
そこには何やら獅子らしき動物の顔の上に剣が十文字に重ねられた文様が刻まれている。
「すまねぇが、家紋の類には疎くってね。それに、別にあんたの身分を疑ってるわけじゃねぇよ。ただ、そんな人間が何だって護衛とは名ばかりの男一人を従者にして冒険者を装って旅した挙句、俺みてぇな無頼の平民に求婚してんのかが疑問なだけだ」
「順番は逆だがな。元々婿探しの旅をしていた所で、その相手をあなたに決めたのだ」
「だから、どうしてだ?」
理由を話せ、と目を鋭くするリドウ。
対してベアトリクスは、落ち着き払ったままである。
「あなたは私の外見をどう思う?」
「そりゃ、美人かってことか? それともその先天性色素欠乏症のことか?」
途端にベアトリクスが目を見開いた。その横でファーゼも似たような顔をしている。
「驚いたな。遺伝学にも造詣があったとは。ますます一介の冒険者とは思えん」
「ルスティニアの医療レベルで遺伝子に関する学問が進んでいるの?」
千鶴が疑問の声を発するが、その言い方をベアトリクスも疑問に思ったようで、眼差し険しく千鶴を見やる。
「お前、もしかして勇者か?」
まさかリドウも勇者なのかと、一気に警戒心を表に出してくる。
「一年近く前に召喚事故でね。リドウは私たちを保護してくれているの」
「ふむ……」
ベアトリクスは日本人少女たちを一瞥する。明らかに同じ生存圏の人間同士に見える。が、一人だけ異質な人物も混じっていた。
「あ、僕は別口だから。生粋のルスティニア人だよ」
「なるほどな。信じよう。しかし、召喚事故か……」
大規模な事故を起こすほどの召喚実験をロンダイク聖教国家がやらかしているとは、何を企んだのかと、新たな警戒心を抱くベアトリクス。
「まあそれは今度にしよう」
が、今それを悩んでも仕方ないし、それよりもお婿さんの方が重要だと思い直したようだ。
「このルスティニアの各国では伝統的に遺伝に関する研究が活発なのだ。気功士や魔道士を人工的に生み出すことはできないか、というのが最大の目的でな。数多くの学者が精を出してきたが、そちらの面では未だ芳しい成果を挙げたという話を耳にしたことはないがな」
「それって……人体実験じゃないの……?」
恵子が心配そうに、しかも嫌悪の篭った眼差しをベアトリクスに向ける。
「人体実験か。そうとも言えるな」
ベアトリクスは平然と肯定してみせた。
恵子は反射的に憤る。
「とは言え、していることと言えば、能力者同士を番わせたりするくらいだ。結果生まれたのがノーマルだったからと言って不当に扱ったりもしていないぞ、少なくとも我々は」
「でも、それじゃ……両親が愛し合って生まれた子供じゃないじゃない! そんなの子供が可哀そうよ!」
「そこは価値観の相違だろうな。我々のような階級の人間にとって、結婚とは元来から愛など二の次なのだよ」
「好きにもなれない男と結婚させられる自分を哀れとか言っていたくせに」
『敵』には容赦しない千鶴が、恋敵に責める材料を見つけてふふんと鼻を鳴らすが、残念ながら通用はしなかったようだ。もっとも、千鶴自身それで悔しがるような素直さとは無縁だったが。
「それは言葉の綾だ」
ベアトリクスは微かに唇を歪める。どうやら苦笑しているらしい。
しかしそれも僅かの間の出来事で、すぐに真顔に戻って、未だ憤りを浮かべている恵子に向き合う。
「この件に関してお前たちからとやかく言われる筋合いは無い。民の生活の安寧のために優秀な能力者の安定供給は不可欠なのだ。今ですら満足とは言い難いというのだからな、昔ならば尚更であったろう。それともお前は、そんな外法に手を染めるくらいなら座して滅びを待てと口にする心算か?」
「それは……」
「結構」
押し黙ってしまう恵子を見て、ベアトリクスは満足げな顔をするのでもなく、ただ淡々と一つ頷くだけであった。
ベアトリクスは、むっつりと黙り込んでしまった恵子からリドウへと視線を戻す。
「あなたには既知のことかもしれないが、人為的な能力者の増産は未だ人類共通の悲願だが、その副産物として明らかになった問題も様々にある。その一つ、近年明らかになった事柄に近親婚の弊害があるのだ」
「近親婚を重ねてきたのか?」
「六大国の中で、我々クラウンディ家だけは少々事情が異なるだろう? そのせいで、伝統的に血の純粋に異常な拘りを発揮してしまってな……」
ふぅ、とどこか疲れたように息を吐く。
「幸い、劣勢遺伝子も優秀な血だったようで、二百年ほどは特に問題は無かった。が、一族以外の遺伝子が全く入ってこなかったわけではない。そのどこかの血が持つ劣性遺伝子がまずかったのだろうな。それが明確に表に出だしたここ数世代は、まともに成人できる人間すら居ない有り様だ。自業自得と言ってしまえばそれまでだが……」
鎮痛な面持ちで目を伏せる。今までで一番表情が動いたのが哀しみの感情とは、それこそ哀れな話だ。
「遺伝学の発達により原因がはっきりする前、私の祖父の世代でなど、呪われているのではという風聞すらあったらしいが、原因が明白になった今では、純血への拘りを捨て王族の維持が優先されるようになった。しかし……」
テーブルの上で組んだ手に額を当てて、顔を落とす。
「父には愛妾も何名か居られるのだが、母が違うとはいえ、いずれの方々がお産みになった兄弟たちも、私は等しく愛おしく思っている。私よりも年下の、幼い時分に身罷られた兄弟たちも居る。辛いのだ、私よりも若い、私が愛おしく思う者たちの死を見届けるのは。ましてやそれが我が子となれば、身を切られるのですら極楽と思えるだろう」
静まり返ってしまう中で、しかしリドウは同情の念を浮かべたりはせず、煙管を取り出して火を点した。
「それで『強い男』になったわけだ」
「そうだ」
「あの……」
愛奈がおずおずと手を挙げた。
皆に一斉に注目されてしまい少し怯んだ様子を見せる愛奈であったが、疑問に対する感情の方が今は勝ったらしい。
「近親婚で体の弱い子が出来てしまうというお話は聞いたことがありますけど、『劣性』遺伝子が『優秀』とか、どーゆー意味ですか?」
「あ、それ僕も気になる」
シャイリーもはいと手を挙げる。
「別に、近親婚だから必ずしも体の弱い人間が生まれるわけじゃねぇよ」
この質問にはリドウが答えるようで、彼は煙管片手に肩をすくめた。
「遺伝子には優勢と劣勢がある。通常、表に出てくるのが優勢遺伝子で、劣勢遺伝子は表に出ず潜伏する。優等か劣等かじゃなく、表に出てくるのが優勢か劣勢かって意味だ。同じ劣勢遺伝子の持ち主同士が子供を作った場合、その劣勢遺伝子が表に出てくる確率が跳ね上がる。その劣性遺伝子が問題の無ぇ内容ならそれこそ問題無ぇんだが……」
後は言わずもがなとばかりに、リドウは言葉にしなかった。
「親兄弟の場合、同じ劣性遺伝子の持ち主である確率が高いってことだ」
「でも、ベアトリクスさんのお父さんは、他の遺伝子の持ち主の人たちをお嫁さんにもらったんですよね?」
「血筋に拘るという習性は何もクラウンディ家に限ったことではないのだよ。結局、伝統と格式の古い国の血族は総じて血が濃すぎるのだ。厄介な劣性遺伝子を潜在的に何も持たない人間の方が少ないらしくてな、あっさりと発現してしまうのだ」
「はぁ……何だか、その……大変ですね……」
「お前は良い娘だな」
愛奈の反応に、ベアトリクスはどことなく柔らかい面持ちで言うと、今度は真剣な面持ちでリドウに向き直った。
「私は第三位の王位継承権を持っている」
「女にしちゃ高いな」
「正妃の娘なのでね。私は王位が欲しいとは全く思わないし、幸いにも兄たちは優秀なので、普通に考えれば私が王位を継ぐ可能性は低い。が、兄たちも例にもれずでな。あなたは先天性色素欠乏症と言ったが、我々は先天性白皮症と呼んでいる。同じ意味だとは思うが、色素欠乏とは言いえて妙だ。正しく私はその患者なのだが、それ以外に特にまずい症状は持っていない。不幸中の幸いとしか言えないが、その症状も闘気が補ってくれている。よって現状、ある意味私が最も王位を継ぐ可能性が高いのだ」
優秀な兄たちの未来を慮っているのか、その表情はどことなく暗いものだった。
「そうでなくても、今のクラウンディ家にとって、より多くの王族の確保は急務とされている。結果的に私が王位を継ぐことはなくとも、私の子には高い王位継承権が与えられるだろう」
「お家騒動の種にしかならんとも思うがねぇ」
「そこら辺の匙加減は微妙なのだがな。王族にとって最大の仕事とは血の存続だ」
「ま、権力者の愛人愛妾ってのは“本来”そういう意味だがね」
本来、の部分をリドウは強調する。
「女の私からしてみれば、男の欲望に建前上の意味を設けただけとも思えるがな」
リドウの的確な突っ込みに苦笑しっぱなしのベアトリクスであった。
「しかし、分からねぇな。どうして俺なんだ? 他に幾らでも候補が居るだろうに」
「私の夫に必要な条件を正確に言おう」
と、ベアトリクスは指を一本挙げる。
「一つ、肉体的に強靭であること。特に気功士である必要は無い。一つ、言い方は非常に悪いと思うが、その血が『雑種』であること。そして最後の一つ、そんな人間であっても誰もが王家の婿に相応しいと認められるだけの利益を国家に供与することができる男であること。こちらは気功士である必要が、特に優秀な気功士である必要が――」
元々ハスキーは声質の持ち主であるベアトリクスが、更に声を重くする。
「――ある。魔道士や頭脳面で国家に利益をもたらせる人間も居るだろうが、強靭な肉体の持ち主という条件を併せて満たせるのは気功士くらいだろうからな」
と、そこでベアトリクスは眉間に皺を寄せてしまう。
「一つ心配なことがあるのだが、あなたはどこかの貴族だったりはしないだろうな?」
「つい最近、同じ質問をされて同じ答えを言った気がするんだが、礼儀作法に関しちゃ確かに多少の教育を受けちゃいるが、貴族じゃねぇよ」
「それを聞いて安心した」
言葉通り、ほっと息を吐いている。
「しかしな、突っ込み所が満載過ぎていっそ突っ込み辛いくらいだぜ。全く係わりの無ぇ血筋の肉体的に強靭な男の子供なら必ず元気に育つと本気で考えてんのか?」
「確かに保証など無かろうが、その方が頑強な子供に生まれてくれる確率は高いだろう?」
「否定する要素は無ぇな」
煙管を持つのとは逆の手を軽く振り被る。
「だが、その男を探すために姫さんが自力で旅をするってのは全く理解できねぇな。国で大々的に募集すりゃ勝手に集まんだろ。その中から選別すりゃいい話じゃねぇか」
この台詞が出ると、ベアトリクスはなぜか目を泳がせながら恥ずかしそうに顔を背けてしまった。
何だと訝しげに眉をひそめるリドウであったが、その理由はベアトリクス自身とは別方向から明らかになるのであった。




