第二十九話 脅迫という名の依頼
半ば崩壊したボレイスの街の一角、その一部であり最大の被害を被った宿屋の前で、リドウは独り夜の闇の中で静かに佇んで煙管を吹かしていた。それが、恵子と愛奈が現場に戻って最初に目にした光景であり、周囲のあり様に呆然としながら、彼女たちはリドウへと躊躇いがちに話しかける。
「ねえ……」
「千鶴とシャイリーなら無事だ、一応な」
問われる前に、リドウは彼女たちが今最も知りたいだろう、二人の状況を口にする。
しかし、最後に付け加えられた一言は、恵子と愛奈の心をかき乱してしまう。
リドウには別に、彼女たちに意地悪をしようという思惑が有るわけでもない。続けて詳しく説明する。
「肉体的には何の問題もねぇ、安心しろ」
「え? じゃあ」
「街中で派手にやらかしちまったからな。現行犯逮捕ってとこだ」
「えーっ!?」
「捕まっちゃったんですか!?」
二人が悪いわけじゃないのにという内心が明らかな、ボレイスの騎士隊に対しての非難の色すら篭った声音であった。
しかしながら、ボレイスの騎士隊から言わせれば当然の判断だろう。詳しい事情が明白になっているわけでもないのに、片方だけは放置するなど有り得ない。
というか、建物が壊れまくっている犯人だけを述べるならば、むしろ主に自陣の二人による仕業なのだが……そこは情状酌量の適用範囲内だろう。法の番人たちもちゃんとそれを理解してくれている。
リドウはそう言って騎士隊へのフォローを二人に告げながら、深く煙を吐き出してゆっくりと瞳を閉じる。
「二人の身柄に関しちゃ安心しろ。最悪の場合でも何とかする」
ブランカ帝国側がユーキたちの所属国との諍いを忌避し、千鶴とシャイリーにだけ不利を押し付けてくる可能性も考えられるが、その時は手段を選ばないで二人を助け出すとリドウは既に心に定めていた。
具体的にどうするかとは告げなかったが、この男は一度口にしたら必ず実現させる。少なくともそのために最大限の努力はする。既にそれを知る少女二人は、ほっと安堵の吐息をつく。
「お二人のこと、よろしくお願いします」
深くお辞儀する愛奈であったが、恵子はなぜかこの時一瞬愕然とし、それが終わった時には悔しそうに唇を噛み締める。
愛奈の言葉に軽く頷いたリドウであったが、恵子の不可解な様子に気付いて訝しげに目を細める。
「どうした、お嬢」
「あたし……あたし……」
唐突に涙をぽろぽろと流し始めた恵子に、リドウも愛奈もぎょっとする。
恵子は涙を拭うそぶりも見せずに、呆気にとられているリドウを見上げる。
「あたし、あんたに頼ってばっかりだ……」
「あん?」
何を今更――
リドウは心の中でそう呟いたが、声に出そうとはしなかった。それをしてしまっては、何か精神的に切羽詰っている恵子を余計に追い詰めてしまうと考えたらしい。
千鶴がこの場に居れば、恵子の状態を的確に察して、何も言わずにリドウから引き離して慰めるなり、何かしら説得しただろう。別に嫉妬心からではなく、恵子のことを心から案じて、だ。
リドウにそれはできなかった。彼には恵子が何を思って泣いているのか、皆目見当もつかなかった。
――結局のところ、リドウという男はどこまで行っても強者でしかないのだ。
彼とて実家に帰れば、むしろどちらかと言えば弱者に分類される。彼にとって比較すべき主な相手が彼の三魔王でしかない分、圧倒的な弱者だ。幼い頃ならばそれはより顕著であった。
しかし、彼は常に強者たる生き方をする存在だけに囲まれて育ち、強者としての生き方だけを学び、そして己自身も強者足り得た。
才能に恵まれ、いかなる事態にも独力で対応できるよう、およそ考え得る限りの教育、訓練を受けてきて、しかもそれを全て完璧に修めてきたリドウは、戦闘者としてだけでなく、人類としてほぼ極限の位置に存在すると言ってしまえる。
恵子は逆に、はっきりと言ってしまえばその対極、弱者の限りでしかない。
リドウは弱者を慮るだけの優しい心も同時に学んではいても、最後の一線でどうしても弱者の気持ちが……弱者が己の『力』の無さを嘆き、葛藤する心が理解できないのだ。
……恵子がリドウに対して抱く罪悪感がとうとう限界に達してしまった。
自分が彼女を保護するのは己に課せられた当然の責務であり、それ以上でも以下でもないと心底思っているリドウには、それが全く理解できなかった。自分自身のように、相手が己に対して誇りを持って生きているような人間であればともかく、少なくとも最初は……恵子が彼の助けを「強いんだから当然よね」と全く思っていなかったかと言えば――それは嘘で――彼はそれを“知っている”のだ。
恵子が傲慢な人間で、それをはっきりと表に出してくるようなら、その時点でリドウは見限っていただろう。しかし、彼女はそこまでワガママさんではなく、自分にできることでなら返そうと考えられる程度には普通に好い子ちゃんであった。
ま、人間なんてそんなもんだろ――と、嫌味ではなく、ごく自然に思っているリドウは、特に何も言うことなかった。
だから破綻せずここまで旅が続いてきたのだが……
恵子もその旅の中で、少しずつ変わってきているのだ。
千鶴のような闘気も、愛奈のような膨大な魔力も持たず、特に何か技能を持つわけでもない恵子がこの世界において独りで生きて行くとしたら、娼婦として身を売るくらいしか方法は無いだろう。
しかし現状はそんなことをせずに済んでいる。
この世界で今まで生きてきて、恵子も以前ならばともかく、女としての尊厳を売って生きている女性を蔑視するような考え、今になっては全く持ち合わせていない。それでも、自分まで同じことをしたいと思えるわけがない。女として、乙女としてあまりにも当たり前すぎるくらいの感情だ。
それもこれも、全てはリドウが居てくれるからでしかない。
今では千鶴が、更には愛奈まで居てくれる。リドウが居なくなったとしても、三人だけで生きて行けるかもしれない。そうなった時は依存対象が千鶴に変わるだけでしかないとも言えるが……
それでも、全ての発端はリドウなのだ。麻木恵子にとって全ての恩恵を授けてくれているのはリドウなのだ。
今でさえ、何か問題が起これば彼が解決してくれる。そう心から信じているからこそ、普段は何の不安も感じずにいられる。
なのに自分は……
「あたし、あんたに何も返せてない。返せない……ッ」
「お嬢。言ったはずだぜ? 別に見返りが欲しくてお前さんらに付き合ってるわけじゃねぇ。お前さんにはこの世界を行き抜くだけの力は無ぇんだ。それを補ってやるのが俺の役目じゃなかったか? お前さんはお前さんの目的を果たすことだけ考えてりゃいい。俺は俺なりのてめぇ自身の目的を果たす」
やはりリドウには恵子が何を思ったのか今一理解できず、自分の論理を通してしまう。
「じゃああんたはっ……」
きっと挑むような眼差しでリドウに向き合う。
「誰かから恩を受けて、何も返せずにいて平気なの!?」
これはリドウにとっても反論のしようがない言葉であった。
やはり出会った頃と比べて、恵子もかなり大きく変化しているのだ。それもリドウや千鶴の影響を大きく受けて、妙に精神的な拘りを持つようになってきている。
そのせいか、最近では『リドウの論理』においては正しく納得に値することを口にするようになってきた。
しかもそれが、リドウの真似をしているだけではなく、真実心の淵から発せられているようなのだ。
リドウにとっては“正しく正しい”話をされてしまっては、彼でも効果的な反論は難しいらしい。
「……いつか返す。それでいいんじゃねぇか?」
「いつかっていつよっ。もう十分経ったわよ! あたしもう十八歳になっちゃうのよ? 来た時は十七歳になったばっかりだったのに、もうちょっとしたら一年なのよ!?」
「おい、何で俺が責められてんだ?」
助けを求めるように愛奈を見るが、彼女は困った顔で首を横に振る。
「癇癪を起こした女の子は、リアルでも二次元でも理不尽なものですからね……私にはどうにも……」
「理不尽すぎんだろ、こんちくしょう」
ちっと舌打ちしながら恵子に視線を戻す。
その時も未だ、彼女は今にもリドウへ噛み付きかねない顔をしている。その瞳から流れ出る涙も止まる様子はない。
リドウはそんな彼女の頬を伝う涙を指で救い上げるようにして拭ってやる。
「ったく、そんな深く考えんでもいいだろうに」
リドウの体温を顔に感じてびくっと身を竦めてしまう乙女に、彼は静かに話しかける。
「お前さんは突然この世界に放り出されたんだ。その時点で十分に不条理な目に遭ってる。しかもそっちの世界じゃまだガキの内だ。ガキはガキらしく大人に甘えておけ」
「三つしか違わないくせに……」
「その三つがデケェんだろうが」
ぶすっと文句を言う恵子であったが、リドウは意に介すことなく柔らかく笑んでみせる。
「俺の存在は精々、悪運が強かったんだくらいに思っておけばいい」
リドウは恵子の肩をぽんぽんと軽く叩きながら、横を通り過ぎようとする。
「どこ行くの?」
「新しい宿を探さにゃならんだろうが」
リドウの言葉に、恵子は改めて自分の泊まっていた宿屋を眺めて、深く嘆息してから彼の後を追い掛ける。
恵子より一歩遅れながらそれに付いて行く愛奈は……なぜか呆れ顔でリドウの背を見つめている。
(あーゆーキザな行為がさらっとできちゃって、しかも絵になっちゃう辺りが女タラシなんですよね……。でもあの人、分かってるんでしょーか?)
と、恵子の斜め後ろから、彼女の火照った頬の色を見ながら難しい顔をする。
(嫌いになんて絶対になれない男の人からあんなことされちゃったら、余計に好きになっちゃうに決まってるじゃないですか。しかも頼れる大人の男アピールとか……分かってるんですかね?)
いざ相手がその気になってしまっても応える気が無いというのに、こうして無意識に余計な好感度を稼いでしまうリドウを、何て残酷な男だろうかと、愛奈は内心であまり快く思えなかった。
(全然分かってなさそーですよねー。女関係強いっぽいくせに、そこら辺案外天然さんです)
うーんと首を捻りながら頬に指を添える。
(ってゆーか、自然なんですかね? あの人の場合。なんかもー、体に染み付いちゃってる行動が勝手に滲み出てしまうって感じ?)
自分の思い付きに納得しているのか、うんうんと頷きながら、しかし今度は再び呆れ顔になる。
(一体全体、どんだけ数こなしてきたんですかね……)
そう考えると、タラシな男にわりかし寛容な愛奈も、女の敵と思わないでもなかった。
(まあ……女関係ニブニブのデリカシーゼロなラブコメ主人公タイプとなんて、よくよく考えてみると絶対にリアルでご一緒したくなんてありませんからね。そーゆー意味じゃ女タラシな分、女性に対する気遣いができる人ですし、そのくせ妙なトコで倫理観が強くて――この世の美女は全てオレ様のモノだぜ――な自意識過剰のナルシーさんでもないので、ある意味この上なく安心な人ではありますか)
しかしここで、今度は顔を顰める。
(リドウさんに比べるとやっぱり、あの勇者さんは……)
が、考える相手はリドウではなかったらしい。
(一般人な私からしてみれば、ちょっと……かなり理解に苦しむリドウさんより、むしろ仰ってることは正しく聞こえるんですけど……。お連れの女性たち、どっちとも肉体関係有るっぽいですし……まあハーレム無問題な世界ですから、男の人なら当然の行動かもしれませんけど……そう簡単に女性側が本心から認めてくれると思ってるんでしょうか?)
ないない、と首を横に振る。
(思ってるんでしょーねー、きっと。しかも既にプチハーレム状態だから尚更……多分、少なくとも千鶴さんはもうヒロイン認定されちゃったんでしょうね。今後も絶対しつこく絡んできそーです。うぅ、ヤダな……)
ひーんと目に涙を浮かべるが、先を行くリドウと恵子は気付いてくれなかった。
愛奈にとって、リドウやシャイリーは困った人間ではあるが、付き合っていて苦になる異性ではないのだ。それはひとえに、二人とも勝手自侭に生きているからだ。
自分の好きなように生きているが、それが他の人間が容易にできる生き方ではないと理解しているからこそ、他者に自分の意見を押し付けようとすることがない。
無論、彼らの中で許せないとされる事柄――リドウであれば『断じて許しがたい行い』や、シャイリーであれば『虫唾が走る行い』を目の前でされてまで、それもその人間の生き方だと考えてしまうようなことはなく、これは他人に自分の意見を押し付けるのとは違うのかと問われれば、確かに違いはしないだろうが……これは話が別だろう。
だがあの勇者は違う。自分の生き方が万人にとって絶対普遍に正しいと本気で信じているのだ。
心の奥底までそれを正しいと思っているのか、それともそういう人間を演じているのか、そこまでは愛奈も見抜けていなかったが……どちらにしろ、彼は愛奈に彼の信じる正義を強要してくるだろう。
下手をすれば、彼の陣営に加わったら加わったで、主人公たる自分のハーレムにも加わるのが当然だと、いつまでも靡かなかったら逆ギレしてくる可能性も高いと愛奈は思っていた。
愛奈自身、邪推のしすぎだろうとは思っているのだが……『枷の外れた男』にまともな倫理観を期待するなと、彼女は千鶴から散々言い聞かされている。勇者としての圧倒的な力と権威を持ち、複数の女性と同時進行で肉体関係を持つことを許されているなど……もはや彼を止める物など何も無いだろう。
その最たる表れが今回の意味不明な大暴挙だと、愛奈は思っている。
(私だってちょっともそう思わなかったといえば嘘なんですから、無理もないとは思いますけど……)
ようやく見つかった宿屋は、普段泊まるのよりも大分ランクが落ちてしまったが、愛奈に贅沢を言うつもりはなかった。
(勇者さんの物語は勇者さんご自身のものです。でも……私たちをご自分の物語の登場人物にするのは止めてほしいです。私たちは生きた人間で、ルスティニアに住む人たちはみんな同じ命を持ってるんですよ……)
粗末なベッドにばたんきゅーと潜り込んだ愛奈は、重いため息を枕に向かって吐き出したが、既に疲れきっていた肉体は、殆ど次の瞬間には意識が落ちていた。
明くる日の昼。リドウは恵子と愛奈を宿屋に置いて、一人で騎士隊の詰所にやって来ていた。
そこでは昨夜も世話になった隊長さんが待ち構えており、彼はリドウの姿を目に留めると、気さくな笑みを浮かべながらリドウへ話しかけてきた。
「良く来てくれた」
「千鶴たちはどうなった?」
「それなんだがな……」
憮然と言葉を濁す隊長さんに、リドウも顔を難しげに歪める。
「とりあえず、私と一緒に来てくれ」
「どこへ?」
「この街の御領主殿の館だ」
これはまた面倒極まりない事態に発展しやがったなとリドウは深くため息し、先に歩き出した隊長さんの横を歩きながら煙管を取り出す。
「先に言っておこうと思う」
「何だ?」
「お前たちに非は無いだろうことは既にはっきりしている。あの宿屋に勇者殿方から押し掛けたのは明々白々であるし、繁華街でお前たちと勇者殿方が揉めた際にも、どちらかと問えばあちら側の方が喧嘩腰だったと証言も取れているからな」
「が、確証が無ぇ以上、何のお咎めも無しってわけにもいかねぇ……か」
リドウが煙と共に吐き出した疲れ切った言葉に、隊長さんは無言で肯いた。
「そこでだ……」
再び言い難そうに言葉を濁す隊長さんを、リドウは視線だけ動かして静かに眺める。
「いや……あとは御領主殿から直に聞いてくれ」
「ああ。世話掛けるな」
「そう言われると心苦しい。お前が御領主殿から聞かされる話は、今回の一件でお前の仲間たちが本来負うべき責めを完全に逸脱している。法を担う者としてあってはならん話だ。しかし、今の我が国に選択の余地が限られているのも残念ながら否めん」
「……そうか」
それきり二人は無言になる。
しかしこの隊長さん、やはり優れた人格者であるのは間違いないらしく、ボレイスの住民たちがすれ違うたびに明るい笑顔で挨拶をしていく。
中には、リドウの容姿に熱を上げた若い娘さんたちが、紹介してくれと隊長さんに気安く接する姿も見られるし、隊長さん自身、それに笑いながら応えている。そのくせ、平民たる彼女たちに対して自分を同格にまで落としての対応ではなく、きっちりと威厳を保っている。誰にでもできることでは中々ない。
そしてリドウは、自身の母がそうであるように、彼自身『心善き人間』は好きだった。
領主の館は、流石に貿易都市の領主の館というべきか、非常に立派な造りだった。
そこに辿り着き、守衛の男にリドウを引き渡すと、自分の役目はここまでだと言って立ち去ろうとする隊長さんの背を目掛けて、リドウは声を投げ掛ける。
「あんま気にすんなよ」
隊長さんは振り返ることはなく、
「心遣い痛み入る」
静かにそう告げると、それ以上は言葉を重ねず、静かにその場を去って行った。
守衛に導かれて館の中へ入ったリドウは、更にその中の一室へと案内された。
そこには既に数名の人間が待ち構えており、千鶴とシャイリーの姿もそこには在った。
二人が座るソファとは逆側には勇者一行も座っている。
ユーキとラクセスはリドウの姿を目にした途端に険悪な色を帯び、対照的にヴィレッタはメチャクチャ気まずそうに視線を逸らした。
そして最後の一人……
「その方がリドウか?」
「ああ」
上座のソファに座る壮年の男。短く刈った茶髪に、髭は綺麗に剃っており、細く引き締まったその全身と意思の強そうな顔はただの一般人とは一線を隔する知性と威厳と迫力を兼ね備え、リドウと向かい合っていささかも位負けしていない。
「ふむ……勇者殿らによれば礼儀を知らん無頼の若造という話であったが……」
顎を撫でながらリドウをじろじろ観察する。
「もしや、何処かの貴族の出ではないか?」
「多少の教育は受けちゃいるが、貴族で在った覚えは無ぇな」
「口の利き方を知らんという部分は聞いた通りだな」
「俺は誰が相手だろうと態度を変えねぇよ。そんなのは不公平だ」
リドウは大股に歩いて部屋の中を横切り、千鶴の隣に腰を下ろすと、足を組んでふんぞり返り、最後に腕を組んだ。しかも領主さんを挑発するように顎を反らして上から目線で見やる体たらく。
流石にこれは隣の千鶴も顔を引き攣らせる。シャイリーの方はクスクスと含み笑いをしていたが。
そして勇者一向の中、ラクセスが憤りを隠さずに領主へと口を開いた。
「ご覧のような男なのです!」
「別に構わん」
「なっ……何ですと!?」
ラクセスは目をまん丸にして、こいつは正気なのかと領主を見ている。
「ブランカ帝国の威信が問われますぞ」
が、領主さんは自分の方こそラクセスを馬鹿にするような目で見やる。
「案ずるには及ばん。この者にはそれだけの資格があるのだろう」
「資格ですと? こんな一介の冒険者風情に?」
むっとしながら言い返すも、領主さんは全く意に介さない。
「そもそもだ。なぜ私が護衛の一人もつけず、そなたらとこうして顔を突き合わせていると思っておるのだ?」
突然の明後日の方向な質問に、ラクセスは盛大な戸惑いを顔に浮かべる。どうやら答えは思い付かないらしく、彼女は口を噤んでしまう。
領主さんはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「そなたらが暴挙に出た場合、非能力者の数人を護衛につけていた程度で、私の末路が変わるわけではないからでしかない」
「僕らはそんなことはしません!」
反射的に憤然と抗議するユーキであったが、領主さんは彼をちらっと見ただけで、特に何を言うこともなかった。
もしかしたら、あれだけのことをやらかしておいて、今更どの口が言うのかと内心では呆れているのかもしれない。それを棚に上げて口に出してしまうユーキには、何を言っても無駄である、と……。
「ロンダイク聖教の諸各国で冒険者がどのように認識されているのか私は知らんが……」
知らないと言うが、言葉通りかは怪しいものだ。ユーキたちを前にしてロンダイク聖教を扱き下ろすような発言を遠慮しただけだろう。
「冒険者の中にはごく希に、国家単位に相当するような馬鹿げた戦力を発揮する実力者も厳然として存在する。勇者殿とまともに勝負が成立するような者たちの統率者ともなれば、それに近い実力者であって何ら不思議ではない」
どうかな? とでも確認するようにリドウを見るが、彼は何も反応を見せなかった。
ふむ、と呟く領主さんの顔は、厳格な中にもどこか面白そうな雰囲気が微かに窺える。
「国とは結局のところ、国の礎を支える国民と、国民の生活の安泰を支えるため、他国の侵略や魔物の脅威から国民を守るための武力が在って成り立つものだ。その最も重要とされる二つの内の一つを、桁違いの実力者は単身で持ち得てしまう場合がある」
「独力で対応できる範囲なんざ知れたもんだ。国が保有する軍事力とは意義が根本的に違う」
唐突に発せられたリドウの言葉に、領主さんは一瞬だけ唇を綻ばせ、しかしすぐに口元を引き締めて元の顔付きに戻ると、その後はリドウの方だけを見て話を続ける。
「しかし、無視できる武力では到底ありえん。ハイエンド級の使い手であれば、己の人生を棒に振る覚悟さえあれば、一国の根幹を揺るがすくらいは十二分にやってのける。私たちが彼らに期待するのは無闇にそれを行使したりせぬ分別と倫理観であり、礼儀など正直どうでもいい。まあ心象にいいとは決して言えんがな」
そうなのだ。今までリドウの態度に関して年上の方々の誰も文句を言わなかったのには、こうした理由が在ったのである。
実力者には年齢如何に問わず敬意を払う。冒険者同士の間では鉄血の掟であり、一般社会においても一種の常識とされているのだ。
しかしこれはユーキたちにとって非常にきっつい皮肉であったろう。何せ暗に「お前たちには分別も倫理観も無いのだな」と言われてしまったようなものだ。案の定、ユーキとラクセスは羞恥と怒りで顔を真っ赤にしているし、ヴィレッタは顔全体を手のひらで押さえて天井を仰いでいる。
「無論、格下に偉ぶるしか能の無い三流ならばこちらとしても断固たる態度で臨むが、異国とはいえ匪賊どもの討滅という、冒険者の大半は忌避する業績で名を挙げ、若くして二つ名を広く知られているような輩であれば特段問題は無い」
そう締め括りながら、リドウを見たままで視線を更に厳しくする。問題は無いと言いながら、何か物言いたいらしい。
「と言うわけだ。私を試すのは止めてもらおう。どのような意図からそうしているのかは知らんが、お前のような若造にそうされていい気分は全くせん」
「あのこっ恥ずかしい二つ名が広まってるのも、損するばかりじゃないらしい」
リドウは楽しげに唇を歪めながら肩を竦めると、それまでの横柄な態度を改めて普通に座り直す。それでも十分に、貴族相手だと思えば礼儀を失した態度ではあったが。
「俺の予想じゃ、どうも俺の仁義に反することを押し付けられそうだったんでな。あんたが他人を利用するしか能の無ぇクズだったら、最悪一暴れするのも辞さねぇつもりだったが……良く分かった」
もっともリドウは、あまりその可能性は無さそうだとは最初から思っていた。先ほどの隊長さんの態度には、領主の判断を苦々しく思ってはいても、責めるような感情は見当たらなかった。あんな人格の持ち主であれば、領主が己の利益のためだけにリドウたちを利用しようとするなら、まず最初に怒気を見せるだろう。
「お眼鏡に適ったようで重畳だ。これ以上この街が破壊されては、下手をすれば我が国が潰れかねん」
「堅気を巻き込むのは俺の趣味じゃねぇ。とっととこの街を出て、一直線に隣まで逃げ出すだけだ」
「お前にはそれができるのだな?」
「そう難しかねぇとは思ってるぜ」
互いにじっと見つめ合う。一人は冗談の欠片も見当たらない顔で、一人は片方の唇を釣り上げながら。
言い知れぬ緊張感で張り詰めた二人の様子に、この場に居る全ての人間が自然と雰囲気に呑まれてしまい、何も口を開くことはできなかった。
皆が二人の醸し出す雰囲気に圧倒されてしまっている中で、やがて不意に、リドウは静かに目を閉じる。
「本題に入ってくれ」
「リントブルムを始末してほしい」
やはりそれか……。
リドウは眉間に皺を寄せる。自然と瞑っている瞼に力が入ってしまい、まるで何かに苦しんでいるようにすら見えなくもない。
「巨峰ホールディックにおいて彼奴が確認されてより既に二月が経った。が、王都にて現在までにかき集められた戦力は、辛うじてハイクラスと呼べる使い手が僅かに三名。ある程度は想定されていたにしても、少なすぎるのだ」
リントブルムを前にして立っていることが許されるだけの戦闘能力の持ち主が二ヶ月で三名……むしろ多い方だと考えることもできなくはないのだ。
「このまま正攻法で集めていてはいつになるか皆目見当もつかん状況だ。事が発覚して以来、行商人の往来も減少し、経済活動の低迷は目に見えて明らか。ホールディック周辺の住民を一時疎開させているが、その保障だけでも国庫が圧迫されておる。王都に待機させている冒険者への補償も馬鹿にならん」
「お金の話ばかりですね」
不機嫌そうに話に割り込んできたのはユーキであった。
「何が言いたい?」
じろっと視線だけをユーキへと動かす。
「まずは国民の安全を最優先に考えるべきでしょう」
「国民の安全ならば既に図られている。ならば次に考えるべきは如何にして被害を小さな範囲で留めるかだ」
「あなたが本当に国民の安全を優先して考え」
「おい」
微かに目を開いたリドウが鋭い眼差しのままに、怒気を感じさせながら領主さんを非難しているユーキを睨み付ける。
「尊い犠牲を厭わねぇてめぇに、為政者として正しい判断に基づいて行動してるこの男を非難する資格なんぞ微塵も無ぇ。ちったぁてめぇの言動を省みてから相手の非をあげつらえ」
ユーキは何かを反論しようにも何も思い付かないのか、ぐっと詰まってしまう。
リドウは相手をやり込めた満足感を浮かべるのではなく、酷く険を帯びた顔つきで舌打ちした。
「理解したなら黙ってろ。話が進まねぇ」
リドウがちらりと領主さんを見ると、彼は無表情のままに一つ頷いた。
「はっきり言っておこう。今この部屋に存在する戦力は一国のそれに比肩し得ると私は思っている」
ぐるりと皆を見渡す。
「これは司法取引だ。リントブルムを始末してくれた暁には、今回の一件は無かったことにする。正当な報酬も出そう。勇者殿らが所属するオルライン帝国への追求もせん」
この領主さんにとって……いや、ブランカ帝国そのものにとって、今回の一件は渡りに船だった。
ユーキが元々リントブルム退治をするつもりだったと、領主さんは既に知っている。しかし勇者がどのような思惑で善行に出たとしても、それではブランカ帝国がオルライン帝国に借りを作ってしまう形になる。その事態を回避しつつ、勇者以外にもリントブルムに対抗可能な戦力を労せずして手中にできたのだ。
打算ばかりだが、為政者としては冷静に徹した判断であろう。
幸いなことに、昨夜の一件で民間人の死傷者はゼロだった。千鶴とシャイリーの賢明な判断があったからでしかないが、あまり苛烈な対処をせずとも済む。
リントブルムに挑めというのは普通ならば「死んで来い」と同義だが、この面子ならば倒せる可能性の方が高いはずなのだ。
ユーキの実力が“勇者としての活動が許される”最低限度だったと仮定しても、彼と互角に渡り合う実力者と、更にその人物曰く、リドウの実力はそれを遥かに超えると領主さんは既に聞いている。ロンダイク聖教国家における勇者保有数は四名から六名と通常されている。つまり、それが一国の宮廷戦略旅団に相当する戦力であり、今この場に居る者たちを合わせた戦力は、一国の宮廷戦略旅団相当と考えるのは至極妥当であった。
「分かった」
リドウが静かに告げる。その顔には何の感情も浮かんでおらず、横でそれを窺う千鶴は、彼の内心の葛藤を思い、沈痛な面持ちになってしまっていた。しかし、彼女としてはリントブルム退治に否は無く、ちょうどいい口実ができたわねと、内心では複雑極まりない思いでもあった。
「ただし、俺らだけで行く」
「足手纏いの心配なら、むしろそちらの方だぞ!」
「揉めたままでわだかまりも解けてねぇ相手との共同戦線を嫌って何が悪い?」
一々リドウへ突っ掛かるユーキであったが、リドウの方はまともに相手をする気は無いらしい。
「残念だが、それは認められんな。戦力の逐次投入など下策でしかない。お前には自信が有るのかもしれんが、流石にそこまで桁違いの実力者であると思い込むわけにはいかん。証明できる根拠も無い以上、何としても協力して当たってもらう。我が国の事情はそこまで予断を許されんのだと理解してくれ」
領主さんの言葉に、強く舌打ちするリドウと、対してユーキは不思議と満足そうに笑っていた。彼の場合は別行動よりも、協力して当たるという方が望ましいらしい。
「本来ならば、王都にて待機中の冒険者たちとも協力して当たってもらうところなのだが」
「要らん」
「必要ありません」
「だろうな。実際、大した戦力には成るまい」
端的に応えるリドウとユーキの言葉に、領主はあっさりと同意した。
「道中の案内に騎士を数名付ける。特に質問が無ければ本日はこれにて解散とする。行動開始は明朝。詳しい予定は今夜、それぞれの宿に使いの者をやるので、その者から聞いてくれ。道中に必要とされる物資は基本こちらで取り揃えるが、それ以外に何か必要な場合、今日中に自分たちで揃えて欲しい」
両者ともに質問は無かったようで、これを最後に本日は解散となる。
ユーキは去り際にも、敵意をふんだんに盛り込んだ目でリドウを睨み付け、ラクセスもそれに習い、ヴィレッタは最後まで気まずそうにリドウを見ていたが、何も言うことはなく二人の後に付いて行った。
そのままリドウたちはしばらくの間、椅子に座ったままで動こうとはしなかった。ユーキたちと下手に鉢合わせないよう、時間を置きたかったらしい。
数分してから無言で立ち上がったリドウに、千鶴とシャイリーも無言のままで付き従う。
そうして部屋を出ようとした瞬間であった。
「一つ、聞かせてほしいのだが」
「ん?」
領主さんの声に立ち止まって振り向く。
「なぜ、リントブルム討伐がお前の仁義に反するのだ?」
リドウはその質問に、ゆっくりとドアの外の方を向き直りながら声だけで答える。
「弱肉強食がこの世の掟……とまで謳うほど非情に成った覚えは無ぇ。だが、ただ自然界の掟に従って生きているだけの命を、見も知りもしねぇ人々のため――なんて漠然とした理由で、何の罪悪感も持たずに刈れるような人間には成りたくねぇんだ。襲われた時、てめぇ自身の身を犠牲にしてまで不殺を志すほどお人好しの善人に成った心算は無ぇが、できるだけ不要に命を散らせずに済ませてぇ……俺が今なお力を求め続ける数ある理由の一つでもある」
「すまん」
「赤の他人の生活を常に考えにゃならんあんたにしてみりゃ、俺の理屈なんぞ、人間味を欠いた異端邪説もいいトコだろうさ。人として健全とは間違っても言えん精神性だって自覚もある。今後も曲げる気は無ぇがな」
領主さんの謝罪の声に篭る真摯な響きは、リドウにとって領主さんを恨む気にはどうしてもさせてくれなかった。
部屋を出ると、後ろから千鶴の声が控え目にリドウの耳に届く。
「ごめんなさい」
「お前さんが悪いわけじゃねぇ。人死にが出ずに済んだのもお前さんらのおかげだろう。お前さんも最善を尽くした」
「そう言ってもらえ」
「ただ……」
ほっと安心したのも束の間であった。小さな、しかし極低音の声に、千鶴はびくりと身を竦ませて立ち尽くす。
「しばらく放って置いてくれ」
「あ……」
足を止めず先に行ってしまうリドウを、千鶴は泣きそうになりながら手を差し出して制止しようとするが、シャイリーに肩を捕まれてしまい、それは叶わなかった。
千鶴が何で止めたのかと責めるような目つきでシャイリーを見ると、彼は静かに首を横に振る。
「あの人は強い。強く在ることを己に誓い、常に己の誓約に従って、曲がることなく真っ直ぐに生きることを美徳と考えるタイプだ。下手に口を挟んでもあの人のプライドを傷付けるだけでしかない。長く引き摺るようなセコイ男じゃないよ。放って置いた方がいい」
「どうして……そうと断言できるのかしら?」
「分かるよ」
ふわりと笑う様は、常時のニッコリした笑顔よりも、ずっと心の奥底から零れ出ているように、千鶴には思えた。
「僕もそうだから」
その笑顔に何を思ったのか、千鶴は嘆息してしまう。
「惚れた男が落ち込んでいるなら、慰めてあげたいと思うのは女の身勝手だと思うかしら?」
「さあ? 僕には女の子特有の理屈なんてこれっぽっちも分かんないし」
「あなたの見た目では、説得力に欠けること甚だしくってよ」
シャイリーの冗談とも本気とも受け取れないセリフに、千鶴は苦笑できるくらいには元気を取り戻せたらしい。
「しかし……」
シャイリーは歩みを再開しながらニィと笑う。
「面白くなってきたね」
「私はちっとも面白くないわ」
「伝説級の魔物と闘える機会なんて、これを逃したら次はいつになることか分かんないよ?」
その言葉には、千鶴は闘ってみたくないのかという疑問を湛えた響きが含まれていた。
「私はあなたほど無謀にはなれないわね」
「僕と千鶴ちゃん。あと愛奈ちゃんにも手を貸してもらえば、多分リドウさん無しでも倒しきれると思うんだけどな」
「あの子に生き物を殺させるようなマネはさせたくないわ」
「何で?」
「あの子の心はまだ耐え切れないでしょう。繰り返していけば、いずれ平然と命を刈ってしまう人間に堕ちかねない。あの優しさが失われるようなこと、私は願い下げだわ。きっとリドウも同じ考えよ」
「そう言われると……」
首を傾げながら確かにと呟く。
「うん。そーゆうことなら僕も協力するよ。“あの二人”の持つ優しさはとても貴重だ」
笑顔で申し出るシャイリーに、千鶴も優しい笑みを浮かべた。
「やっぱりあなた、ちょっとリドウに似てるわね」
「褒め言葉と受け取っておくよ」
「純粋な褒め言葉よ」
優しい人間が優しいままでいられますように……。
それが一条千鶴の望みの一つでもあるようだ。




