第二十三話 流儀
リドウ一味にプラスことのシャイリーは同じ船に乗って、ブランカ帝国を目指す。
既に乗員は一杯で、当初シャイリーが乗り込める余地は無かったのだが……
目に一杯の涙を浮かべてシナを作る金髪シニョンな美少女に、マッチョな船員たちの心が泣き落とされてしまったらしい。
シャイリーは自分も男のくせに「男って馬鹿ばっかだからさ」と言うだけはあって、自分の美少女っぷりを利用するのに躊躇いは一切無いらしい。実にイイ性格をしている。
それを見た少女たちは一様に呆れ返っていたが、リドウは心底可笑しそうに声を押し殺して笑っていた。
さて。そうしてルスティニア初の船出を迎えた一同であるが……
「うっぷ……」
愛奈がさっそく船酔いしていた。せっかく巨乳美少女へと変貌を遂げられたというのに、手すりにもたれて海へ向かって胃の内容物を吐き出している姿は、ちょっと異性には見せられない。
「大丈夫?」
恵子が心配そうに愛奈の背中を撫でている。彼女は船酔いとは無縁らしい。
「無理しないで、船室で寝ていた方がいいのではないかしら?」
「いえ……外の空気に当たってた方がまだマシな気がしますから……」
こちらも船酔いした気配は全く無い千鶴を、愛奈は少し羨ましそうにしながら見る。
「それに、もう全部吐いちゃったみたいで……楽になってきました」
「船酔いの何が怖いって、そうやって何も摂取しないでいて、脱水症状を起こすのが一番怖いのよ。水分だけはちゃんととっておきなさい」
「はーい……」
愛奈は力なく応えると、船べりを背もたれにして座り込み、目の前の光景を胡乱に眺める。
「……って、まだ“あのまま”で動いてないんですか?」
「そ」
恵子が愛奈の疑問に短く答える。
彼女たちが見つめる先では、両手をだらんと下げて立つリドウと、両手を開いて前に突き出すようにし、深く腰を落としているシャイリーが、互いに数メートル離れた位置で睨み合っていた。
とはいえ、リドウは唇を釣り上げていたし、シャイリーはいつものニコニコ笑顔のままではあったが……互いの瞳は全く遊び心を映しておらず、まさしく睨み合いであった。いわゆる『目は笑ってない』状態である。
船員に許可を貰って、さっそく稽古を始めたのだ。
しかしこの二人、観戦に回った愛奈が船酔いに耐え切れなくなる前から、お互いの立ち位置から一歩も動いていなかった。
「千鶴、解説よろしく」
愛奈と同じく甲板に座り込んだ恵子が、状況の理解をさっくり諦め、千鶴の肩を軽く叩いた。
「あなたね……私を便利辞典か何かと勘違いしていらっしゃらない?」
「えへ♪」
一瞬冷たい目で恵子を見据える千鶴であったが、舌をぺろっと出して誤魔化す恵子に、どういう感想を抱いたのか、一つ息を吐いて苦笑いを浮かべた。
「まあいいわ。私も完全に把握できるわけではないけれど――横綱のリドウに対して、シャイリーが攻めあぐねているのでしょうね」
リドウの態度を横綱相撲、と千鶴は言う。遮二無二攻めるのではなく、どっしり構え、相手がどんな風に攻めてこようと、全てを受けて立つという気概の表れだ。
「おそらく、シャイリーにはリドウの制空圏が、リドウの周りに実在するかのように見えていることでしょう」
「せーくーけん?」
「剣術の世界では一足一刀の間合い、とも言うわ。要するに、本人が即座に対処可能な範囲の空間のことよ。一定以上の技量の持ち主であれば、対峙しただけで相手の制空圏を把握できてしまうものよ」
千鶴は木製の水筒の蓋を開けて、少し落ち着いたらしい愛奈にそれを差し出すと、すぐに男たちの方へと視線を戻す。この女も自覚した戦闘狂だけあって、超級二人の戦り取りからは目を離せないようだ。
「普段稽古で向き合っている私には、シャイリーの気持ちが良く分かるわ。リドウの制空圏は尋常な広さではない。刀を持たずとも、それは全く変わらないのよ。しかも刀を持った時と同じく構えは無形の位……迂闊には攻め込めないでしょうね」
「構え? って、リドウさん、ただ立ってるだけにしか見えませんけど、あれで構えてるんですか?」
愛奈が水をちょっとずつ口に含みながら訊ねる。
「構えを取る――ということは、そこから展開可能な技が制限されるわ。無形の位というのは、そこからどのようにでも技を繰り出せる、まさに形の無い構え。極限に近い領域まで技量を高めた使い手だけに許された、如何なる攻防においても千変万化に対応を可能とする、あらゆる武技に共通とされる一種の奥義よ」
「ってもさ、お稽古なのにお見合いしてるだけじゃ、意味なくない? 千鶴ならいつもガンガン攻めてくじゃん」
「シャイリーにとっては真剣勝負のつもりなのでしょうね」
千鶴はふっと微笑した。それは嘲笑といった類のものではなく、どこか暖かいものを感じさせた。自分だってシャイリーと同様の気持ちを、少なからず抱いているからだろう。
が、恵子はそれだけでは納得できなかったらしく、未だ疑問を顔に浮かべている。
「でも、闘気無しなのに、真剣勝負なの? あんたらって“そういう人種”じゃないでしょーに」
リドウと、既にハイクラスの域に達している千鶴よりも更に強いと目されるシャイリーが、闘気を用いて戦おうものであれば、瞬く間に船は沈没の憂き目に遭うだろう。当然の判断であった。
リドウの主義主張を近頃深く理解し始めてきた恵子にとって、思考回路がリドウにどこか似通った千鶴が、『加減した状態』で真剣勝負を論ずるとは思えなかったようだ。
「目覚めて数年のシャイリーでは、生まれつきの気功士であるリドウとの間に、気術において圧倒的な開きがあるわ。シャイリーも天才と言って構わない才能があると私は思うけれど、リドウも紛れも無い天才――その差は埋めようが無いでしょうね。おそらくは闘気の総量にしても、リドウの方が劣るということはない。である以上、純粋な拳技だけで戦う方が、まだシャイリーには勝機が見込めるでしょう。闘争ではなく、リドウ的に言えばぴちぱちと技比べをしようとしているのよ、あの二人は」
「遊びってこと?」
「真剣な遊び、よ」
千鶴は自分こそ真剣な顔つきで言う。彼女は目の前の光景から一つでも多くのものを学び取ろうとしていた。
「それでシャイリーさんが攻めあぐねてるってことは、闘気も刀も無しでも、リドウさんの方がシャイリーさんより強いってことですか?」
「たぶん……」
千鶴の声には、何に対してもはっきりと物を言う常時の自信が見られず、しかも、どこか面白くなさそうな響きが感じられた。
「たぶんって……」
「……あの二人クラスとなると、もうどちらが上なのか、私の目では理解できる範疇を逸脱しているのよ。二人の態度から、おそらくそう、と判断できるだけでしかないわ」
千鶴の内心が何となく理解できた恵子と愛奈は、示し合わせたわけでもないのに、同時に乾いた笑いを浮かべていた。
「千鶴さんにそこまで言わせるなんて、シャイリーさん、凄いですね……あんな可愛いのに」
「ホント凄いわよね、シャイリーちゃん……あんな可愛いのに」
何度見ても、どこからどう見ても、戦いよりも花を愛でている方が似合いな美少女にしか見えないシャイリーであった。
ちなみに、恵子が呼ぶ時に未だ「シャイリーちゃん」なのは、本人がそう望んだからである。その方が可愛いから、というのが本人の弁で、恵子は何とも言えない表情でそれを受け入れていた。
と――
ようやく静止した目の前の光景に動きがあった。
……シャイリーが構えを解いてしまったのだ。
ため息しながらしゃがみ込んで、遠くリドウを上目遣いに見上げる。
「ダメ。どっからどう攻めても、まともに入れられる気がしない」
「攻める!? 入・れ・るー!?」
シャイリーのセリフに強烈な反応を見せたのは、言われた相手のリドウではなく……愛奈であった。
男二人が反射的にそちらに視線をやると、愛奈が普段の気弱が影も見当たらない、キラキラとした輝きを両の瞳一杯に浮かべているではないか。
千鶴は沈痛な面持ちで眉間を人差し指で押さえながら、恵子は盛大に顔を引き攣らせながら、二人は両脇からそんな愛奈の肩を押さえる。
「ヤオイ好きも程々にして」
「ヤオイが嫌いな女の子なんてこの世に存在しません!」
そーですよね、と友人たちに同意を求める。
本人は名ゼリフを言ったつもりなのだろうが、生憎とこの二人は同意してくれなかった。
「あなたの趣味をどうこうケチつける気はないけれど、お願いだから、私に同意を求めないでちょうだい」
「そ、そんな……」
愛奈は助けを求めるように恵子を見るが、うんうんと千鶴の意見に同意を示すその姿を見咎め、この世の真理が覆されたかのごとき激しいショックを受けた風情で、よろよろと甲板に突っ伏す。
まあ、こういう趣味は、理解できない人間には往々にして全く理解できないものだ。
「……何なの?」
「……さあな」
ヤオイという概念――それ以前に、男同士という思想自体が頭の中に存在しないリドウでは、いくらこの男であっても、愛奈が何を考えたのかさっぱり理解できなかったらしく、本気で首を捻っていた。
「それで、もう止めるか?」
「ううん。合手でやろうよ。その方がまだ反射的に体が動いてくれそう」
「いいぜ」
リドウは同意してシャイリーの方へ歩む。
シャイリーも意気揚々と歩んで行き、両者がちょうど中間に来ると、互いに右手を差し出し合い、手の甲を合わせて腰を落とす。
「ふーん……塔手のルスティニア式の言い方かしら? ちなみに、塔手とは拳法家同士が行う決闘方式よ」
千鶴は二人が知っているわけがないだろうと、質問される前に自分から説明する。
「駆け引きが生じ難い分、互いの技量の差がはっきりと表れてしまうものなのだけれど……無形の位がデフォのリドウ相手ならば、こちらの方が確かに、まだ攻め易いかしら……」
そうして始まった拳法家決闘……であったが、はっきり言って、恵子や愛奈には何が起こってるのかさっぱり分からなかった。
リドウとシャイリーの手が目まぐるしく動き回っていて、時には互いの体の位置が入れ替わったりするが、その軌跡を捉えるので、彼女たちにはやっとのこと。
「は、速い……」
「これで闘気無しって……あいつら、素で人間辞めてるわね」
千鶴だけは無言でじっと、二人の攻防を観察している。
やがて二人の勝負は、腰を深く落としたリドウがシャイリーの腹部に手を添えた時点で、シャイリーが強張った顔に冷や汗を流しながら、両手を挙げて降参の意を示したことで終わりを告げた。
「あーっ、負けたーっ!」
「お前さん、まだ十六だろ? 俺らの年齢で四年の差は小さいもんじゃねぇぜ」
「でもさ……リドウさんって剣の方が上でしょ?」
シャイリーは拗ねた様子で頬を膨らませながらリドウを見上げる。これがまた、とびっきりに可愛いものだから、生まれる性別を間違えたとしか思えない。
今では無意識の領域まで板についているの“だとしても”、本人が意図して演じているのだから、彼にとっては褒め言葉なのだろうが。
余談だが、リドウはシャイリーにも『さん』付けは要らないと言ったのだが、「なんか、先輩――って感じだから、リドウさんの方がしっくりくる」と言うシャイリーに、なら好きにしろ、というエピソードもあったりした。
シャイリーにしてみれば、実は初めて出会った『流化闘法使いの気功士』で、更に自分より腕前で上回るっぽいリドウのことを、文字通りに先輩と思っているらしい。
「まあ単純に比較するのは難しいものがあるが、敢えて言や刀の方が得意かね。しかし……分かるのか?」
「何となく。それだけデキて、剣術の方が得意とか……なんかズルイなー」
「そう腐るな。お前さんの才能も、大多数の武芸者からしてみりゃ十分ズルイだろうよ」
「むー……闘気込みだったら、余計に勝てる気しないし、やっぱズルイ」
唇を尖らせて唸るシャイリーの頭を、リドウは笑いながら乱暴に撫で回す。
以前にチュゼルで出会った冒険者志望の少年と同じ扱いなそれに、恵子や千鶴はその時を思い出し、リドウの中でシャイリーがどう認識されているのかを把握することとなり、くすりと小さな笑みを零していた。
「可愛い弟ができた、といったところかしらね」
「可愛い妹、の間違いじゃない?」
「絵面は確かにそうなのですけれど……不思議と変な意味が全く感じられないのよね」
「実はあたしも。何でだろ?」
「私はびしばし感じまくりですけど!」
先入観で満ち満ちている愛奈の元気な発言であったが、他の二人からは完全に無視されてしまい、彼女は涙をちょちょぎらせて再び甲板に崩れ落ちた。
「双方に変な空気が全く無いからでしょう……ね。おそらく」
「ああ……」
千鶴の言葉に恵子は、これに関しては詳しく説明されるまでもなく了解した。
シャイリーは女の子に成りたいとか、男が好きだとかいう倒錯的な感情から、あのような格好をしているのではない。正体を知った上で話していればすぐに分かるが、ちゃんと女の子が好きな普通の男の子だ。……美少女三人衆を見て全く色気を出してこない辺り、恋愛方面に関する興味は薄そうではあるが。それが本心かそれとも振りかなど、散々“そうした”視線に晒されて長い恵子や千鶴からしてみれば、容易く看破できる。
シャイリーはただ単に、女装した上で、どちらともつかない言動雰囲気を意図して装っているだけである。こう安易に言ってしまうには、少々行き過ぎな完成度かもしれないが。
まあ……シャイリーが少女たちや、そしてリドウの観察眼すら超える曲者という可能性も、シャイリーの年季の入った演技力を考えると否定はできなそうな気もするが。
リドウの方にしても、シャイリーを寸分の迷い無く男だと認識しており、その上で――気持ち悪い――といった否定的な思いを一切抱かず、シャイリーの存在を受け入れているらしい。
「大雑把というか、器が大きいというか……」
「あんた、あいつが好きなくせに、落とす発言が最初にくるってどーよ」
「そういう女なのよ、私は」
半眼な恵子に、千鶴はお得意の目を閉じて肩を竦める行為で応じてみせた。
腕比べが終わった男二人は、互いに楽しそうにじゃれ合いながら、少女たちの方へ戻ってくる。
「愛奈は大丈夫か?」
「あ、はい。ご心配おかけしましたが、とりあえずダイジョブそーです」
力なく突っ伏している愛奈を見て、船酔いが相当酷いのかと案じたリドウが訊ねるも、ギャグな精神的ショックによって落ちていたに過ぎなかった彼女は、ぱっと起き上がってぺこりと頭を下げる。
顔色は未だ優れない愛奈であったが、しっかりした受け答えに、あまり心配する必要はなさそうだとリドウも判断し、そうかと短く応えて煙管を取り出した。
「いやはや、素人目にも凄まじい腕前だな、お前さん方」
と、一同に声を掛けてくる、知らない声があった。
そちらを見てみると、四十絡みのマッチョな男性がいた。
この男、この船の船長さんで、出航前にリドウたちは軽く挨拶を交わしているが、短いものであったために、声まで記憶してはいなかったようだ。
「やっぱり、『例の件』でブランカまで行くのか?」
「例の件?」
リドウは、心当たりがあるかという目をシャイリーに向けるが、彼も知らないようで、首を横に振っていた。
「知らないのか? 今ブランカ帝国じゃ、腕に覚えのある冒険者を集めてんだ。何でも、リントブルムが棲み付いちまったらしくてな」
「リントブルム!?」
愛奈が驚愕の声を上げる。しかも元々青白かった顔を、更に真っ白に染め上げている。
「九十階層付近で出現する、リアルじゃ伝説級の魔物ですよ!」
遺跡ハンターをやっていた愛奈にとって、それは絶対に遭遇したくない等級の魔物であった。
遺跡は最深部に近づけば近づくほど強力な魔物が出現するが、特に八十階層を超えた辺りからは、僅か一階層を隔てただけで、それまでとは桁違いのレベル差の魔物が現れるようになる。
少なくともハイクラス以上の能力者でないと、その前に立つことすら許されない等級を表した呼び名、それが『伝説級』だ。その中でも上位、中位、下位と大雑把に分類され……伝説級上位ともなると、最早ハイエンドしか手に負えないとされているが、不幸中の幸いと言うべきか、件のリントブルムは伝説級中位にランクされる。
酷い話なのだが――最上級の魔物の防御力を突破可能なだけの攻撃力と、その魔物の攻撃を避ける、あるいは防げる手段を持たない人間など、幾ら存在しようが殆ど無意味なのだ。精々が囮か『肉の盾』くらいにしか役立たない。
……少年マンガや努力友情勝利なファンタジーには激しく反する話だろうが、現実とはすべからく残酷にして無情なものなのである。
物量で押し潰すのが絶対に不可能なわけではないのだが、その場合の犠牲者は目も当てられない膨大なものになってしまう。
従って、そうした伝説級の魔物退治には、少数精鋭を以って当たるというのが一般的とされている。
しかし……“とある事情”を知っている恵子は、こそこそとリドウに近づいて、ひそひそ耳打ちした。
「ねえ。そういう魔物って、外界には居ないんじゃなかったの?」
「リリィだって回収しきれなかったのは居たさ。それに、リリィでも把握してない未開の地域もあったらしいからな、そこから流れてきたのかもしれん」
リドウもこっそりと恵子に耳打ちすると、久しぶりに千鶴が冷え切った眼差しをそんな二人に送ったが、リドウは我関せずであったし、恵子も明後日の方を向いて知らぬ振りを決め込んだ。
「しかし、宮廷戦略旅団はどうしたんだ? ブランカも貿易国家だ、リントブルム如きも始末できねぇほどの弱小国じゃねぇだろ」
「先年の戦争で半壊しちまってな。抑止力として下手に動かせないらしい」
マッチョ船長さんは渋い顔で言った。
大陸クラスで荒れるような『大戦』こそここ百年は起こっていないが、国単位の小競り合いならば、どこかで常に勃発している。ブランカ帝国と、お隣のシャリハーン首長国連邦が二年前にやらかした戦争は結果的に痛み分けで終わったが、その傷跡がまだ癒えてはいないらしい。
そこにリントブルム襲来である。ブランカ帝国としては踏んだり蹴ったりといったところだろう。
ハイネリン王国同様に貿易国家として潤沢な資金を抱えてはいるこその、アウトロー気質だからこそ在野でふらふらしている兵器級戦力がそう簡単に所属を承諾してくれるわけがなく、今回はその潤沢な資金に任せて莫大な報酬を出すことによって、とりあえずリントブルムだけは早期に排除しようとしているそうだ。
「ま、相手が相手だからな。気功士とは聞いてるが、お前さんたちにどうこうは言わん。しかし……大事な取り引き先だ、できれば早く解決してほしいと思ってる。できるなら手伝ってやってくれ」
船長は返事を聞くつもりは最初から無かったらしく、仕事があると言って立ち去ってしまった。
リドウは手すりで煙管を軽く叩き、灰を海の中に落としてから、改めて葉を詰めて火をともすと、青く澄み渡った空に向けて煙を吐き出す。
「……手を出す気はないのね?」
「さて……」
千鶴が感情を映さない顔で訊ねれば、リドウは惚けたような答えしか返さない。
そんなリドウに、千鶴は微かに顔を顰め、恵子や愛奈も難しい顔になってしまう。
リドウの主義主張からすれば、このような場合に魔物退治に出るのはまさしく「趣味じゃねぇ」といったところだろう。
それを知っている少女たちは、しかし放っておくのは流石に良心が咎めるようであった。
ハイエンドと呼び称される最高位の使い手、その中でも最下級ではようやく五分――とレベル付けされているのがリントブルムという災害指定の魔物である。だがリドウが出張れば、まず確実に即殺だ。
マッチョ船長さんが口にした通り“相手が相手”だ。ここは多少意向を曲げることも許容すべきではないか――少女たちは誰もがそう考える。
しかし……シャイリーは違った。
「リドウさんって、もしかしてさ――リントブルムくらいじゃつまらないの?」
目をぱりくりさせて首を傾げる様は、まるきり年頃の乙女であった。
リドウはその質問に、微笑を以って答えとした。
その通りだった。もしこれが命懸けの闘争となり得る相手であれば、彼は喜んで自ら馳せ参じたことだろう。しかし、リントブルムではどれほど強力な固体であっても、彼にとってみればたわいの無い相手でしかない。そんなつまらない相手を“虐めに行く”のをこの男が好むわけがなかった。
しかしながら、リドウは連れの少女たちの気持ちも理解はしていたし、今回は流石に相手が相手ということで一考の余地はあるらしく、それ故の曖昧な気の無い返事であったらしい。
シャイリーは“そこまで”全てを見抜いたわけではなかった。が、彼にはリドウの気持ちが何となく理解できてしまったようであった。
「ふーん……僕、伝説級の魔物と戦ったことなんて無いんだけど――」
それで当然だ。そうそう滅多なことでお目にかかれる相手ではない。それ故の『伝説』ランクなのだから。
「リドウさん、戦ったことあるんだ。でもそれって遺跡の?」
「いんや」
シャイリーはすっと表情を失う。
「ねえ、リドウさん。僕が“本物の”リントブルムと戦ったら、どうなるかな?」
「お前さん一人で勝てる相手じゃねぇな。最低限あともう一人、同レベルの囮役は要る」
それすなわち、シャイリーは若干十六歳にして、ハイクラスとしては最上級のハイエンド一歩手前まで達しているという意味であった。
「そっか……」
と、シャイリーはあっちを向いては再びリドウに視線を戻し、そっちを向いては三度彼を見やる。
「ねえ、リドウさん……」
「ん?」
意味深にタメを作るシャイリーであったが、次の瞬間にはにっこり笑顔でリドウの顔を見上げていた。
「僕、しばらくリドウさんたちに付いて行っていい?」
「いいぜ」
即答であった。
あまりにもあっさりし過ぎたそれに、シャイリーは意表を突かれてしまったのか、目をぱりくりさせてリドウを見上げている。
「え……? 理由も聞かないでいいの?」
「“遊び相手”が欲しいんだろ? 別に構わんよ」
「いや、まあそーなんだけど……」
ぽりぽりと頬をかく。
「断られたらリントブルムと一勝負してこようと思ってたんだけど……なら僕もリントブルムはいいや」
シャイリーにとって、たとえ勝てない相手であったとしても、その存在が強いのならば、戦うのは至極当然のことであった。それが命懸けであり、冷静に判断すればむしろ命を落とす危険性の方が大きいとしても、関係など一切無い。
やはりこの子も“そう”なのだ――それで自分が死んでしまったのなら、自分はそれまでだったと速やかに認めるだけなのだ。
しかし、今はリントブルムよりも『面白い相手』がすぐ側に居る。その男が鍛錬兼遊び相手になってくれると言っているのに、今現在では敵わない可能性の方が高いリントブルムに無謀のまま挑むのは“少し違う”。
こうした複雑怪奇な価値観は、愛奈の趣味同様、理解できない人間には全く理解できないだろうが、“同類”であれば容易く解するものだ。そしてリドウは紛れもない同類であった。
しかし、これには少女たちが困ってしまった。
千鶴と愛奈が協力しても、リントブルムには到底敵わないだろう。ブランカ帝国政府が他に強者を集めていたとしても、リドウ抜きでそんなレベルの敵に挑むのは、愛奈はもとより千鶴にとっても遠慮したい話である。少しでも何とかなる可能性があるのならば話は別だが、今回は完全に必要とされる力の桁が違いすぎる。
「やっぱり……放っておくんですか……?」
「そうよね。実際に困ってる人も居るんだし……戦力外のあたしが言っていいことじゃないかもだけどさ」
愛奈の控え目な言葉に、恵子はどこか気まずそうに追従した。
千鶴も何か物言いたそうな表情であるが、リドウはそんな少女たちを一瞥くれてから、常時よりも深々と煙を吐き出す。
「実際に被害が出てたらな、ちったあ考えよう」
「被害が出てからではおそ」
千鶴は自身の発言を途中で切ってしまった――リドウの冷めた眼差しを受けて。
「お嬢にゃ以前も言ったと思うが、俺は人間様がこの世で最も高尚な生きモンだなんぞ、微塵も思っちゃいねぇ」
リドウはドスの利いた声を発する。
「俺も人間だ。魔物と人間、どちらに肩入れするかを問われりゃ、そりゃ人間を選ぶさ。だがな――危険性が考慮されるから――そんな理由でてめぇから狩りに行く気にゃならねぇよ。危険性なんぞを言うなら、この世に存在する全ての魔物を殺し尽くせってか?」
ふん、とつまらなそうに鼻を鳴らす。
「魔物と動物は違うってのか? 両者の違いはただ魔力を保有するかしねぇかだけだ。なのにどうして、動物退治って話は出てこねぇ?」
リドウは少女たちの回答を待つまでもなく、自ら答えを紡ぎ出す。
「単純な話さ。完全に戦闘能力の皆無な人間ならいざ知らず、動物如きなら、どんなに強力な個体だろうと、下位キャストで十二分に対応できる」
それすなわち、この世界の二人に一人は無条件で可能となるということだ。それ以前に、実はルスティニアには、地球において大型種とカテゴライズされる動物など存在しないのだが。最大の危険度を誇るのが狼程度である。
「人間様に害が無ぇなら、食料のために存在は許してやろう――危険な連中にそりゃできねぇがな、ってか? 何様だ? そうさな、人間様さな」
酷く……それはもう、とても酷くつまらなそうに言う。
「そもそもだ。危険性云々を説くなら、人間様の方がよほどじゃねぇか? あいつはてめぇを殺しに来る『可能性が考えられる』から、今の内にこっちから殺しちまえ……と考えるか? ま、権力者には多い人種だろうが――そうじゃねぇだろ」
最後の部分を極低音で口にする。
「力が有るのに無責任だ……なんぞと言ってくれるなよ。赤の他人ならともかく、お前さんらにまでそうと言われちゃ、俺も流石にちっとばかし頭にくるぜ」
火の消えていた煙管の灰を、少女たちに背を向けるようにして海に落としてから、再び葉を詰めて火を点す。
リドウの背中を黙して見守る少女たちは、彼がどんな顔をしているのか……怖くてとても確認できなかった。
「魔物退治で得られる金も、感謝も、尊敬も、俺は要らん。力有る者の義務――とも言うらしいが、それは振るう力によって恩恵を受けている連中に当てはまるもんだろうが。俺が力を得たのは俺にとっての目的のためで、俺が俺らしく生きるためであり、弱者救済のためでもなけりゃ、成り上がるためでも、英雄として畏敬の念を送られるためでもねぇ。弱者だからといって、その事実に甘んじて努力もせず、強者なら助けてくれて当然と考えるような人間なんぞ、反吐が出る」
吸った煙管の煙を、水平線の彼方へ向けてふぅぅと深く吐き出す。
「なるほど、ブランカに棲み付いちまったリントブルムは、ブランカの住民にとってみりゃ迷惑至極な存在だろうよ。なら迷惑に思ってる連中がてめぇらで対処すりゃいい話だ。最低限、それに賛同する連中でな。が――」
リドウは振り返ると、突き刺すような眼差しでぐるっと少女たちを見渡す。
「――俺にそれを求めるんじゃねぇ」
少女たちは改めて理解する――リドウという男は、人間と『人間以外の存在』に対する境界線が極めて曖昧なのだ――と。
本人に「自分は人間だ」という自覚は一応有るようだが、彼自身の価値観において『悪事』とされる事柄には容赦しないが、そうでないのであれば、一般的には『良くないこと』でも平然と無視することができてしまう。
目の前で襲われていれば助けるだろう。襲われている相手は“明確に”弱者なのだから。
だが今回の例にしてみれば、危険性の排除とは、言ってしまえばリントブルム対ブランカ帝国政府なのである。
リントブルムが国内に存在するとなれば、経済活動に大きな悪影響が出てしまう。早期に排除するのは当然だろう。
しかし戦力が足りず、集まりも悪いとなれば……ならば他国に必死で頭を下げてでも戦力を貸し出してもらえばいい。
『力』とは単純な戦闘能力を指して言うのではなく、『“何かしら”を可能とする手段の多さ』を言うのだ――というのがリドウの持論であった。彼の母が以前にも言っていたように、国家とは“そのために”運営されているべきなのだから――
――彼にとっては自分が『流儀』を曲げてまで応じるべき話では断じてなかったのだ。
今回の話を人間に例えてみれば――あいつはいつか誰かを殺すかもしれないから、今の内に逮捕して死刑にしてしまった方がいい――という意味であることを一部の隙も無く“論理的に”否定しきることは誰にも不可能であろう。人間に害をなす存在は須らく悪なのだから、退治してしまうのが当然――と考えられるタイプであれば、そのままその通りに平然とぬかすであろうが……。
リドウはその手の考え方も完全には否定していない。
リドウの直接知るリントブルムであれば、まず一般人の手に負える相手ではない。それだけの脅威であるのは間違いなく……野生の獅子や虎と同じ空間で眠りたいと思う人間などいないだろう。リントブルムの移動速度と範囲を考慮すれば、棲家から周囲百キロは似たような物と考えていい。
また、その存在自体が“邪魔”であるのも間違いない。それを排除するのは人々の暮らしにとって『必要不可欠なこと』なのだ。
だからこそ、仮にリントブルムが未だ何の被害も“直接”もたらしたわけではなかったとしても、ブランカ帝国が排除に動いているというのを『悪』だと決め付けて、ブランカ帝国を自身の手で罰しよう、と考えたりもしないのだから。
ただし――自分に同じ価値観を求めないでくれ――というわけである。
リドウにとって、人間であろうと動物であろうと魔物であろうと、命は等しく命なのだ。これを聞けば、受け取り手によっては凄まじい嫌悪感を抱くかもしれないが――リドウにとっては人間も魔物も動物も、そして虫ですらもが、彼の中では殆ど変わらない認識なのだ。
そんな彼は思う――他の人間にとって、命とは“どこからどこまで”を言うのだろうか、と。
人間を殺すのは悪いことだ――と、人間ならば誰しもが言うだろう。だが、魔物や動物を殺すのを悪いとは言わないのはなぜだろう? ……例えば動物を殺さなければ肉を食べられないし、危険な魔物を放置しておいては自分たちの命が脅かされてしまう。が、“それ”を悪事だと認識してしまうと“できなくなってしまう”のだ。それではやはり、生活に支障をきたす――ある意味で精神的防衛本能なのだろうと、彼は考える。
しかし、リドウは強い。物理的な意味では今更言及するまでもないだろう、彼にとっておよそ危険と認識すべき魔物など殆ど存在しないのだから。だがそれだけではなく、精神的な意味でもそうなのだ。だから彼は、無用な殺生を好まなくても、平然と獲物を狩って肉を食べる――その命に感謝の念を持って。だから彼は、それ以上無闇に命を刈ろうとはしない。
宿で眠る時、側を蚊や蝿が飛び交っていたら、彼は何の躊躇いもなく殺す――迷惑だから、だ。しかし、町やあるいは旅道中、足元を蟻の軍隊が一所懸命に働いていたら、彼はその列を避けて歩く――そうするだけで命を余計に刈らなくて済むからだ。蚊や蝿にしても、殺そうと考えて殺してしまうのではなく、そっと掴んで外に追い出すつもりだったのに、力余って殺してしまうケースが多いだけでしかない。そんな時、彼は少しやるせない気持ちになるが、彼は今後もそうし続けるだろう――迷惑だから。
人間を『迷惑だから』という理由で害したりは流石にしない。“その程度には”人間だという自覚は彼にもあるのだ。
そうした一定の線引きで、彼は一切迷わない。迷いを持たない。
それがまさに、強者のみに許される生き方である……とリドウは教えられているのだ、心から慕う母から――
人の心は弱いのです。厳密に人と述べるべき人々と共に生きてはこなかったあなたには、きっと真の意味で共感できることは永遠にないでしょう。ですが覚えておきなさい、リドウ……人は誰しもが、我々やあなたのように強く生きられるものではないのですから……。
――と。
また、彼女はこうも言っていた――
弱き人々の生き方を、あなたが全て肯定する必要はありません。あなたが気に召さないのならば、何も言わずに避けて通りなさい。それが双方のためです。
――と。
リドウが初めて迷い人と出会ったのは齢十になった頃だった。それまでも迷い人は時折現れていたらしいが、母の教育方針から、それまでは一切接触を持ってこなかった。十歳の誕生日からしばらくして、初めて迷い人と出会い、自分との価値観の違いに愕然とし、母に問うた折に返ってきた答えに、幼心になるほどその通りだと、リドウは頷いたものだった。
その時は、気に入らなければ避けて通れ、という言葉に対して納得しただけで、強者と弱者という意味を明確に理解できたわけではなかった。その後、自分の手で迷い人を送り返したり、そして……恵子と出会い、外界に出たことで、今では何となく、彼は母の言葉の意味が理解できた気がしている。
弱者には弱者の生き方がある。弱者を弱者と決め付けてしまう、それ自体が傲慢というものだろうが……しかしいずれにしろ、彼らの生き方を否定して許されるほど、自分は偉くはない。多分、あの時の母の言葉の意味はそういうことなのだろう――とリドウは今、何となく思う。
しかし、弱者だからといって、弱者の弱者たる部分を、何でもかんでも強者が補ってやる必要性は無いはずだ。
故に、今回のリントブルムの一件、リドウに手出しをする心算は……現時点では一切無い。実際に直接の被害が出ていて、それがあまりにも目に余るようであれば、場合によっては考えないでもないが。
リドウはそこまで詳しく己の信条を語ったわけではなかった。しかし、愛奈はともかくとして、彼との付き合いも長くなってきた恵子や千鶴は、先ほど語られた内容から、彼の思考の帰結を何となく察し……同時にため息する。
怒らせてしまったと思っているらしい愛奈は酷く怯えを露にしていたが、他の二人はそうは思わなかった。リドウが怒った時はこんなものでは到底済まない。今のは『つまらないこと』を考えて少し不機嫌になってしまっただけでしかなく、そんな些細な苛立ちをずっと後に引きずるような器の小さい男ではないと、彼女たちはリドウを理解していた。
が、やはりこの男はリントブルムを自らどうにかする気は無いらしいと完全に“諦めるしかないようだ”と知り、思わずため息が零れてしまったのだ。
(やっぱり……面白い人だね、リドウさん)
そんな感じの一同を黙って“観察”していたシャイリーは、リドウに対する興味心を、その実力だけでなく、更に深く刺激される気がしたらしく、面腹を同じくして、クスリと笑っていた。




