プロローグ
「誰だ? あんた」
「そっちこそ誰……ってここは!?」
まあ、物語の冒頭で語られる男女の出会いとしては、割とお約束な気はしないでもないが、まあそんなこんなで、この物語は始まる……前に、少し時間を遡ろうと思う。
二十年前の出来事である。
とある一人の女性が森の中で散策している時、偶然にも赤子が泣き喚く声を聞きつけた。
「あら、まあ。これは一刻も早く帰り、皆に知らせなくてはなりませんね」
と赤子を連れて意気込んで家に帰ると、そこには男が二人と多数のメイドさんがいらっしゃった。
「ね? 可愛いらしいこと極まりありませんでしょう? ああ、人の赤ちゃんを見たのは“五百年”ぶりくらいでしょうか。こんなにも愛らしいものだったのですね。すっかり忘れていました」
「おい、まさか」
「育てるんじゃろう? 言われんでも分かるわい」
「義理とはいえ姫様のご子息。全力でお世話させて頂きます」
させていただきまーす、と多数のメイドさんが唱和した。
「それで、名前はどうすんだ?」
「リドウです」
「あっさりじゃな」
「ぴんっと閃いてしまいましたので、直感を否定する意味を特段感じません」
「凛々しくも賢そうな風情がひしひしと伝わってくる、とても良い御名にございますね」
と子供の名前が決まり、
「そう、上手ですよリドウ。そのままビリビリを、あちらに向かって投げるように念じてみなさい」
「うん」
母による英才教育があったり、
「おら、どうした? もうおしまいか? だらしねぇやつだぜ。てめぇそれでも男か? 悔しけりゃもう一度刀を振り上げて俺に叩きつけてみせろ」
「うぅ……」
兄によるスパルタ教育があったり、
「全ては流れのままに、じゃよ。分かるかの?」
「うーん……」
お爺ちゃんによる教育もあったり、
「よろしいですか? 坊ちゃま。女性とは須らく、カッコいい殿方を好みます。中には情けない殿方に母性本能を擽られる方も居りますが、そういった女性は極めて少数派です。坊ちゃまも姫様のご子息である以上、カッコよくなければなりません」
「よくわかんないよ」
メイドによる意味不明な教育もあったりした。
それから二十年、教育という名の魔改造を施されまくった末に完成したのが――
一見しただけで只者とは思えない強い意思が瞳に宿る、迂闊に触れると切り裂かれてしまうのではと錯覚してしまうような、力と鋭さを内包する眼差し。
服の上からでも己に課してきた鍛錬の厳しさが伺える逞しい肉体は、鋼のような硬質を見せながらも、猫科の獣のようなしなやかさまで伺える、戦士としての理想の体現とさえ思わせる。
上半身は黒く光沢のある材質のボディスーツのような服に、下はゆったりとした同じく黒色のズボン。その上から、脛の辺りまで全身を包む紅色のコートを羽織り、左腰には一振りの刀。逆の右腰に酒ツボがぶらさがっている。
絶世と形容するほどではないが、野生的ながら知性を感じさせる精悍な面立ちの美男子であった。
(って、何であたしは見蕩れてるのよ!?)
少女は自分よりも20センチくらいは背の高そうな男を見上げていたと思うと、突如ぶんぶんと頭を振り出す。
それを見たリドウは、大丈夫だろうかと一瞬呆れる。
この少女も中々、二人が並んで歩けば実に絵になるであろう、かなりの美少女であった。
小柄な体に比較しても小さな顔立ちながら非常にバランスが良く、全体的にほっそりし起伏には乏しいが、胸もきちんとあることは確認できる。いわゆるアイドル系というべきか、その世界でも十分に通用するだろう愛らしさは、恐らくナンパには事欠かなかろう。
だが、リドウはいきなりナンパを始めるような男ではなかったので、混乱を露にしている少女に落ち着けと言った。
「ここは《ルスティニア》の最果て《大結界エーテライス》。【魔神】が守護する最後の聖域だ」
「るす……えーて……まじん…………魔神!?」
最後にようやく自分の知る単語に思い当たり、その意味を理解した途端に、少女は盛大に慌てた様子で周囲を上下左右にと確認し始めた。
余計なことを言ってしまったかなと、リドウは少し後悔する。
「落ち着けっつってるだろうが。あんた、どこから来た?」
「い、いや……どこからって……」
「大方召喚系の術式が暴走でもしたんだろう?」
「やっぱり、召喚、なの? どっきりじゃ……なさそうね」
「良く居るんだよ、あんたみたいのが。かなり変わった格好をしてやがるが……」
と、リドウは少女の全身を眺める。
現代日本でなら高校生女子の多くが着るブレザータイプの制服なのだが、リドウにとっては、魔法使いなら変な格好しているのもおかしくないし、という程度の感想でしかない。
気になる事柄といえば、かなり精巧な造りをしているように見えることくらいか。
「安心しろよ。こういった場合、《魔の森》を出るまでだが、そこまでは送ってやることになってるからよ。あとはそっちで何とかしてほしいんだが、戦闘能力が無ぇんなら、ユリアス王国のアクレイアまでなら送ってやる」
「魔の森……いえ、そうじゃないのよ……ないんですよ」
「別に無理して敬語にする必要はねぇぞ? 俺も苦手なんでね、目上相手でも俺は基本この調子だ。それで他人に強要してちゃ、不公平ってもんだろ」
「あ、うん。ありがと。それで、その……」
「ん?」
「多分あたし、異世界人」
「異世界人?」
リドウは再び少女を上から下まで眺めて、ふむと呟きながら己の顎を手で摩る。
少女は全身を見られてびくっとしてしまうが、性的な悪印象は受けなかったので、恐る恐る彼を窺っている。
「なるほど、ねぇ」
「え? 信じてくれるの?」
「異世界は魔導学上存在しなくちゃならんからな。取りあえず、ついて来な」
「あ、うん……」
リドウが歩き出すと、少女はとにかく逆らっても仕方ないので、大人しく彼の背を追う。
道中、取りあえず自己紹介と、この世界のことについて話してやろうとリドウは少女に提案した。
「俺はリドウ」
「あたしは麻木恵子……こっちだと、恵子・麻木になったりするのかしら?」
「個人名が先で家名が後に表記されるのが一般的だな」
「察しが良いわね、リドウさん。じゃ、恵子・麻木よ」
「けーこ、ケーコ……ん、恵子だな」
「……なんか今、日本語の神秘を目の当たりにしたような気がしたわ」
「何の話だ?」
「いいえ、なんでも」
「そうかい。それにしても、いきなり世界飛ばされたにしちゃ、いやに落ち着いてやがるな、あんた」
「ありふれた話だしね」
「そっちの世界じゃそんなにしょっちゅうあるのか?」
「そーじゃなくって……ほら、お話の中での話よ」
「はぁん、なるほどねぇ」
恵子は斜め前を歩く男の背を見つめながら、やけに理解力の高い男だな、と考える。あまりにも話があっさり通用してしまうので、やっぱりドッキリか、それとも……適当に答えてこちらを安心させた挙句、売り物にでもしようという魂胆かと、一瞬疑ってしまう。
しかし大きな家だな、とも恵子は思った。
さっきから通る通路だが、一つ一つの通路の端から端までおそらく数十メートルはあるだろうし、既に幾つか角を曲がっているし……
「……もしかしてお城?」
「ああ、エーテライス唯一のな。特に固有名詞は無い。何せエーテライスには呼ぶ人間自体が殆ど居ねぇからな」
「どーゆうこと?」
「この近辺に住んでるのは、この城に住んでる俺と、後は俺の家族だけだ。まあ侍女も含むから、全員合わせりゃ124人居るが、城の外は魔物しか居ねぇよ」
「なっ……大丈夫なの!?」
「特に問題らしい問題が起こったこたぁねぇな」
「どうかされましたか? 坊ちゃま」
次の角の先から表れた女性に、恵子は思わず視線が釘付けにされてしまった。
これほど美しい女性は超例外の一名以外に、彼女の記憶にはなかった。
その一名とは、別に自画自賛した彼女自身のことではないという事実は、彼女の名誉のために、ここに記しておく。
しかし、アップに纏められた輝くような銀髪や紫色の瞳など、あきらかに日本人ではない彼女を見て、ようやくここは異世界なのだと、完全に納得できた。
リドウは黒髪黒目と典型的東洋人の風貌で、日本人だと言われてしまえば即座に納得できてしまう。だが、ただの一女子高生を気絶させて西洋風のお城のセットに運んで、しかもこんな流暢な日本語を喋る異人さんの美女を用意するなんて、そんなことをして誰が得をするというのか?
「あら、坊ちゃま。そちらのお嬢様は?」
「坊ちゃまはよせっていつも言ってるだろう、サリス。しかも客人の前でたぁ、俺が笑われるだろうが」
「例え齢が百を数えようと、坊ちゃまは坊ちゃまでございますから」
「ったく、大人扱いはベッドの中だけかよ」
リドウはサリスというメイドの女性の頬に手を添えて、彼女の耳元に口を寄せて、「もう可愛がってやんねぇぞ」と囁く。
少しも嫌がった様子もなく、ぽっと頬を染めてそれを受け入れている銀髪メイド。
そして、その光景に顔を真っ赤にしてしまうのは、まだ少女の域からは抜け切らない恵子であった。
「な、なななななな」
「大丈夫か? あんた」
「な、何でもないわよっ」
自分が文句を言う筋合いは無いと考える恵子であったが、あまり異性関係に開放的な性格ではないので、どうもああいう『大人な光景』には苦手意識があり、どうしても口調が強いものになってしまったのは否めなかった。
「《迷い人》でらっしゃいますか?」
「ああ。しかも異世界からだとよ。恵子っつうらしい」
「それは災難でございましたね」
「幸いだったのは、ここに一気に落とされたことだな。見る限りじゃ戦闘能力は殆ど無ぇようだし、外に落とされてたら、こっちの感知に引っかかるまでの間、身を守れたとは思えねぇぞ。誰がやらかしたか知らねぇが、酷ぇ手落ちにもほどがあるぜ」
「左様でございますね」
「……ここに原因があるんじゃないの?」
恵子が疑問の声を投げ掛けると、二人が揃って彼女に注目したため何となく威圧感を感じてしまい、彼女はびくっと身を竦めてしまった。
「ありえんね」
「どうして断言できるの?」
「ちょっと待て。サリス、『三人』を食堂に集めておいてくれ。あと、何か飲み物と軽食も頼む」
「かしこまりました」
命じられたメイドさんは、丁寧なお辞儀を披露してから、先にこの場を去っていった。
その際、普通に歩いているようにしか見えないのに、なぜか同じように歩いているリドウと恵子よりも移動がずっと早いことに、恵子は理不尽な疑問を覚えていた。
「魔導学については?」
「魔法なんて御伽噺」
「魔法がねぇたぁ、さぞかし不便だろうねぇ」
「そうでもないわよ?」
「ほう?」
と、異世界召喚物にはお約束の現代文明披露が始まる。
すると、やはりこの世界において科学技術は殆ど発展していないようで、リドウも感心しきりであった。
しかし、それを今詳しく知っても詮無いことであったので、リドウは調子に乗って饒舌になる恵子を止めて、話を元に戻した。
別に間違っていないので、彼女も不満に思ったりはしなかったが。
「あんた、光に乗って来ただろう?」
「うん。学校の教室に居たんだけど、いきなり床が光りだして……」
「召喚系特有の現象だ。かなり複雑な系統なんだが、どこかの誰かが使ってしくったんだろ。僅かなミスでおじゃんになるからな、あの手のは」
「何で誰かが使ったなんて確信できるの? 自然現象とか」
「基本、魔法ってのは『何者かの魔力と明確な意思』が介在して初めて発動する。自然現象的に魔力が動くなんてことはまずねぇ。それから、そんなモンを使って誰かをわざわざ呼び寄せようと考えるやつも、そもそもしくじるような低レベルな術者も、この城には居ねぇよ」
「……じゃあ、どーしてあたしが呼び出されたのよ」
「いきなり訳分らん所に放り出されて、誰かに当たりたくなるのも分からんでもねぇが、一応言っておくぜ。お門違いってんだよ、それは。答えは、俺が知るわきゃねぇだろ、だ」
「……ごめんなさい」
少し口調が険悪なものになってしまった途端、内心をぴたりと読まれて先に釘を刺されてしまい、恵子は気落ちした様子で謝罪の言葉を吐き出した。
「別に謝るほどのこっちゃねぇよ。俺の方こそ悪かったな、ちと言い方が厳しすぎた」
と、ぽんと頭に手を置かれた恵子は、一瞬その暖かさに和んでしまったが、すぐにはっとなって彼の手を払いのける。
「あんたが悪い人間じゃないってことは流石に分かるけど、気安く触るのはよして。あたしには恋人が居るの」
「そこまで神経質になるほどのことか?」
「彼が良くそうしてくるから、あたしの頭を撫でて良いのは彼だけって、前に約束したのよ」
「中々独占欲が強そうな恋人だな。付き合ってて疲れねぇか?」
「余計なお世話よ」
「違ぇねぇ。忘れてくんな」
手をひらひらさせて言うリドウを見て、恵子は今まで会ったことがないタイプの男だなと、ふと思った。
ワイルドな外見を裏切らずに、彼の言動はかなりアウトロー系だが、きちんと気遣いはできるし、自分が悪いと思えば素直に謝罪の言葉も口にするし、魔法のことも詳しそうだから頭も良い可能性は高い。
(アウトローな不良系が好みな女には受けそうね。芳樹とは全然違うタイプだから、あたしの好みじゃないけど)
と、そこでリドウは歩みを止める。
すぐ側にドアがあるので、その先が目的地なのだろう。
「さて、到着だ。覚悟は良いかい?」
「かくご……?」
「あんたの身に危険なこたぁ何もねぇと保証するが、あんまびびるんじゃねぇぞ」
不安を目一杯感じさせる発言をしてくれたリドウは、恵子が問い質す暇もなく、心の準備をする余裕も与えずに、ドアを開いて彼女を先導した。
刹那、恵子の絶叫が響き渡った。