第十五話 気弱少女
高坂愛奈。
麻木恵子と同じクラスに所属する少女で、決して異性に人気があるタイプではなかった。その理由はまず体型にあり、残念ながら彼女はいわゆる『おデブさん』であった。
が、ルスティニアに召喚されてからの強制ダイエット生活により生まれ変わった彼女は……
大人しそうな性格が外見から窺える、パッツンな前髪から覗ける小顔の愛らしい美少女へと変貌していた。
そして何より……
(デカっ。リリステラさん級!?)
恵子が、驚愕が過ぎて戦慄すら感じるあまり、額に汗すら滲ませている。
千鶴もかなりのものであり、ちょっと激しい動きをすれば揺れるレベルであるが、愛奈はただ身動きするだけですらゆっさゆっさと揺れてしまい、図らずも異性の目を惹きつけてしまうブツをお持ちであった。
彼女は顔見知りの少女たちを目にして、その目に涙を浮かべながら彼女たちへと走り寄る。
「麻木さーんっ」
愛奈は自身が最も良く知る恵子へと、ぐわしっという勢いで抱き付いた。
「うわっ、柔らかっ。天然っ? これマジもん!? ってあんたホントに高坂愛奈なの!?」
「ううっ、そーですよぅ……。ちょっと痩せちゃったかもしれませんけど、高坂愛奈ですー!」
ぐしぐしと泣いてしまっているのは、自分だと認識してもらえないからではなく、再会に喜んでいるだけだろう……たぶん。そう思っておきたいところだ。
「どこがちょっとよっ。反則でしょ!?」
何に対してが原因なのか、恵子はどこか怒りながら愛奈を引き剥がす。
「ダイエットって必ず減らなくていーとこから減ってくのがこの世のセツリってもんなのに、何であんたこ、こ、こ、こん……な、ちちち乳だけ残して……ッ」
「そ、そんなこと言われても……」
恵子のあまりの剣幕に、愛奈は若干の引きが入って泣くのも忘れてしまったご様子。
「高坂愛奈さんで間違いないのね?」
「は、はいっ。一条千鶴さんですよね……?」
同性として雲上人であった千鶴に声を掛けられた愛奈は、緊張した面持ちで千鶴に向き合う。
千鶴は一つ肯いてから、安心させるために柔らかい笑顔を作る。
「私たちは同じ境遇の子が他にも居ると判断して、保護を目的に旅をしているの。あなたが無事に見つかって嬉しいわ」
「そ、そうなんですか……ご丁寧にどうもありがとうございます」
性格が大人しいのは外見通りのようで、千鶴や貴族令嬢のように教育された洗練さはなかったが、自分の方こそ丁寧に頭を下げる様は愛奈の性格を良く表している。可愛くなっても奢らないとは、中々見上げたものだ。
彼女は恵子と千鶴を連れて来てくれたパーティーリーダーのグレンの方を向くと、こちらにも丁寧に頭を下げる。
「グレンさん。麻木さんたちを連れて来てくれてありがとうございました」
「いや、礼を言われるようなことじゃない。俺が連れて来なくても、どの道いずれは辿り着いてたさ」
グレンが苦笑混じりに応じると、愛奈はそれでも感謝しているともう一度告げる。
そうして頭を上げた愛奈は、グレンの隣に居た男、リドウにようやく気付いたらしい。
「あの……こちらは?」
「俺はリドウ。お嬢……麻木恵子と一条千鶴の……まあ保護者みてぇなもんだな」
この台詞に、やはりお子様扱いかという舌打ちが二つ聞こえてきたが、とりあえずそちらは放置で。
「はぁ……保護者のリドウさんですか」
「敬称は要らねぇよ」
「え? で、でも……」
なぜか愛奈はあたふたと視線を泳がす。
「そ、その……私、人を呼び捨てにしたことってなくって……呼び捨てじゃなきゃダメでしょうか……?」
と上目遣いの愛奈は、困ってしまっているためにもじもじと両腕を伸ばしたままで手を組んでいて、ただでさえ巨大に盛り上がる胸が自身の腕に挟まれて、より強調されてしまっている様は既にあざといの領域にまで達している。
それを見て「……強敵、にならない内に潰しておいた方がいいかしら……?」などと物騒なことを考えている某腹黒お嬢様がいらっしゃったりしたが……
肝心のリドウといえば、超級のブツの持ち主にはリリステラや、それにメイド部隊の中にも何名か居るので慣れがあるのか、特に何の感慨も浮かんでいない平然とした有り様であった。
「あー、まあそれがあんたの主義だってなら、無理はしなくていい」
「あ、ありがとうございます!」
「おいおい、こんなことでまで礼を言うか?」
「そ、その……何となく反射的に……」
呆れ顔で見られてしまったことが羞恥心を刺激されたらしく、愛奈はかぁっと顔を赤くしてしまう。
それを見たリドウは何を思ったのか不思議なことに、一瞬だけではあったが眉間に皺を寄せていた。
(……こりゃもしかすっと俺が一番苦手なタイプじゃねぇか? おい)
普通の男から言わせれば、自己主張の強い恵子や千鶴よりも愛奈の方がよほど扱い易いだろうに、リドウ的判断ではどちらかというと苦手な部類に入るようだ。
メイドたちの中にも、精神年齢に多少の誤差はあれど、このような娘が何名か居たのだが、リドウはこういった娘に苦手意識を持っていた。
というのも、この手の気弱タイプが馬鹿丁寧なのは、自分のせいで余計な軋轢を生まないようにという自虐的な性格の裏返しであったりするので、下手なことを迂闊に口にすると、自分の中で一気に悪い方へ悪い方へと勝手に解釈していくため、扱いに細心の注意が必要とされたりするケースが彼の経験上多く、高坂愛奈がそうだとまだ決まったわけではないが……
(何で初っ端がお嬢で……こっちはしゃあねぇが、次が腹黒女で……まあそれもお嬢の護衛が増えたと思やまだマシだが……男の方が……いや、それだとお嬢と千鶴相手に面倒起こされる可能性の方が高いか?)
見つかってくれないのも困るが、発見できたらできたで面倒だな、とリドウはこの時初めて気が付いて、心の中だけで暗澹たる息を吐く。
(しかし、この娘……)
と、更に何やら内心で思うことがあったようだが、それを表に出そうとはせず、リドウは陽気に愛奈に向かい合う。
「ま、よろしく頼むぜ」
「は、はいっ。よろしくお願いしますっ」
ぺこりと頭を下げる愛奈に、リドウは「ま、一緒に旅をしなきゃならねぇと決まったわけでもねぇしな」と頭の中で彼女のことを一時棚上げすることにしたようだ。
そうしていると、いつの間にか再び酒場の中へ消えていたグレンが戻ってきた。
「アイナ。今日の打ち上げは中止にしたから、友人の嬢ちゃんたちと家でゆっくりしたらどうだ? 積もる話もあるだろ」
「え……?」
グレンの親切な提案であったが、愛奈はなぜか虚を突かれたような顔をし、そしてその顔を、思わぬ再会に心弾んでいたものから、暗く気落ちしたものへと変えてしまう。
しかしグレンはそれに構おうとはせずに言葉を続ける。それは千鶴に過剰な反応をもたらすだけの情報であった。
「他にも同郷の友人が居ただろ? そいつらにも会わせてやった方がいいんじゃないか?」
愛奈との顔合わせ後、一同はバラバラに行動することとなった。
一組目はグレンの他の仲間たちで、彼らは独自に仮打ち上げパーティーをするということで、そのまま酒場に残った。愛奈が世話になっていたのだし挨拶をと千鶴は望んだが、それは今度でいいとグレンに止められた。
千鶴を筆頭に恵子と愛奈のスリーショットは酔っ払いには刺激が強すぎるだろうと考えたようだが、まあまあ正しい判断であろう。
二組目は愛奈について行った恵子と千鶴である。
ではリドウはどうしたのかといえば、先ほどグレンから話のあった『相談』とやらのため、場所を変えて相談事に適した落ち着きのある酒場へとやってきた。
その際、「男同士の話だなんて、なんかやらしっ」と、どこか敵意を含んだ視線をサイテー男に送ったお姫様がいたり、「くれぐれも話が終わったらすぐに帰ってくるように」と想い人に強く念を押すお嬢様がいたりしたが、言われた方は飄々と煙管を燻らせながら無言で肩を竦めてみせるだけであった。
ちなみに宿泊先は既に決めてある。一見さんの平民でも受け入れてくれる中では最上級のそこは、下級の遺跡ハンターでは宿泊だけで一日の稼ぎが丸ごと吹っ飛んで足まで出る等級であったが、リドウは限界まで切り詰めてまで孤児院に寄付するような善行だけを好しとするタイプではないのであった。
互いに向かい合うように席に着いた二人は注文をすると、リドウの方から話を切り出した。
「で、話ってのは?」
「ああ。アイナのことなんだがな……」
どこか言いにくそうに言いよどむグレンだったが、リドウは特に何も言うことはなく、グレンが自ら口を開くのを静かに待つ。
やがて意を決してリドウと視線を合わせるグレン。
「できれば、そっちで引き取ってくれないか?」
リドウは煙管を吹かして一拍の間を置く。
そんな彼を真剣な顔で見ながら、グレンはリドウの答えを待つ。
「……訳は?」
「そのためには、まず俺のパーティの内情から話さんとならんのだが――」
グレンはこの街で道場を開いている魔闘術の流派において、免許皆伝を授かっているそうだ。
別に皆伝を授からなくてはデビューできないわけではなく、基本的に彼の流派の門弟は遺跡ハンターになる。
そんな彼らにとって、グレンは出世頭とも言うべき成果を挙げており、憧れや尊敬の的であった。
「二年前なんだがな。それまでは魔法使いの女房と、同期の友人一人と、そいつの女房の弓使いの四人でずっとやってたんだが……別に限界を感じたというわけではないんだが、師範からメンバーを増やしてはどうかと言われて、有望な若手を二人紹介されたんだ。特に断る理由も感じなくてな、二人とも人当たりも良くて、冒険者志望にしては珍しいくらいに真面目な男たちだ。……が」
グレンはなぜか頭痛を堪えるように眉間を指で押さえる。
何となく読めてきたリドウは、ため息を混じらせた煙を吐いて、大人しく聞き手を続ける。
「アイナと、それにアイナの友人たちを拾ったのは、ここから五日ほど行った俺の実家に女房と里帰りした時だった。道中でグレイファングの集団に襲われててな、助けて事情を聞けば勇者じゃないようだが異世界人らしいじゃないか。その中で一人だけ、アイナの魔力は俺でも異常だと思うほどの潜在能力を秘めていたし、魔法使いの女房に言わせれば恐らくは勇者級ってことで、ならキャスティングを覚えさせて一通りの戦い方だけ教えれば、あとはどこででもやって行けるだろうと考えて、一時的に預かることにしたんだ」
「端から手放す気だったのか?」
訝しげに訊くリドウに、グレンは苦笑してみせた。
「自虐するわけじゃないが、自分の分くらいは弁えている。あれだけの才を俺たち如きと延々一緒にさせておくわけにもいかんさ」
「…………」
「理由は半々なんだがな……おたくらならアイナと一緒でも見劣りしないだろう。いや、特にリドウ、おたくは間違いなく別格だな。アイナが見劣りしないかの方が心配なほどだ」
「で、もう半分の理由ってのが?」
「ああ……」
グレンは再び頭痛を堪える仕草になる。
「まさか痩せたらあそこまで化けるとは思ってなかった。おかげでうちの若手二人がのぼせ上がっちまって……」
力なく首を横に振る姿に、よほど苦労しているらしいとリドウは察する。
「アイナが無自覚にボケ倒してくれてるからまだ連携に支障が出るほどじゃないんだが、正直時間の問題だと思っている。しかもアイナの方も問題を抱えていて、その内容自体にアイナに責任があるわけじゃないんだが、惚れた女の抱えた問題だ、口出ししたくなるのも人情ってものだろ。冒険者としては掟破りだとあいつらも理解はしているんだ。しかしな、俺たちが諌めていられるのもそろそろ限界なんだ」
グレンのぶっちゃけ話を聞いたリドウと言えば、深く吸い込んだ煙を、肺の中に溜まっている空気が全て無くなるのではというほどに、更に深く深く吐き出した。
「下半身の問題だからねぇ……」
「二人とも悪い男じゃないんだがな……」
グレンは思い切り苦い笑いを浮かべる。
「こう言ってはなんだが、以前のアイナはお世辞にも男受けするタイプじゃなかった。そのせいなんだろうが、とにかく無防備なんだ。数年もすればそれなりに自覚を身につけるだろうが、仮に今のアイナが誰かとくっついたとしても、他の男に期待を持たせるような言動を無自覚にするだろう。アイナと付き合うなら、その辺を鷹揚に酌んでやれる男じゃないと、すぐに破綻するのは目に見えている。残念ながらあの二人では無理だ」
「事情は解った。しかしな、俺の一存で承諾するわけにゃいかねぇ。悪ぃが返事は待ってもらおうか」
「ああ、それはもちろんだ」
真剣な顔で肯くグレンだったが、彼と、そして即座に了解しなかったリドウも、恵子と千鶴が否と言うとは思っていなかった。
(まいったね……問題無さそうなら連れてく必要まではねぇと思ってたんだが……)
どうしたものだろうかと、リドウは努めて表には出さないよう、心の中で深いため息を吐いていた。
一方、恵子と千鶴に伴われた愛奈は自宅として借り受けている借家へと向かっていた。
愛奈が他二人を伴っている、のでは決してない。
彼女はなぜか、二人を案内することからして気が進まない様子で、何度か他の場所で済ませようと二人へ提案していた。
しかしその態度に何かを思った千鶴は、相手に有無を言わせない笑顔を作りながら強行し、不審に思った恵子もそれに協力した。
何をそんなに躊躇う必要があるのか、愛奈はしかし、結局二人を連れて帰ることになってしまった。
そうしてやって来た家は決して大きなものではなく、一般の民家と比しても少し小さいくらいだったが、それでも人が数人は十分に住める大きさはあった。
玄関まで辿り着くと、愛奈はここで更に焦った様子を見せながら、恵子と千鶴に自分が呼ぶまで待っていてほしいと念を押した。
ここに至って千鶴は完全に表情を消し、恵子も難しそうな顔になったが、あまり愛奈の意思を無視して強行するのも憚られたため、とりあえず肯定の返事をした。
その後、慌てて家の中まで入って行った愛奈を見送った二人は、しばらくは互いに口を開くことなく待っていた。
しかし、その状況に痺れを切らした恵子が千鶴に話しかける。
「ねえ」
「しっ。静かに」
千鶴は人差し指を口の前で立ててみせる。
「聴力強化は視力強化より難易度が高いのよ。私ではまだリドウのようにはいかないの、黙っててちょうだい」
「盗み聞き? まあ責めたりはしないけどね、あたしだって気になるし」
その頃、家の中ではこんなやり取りが行われていた。
命懸けの仕事から“三日ぶり”に帰宅した愛奈を迎えたのは、残念なことに温かい歓待の声ではなかった。
「あ、あの……ただ今帰りました……」
途端に、ダイニング兼リビングらしき部屋に居た少年たちが三名、愛奈へと注目する。
その目には怒気すら感じさせ、彼らから発せられる声は一様に罵倒の色を帯びていた。
「高坂!」
「お前いつまで待たせんだよ!」
「で、でも……今回は三十四層最終攻略作戦だから、何日か掛かるって最初から」
おどおどと言い訳をする愛奈だったが、彼らはそれを認めようとはせず、むしろ彼らの怒りを煽るだけだったようだ。
「うるさい! もう金が無いから、昨日の夜から何も食べてないんだぞ!」
「そ、そんな! だって行く前に渡したお金があれば一週間は――」
そこで愛奈ははっとする。
「もしかして、またしょ、娼館に行ったんですか……!?」
愛奈も怒りを堪えた涙目で彼らを見つめる。
「俺たちが悪いってのか? こんないつ殺されるかもわからない所で俺らも不安なんだ。少しくらい慰められに行っても責められるようなことじゃねーだろ!」
「で、でも、日本じゃそーゆーのは十八歳未満は」
「ここ日本じゃないしさー」
「とにかくよ、さっさと金寄越せよ。俺たちの中で稼げんのお前だけなんだからよ」
とんでもない言い草だが、彼らの中では完全な正論らしく、何の悪気も感じさせずに言い切っていた。
愛奈は既に大粒の涙を目元に浮かべ、それでも反論を試みる。
「だから……お、お仕事探しましょ……? 皆ができるお仕事、探せばきっとありますから……」
「って言われてもなー。俺らまだ働ける年齢じゃねぇし」
そんなわけがない。日本でだって就職を認められる年齢であるし、ここはルスティニアだ、彼らの年齢なら誰でもとっくに職に就いている。
先ほどはここが日本ではないという言葉に、言った本人だけでなく、他の二人も肯いていたというのに、中々根性がひん曲がっている少年たちであった。
「バイトなんてまともなのねぇしよ。就職っても職人系ばっかだし、俺たちみたいな頭脳派のする仕事じゃねぇよ」
「職人系とかさ、下っ端の扱い見ただろ? 殆ど奴隷だぜ。しかも就労時間とかブラック企業顔負け」
「やってらんないよな」
「それで女に稼がせて、自分たちはそのお金で女遊びとは、随分とお偉い様なのね、あなたたち」
何が楽しいのかニヤケながら顔を見合わせる男たちの耳に、声だけでもこの女は美人だと思わせる男心を擽る音色ながらも、まるで真冬に吹きすさぶ北風もかくやな冷え切った声が届いてきた。
慌ててそちらに目を向けると、
「い、一条さん!?」
「うそだろ! 何でこんなとこに!?」
「麻木さんまで居るぞ! どーなってんだ!?」
彼らはどうしてそれを先に言わないのかと、カッコ悪い場面を憧れの美少女たちに見られてしまった怒りをぶつけようと、こちらは見られたくない場面を彼女たちに見られてしまい、それまで責められ続けていたせいで既に決壊寸前だった涙を流しながら、床に崩れ落ちて泣いている愛奈に迫ろうとした。
が――
チャキ
「ひっ」
男子たちの一人、一番最初に愛奈に近づこうとしていた彼の前に千鶴は偃月刀を差し出し、彼はその歩みを悲鳴と共に止めた。
それを見て、彼に続こうとしていた他二名の男子たちも慌ててその歩みを止める。
千鶴はその男子から眼を離さずに、後ろに居る恵子に指示する。
「恵子ちゃん、高坂さんを外へ。何か暖かい飲み物でもご馳走してあげてちょうだい」
「うん……でもあたし一人になってもいいの?」
力強く肯いた恵子であったが、最近のリドウと千鶴が“それ”をとにかく気に掛けていることは察していたし、その理由も良く理解していたので、一応確認した。
「高坂さんは上位キャストを使用できるはずよ。落ち着いたなら、不意打ち以外でそう滅多に遅れはとらないでしょう」
「解った。行こ、高坂さん」
「…………」
優しく愛奈の肩を抱いて、そこを押すようにする恵子。
愛奈は俯かせた顔を両手で覆ったまま、何も言わずに恵子に従われて出て行った。
二人の姿が視界から消え去ったのを確認した千鶴は、リドウにこそ及ばないものの、その身に激しい何かを纏わせながら、目の前の男子たちに氷の眼差しを送る。
「なるほどね……リドウの言っていたことが良く理解できるわ」
今の自分の状態を自覚し、以前にリドウに問い質した話を千鶴はふと思い出す。
殺気一つで魔物を場に留めることが可能な彼ならば、弱い魔物を殺気だけで蹴散らすこともできるのでは? と以前に疑問に思って訊ねたことがあった。
その時彼は――
「そう都合のいいもんじゃねぇ。確かに戦意を伝えることは可能っちゃ可能だが、殺意の欠片も湧かねぇのに殺気なんか纏えるかよ。獣ならともかく、それで退く魔物はまずいねぇ」
――と言っていたが……なるほど。殺意が湧けばこうも容易に殺気とは纏えるものなのか。
千鶴もそれなりに漫画などを読んだ経験はあったが、その中ではいとも容易に殺気殺気と言うものだから、実際に達人ならばそういうことが可能なのかもと彼女をして思い込んでいたのだが、どうやら違ったらしい。
目の前で怯えを露にしている男子たちを冷たく見据える千鶴は、殺気というものを初めて意識して自分が帯びているのだなと自覚していた。
ルスティニアに来て以来、激しい憎悪を胸に何十という盗賊を惨殺し、それからは自慢の肉体に軽傷をこさえることも厭わずに自らを鍛え続けてきた彼女には、一般人を身動き一つさせなくさせるには十分なだけの殺気を身に纏うことを可能としていた。
「なぜ彼女だけに危険な仕事をさせて、あなたたちはそのお金を使って自堕落な生活を謳歌しているのかしら?」
普段の彼女が背景に背負う氷山ではない。今の彼女が背負っているのは暗黒の深遠をオーラとした何かであった。
恐怖に顔を引き攣らせながら互いの顔を見合わせる男子たち。
しかし、
「答えなさい」
まるでリドウであった――その静寂な一声は。
片恋相手だから影響を受けたというよりも、元来が似たような気質をしているが故なのだろう。
答えなければどうされるのか? それを思うと黙ったままでいることは到底できず、最初に千鶴から偃月刀を突きつけられた男子が恐々と口を開いた。
「だ、だって……ずるいじゃないですか」
「ずるい、ですって……?」
「ひっ……だって一人だけあんな特別な力を持っててさ! なら責任もって金くらい稼いできてもらわなきゃ割りに合わないって……」
「高坂愛奈という十七歳の少女が、同級生のあなたたちに対して何の責任を負わなくてはならないというのかしら……?」
千鶴は段々と自分の声が低くなっていくのを自覚するが、控える気は全く起きてこない。
要するにこの男子たちは、自分が物語の主人公になりたかったのだろう。
グレンが、それとも彼の仲間かもしれないが、聡明だった故に千鶴の危惧していた事態に陥ることにはならなかったようだが、主人公足り得る才能を持つ愛奈に嫉妬し、彼女が気弱なのをいいことに利用するだけしていた――そんなところか。
「ど、同級生なら助け合わなくちゃいけないじゃないですかっ」
「あなたたちのどこに助け“合い”などという言葉が当て嵌まるというのかしら? 依存や利用をそうと表現できる便利な言葉ではないでしょうに。小学生からやり直してくることね。いえ、馬鹿は一度死ななければ治らないというし、生まれ変わった方が早いかしら、ね」
一条千鶴の毒舌が本領発揮といったところか。
ぐうの音も出なくなった男子たちを見た彼女は、面白くなさそうに舌打ちをした。
「彼女は私たちで引き受けるわ。これからはご自分のことはご自分で面倒を見ることね」
「そ、そんな……それじゃあ俺たちはこれからどうやって生活すれば」
「私の知ったことではなくってよ」
千鶴は冷徹に言い捨てて部屋を出ようとする。
慌てて追い縋ろうとする男子たちであったがそれは一瞬のことで、千鶴の片手にある偃月刀を目に止め、びくりと身を震わせて、伸ばした手を引っ込めた。
しかし彼らが呼び止めるまでもなく、千鶴は足を止めて振り返った。
「一つ、大切なことを訊き忘れていたわ」
ずおぉっと千鶴の全身から発せられる“何か”が増大するのを男子たちは感じ取り、殆ど涙目になって全身を硬直させる。
「彼女に……手を出してはいないでしょうね……?」
男子たちは我が首よ千切れ飛べと言わんばかりの勢いで首を横に振る。
「ウソだったら……」
「ウソじゃないですよ!」
千鶴の言葉の続きをよほど聞きたくなかったのか、男子の一人が慌てて答えた。
「本当です! だってマナデブがあんな可愛くなるだなんて思ってなかったし……」
ちなみに『マナデブ』というのは、愛奈という可愛らしい名前なのに実態はおデブさんという彼女に対する悪意を込めたあだ名で、『愛デブ』で『まなでぶ』と誰かが言い出したのが始まりだった。
「痩せてきた頃にはあいつ、もう魔法を沢山覚えてたから……」
なあ? と同意を求める感じに隣の男子を見ると、その男子も恐る恐る頷いた。
「何も文句言わないから金だけもらって、俺たちは……」
「商売女たちとお楽しみ三昧だったというわけね」
高嶺が行き過ぎて天上の花だった千鶴から完全な侮蔑の目で見られて、彼らは一様に傷ついた反応をしているが、自業自得以外の何物でもない。
「ならいいわ。御機嫌よう、名前も知らない同級生の男の子たち」
自分と一緒に召喚された男子は命を賭して一人の女を守りきった……守りきったわけではないが、少なくともそれだけの気概を見せた。だからこそ、彼の名前も知らなかった自分自身を盛大に罵倒し、嘆き悲しんだが……こんな男たちの名前など知る価値は無い。それどころか知っているだけ損だ。
千鶴は徹頭徹尾に冷酷な思考で彼らの存在を既に頭の中から消し去っていた。
宿屋の一室。まあまあに高級なそこは、見張り役の専属冒険者が入り口には常時待機しているため、安全性がかなり違う。部屋の大きさも、リドウ用の一人部屋でも四人で集まっても十分な余裕があり、そこにはテーブルと、その周りには椅子も設えられている。
そこに座るリドウは、何か気に入らない出来事があった時特有の無表情を顔に貼り付け、煙管を吹かしてから灰皿に灰を落とした。
その音に驚いてしまったのか反射的にびくりと身を竦ませる愛奈は、暗く沈んだ顔のままでリドウをちらっと窺う。
リドウの目の前には愛奈も含めて三人の少女たち。それぞれにタイプの違った魅力を携えており、その中の二人、恵子と千鶴は憤慨を隠そうとはしていない。
リドウは新たに煙管に葉を詰めて火を点すと、深く一吸いしてから、沈黙が支配していた中でようやく口を開いた。
「……事情は把握した。しかし、迂闊なマネをしたもんだな、千鶴。お前さんらしくもねぇ」
「迂闊、ですって……?」
こういう時の千鶴は、好きな男だからと言って無条件に媚を売るような女ではない。ぎろりとリドウを睨む彼女の眼差し、こんな時の彼女は実に恐ろしいものだ。
しかしリドウがそれで怯むような男であるはずがなく、逆に自分まで若干目を細め、煙管で千鶴を指し示す。
「そもそもだ。お前さんは同級生を保護したいんじゃなかったのか?」
「あんな性根の腐りきった男たちがその範疇に含まれるとでも仰る?」
「だが、事実だ」
「冗談ではないわ。私にだって選ぶ権利というものがあるのよ」
リドウは気にした風もなく煙管を吹かしながら肩を竦めてみせる。
「まあお前さんがそう思うならそれでも俺は構わんがね」
「……何が言いたいのかしら?」
千鶴は瞳に映る感情を強くさせ、不満を声に乗せてリドウに送りつける。
それに対して彼は特別な反応は見せずに彼女の目を見つめ返す。
「お嬢を見てりゃ判る」
そう言ってリドウは一瞬だけ視線を恵子に置いたが、彼女は意味が分からず、怒気に染まっていた顔に、今は不思議そうにハテナマークを浮かべていた。
「千鶴、お前さんはかなり特殊な部類だ――人間としても、女としても」
「そうね。個人的にそうと奢った心算はないけれど、否定はしないわ」
リドウは千鶴の答えを聞いて一つ頷いた。
「お前さんらの世界じゃ、基本的にお前さんらの年齢までは学校って施設で教養を身につける。そうだな?」
「義務ではないわ。けれども殆どの子はそうでしょう。それが何なのかしら?」
「お前さんらの年齢じゃ大人に満たない、そう決められてんだろ?」
「…………」
リドウが何を言いたいのか大体を察せた千鶴は、痛い所を突かれたように顔を歪める。
「十七となりゃきっちり分別はつく年齢だ。それは確かに間違っちゃいねぇだろうよ。だがな、法によって大人扱いされてねぇのに精神的に大人になれってのも、何とも酷な話だと思わんでもねぇぜ、俺はよ。そこら辺、大人ってのも身勝手が多いだろうからな、ここぞって時にゃ『もうガキじゃねぇだろ』とかほざくくせに、それを口にした本人からしていざって時にゃ『ガキのくせに』とか矛盾もいいとこ言いやがるのが世の常ってもんだろう」
どうだ? 何か間違ってるか? と暗黙の内に目で訴えるリドウから、千鶴は耐え切れずに視線を逸らして応じた。
「そうね……そうかもしれないわ。いいえ、その通りね」
「確かに連中がやらかしてたことに何の問題も無ぇとは言わねぇ。無条件に許してやっても構わねぇってもんじゃねぇだろう。しかしよ、救いようがねぇ外道ってこともねぇだろ。連中はまだ他者に依存することを許される世界で生きてきたんだ。そう簡単に価値観と意識を切り替えられるもんでもねぇよ。それができるのは千鶴、お前さんみてぇな極一部の人間だけだ」
「なら……私はどうすればいいの……?」
救いを求めるようにリドウを見つめる千鶴であったが、彼はそこで即座に答えを返そうとはせずに愛奈の方へと視線をやる。
いきなり矛先を向けられた彼女はびくりと身を竦ませてしまう。……その際に胸までぷるるんと震える様は流石というか何というか。
「愛奈……と呼ばせてもらうが構わねぇかい?」
「は、はいっ」
彼女を落ち着かせるために間を置こうと、リドウは明後日の方を向いて煙管を吹かしてから、何を言われるのかと身構えている彼女に再度視線を戻す。
「一つ疑問なんだが」
「は、はい……な、何でしょうか……?」
「別にお前さんを責めようって心算は無ぇからよ、そうビクつかねぇでくんねぇかい」
「は、はい! 解りました!」
呆れ顔で言われてしまった愛奈は素直にその言葉に従って、巨大に突き出した山の頂に手を置いて何度か大きく深呼吸をすると、それで落ち着きを得られたようで、気弱そうな顔にも多少はきりっとした雰囲気を乗せてから、リドウに向かい合う。
「はい……何でしょう?」
それでもリドウの顔色を窺うようになってしまっているのは、やはりそれが彼女の本質なのだろう。
リドウは内心でやはり苦手なタイプだなと思いながら、そこはもう諦めるかと、外見には出さずに心の中で深く息を吐いていた。
「ああ……お前さん、もう上位キャストは使えんだろ?」
「はい。教えてくれたのはリーナさん……あの、グレンさんの奥さんなんですけど、その人は中位キャストまでしか使えませんが、でも凄い人なんです! 威力は変わりませんけど、ロスト・スペリングで同レベルの魔法行使ができちゃうんですよ!」
愛奈がこの世界に来て世話になった人々の中では、実はグレンよりもこのリーナの方が割合大きい。
その人物を褒める談になって途端に顔を輝かせているのを見るに、気弱な彼女の面倒を根気良く見てくれるだけの人格者なのだろう。
「ほう、そりゃ大したもんだ」
リドウも感心した声を漏らすが、すぐに少し苦笑気味に顔を歪めた。
「だが途中から話が逸れてるぜ?」
「あっ、す、すいません……」
「事あるごとに謝るな。話が進まねぇ」
「す、すいま――あぁっ」
また謝罪の言葉を口にしていることを自覚し、愛奈は色々な意味で頭を抱えてしまった。
「でさー」
恵子がつまらなそうに口を開く。会話に加われないのがそうなのか、それともさっさと話を進めたいのかは本人のみが知ることか。
「結局何が言いたいの?」
「ああ」
リドウは愛奈から視線を外さずに応えた。
「愛奈。お前さん、どうして大人しく言いなりになってたんだ?」
全くもってその通りである。
現在の愛奈の戦闘能力は、現代でぬくぬくと育った一般人がどうこうできるレベルでは間違いなくありえない。その気になれば反抗することなど容易だったろうに、それをしなかったということは、何かそれなりの理由があったのではないか、リドウはそう言っているのだ。
もしかしたら、ただ気弱が故の善意の塊という可能性もあるが、あそこまで理不尽な扱いをされていてそれだけと言うには少々弱い。
「そ、その……やっぱり可哀そうですし……」
「本当にそれだけか?」
俯きながら消え入りそうな声で、やっとのことで言葉を紡いだという感じの愛奈に、リドウは即座に追求の手を入れた。
すると、彼女は途端に顔を今まで以上に暗くして、しかも涙すら目元に浮かべだした。
だがリドウがそれで動揺するはずもなく、煙管を吹かせてただ静かに答えを待つ。不意に泣かれてしまったならともかく、今回は最初から恐らく“こう”なるだろうと予想し、それでいて実行したのだから。
千鶴はどうだか窺い知れないが、恵子などは「なにも泣かせることないじゃない。もーちょっと言い方考えてよね」と少しキツイ目でリドウを睨んでいたものの、彼女も止める気まではないようだ。ここで知っておかなくてはならないと判断しているのだろう。
そんな無言のプレッシャーに堪えかねたのか、愛奈は次第にぽつりぽつりと語り始めた。
「私……ホントは……ちょっと嬉しかったんです――」
小さな頃から食べることが好きで、そのせいで同年代の平均に比べると愛奈はかなりの肥満児だった。
運動を特に不得手とし、それ以外にも殆どの事柄に対して鈍くさく、誰からも頼りにされたこともなければ、むしろ嘲笑の、そして虐めの的だった。
そんな彼女がこのルスティニアに来て、他の男子たちが持たない圧倒的な魔力を得て抱いた思いは――
復讐……ではなく、「自分がしっかりしなくちゃ!」という責任感だった。
最初の内はあの男子たちも、彼女に感謝の念をしっかり表していたそうだ。が、次第に調子に乗るようになってきて、半年を経た今では“ああ”なってしまったというのが真相らしい。
その時になって上手く諌められるほど愛奈はコミュニケーションに秀でてはおらず、かと言って暴力に出られるような気質でもなかったらしく、しかし見捨てるわけにもいかずにずるずると……というのが真実のところのようだ。
「なるほどねぇ。それで愛奈、お前さんはどうしたいんだい?」
「ど、どうって……どういうことでしょうか……?」
「俺らの旅の目的は?」
「同級生たちの保護と帰還方法の探索……ですよね。あと、麻木さんは恋人の神崎さんを」
「まあそっちは同級生の保護に含まれると考えて構わねぇと思うがな。お前さんに今与えられた選択肢は三つだ」
リドウは煙管を吸ってから、それを灰皿にぽんぽんと軽く叩き付け、それから愛奈に視線を戻す。
「俺らと一緒に来るか、それとも今まで通り例の同級生たちの面倒を見るか。もしくはどちらとも関わらずに独りで生きて行くか、だ」
リドウはグレンから愛奈を引き取ってほしいと言われていることは明かさずに提案した。どれを選ぶにしても完全に愛奈の意思に任せたいリドウとしては、余計な情報を与えて混乱させるのを嫌ったのだ。
「あの……」
「何だい? 遠慮せずに言ってくんな」
超巨乳美少女の上目遣いというハンパない威力の爆撃を食らいながらも、リドウは顔色一つ変えずに応じている。本当にこやつの女性関係に関する情緒はどうかしているとしか思えない。
「私も他の皆さんを探すというのは賛成ですし、できればお手伝いしたいとも思うんですけど……もし私がリドウさんたちと一緒に行くのを選んだら……彼らはどうなるんでしょうか……?」
「それに関しちゃ俺に腹案がある。もっとも、連中が素直に肯けばの話だがな」
リドウは再び煙管に火を点し、「まったく、お嬢と会ってから先、面倒を抱え込んだもんだぜ」という内心を煙に混ぜて吐き出すのであった。




