第九話 千鶴、決意を新たにするの巻
紅のコートが特徴的なハードボイルド野郎。
そんなリドウの目の前には今、総勢で5名になる粗野な男たちが……
揃って土下座していた。
更にその中心人物と思しき男が頭を下げたまま何かを恭しく献上するようにしており、その手の中には五つの皮袋を見ることができた。
「ゆ、許して下せぇ、旦那!」
「あっしらが悪ぅございました!」
「これで見逃して下せぇ!」
リドウは刀を肩に担いだまま皮袋を受け取ろうとはせず、煙管に火を点して一吸いする。
斜め天に向かって煙を吐き出すリドウを、未だ土下座したままの男たち……つまりは盗賊たちなのだが、彼らはリドウのご機嫌を慎重に窺うよう、ちらっと目線だけで彼の姿を確認する。
しかしその視線に気づかれてしまい、リドウと目が合ってしまった盗賊は「ひぃっ、すんません旦那!」と慌てて深く頭を下げる。
「てめぇら」
これまで黙していたリドウがドスの利いた声を発すると、盗賊たちは一人残らず「へいっ!」と声を揃え、額よ擦り剥けよとばかりに地面に深く頭を押し付けた。
「二度と悪さすんじゃねぇぞ」
盗賊の男たちは一瞬何を言われたのか理解できなかったのか、揃って呆然とした顔つきでリドウを眺め、数瞬が経過してリドウの言葉の内容が頭の中に浸透してくると、涙を流さんばかりの面持ちで、一種の感動さえ見取れるような風情で、何度も何度も繰り返し頭を下げる。
「あ、ありがてぇ! きっと心を入れ替えて真人間になりやす!」
「ああ! もう二度と盗賊家業なんかしねぇと旦那に誓いやすぜ!」
それぞれにこのような内容の言葉を言う盗賊たち。
「ならもういい。行け」
刀を納めたリドウが煙管片手に許可をすると、彼らは互いに顔を見合わせてから、怖々とリドウの顔を窺う。
「あの、こいつはどうすれば……?」
どうやら財布の皮袋のことを言っているらしい。
「持ってけ。やり直すってのに無一文じゃ罷らねぇだろうが」
「あ、ありがてぇっ」
今度こそ涙を滂沱して、去り際にすら何度も頭を下げながらこの場から消えて行った。
それを見届けたリドウは、彼の背後からかかる声に振り向く。
「良かったの? 逃がしちゃって」
「いつもなら足の健を断ち切るくらいはしていたのに、今日はどういう風の吹き回しかしらね」
小動物的な愛くるしさが際立つ美少女恵子と、彼女と同い年ながら既に一端の美女にしか見えないクールビューティ千鶴が、少し離れたところからリドウに向かって歩み寄る。
「そーよね。いつもなら『五体満足じゃ見逃がさねぇ』ってずばっとやっちゃうのに。お財布も見逃しちゃったし」
「絶対たぁ言い切れんが、あの連中、今のが初仕事だ」
言いながら千鶴に預けておいた荷物袋を受け取ると、それを肩に担いだ。
「どうして判るのかしら?」
「連中の打ち方にゃ、一線越えちまったもん特有の開き直りが感じられなかった。少なくとも殺しはやっちゃいねぇだろうな。てめぇが悪事を働いてるって自覚もあったようだし、まだ救いはある」
「信じていいのかしら?」
「さあな。連中が素直に足を洗えるかは正直五分だと俺も思っちゃいるが、疑わしきは罰しろってなぁ、俺の趣味じゃねぇ」
「相変わらず甘い男ね」
千鶴の言葉を肯定したのかそれとも否定したのか、リドウは苦笑しながら煙管の煙を吐き出すだけであった。
しかし千鶴はくすりと唇をほころばせ、己の豊満な胸をぎゅっと押し付けるようにして、リドウの腕に抱きついた。
「でも、とても素敵だと思うわ」
「ちょっ、千鶴あんたねっ」
慌てたのはされたリドウではなく、それを見ることになった恵子。
「あら、何かしら恵子ちゃん?」
「な、何って……」
常の無表情が嘘のようなにっこり笑顔で返されてしまった恵子は、どこか気圧された様子で押し黙る。
「彼氏持ちの恵子ちゃんが羨ましいわ。私も早く恋人が欲しいものね」
「うっ」
余計な口出しはするなと釘を刺されてしまい、口が上手い千鶴に対して効果的な反論が思いつくはずもなく、恵子は不満たらたらといった感じで口を閉じる。
その下唇が上唇で噛み締められるようになっているのはご愛嬌というものか。
しかし千鶴の攻勢はこれだけでは終わらなかった。
「ねえ? リドウ」
猫なで声とはこのことか、と恵子は顔を引き攣らせて、しかし千鶴の行動に今更ケチを吐けようにも難しく、「うぅ……」と小さな呻き声すら漏らしながら二人を睨み付けるだけであった。
もっとも、それを気にしてくれるような二人ではなかったが。
「欲しけりゃ幾らでも寄ってくんだろ」
「たった一人を除いて、でしょう?」
「そりゃ、勿体無ぇ野郎もいたもんだな」
「相変わらず憎い男ね」
白々しく言い切るリドウの腕を、千鶴は抱き込んだままで抓ってみせる。
彼女の片手には先日完成した『戟』が握られているため、これが実に中々シュールな光景である。
この戟であるが、正確には『偃月刀』に分類される仕様となっており、槍の穂先に『蛮刀』サイズの反りの入った片刃の武器がついている。龍の文様は入っていないので、三国志の某英雄的武将が愛用したブツの頭二文字は付かないが、形状は殆ど同じだと思って頂いて構わない。
薙刀を嗜んでいた千鶴にとって多少扱いが違うのは確かなのだが、闘気に目覚めた影響である程度は力任せなことができてしまうため、こちらの方が効率がいいと考えた末の選択であった。
別に薙刀のままでも力任せの攻撃は可能だが、やはり少しでも武器自体の持つ自重が負荷された方が有利に働く。
ならばもっと馬鹿でかい武器にすればいいと思われるかもしれないし、確かにそれすら今の彼女ならば扱えはするだろうが、武器というのは長い歴史の中で人が扱うためにきちんと計算されたバランスが保たれているものなのだ。だからこそ、世界が違っても武器の形状に大した違いがないのだから。
特に千鶴の場合、既に武術的な動作の基礎が身に染み付いてしまっているため、その動きに全く合わない武器を選んでも逆に弱くなってしまうと言っても過言ではない。
「お守りばかりじゃなくて、私も戦わせてほしいものだわ。折角のおニューな武器が、これでは宝の持ち腐れよ」
「悪かったわね、お荷物で」
あんたもバトルジャンキーか、と恵子はジト目で千鶴を見やる。
「千鶴がお嬢の面倒を押さえてくれてっから、さっきの連中も無理に行動不能まで追い込まずに済んだんだ。感謝してるぜ」
「し……」
「し?」
ふっと笑んで礼の言葉を紡ぐリドウに、千鶴はなぜか顔を背ける。
その際に何かを言いかけたようで、それを疑問に思った恵子が首を傾げる。
「……仕方ないわね」
「悪ぃな。稽古には付き合ってやるからよ」
じゃあ行くかとリドウは先に歩いて行ってしまう。
千鶴と恵子は少しの間だけその場に留まって、特に千鶴が顔を背けた先に居た恵子といえば、呆れ全開の顔をしてた。
「千鶴……あんた意外とチョロいのね」
「……私も最近知ったわ、自分がこんなに安い女だったなんて」
顔が真っ赤な上にニヤケそうになっている唇を手で隠しているその姿は、常時のクールビューティが嘘のようである。
二人はリドウに遅れないよう、しかし会話は届かない程度の距離を保ちながら彼の後を追う。
やたらと耳……というか五感と更に第六感まで全てが優れているリドウだが、こうした会話を彼の耳が拾うことはなく、悲鳴や雄叫びなど特定の音にしか反応しないらしいと、彼女たちは最近気付いていた。
「ホント、どーしてあんな女タラシがいいんだか」
「あなたが言う?」
「それいい加減にしてくんない? あたしは本当にあんなやつ何とも思ってないんだからね。あたしには芳樹がいるの」
「それもいい加減聞き飽きたわね」
「あによ。何か文句でもあんの?」
「自分に言い聞かせているようにしか聞こえなくってよ?」
ばちばちばちっ、と二人の視線の間に火花が散る。
この二人、決して仲が悪いということはないのだが、事この手の話題になると途端に険悪になってしまう。
恵子から言わせれば、「どーしてあたしがあんな女タラシを好きだなんて思われなきゃならないのよ。もういっそこれって侮辱よね」という論拠があり、対して千鶴にしてみれば、「本当は好きなくせに認めないで、そのくせ要所要所でか弱いところを見せて気を惹こうだなんて卑怯だわ」という論拠があり、好きじゃない、でも好きなんでしょ、と常に平行線を辿っているのだ。
(ふふ……それを狙っている私も私ですけれど)
と心の中で黒い笑みを浮かべる千鶴が更に居たりもする。
千鶴にしてみれば恵子は完全なツンデレだ。煽れば煽るほど勝手に自滅してくれるため、恋のライバルとして扱い易いことこの上ない。
あまりやり過ぎると自覚して開き直ってくるかもしれないのでそこら辺は扱いが要注意だが、当分はこの手でいかせてもらおうと千鶴は心に決めている。
勝負事であれば強力な敵手が存在してこそ初めて楽しめるものだが、恋の競争に関してだけは好敵手なんて一人も居ない方がいい、というのが千鶴の持論であった。
夕方になると、夜営にちょうどいい場所を見つけたら、無理をしないでそこで休む。
リドウ一人であれば闇夜の中でも平然と行けるし、魔物に襲われても幾らでも対処できるが、恵子だけでなく千鶴にだってそんなことはできない。魔法で光源を確保することは容易だが、万が一にも戦闘が発生した際に光源の影響範囲外にはぐれてしまえば、彼女たちにとっては致命的だ。
故に、時間に余裕を持って場所を選定する。護衛を伴った行商人なども普通はそうしている。
「無闇に跳ぶな」
「くっ……」
跳躍して大上段から偃月刀を振り下ろした千鶴だったが、リドウはそれを殆ど紙一重でかわし、逆さに持った刀を、地面に着地し身を沈めた彼女の首筋に宛がう。
彼女とて勝てる相手ではないのは理解しているが、悔しそうに彼を見上げて思うことは勝てないが故の悔しさではなく、簡単に自分の欠点を指摘されてしまうという、自分自身に対する悔しさだ。
日本に生きた頃は何をやらせても天才と持て囃された一条千鶴であったが、薙刀道でもやはり師範から絶賛されたものであった。
それに奢った心算は彼女にはなかったが、惚れた相手にいいところを見せたい彼女としては、やはり「良くやった」と褒めてもらいたいところ。恋する乙女のささやかな欲望といえば可愛らしいものであろう。
もっとも、彼女に似合いな称賛の言葉は、「可愛らしい」よりもやはり「美しい」なのであろうが。いや、リドウからすればやはり「可愛いもんだ」なのだろうか。
「確かに上空からの攻撃は重量を加算できる。だが身動きが極端に制限される。空中でバランスを保ったままである程度自在な動きができるほどのレベルに、お前さんはまだ居ねぇ。確実に一撃で決められる隙が相手にある時以外には選ぶな」
「もう一本よ」
間合いを取って挑戦的な眼差しを投げかけてくる千鶴に、リドウは手のひらを上に向けてちょいちょいと「来い」という意思を無言の内に表す。
そうして再び激突する二人を、恵子はぼーっと眺めていた。
(何が面白いんだろ)
と思いながら。
動きが千鶴のレベルに合わせたものであるので、恵子にも何とか見ていられるのだが、その中で千鶴は実に楽しそうな笑顔でリドウと打ち合っている。
恋する乙女爆発状態の千鶴だから、リドウとある意味二人きりなその状況が嬉しいだけなのかもしれないが、どうも恵子の見る限りそれだけではなく、戦いそのものを楽しんでいるようにも見える。
――命懸け戦っている時、私は確かに、高揚する自分自身を感じている……。
そう言ったのは千鶴自身で、戦闘狂の気質があるのだろうと、彼女は自覚を持って言っていたのを恵子は思い出す。
が、極々普通の女の子な恵子にとっては全く理解できない気持ちであった。
その視線の先では、必死でリドウに喰らいついている千鶴の姿と、彼女の攻撃を余裕の様子で捌いている彼の姿を見ることができる。
恵子にしてみれば千鶴だって既に化け物にしか見えないのに、言い方はあれだがリドウはそんな彼女で遊んでいるようにしか見えないのだから、
(ホント、どんだけよ。本気出すといきなり消えたりするしさ)
と恵子が思いたくなるのも仕方ない。いや、稽古中のリドウが不真面目というわけでは決してないが。
「流れを掴め。動きは軸、軸は足に現れる。全体の睥睨を忘れずに、常にそこを意識しろ」
「ご丁寧なことっ……ねっ」
「理を以って解せ。武を芸とし術とする人間は大きく分けて二種。本能に従って動くか、それとも理を詰めるか。その点お前さんは明らかに後者。常に思考しろ、思考を放棄した時が、お前さんが終わる時だ」
「あなたはっ、どっちっ、なのかしらっ、ねっ」
一つ一つの動作に合わせて声を途切れさせながらも、千鶴は必死に少しでも多くを学ぼうとする。
「どちらだと思う?」
「さあっ、本能かしら――ねっ」
「外れだ」
刹那、千鶴が上段から振り下ろした偃月刀を、リドウは自らの刀を滑り台のように見立てることによって受け流し、更にそのままの流れで刀の柄を彼女の首筋に叩き込む……その寸前で止めた。
激しい運動によるもの以外の汗が己の頬を伝うのを千鶴は感じる。
(理解はしているつもりだけれど、やっぱり……桁が違い過ぎる)
そう思うと、今度は自分の惚れた相手がそうであることを想って、激しい運動によるもの以外で頬が上気するのを感じる。
「相変わらず理解力は凄ぇものがあるが、やはりまだ闘気に振り回されてる感じだな」
「各動作時に適切に分配する、ね。それを意識すると、どうしても攻撃が単調になってしまうわ」
「それに関しちゃ弛まぬ鍛錬による慣れっきゃねぇな」
その言葉に千鶴は肩を軽く竦める。
「それくらいは理解しているつもりよ。でも何かもっとアドバイスはないのかしら?」
「なら常に『美しさ』を心がけろ。武術に限らずこの世の物事の大抵は『無駄が無ぇ』という事実が即『美しさ』に繋がる。お前さんが見て『綺麗だ』と感じた動きは、お前さんの元来の動きに無理なく反映させられるようなら積極的に取り入れろ。『無駄が無ぇ』動きはより速く、より正確に、更に体力や闘気の消費を最小限にする」
「解かるわ。スポーツでも上手な人の動きは綺麗に見えるものですものね。『巧みだから綺麗』ではなく『綺麗だから巧み』というのが真理と、以前に聞いたこともあるわ」
「そのスポーツってのは良く分かんねぇが、そういうこった」
千鶴は己の腰まで届く長髪を撫で付けながら応え、リドウは刀を鞘に納める。
「まあ先は長ぇんだ。才能はある、そう焦るもんじゃねぇよ」
「いいえ、もう一本よ」
偃月刀を構える千鶴であったが、リドウは首を横に振って刀を抜こうとはしない。
「無理はすんな」
「まだいけるわ」
リドウは再度首を横に振ってみせる。
「格上相手ってのは常に全力だからな、そう長いこたもたねぇ。お前さん自身が思ってる以上に体には負担がいってんだよ。今はハイになってっからそう思えるだけだ」
「でも」
「焦るな。今は安全が保障されてるわけでもねぇ。常に最低限は対処できるだけの余裕は残しとかにゃならん。お前さんが理解できねぇわけがねぇだろ?」
「…………」
千鶴はそれでもまだ不満そうだったが、やがて顔をそむけて小さく零した。
「ずるいわ」
「あん?」
「卑怯だわ。そんな言われ方したら、大人しく従って差し上げるしかないじゃない」
「大人ってのは卑怯な生きもんなんだぜ。知らなかったのか?」
「ほんの三つしか違わないくせに」
煙管を吹かすリドウに、感情は殆ど映さないが、どこかすねたような雰囲気の千鶴。
彼女は目の前の男に視線を戻す。その顔はどこか悪戯げに笑っていた。
「なら、大人しく従って差し上げるから、代わりにご褒美が欲しいわね」
「あん? 何が欲しいって?」
「ご褒美よ」
「褒美だ?」
「そう」
と、なぜか千鶴は少しだけ再び顔を逸らした。
それから若干迷った様子を見せ、僅かの間を開けてぽつりと言った。
「……頭撫でて」
「は?」
リドウにとっても流石に予想外だったのか、彼は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をし、危うく銜えていた煙管を取り落としそうになった。
更に彼は自分の耳を指で掃除する仕草をして、もう一度千鶴に向き合う。
「何つった?」
「頭を撫でてと言ったのよっ」
恥ずかしいのか、彼女はちょっと語尾を強くしながら言うと、そこで開き直ったらしく、彼を真正面から見つめる。その顔はどこか怒っているようにも見え、それが原因ではないだろうが、顔全体が真っ赤になっている。
「どうせお子様扱いなのでしょう? ならそれに相応しい役得くらいないと納得できないわっ」
と、後半は早口で言い切って、ぷいっとそっぽを向いてしまう。
リドウはそんなお嬢様に呆れたのか頭をかきながら、そっぽを向いたままで「してくれないとこの場を動かないわ」という意思を示していると思しき彼女に一歩自ら近づく。
「ったく、我侭なお嬢様だぜ」
いかにも仕方ないとばかりに彼女の頭に手を置いた。
顔を朱に染め上げたままの千鶴は、瞳を閉じてうっとりとその感触に酔う。
千鶴はリドウが自分を子供扱いすることに納得しているわけではない。
できることなら今すぐ乱暴に己の唇を奪ってほしいし、願わくば一気にベッドシーンに突入したいとマジでガチに思っている。
ただ現状、そう簡単に自分の立場……地位と言い換えてもいいが、それを向上させ、女として相手にされるには、まだまだ時間がかかるのは理解しているし覚悟もしている。
ならばその間、少しでもいいから現状を利用したスキンシップくらいさせてもらわないと割に合わない――と思っているらしい。
その上、彼女は最近理解してきたのだが、どうやらリドウにこうして子供扱いされるのが、彼女自身が嫌いじゃないらしい。
あまりにもパーフェクトな彼女に対してこのような扱いをしてきたのは、大人でさえここ数年は彼女の記憶にない。教師は無論のこと、彼女に告白してきたいい年した大人たちとて、彼女に対して欲望を抱いていたからこその告白であるからして、子供の如き扱いをした者たちなど誰もいなかった。
振られた腹いせに「子供が生意気な!」のような類の言葉を投げつけられた記憶ならあったが。
だからこそ、自分より色々な意味で余裕のある格上な男により、きっちりとした子供扱いをされるのが、何だか新鮮で楽しいようなのだ。
こんなでは「一条千鶴はリドウが好きです」と声高に宣言しているようなものであるが、この点に関して彼女は全く気にしていない。
だって目の前の男が、自分の気持ちにくらい気づいてないわけがないし――と既に諦めているので。
リドウも相手には“できない”女が相手であっても、だからといって冷たく拒絶するような狭量さとは無縁なので、それこそ「抱いて」とでも口にすれば話は別だろうが、乙女の可愛らしい欲望に妥協して付き合ってくれるくらいの甲斐性はあるだろうと、千鶴自身は分析していた。
一歩間違えれば八方美人とも判断できるが、求める側と求められる側が完全に逆なので、到底当てはまらないだろう。
なので千鶴は、遠慮なくそこら辺を十分に利用やら活用やらさせてもらうつもりなのであった。
……それに黙っていられないのが恵子である。
もっとも、いきなり二人の間に割って入るのでは……これが最初からすぐ側に居たのであれば反射的にしていたかもしれないが、なまじ距離があるために割って入るには走り寄るしかなく、そうするだけの正当な理由を彼女は考え付かない。
なので口をぱくぱくさせながら、仲睦まじいとしか傍目に見えない二人を眺めているしかできなかったが。
実際にリドウが千鶴の頭を撫でていたのはほんの十秒くらいで、彼は夕飯のための獲物を狩りに行くと言って、その場を去って行った。
一応食料は買い込んであるのだが、どれも日持ちを重視した保存食であり味気ないので、こうして毎回彼は狩りに行っている。
その後姿を見届けた千鶴が恵子の側まで戻る。
その時までずっと憮然としていた恵子を見て、千鶴は何とも言い難いにっこりとした笑顔を浮かべる。
もし男がこれを直視したら、自分に気があるのかと勘違いしてしまうだろう魅力的にすぎる笑顔である。
……が、恵子がこれも最近理解してきたのだが、千鶴がこういう笑みを浮かべている時は、大抵が内心で碌なことを考えていない時なのであった。
「あら、どうしたのかしら? そんな仏頂面して」
「はあ? そんな顔してないしっ。大体何よあれ。信じらんないし」
「何を信じたいというのよ、あなた」
ぷいっと顔を背ける恵子の支離滅裂な言葉に、千鶴は呆れ顔。
「言ったはずよ? 特別に協力してほしいわけではないけれど、邪魔だけはしないでって。今の恵子ちゃんみたいな態度をされてしまったら、空気が悪くなるだけだとは思わないかしら?」
「そんなに好きならさっさと告っちゃえばいいじゃないっ」
「いやよ」
きっと睨み付けるように見つめてくる恵子に対して、千鶴は真顔で拒否してみせた。
「だって、現状ではまず目が無いもの。明確な言葉にして振られてしまったら……」
その場面を想像してしまったのか、彼女はどんよりとした背景を背負いながら、
「……ショックで一週間は泣き暮らせる自信があるわ」
重苦しい口調で言った。
「いや……えっと……自信ってゆーの? それ」
常に自信で満ち溢れ、揺ぎ無い冷静さこそが持ち味……というか、そういうイメージだった一条千鶴が本気で落ち込んでリアルに地面に手をついている姿に、恵子は流石に憎まれ口を叩く余裕がなくなったのか、あまりにもあまりな千鶴の姿に自分は顔を引き攣らせる。
「あ、あんたが振られるなんて、実際ありえんの……?」
何となくフォローみたいなことをしてみる。
だがわりと本音でもあった。魔神と出会うまでは、この女に外見で勝負できるような女がこの世に果たして何人存在することだかと、本気で思ったことすらあったのだ――同性にもかかわらず。
女の子は大抵が「えー? 私なんて大したことないよー」とか言いながらも、内心では「私が一番可愛いな、この中じゃ」とか考えてるものなのだ、往々にして。
恵子に至ってはただでさえ公平に評価してかなりの水準の美少女なのである。自分の容姿が優れていることを自覚しているし、そこにプライドだってある。
それでも素直に敗北を認めざるを得ないような、もう意味不明なくらいに天上をぶっちぎった美少女なのである、一条千鶴とは。
その女から告白されて否と言えるような男が現実に存在するとはそうそう思えなかった。
(ま、まあ、芳樹なら何の躊躇いもなく振るだろーけどっ。だってあたしが居るもんね! あ、でも芳樹じゃ冷たく突き放せないかな? だからあたしって公認彼女が居ても、今一他の女の子が諦めてなかったよーな……)
何やら考え出してしまった恵子であったが、千鶴が力なく首を横に振ったことではっと我に返った。
「私の体を好きにしていいと言ったのに、躊躇どころか考えすら一切しないで己のプライドを優先させたような男なのよ、リドウは。しかも彼は既に一度、私のことをお子様として“決めてしまった”のよ。その印象を覆すには生半可なことではすまないでしょうね」
出会った当初の頃であれば一気に恋愛関係に持ち込めたかもしれないが、恵子の同級生という時点で彼女と同じ括りになり、多少の戦闘能力はあってもリドウからしてみれば『守るべき相手』であるという事実が後押しし、アクレイアでの最後の出来事が決め手になったのだろうと、彼女はあの時彼に縋り付いて泣いてしまったことを少し後悔している。
「……確かにそーかも」
うーんと唸りながら空を仰ぎ見て、恵子は千鶴の言に同意した。
「あいつ、一度決めちゃったら滅多に意見を変えたりしないもんね」
リドウが唯一意見を翻した時。それはちょうど千鶴と再会した際、復讐のために盗賊たちを惨殺していく彼女を止めたくて、何もできない自分に悔しい思いを感じながらも願った――千鶴を止めてくれ、と。
最後まで不本意そうではあったが願いを聞いてくれたリドウを恵子は思い出す。
「……なぜかしら? 嬉しそうね、恵子ちゃん」
「へ?」
恵子に対して氷の眼差しを送る千鶴。
それにしらばっくれることができずに、一々慌ててしまうのが麻木恵子という少女である。
「べ、別に……」
「もしかして、以前に彼が何かあなたの言うことを聞いて、自説を翻してくれた思い出でもあるのかしら?」
す、鋭い、相変わらず……と、恵子は内心恐々としながらも、ぶんぶんと首を横に振って否定した。
「今なら真実を明かせば許して差し上げないこともなくってよ?」
何で許してもらわなきゃいけないの? と頭の隅で思いながらも、絶対零度を発動中の一条千鶴に下手に逆らうなんて怖すぎるマネが、自分も怒り心頭状態ならともかく、一度精神的に劣勢に立たされてしまった恵子にできるはずがない。
恵子は何とか言い訳を考えようとし、一つだけ思いついて慌ててそれを口にする。
「ほ、ほら、あいつって最初はあたしと旅するつもりなんかなかったのよ。けどあいつの義理のママ? その人が手を貸してあげなさいって言ってくれて」
「ふーん? 親御さんご公認だったのね、知らなかったわ」
墓穴ってこれのこと?
恵子は己の背筋を伝う冷や汗を明確に感じ取る。
「そ、その……ホント、ちょっと会っただけだし……ね?」
「恵子ちゃん」
魔女が如き威圧感を発している千鶴を上目遣いに見上げる恵子であったが……
両の頬に魔女の掌の感触を得て、もう数センチでお互いの顔がぶつかりそうな至近距離で、ぶるぶる小刻みに震えながらも目を逸らすことが適わない。
「わかっているわね?」
何を? とは恵子には決して口にできなかった。
千鶴が何に対して言っているのか、恵子には正直定かではなかったのだが、とにかく今は肯定の意志を示すしか自分が助かる道はないとばかりに、彼女はぶんぶんと無言で首を縦に何度も振る。
「よろしい」
それを見た千鶴が、なぜか許可の言葉を紡ぎながら恵子から身を離してにっこりと微笑むのであったのだが、その笑顔が温かいものには到底思えない恵子は、今度はぶるりと全身を震わせた。
(無表情の方が笑顔より安心できるってどーよ!?)
「何か言ったかしら?」
「ううんっ、なんにも!」
潔いまでの笑顔で応える恵子であった。
そんな彼女を冷たい眼差しで眺めやる千鶴といえば、
(ちょっと脅しすぎたかしら? でも仕方ないじゃない。どうも私よりこの子の方が有利っぽいのだもの……まあほんのちょぴっとですけれどね)
内心で暗澹たる息を吐く。
千鶴はリドウとの関係において、現状で自分と恵子の間に明確な差はないと考えているし、その予想が間違っているとは彼女自身全く疑ってないのは事実なのだが……
彼は確かに千鶴の『召喚された他の子たちを助けたい』という旅の目的を手伝ってくれると約束してくれたし、彼女はその言葉を微塵も疑っていない。そういう男だと信じているから。
しかしだ。
恵子の『恋人と帰還方法を探す』という旅の目的に対する手助けの方が先に成された約定でもあるのも事実であり、それは恐らくリドウという男にとって、もしその二つの目的が衝突することになった場合の優先順位を判断する上で、唯一にして絶対の基準になるだろうと、やはり千鶴は考えている。そういう男だと、これもやはり信じているから。
そして、仮にもし……いや、千鶴個人としては絶対に成立させるつもりではあるが、互いに恋愛関係が成立したとしても、確実にリドウは先約を優先させるだろうとも信じている。
だがその場合は既に成立した恋愛関係があるという前提なので、これも仮にだが遠距離故の心離れがあったとしても、再会してからもう一度関係を育めばいいと彼女は考えている。一度は成立しているのだ、お子様扱いさえなければ十分に可能だ、と彼女は自負をもってそう考える。
しかし、もし千鶴と先約の恵子を天秤に掛け、前者に傾く場合があるとしたら……
(最低限この子が神崎くんと再会し、その上で彼が神崎くんを『任せられる』と判断した時だけ。でもそれは……)
ありえない――そう、千鶴は心の中で断定しながら同時に舌打ちする。
恵子は恋人の少年に対して、まるで彼がスーパーマンかのように思い込み、それに対して何の疑いも抱いてはいないようであるが、千鶴に言わせれば『顔と運動神経と成績が多少優れているだけの調子のいい男』でしかない。
単純に考えれば中々スペックの高い男であるのは千鶴も認めるところではあるのだが、その男がいつも浮かべているへらっとした色男面が全てを台無しにしていると、これも彼女は考えている。
優しそう、と言えば聞こえはいいし、女子たちからはそういった感想と共に人気があった男ではあり、恋人の恵子もそのように評価しているらしいが、これも千鶴に言わせれば『他人に良く見られたいがために自己というものを持たない八方美人』でしかなく、更に『異性に人気があることを鼻に掛けたいけ好かない男』でもあった。
その証明として『どれだけスペックの高い女を連れているか』を常に意識し、その選択の結果が麻木恵子という下手なアイドルよりも可愛らしい少女であり……その関係が噂に上る以前には散々粉を掛けられた覚えがある千鶴であったのだから、まず間違いないと彼女は見ている。
恵子という恋人ができてからも未練がましく、機会さえあれば千鶴と接触を持とうとしていたのも彼女自身が知っているし、恵子という恋人が駄目になった時のために、特にハイスペックな少女たちには目を残しておこうと、時には恵子より優先することすらあったのも、千鶴は知っている。
――なぜならば、目の前に立たれただけで鳥肌が立つほどあまりにも気持ち悪くて一切係わり合いになりたくなかったため、できるだけ行動範囲と行動原理を把握しておこうと、かなり詳細に遠くから観察していた時期があったから。
千鶴はどうしても本気で根っから生理的に神崎芳樹という少年が受け付けないらしい。
例の少年に直接は気付かれなかったものの、そうしている千鶴の姿を目にした他の生徒たちがその少年に彼女がそうしていたという事実を伝えていたため、『本当は好きなんだけど素直になれないツンデレ』なのだと勘違いが発生した少年によって更なる迷惑を被ることになったのは、千鶴にとって人生で五本の指に相当する大失敗であった。
無論、これらは千鶴が勝手に判断しているだけであるが、彼女はその結論が間違っているなどとは砂漠の砂の一粒ほども疑っていない。
(可能性があるとすれば、この世界に来て苦労した結果、人間として成長していた場合。でも、もしそうではなかった場合は……どうしたものかしらね)
と限りなく無表情で恵子の横顔に視線を置くが、彼女は気付いていないようで、椅子代わりの石に腰を掛けたまま足をぶらぶらさせている。
その姿はまるで無邪気な子供のようでもあり、生来の顔の愛らしさのせいで微笑ましくすら思えて、千鶴でさえ和んでしまいそうになる。
(私の都合を優先させて、上手く立ち回ってこの子を神崎くんにさっさと引き渡してしまうべきか……それともこの子に現実を直視させるべきか……)
千鶴の個人的な欲を言ってしまえば、恵子にはさっさと消えてもらいたい。
外見では負けているだなんて千鶴は全く思っていないし、それは確かに万人が認めるだろうが、恋人や伴侶にする相手としての麻木恵子は、どんな男でも自分の横に並べて恥になると考えることはまずないだろう外見的スペックを擁し、しかも無邪気な愛らしさは時より眩さすら伴って彼女の魅力を助長している。
恋のライバルに昇格した際にはどれだけの難敵になることか、想像しただけでも重いため息が零れてしまう気がする千鶴である。多少の容姿の差をリドウが気にするなどと、彼女には到底思えなかった。
そんな恵子だからこそ、あの少年の外面の良さにいともあっさり引っ掛かったのだろうし、上っ面だけの言葉を堅く信じてやまないのだろう。
しかし、そうした事実に対して以前は何とも思わなかった千鶴だが、今は少々事情が違う。
恵子と付き合い出したことで一定の安心感を得て、千鶴は積極的な少年観察を止めてしまった。
がしかし、自分のことを完全に諦めたとも思えなかったので、視界に入った時くらいは観察していたのだ。
それ故に彼女は恵子のことも、この無垢な少女が持つ本質にも多少は気付いていた。
人を疑うことなんて知りもしなそうな少女、麻木恵子。以前は何とも思っていなかったので、あの男を受け持ってくれてありがとう、と感謝の念くらいは持っていたが……千鶴は基本的に他者に対しては無関心な少女であった。
それは今でも実はあまり変わっていないのだが……。
こんな、飴をくれると言われれば喜んで自分からついて行きそうな少女……いや、これは流石に言いすぎだろうが、こんな素直で愛らしい乙女を果たしてあんな、千鶴に言わせれば男として最下層に位置するような少年に預けてしまっても本当にいいのだろうか?
(あの男に任せてしまったらこの子はきっといずれ、心に深い傷を負ってしまう時が来るでしょうね。できるだけ浅いものであってほしいものですけれど……)
恋を優先させて邪魔者を排除すべきか、それともプライドを優先させて一人の無垢な少女の人生を守るべきか、それが問題だ。
(まるでシェークスピアね。でも悲劇なんて私は願い下げだわ)
それに、自分の惚れた男であればこういう場合、必ず“そちら”を優先させる、そう千鶴は信じている。
(神崎芳樹……あなたにこの子は勿体無いわ。他にもっと容姿と打算的な性格の両方がお似合いな女が世の中には幾らでも居るでしょう?)
何だかんだで千鶴も恵子のことは好きなのだ。無論のこと、あくまでも友人としてであるが……
千鶴は異性の恋人が出来たことは今まで一度もないが、同性の友人が出来たことも殆ど記憶に無い、あえて悪し様に言ってしまえばわりと寂しい学生生活を送っていた。異常と言ってさえ構わない彼女自身が持つ圧倒的スペックが、容易に他者を近づけさせないのだ。
その事実を嘆いたことはなかったし、別に無理やりにでも作ろうとも欲しいとも思わなかった。
別に周囲の人間を馬鹿ばかりだと侮蔑していたわけではない。ただ無関心だったのだ。
だが、殆ど初対面と言ってしまっても構わない再会時のやり取りで互いに暴発してしまったためか、遠慮の欠片もなく憎まれ口さえ叩いてくる恵子を千鶴は本気で心から好ましく思っていた。
恋のライバルとしては消えてほしいと真剣に願ってはいるが、だからといって不幸になってほしいとは思ってもいない。
他に頼れる男が居て、恵子自身がその男について行こうと決心したのならば是非とも祝福しつつ、諸手を挙げて大喜びで送り出してやるが……それまでは、リドウと共に自分が守ってやらなくては。
純情可憐で無邪気な乙女、潔癖にすぎるのがちょっと珠に瑕。でもそんな欠点さえ含めて……
(この子の魅力なのよ。最初は私も精神的に余裕がなくて、この子のそういう無垢な部分が気に入らなくて当たってしまったけれど……それが大人への成長過程で昇華されてしまうならばともかく、無為に失われるだなんて許していいはずが――ない)
そして、そういったものを守るためにこそ彼女は力を得て、更なる力を求めているのだから。
――だがそのためには今程度では到底足らない。
千鶴はこの世界で『腕利き』と判断されるレベルがどの程度なのか未だ正確には知らなかったが、リドウという男の持つ戦闘能力は相当に異常な部類だというのは間違いないだろうと見ている。
彼女には正直、自分自身があそこまで行ける気など全くもって微塵も思い浮かばない。
それでもせめて、一度守ると決めたものだけは守りきれるだけの力を……
(もっと……強くならなくてはならない……ッ)
傍らに置いた偃月刀を握り締め、千鶴は人知れずその瞳をぎらっと煌かせるのであった。
そんな彼女を遠くから見ているリドウがいた。その手には獲物の動物が持たれている。どうやら既に狩は終わったらしい。
(……気負いすぎだな)
千鶴の状態をリドウに言わせればそうらしい。
が――
(ま、別に構わんがね)
どのような理由によるものであろうと、それが卑劣な思惑によるものでなければ、強さに貪欲なことを悪いとは考えないのだ、この男は。
ただ、焦りすぎて体を壊してしまうのだけは避けなければならない。
(頭のいい娘なんだか……あいつ、てめぇが気負ってるってのを理解していながら止める気がねぇんだからな、タチが悪ぃぜ)
とはいえ、言えば聞く耳は持っているので特に問題にはしていない。
(ま、俺ができるのは手助けだけだ。が、できれば……)
――魔王に到るまでに育ててみるのも一興か。
リドウはそんなことを考えながら、しかし外見にはそんなことを億尾にも出さずに少女たちの方へと歩みを再開するのであった。




