第4歩 秘められた力
駿が美剣の元に転がり込んでから約二週間が過ぎた。いつものように叩き起こされないようにのそのそとベッドから降りた駿は大きく伸びをする。
相変わらず、体中が筋肉痛で悲鳴を上げている。が、そんなことを声を上げて言おうものなら師(駿はあまり尊敬していない)に何をされるかわかったものではないので唇を噛み締めて我慢する。
一通りの着替えを済ませて、寝室を出る。どうやら美剣はもう起きているようで、奥の部屋でガタゴトと音を立てて何かをしていた。
「…………」
そんな自分の師には目もくれず、挨拶もなしに朝食の準備に取り掛かる駿。今日の献立は、もしかしたら腐ってるかもしれない鮭もどきの焼き魚と全く味のしない、フランスパンの次くらいに固いパンである。飲み物は駿はただの水、美剣はいつもどおり酒である。
なぜ腐ってるかもしれない魚しかこの家にはないのだろうかと、一人暮らしをしていた頃の自分の買い物のペースと比べてため息をつく駿。さすがの彼も、二、三日先までは買い物に行かなくてすむように定期的に買い物へ行っていたというのにだ。
ただ、さすがに一人暮らしをしているだけあって魚の焼き加減などは分かっているらしくある程度焼けたと思ったらしっかり皿に移し変えていた。パンのほうは調理もくそもないのでそのまま魚の隣に乗せる。
皿二枚を器用にもって、テーブルへと運ぶとちょうど美剣が食卓へとやってきた。それに駿は全く反応せず、美剣の前に皿を置くと自分はさっさと着席して食事を取り始めた。
美剣もそれを咎めるといった事はせず、そのまま棚から酒とグラスを持ってきて自分も食事を始める。団欒などといった光景とは程遠い食事風景だったが、彼等にとってはたいした問題ではなかった。特に、無理やりに弟子入りさせられた駿のほうはあまり好んで美剣に話しかけず、むしろ避けていた。正直、同じ部屋にいることも嫌らしい。そのため、非常にハイペースで食事を口の中に放り込んでいく。
「…………」
「…………」
しばらく食事を取る音のみが部屋に響いていた。やがて、食事を終えた駿が席を立ち、流しに皿を持っていって洗い始めた。ここで彼の中途半端な几帳面さが現れ、魚の骨など食べられなかったものはしっかりと端の方に集めてから皿を洗う。が、皿はその辺に適当に置いて終わりにしてしまった上、端に集めた魚の骨もそのままで終えてしまったので中途半端といえるだろう。むしろ、それを几帳面と呼べるかどうかも怪しいが……
兎にも角にも、やることを終えた駿はまた美剣にどやされる前にと修行の用意をしようと自室に戻ろうとした。が、自分の部屋に入る直前、その美剣に呼び止められた。
「おい馬鹿弟子」
「……なんすか?」
なんとも嫌そうな顔をして美剣のほうを振り向く駿。そんな彼に、美剣は驚きの一言を言い放った。
「今日は修行なしだ。その代わり街に買い出しに行く。そろそろ食料が尽きそうなんでな」
修行なしの言葉に喜びで飛び跳ねそうになった駿の心は、次の一言で一気に地の底まで落ちた。これは、確実に街で買い物を命じられる、もとい頼まれることを確信したからだった。
「……買ってきました」
「……意外だな。ちゃんと買ってこれてるじゃないか」
美剣の言葉に若干青筋を立てる駿。今、彼等は酒場にいた。無論、美剣が駿の買出しを待っている間に酒を飲んでいたからである。
街までの行程は、もっぱら特に何かがあったわけではなかった。これといって魔獣が出たわけでもなく普通に森の中を歩くだけだったので、駿としては少しだけほっとしていたのが本音である。なんだかんだで、初日の出来事はトラウマになりかかっていたようだ。
そんな安心もつかの間、街に着いた途端にメモすら渡されず一方的に買い物リストを言われ、金を受け取らされた駿は追い立てられるようにして買出しに出た。
死獣や魔獣の存在、その他にはこの世界のことなどを一通り聞いた駿は頭では理解していたが実際に街に出てみると改めて自分が異世界に迷い込んだということを痛感させられた。何しろ文字が読めないのである。言葉だけはなぜか通じるが、この世界の文字に関しては全くといって良いほど美剣から教わらなかったのだ。
さて、どうしたものかと考えあぐねながら目の前の看板の文字を良く見ると『肉屋』という漢字を斜めに引き伸ばしたような文字に見えた。あれ? と思った駿が店頭へ目をやると、なんとそこは本当に肉屋だった。辺りを見回してみると、ほかの店も同様のようだ。驚いたことにこの世界の、少なくともこの街の文字は漢字やひらがなを斜めに引き伸ばしたかのような文字が主流らしい。道案内を頼むべきかどうか迷っていた駿にとってはありがたいことこの上なかった。
その結果オーダー通りの品物を買いそろえることが出来、美剣が待っているといった酒場に向かい今に至る。
「いや、文字を教えてなかったから絶対間違えてくるだろって思ってたんだけどね。これなら思ったより早く帰れそうだな」
その言葉を聞いて、だったら読めない振りをして間違えればよかったと心底後悔した駿。しかし、そんなことは口が裂けてもいえなかった。
そんな駿を差し置いて美剣が酒場のマスターに金を払い立ち上がる。
「ほら、次の場所に行くよ。まだまだ行くところはあるんだ」
「食料の買出しだけって言ったろうが……」
「なんか文句あるか?」
「いいえ滅相もない。どうぞあなた様のお好きにしてください」
最後の返事はせめてもの反抗である。しかし、そんな駿のささやかな反抗に気を止めることもなくそそくさと酒場を後にする美剣。その姿に、舌打ちをひとつして駿は後を追った。
「次はアンタに関係する場所に行く」
「俺に? そんな場所でもあるのか?」
街中を歩きながら美剣が駿に言う。その言葉に、疑問を覚えて問いかけた駿だったが美剣はそれに答えず裏路地に入っていった。明らかにこれは裏世界がらみなのだろうと、これから起きる出来事に嫌な予感しかしない駿はまた小さくため息をついた。
裏路地を歩き続けてしばらく行くと、目の前にこれまたボロくさい店が現れた。その店に、美剣はためらいなく入っていく。一方駿は、明らかに怪しい店に入ることを一瞬躊躇っていた。なにしろ看板には相変わらずの読みにくい文字で『呪い屋』と記されていたのだから。
「なにしてる? さっさと来な!」
呪いなどこれっぽっちも信用していない駿だが、美剣のご機嫌を取るためにも店には入らねばならないと判断した駿は仕方なく入っていった。
店の中には、冒険者らしい姿の男が店主らしき男に何がわめき散らしていた。店主のほうはそれなりに整った身なりではあるが、全身黒ずくめの服装からいかにも裏世界の商人らしい雰囲気を漂わせている。
「なんで俺には呪いをかけてくれねぇんだ!!? 金は用意した!! 対価は十分だろう!?」
どうやら金だけでは成立しないビジネスのようだ。その様子を見た駿は、内臓でも持っていかれるんじゃないかと嫌な想像をして背筋が寒くなった。金がどうのこうのと喚く男を店主の使いが外に追い出すと、美剣がその店主に話しかける。男は追い出される直前軽蔑した、それでいて恨めしそうな目線で駿を睨んだが、日常生活でその類の視線を浴びせられていた駿の気には全く触れなかった。
「アンタも相変わらず大変だね」
「美剣の嬢ちゃんか。珍しいなこんなところに顔を出すとは」
「アタシはもう24だ。嬢ちゃんじゃないよ。アンタこそ、まだ三十路にも行ってないだろうが」
ははっ、と軽く笑うと店主は駿のほうを覗き見て、少々驚いた表情をした。
「嬢ちゃん、奴隷でも買ったのか?」
その言葉に駿は、まぁ間違った表現ではないかもなと一人納得していたが美剣は笑いながらそれを否定した。
「こいつはあたしの弟子だよ。素質がありそうなんでね、悪いが勝手に弟子になってもらった」
美剣のその言葉に、店主の顔がさらに驚きに染まる。が、すぐに駿をあざ笑うような表情で見ながら美剣に問いかけた。その時に美剣と店主が目線で会話したのを駿は見逃さなかったが、特に態度を変えるようなことはしない。
「へぇ! 嬢ちゃんが弟子を取るとはね? どういう風の吹き回しだい? こんな無能そうな小僧、どう見たって素質の欠片もなさそうだけど?」
「だからここに来たんだ。本当に素質があるかどうか、知りたいんでね。もしなかったらその時はその辺に捨てて行くさ」
本人が目の前にいるというのに酷い言いようである。しかし、駿はそれには怒らずむしろ呆れたため息をついた。その反応に店主の表情が少し変わり、美剣は微かに笑う。
そんな店主と美剣に、駿は半ば呆れたように言い放った。
「それは、俺を試してるんですか? さっきからずいぶんアイコンタクト取ってるけどさ」
その言葉を聞いた店主が、目を見張る。そして豪快に笑い始めた。
「くっ……はははははは!! こりゃあ嬢ちゃんが気に入るわけだ!! 気に入ったぞ坊主! ちょっとこっち来い」
なぜか突然ご機嫌になった店主に無理やり連れられ、部屋の奥に連れて行かれた駿。買出しの荷物を部屋の隅に置けだのなんだと命じられて言われるままに動いて、部屋の中心にある椅子に座らされる。
「いいか? 俺が良いって言うまで絶対に目を開けるなよ? 開けたら死ぬからな」
「……はいはい」
言われたとおりに目を閉じ、店主の怪しげな呪文を聞く駿。聞いていて、特になにかを感じるわけでもなければ力がみなぎるような感覚もない。はっきり言って、聞いているうちに眠ってしまいそうだった。
しばらくして、店主にOKサインを出されたので目を開ける。やはり、筋骨隆々になったわけでもなくこれといって変化は見受けられなかった。思ったとおりインチキか、と心の中で盛大なため息を吐きながら店主のほうを見ると店主は明らかに驚いた表情で駿を見ていた。
「こりゃあ驚いた……こんなやつ始めて見たぞ」
「どういうことですかね?」
店主の呟きに怪訝そうな表情を隠せず、そう問いかける駿。すると店主は美剣を呼んだ。
「嬢ちゃん、こりゃ思った以上の大物だ。試してみるかい?」
頭の上にいくつもの疑問符を浮かべる駿をよそに、店主のその言葉を待っていたかのような勢いで刀を抜き構える美剣。その目は期待に輝いていた。
「ち、ちょっと待てよ!! こんなところでそんなモン振り回す……うぉあ!?」
駿の言葉を最後まで聞かず、修行のときよりも速い速度で刀を振るう美剣。それを、駿は屈んだだけで回避した。
「ふ……確かにこれは大物だ」
自分の攻撃を回避され、しかし満足そうな美剣。一方、駿のほうといえば信じられないものを見たかのような表情をしていた。
(今……確かに師匠の剣筋がはっきり見えた……昨日まではほとんど見えなくて、もっぱら勘で避けてたってのに……それに、反射速度も明らかに前より速かった……これが呪いの効果?)
つい昨日までとは違う自分に、困惑するしかない駿であった。
えー、相変わらずうまく書けません。本を読まねば……後はもっと落ち着いて考えないとなぁ……早く受験を終わらせたい……
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