第七弾:The stomach carries the feet.
そう、あれは俺がまだ小学生の頃だった……。
というかんじで、過去編に飛ぶと思っただろう。
だが、俺は過去の話などしない。
俺は昔を思い出すことがだいっ嫌いなのだ。
ということで、思わせ振りだったが、このまま現在を進行しよう。
だって俺たちが生きているのは、他でもない、今という時間なのだから。
俺はそう、自分自身に言い聞かせていた。
嫌だ。
怖い。
思い出したくない。
思い出したら、その途端に、俺は自分を殺したくなる。
それは、水麗に対する裏切りでしかない。
あのときの約束は、絶対に破るわけにはいかないから。
――でも、
そんなことを考えている時点で、俺はあのことから目を背けているわけだし、水麗や自分の直視したくない現実から逃げているんだ。
っざっけんな!
こんな、自分に嫌気がさす。
どうして俺は逃げてるんだ。
キチンと向き合って、受け止めて、その上で約束を守らなくちゃ駄目なはずなのに……。
……………………。
それから、どのくらいの時間が経っただろうか?
家の中からいい匂いが漂いはじめた。
「カレー?」
鼻腔を擽る、なんとも食欲を沸き立てるようなこの匂いは紛れもなくカレーの匂いだった。
「まさか……」
水麗か?
――いや、
俺は、咄嗟に浮かんだ考えを否定する。
忘れたか? 俺は、ついさっき、水麗を傷つけたではないか。
そんなあいつが俺に飯を作る道理がない。
俺は、首を振って、何度も見たことのある光景を頭から追いやった。
じゃあ……。
誰が、料理をしているのだろうか?
徐に部屋を出る。
「おう、やっと動き出したか」
「お前……料理するんだ」
キッチンに立っていたのは、観月だった。
制服の上に、恐らく幻影で作ったのであろう、黒のエプロンを着けている。
「失礼なやつだな、貴様は。私だって一人の女だぞ。そんなことを言っていると、食わせないからな」
「あ、あぁ、すまん」
ぼんやりとしながら言う。
「私の料理は、穏健派の中でもうまいと評判なんだぞ。石ちゃんだって、毎日のように『まいう~』と言っているんだ」
観月がえっへん、と胸を張っている。だが、俺の視線は、観月の服装へと注がれていた。
そういえば、なんで、こいつは制服なんだ?
しかも、ウチの高校の。
そういえば、今朝からそうだった。観月はウチの制服を身につけながら、あの三態使いと闘っていたのだ。
あの、大規模戦闘が一般人に見られていたらどうするつもりだったのだろうか。
もし見つかったら、ウチの学校の評判がガタ落ちするのは、ほぼ間違いないだろう。
――いや、注目すべきはそこではない。
そもそも、どうして今朝のことを誰も気づいていない?
近所に住んでる人はおろか、隣に住んでいる水麗さえ、何も気にしてなかった。
これは、つまり、何らかの要因によって、あの戦闘自体が一般人から認識できなくなっている?
そして、その要因として今現在の俺の知識で思い付くのは、観月の幻影のみ。
だが、観月の力だけで、全国で起こる戦闘を認識できないようにすることができるのだろうか。
いや、そもそも、使役者が日本にしかいないとは限らない。むしろ世界中にいたっておかしくはないはずだ。
それとも、何か他の仕掛けでもあるのだろうか?
「なぁ、質問いいか?」
「ん、なんだ? 今日のカレーの具はチキンだぞ」
「あ、いや、そうじゃなくてだな」
「あぁ」
観月が、分かったぞ、というふうに声を漏らした。
「大丈夫だ。いくら私でも食材まで幻影を使っている訳ではない」
「いや、そうでもなくてだな」
「い、いや、別にこのチキンには全く他意は存在しないぞ。本当だからな」
「……あんのかよ」
チキン呼ばわりされた。
「ってか、まぁ、それはいいとして、」
俺は、自分がチキンであることは分かってるし、別に反論できる立場ではないことを知っているので、話を元に戻そうとした。
「――貴様は、どこまでも愚かなのだな」
そのとき、観月がボソッと呟いた。
「……そんなの、七年前から知ってるよ」
俺は、努めて明るい声で返した。
「はぁ。…………それで? 何が聞きたい」
観月は諦めたようにため息を吐いた。
「いや、なんでウチの学校の制服を着ているのかなって」
「これか? それはもちろん、貴様の高校に編入するために決まってるだろう」
言いながら、観月はエプロンを脱ぎ捨てた。
黒のエプロンは床に落ちると同時に白い煙をあげて消えていった。
「編入? いくらお前の能力で幻影を見せられるからって、そんなことできるのか」
「いや、そうではない。貴様にはまだ話していなかったな。実は、使役者は僅かばかりだが因果律を歪めることができるのだ」
「それって、使役者全員がか?」
「そうだ」
「無茶苦茶だな」
「と言っても、ある人間の存在を根元から無かったことにするような頭のおかしい因果律変更ではない。
自分の存在を一般人の組織に紛れ込ましたり、或いは自分の行動を認知されないようにしたり、そんな細かいやつだ」
「それでも十分にチート級だ。だが、これで俺の疑問は大分解決したな」
要するに、使役者のオプションである因果律変更でウチの学校にも侵入できたし、今朝のアレも周囲に認知されなかったわけだ。
「そういえば、編入ってどの学年に入るつもりだ? 高一か?」
今朝、自分は十六歳だと言っていたしな。まぁ、そのくらいか。
「貴様、馬鹿にしてるのか! 高二だよ高二!! 貴様と同じ」
「ですよね~」
「ついでにクラスも一緒にしてあるぞ。喜べ」
「あ、ありがとう」
まぁ、護衛というからには自分の年齢を多少誤魔化してでも俺と同じ学年になるのは当たり前か。
だが、高二にもなると勉強も難しくなってくる。
俺のために学年を合わせてくれるちっちゃな護衛様に勉強を教えてやるのも悪くはないだろう。
俺は、決意と共に温かい視線を観月に送った。
「おい貴様、何か勘違いしてないか?」
観月が、軽く顔を俯かせながら不敵に笑った。
「か、勘違い?」
刺すような、それでいて絡み付くような、背筋を凍らせる視線にゾッとしながらなんとか声を出す。
「私は、正真正銘の高校二年生だ。無理も背伸びもしていない」
「そ、そうか」
実際、そんなことだろうとは薄々思っていたが、まさか本当に同学年だったとは。
まるで小説の中だな。
いや、むしろ現在の俺の状況を見れば、小説以上にカオスかもしれない。
「というか、私のことはどうでもいい。
それにしても、貴様も皿の一つや二つ出したりしたらどうなんだ?」
「あぁ、すまん」
俺は観月に言われて気づいた。
さっき、観月がエプロンを片付けた時点で料理自体は既に終わっていたのだ。
俺は、てくてくと食器棚に向かい、中から二枚の直径20センチ大の大皿を取り出した。
「これでいいか?」
「あぁ、問題ない。ほら、こっちに寄越してくれ」
観月がこちらに手を伸ばしてきたので、一枚渡す。
観月がカレーをよそっている間、俺はテーブルにスプーンやらコップやらといった小物類を並べる。
「次」
「ほらよ」
観月がカレーの入った皿を渡してきたので、それを受け取り、代わりに、空だったもう一枚の皿を観月に渡した。
もう一枚の皿に観月がカレーをよそっているのを、俺はテーブルの前でカレーを置いて待機。
しばらくすると、観月も自分の分をよそい終え、テーブルに置いた。
テーブルには、カレーとサラダ。そして、らっきょうと福神漬け、マヨネーズ、ドレッシング、醤油、ソース。
後半のは、カレーにかけるかもと思ったから出しておいた。
まぁ、俺は素が一番好きだけどな。
『いただきます』
手を合わせ、二人揃って言った。
「え、なにこれ、うまっ」
カレーを口に運んでから思わず言ってしまった。
口の中に運んだ瞬間に広がるカレーの味。チキンから出たエキスがそれをさらにまろやかに、そして美味しくしている。
しかも、いつも食べているルーのカレーとは何かが違う。これがスパイスから作ったカレーの味か。
「そうか、そう言ってもらえると作った甲斐があった」
観月が照れ臭そうに頬を掻いた。
こうやってみれば、只のかわいい女の子なのにな……。
――使役者か。
今日は、いろいろなことがあった。
朝から、家がロケランでぶっ壊されたり。かと思ったら、その数分後には多少改造はされていたものの、家が元に戻ってるし。
さっきは水麗には悪いことしたな。過程はどうであれ、謝んなくちゃ。
過去の自分を許す気は無いけど、あのときから少しでも前に進むために、今の俺はキチンとしておかないと。
超展開の一日を過ごして、俺は思ったのだった。
たった一日でも変われるもんだな。
いや、俺が自力で変わった訳じゃない。アイツが、壊してくれたから。
観月が、あのロケットランチャーで。
「なに、ニヤニヤしてるんだ?」
ジトーっと、湿った視線を観月が俺に向けてきた。
「別に、気にするな」
「そんなことを言われたら、逆に気になるだろう」
「今日はすげぇ一日だったなって思っただけだよ」
「え、あぁ。そうか……」
観月が驚いたように絶句したのは、俺が笑っていたからだろうか。
やがて、目線を下に向けながら、申し訳なさそうに口を開いた。
「すまない」
「え、なんだよ、突然」
唐突に謝られても、勝手に歪む口元は直らなかった。そのため、半笑いのまま観月の言葉を聞いてしまった。
「貴様は、過激派から命を狙われることになったんだぞ! それなのに、……それなのにどうして。どうして貴様は、笑っているんだ……」
「えっ」
ポタリ、と水滴がテーブルに落ちる。
「私はッ! 今まで多くの仲間が奴らに殺されるのを見てきた。何が理想郷だ。人が死ぬ時点で、理想も何も無いだろう!!」
喘ぐように叫ぶ観月の瞳からは、涙がとめどなく溢れていた。
「私は決めたんだ。あの過激派を完全に潰す。でも、その中で貴様は命をおとすかもしれない。
できる限り手は尽くすが、それでも貴様が死ぬようなことがあったら、私は自分を責め続けるだろう。
だから、私に笑いかけないでくれ。私と出会ったことを喜んだりしないでくれ」
すっ、と観月は立ち上がり、皿を流しに出してから階段を降りていった。
「……なんなんだ。いったい」
反論する暇もなかった。
いや、もし、その隙があったとしても、俺は観月の言葉を否定できたか分からない。
頭の中ではいくらでも否定できても、それを口に出すには観月のことを知らなさすぎた。
それに、俺も少し軽率だったかもしれない。
今日の出来事は、小説の中の出来事ではない。現実なんだ。
当然、命を落とすことだって無いとは言い切れない。
「俺は、どうしたいんだろう?」
正直言って、こういう異能力系の小説とかが嫌いな訳じゃない。むしろ、憧れてた。
それでも、心のどこかでは、こんなことが現実では起こるわけがないと諦めてた。だから、最初はあんなに使役者のことを拒んだ訳だが。
それで、実際に直面したら、なんか、その場の流れに流されるままになってしまった。
そんな状態で今まで来て、俺は観月のカレーを食ってる。
まるで、それが当たり前だったかのように。
まだ、会って一日も経っていないのにな……。
全く、使役者っていうのは、俺も含めておかしな奴らばっかりだ。
でも、だからこそ、さっき俺は笑ったんだ。
「そうだよな。やっぱり、」
目を瞑る。
今日のことが、物凄い勢いでフラッシュバックする。
観月の泣いてる顔で、回想が止まった。
思わずニヤけてしまう。
「――やっぱり俺は、後悔なんかしたくない」