第四弾:It tastes so sweet.
「さて……暇だ」
「それはこっちの台詞だ」
観月の呟きに、リビングの床に寝っ転がりながら俺は言った。
俺が学校に欠席の電話をした後、何もない――弾薬や武器はたくさんあるが――俺の部屋にいても意味が無いということで、俺たちはリビングに来て、テレビを見ていた。
「――ってかさ、おかしくない? どうして、俺が床に寝っ転がってるの!?」
俺は床から起き上がり、ソファーに横たわる観月を指差した。
「俺はこの家の主だよ、あ・る・じ! その主が床で、この家を一度破壊した、いわば、この家から拒まれるべき人間がどうしてソファーで寝てんの!?」
「黙れ、この家を直したのは私だ」
「そのソファーは元からウチのだけどなぁ!」
「よし、分かった。そこまで言うならこうしよう」
「な、なんだよ。言っておくが、俺は絶対にこの家の所有権を手放すつもりは無いぞ」
俺の警戒するような発言に、観月は軽く笑った。
「フッ、安心しろ、白亜。私とて別に貴様と波風を立てる気はない」
「じゃあ、どうする気なんだよ……」
「簡単な話だ。この家の元々の所有者は白亜。そして、この家を直したのは私。ならば、この家の所有者は私と白亜、二人に平等に与えられるべきではないか」
「妥協早っ!?」
俺の第一印象からは考えつかないほど早く、観月が妥協点を提示してきた。
はっきり言って驚きだ。
俺の予想では、俺が折れるまでこの一進一退の攻防は続くものだと思っていた。
「ま、まぁ、それでいいんじゃないか?」
俺が呆気にとられながら、そう返すと、
「ならば、ソファーの使用は早い者勝ちということだな」
観月が勝ち誇ったように笑いながら、俺を見下ろした。
「……あっ! チクショウ、そういうことか。お前、卑怯だぞ」
「はっ、なんのことだ? 貴様だって、一度は了承したではないか。卑怯などと言われる筋合いはない」
「あぁ、もう!!」
結局、波風が立った。
■ ■ ■ ■
「OK、OK。分かったよ。早い者勝ちだな。じゃあ、先にソファーに座った奴がソファーを使えるということで」
「ふん、最初からそうすれば良かったのだ」
やはり、俺の予想は間違ってはいなかった。最終的に俺が折れることで、このソファー事件は解決した。
それにしても、観月の言葉に全く、波風を立てないようにする意識が感じ取れないのだが……。
まぁ、それはいいとして、
「なぁ、観月」
「なんだ?」
「聞きたいことがある」
「ほぅ、意外だな」
観月が眉をピクリと動かした。
「な、何が意外なんだよ」
俺は、観月の驚いた態度に噛みつくが、内心、自分でも驚いていた。
「貴様、人に頼ることが嫌いだろ」
「え、まぁ、な」
な、なぜ分かった!?
確かに、俺は人に頼ることが嫌い――というか、苦手だ。
ぶっちゃけた話、俺は昔から一人で何でも出来た。
勉強だって、何にしたって、一人でやったほうが効率がいい。他人の存在はむしろ邪魔でしかない。
そう考えると、俺は、この、一人で何でも出来たという傲りのせいで、誰かに頼るという弱い行為を否定していたのかもしれない。
もしかしたら、そのせいで忘れてしまったのかもしれないな。
自分が伸ばした手を掴んでもらう方法を。
「ってか、何で分かったんだ。俺が、他人に頼るのが苦手なんて」
俺は、観月に聞く。
ついでに、『嫌い』を『苦手』に言い換えておいた。
「何故って、それは誰だって分かるだろう。
貴様は自分と違うことやものを否定している。それだけ見れば、貴様が他という存在を拒絶していることは一目瞭然。
だから、何よりも拒まなければならない他である他人に教えてもらうことを毛嫌いしているのだろう?」
「別に嫌いってわけじゃねぇよ。ただ、苦手なだけだ」
「ふうん、苦手、ねぇ……」
観月が俺を見透かそうとするかのように目を細める。
俺は、背筋がゾッとするのを感じた。
「な、なんだよ」
「いや、別に」
俺は、観月がその言葉をどういう意味で言ったのかよく分からなかった。
くそ、だから、他人は嫌なんだ。めんどくさいったらありゃしない。
――って、やっぱり他人は嫌いなのか? 俺は。
そんなことを一人で考えてると、観月がニヤニヤと笑っていた。
「だから、なんだってんだよ!」
「ははっ、そうだよ。それだ」
「はぁ?」
俺は怒鳴ったはずなのに、怒鳴られた本人である観月は笑いながら手を叩いた。
「もっと素直になれ。私に全て話してみろ」
「まったく、なんなんだよ! お前」
訳が分からなかった。
「はははっ」
ついには、観月は笑っているだけになっていた。
何が起きているのか把握できなくなる。
部屋には、観月の笑い声だけが響いていた。
「ははは、……ふぅ」
しばらく経ち、観月が落ち着きを取り戻した。
何となく点けていたテレビのワイドショーの音がリビングに戻ってくる。
「……落ち着いたか?」
俺は恐る恐る尋ねてみた。
「何を言う。私はさっきから――プッ」
クックックッ、と観月の背中が小刻みに上下する。
「落ち着いてッ……いるぞ?」
「嘘だっ!? 最後の疑問形が何よりの証拠だ!」
「さて、冗談はここまでにしておこう」
「えぇ!?」
いったい何だったんだ? 今の件。
疑問を感じている俺をよそに、観月は話し始めた。
「結局だな、私が何を言いたかったのかと言うと、私と貴様はこれから護衛する側とされる側の人間だ。
つまり、私たちの間には信頼関係が成り立っていなければ、護衛するにしても話にならないということになる」
「はぁ……」
分かるような、分からないような。
「でも、信頼なんてそんなに大事なものなのか? 別に無くても護衛はできるだろう」
「まぁ、そうだな。できないこともない。
では、逆に聞こう。
貴様は、自分のことを全然知らない赤の他人に守られたいか?」
「え? あぁ、いや、それは嫌だな」
他人に頼るのは心配だ。
「だろう。ならば、護衛する側もされる側も互いにある程度親しくなくてはならない」
「なるほど、筋は通ってる。だったら、さっきの意味不明な行動は何だったんだよ」
突然、笑いだして扱いに非常に困った。
「あれか? なに、簡単な話だ。
人と人が信頼関係を築くのに最も簡単な方法、それは、本音をぶつけ合うことだ。
だったら、嫌いなものはハッキリ嫌いだと言ってもらわなければ困る」
「あぁ、そういうことか。――って、待て待て。結局、どうして笑ってたのかだけ聞いてないぞ」
「それは、貴様に本音を話させるのが思ったより簡単だったからだ――ッ」
観月は、思い出し笑いをする。
あぁ、なんだコレ。
「ふっ――」
思わず、少し吹き出してしまった。
「おぉ、笑った、笑った」
観月は、笑顔で俺の方を見てきた。
しかも、うっすらと涙まで浮かべていやがる。どんだけウケてんだ。
「うっせぇ、俺だって、少しは笑うわ」
そんなことを思ってる俺も、実はメチャクチャ笑っていた。
リビングには、再び、笑い声が響き渡ったのだった。今度は、二人分の。
■ ■ ■ ■
しばらくして、
「笑いすぎて、喉が渇いた」
観月が呟いた。
「そうか、じゃあ、俺、コップ持ってくるから、冷蔵庫から何か飲みたいもの出せよ」
俺は立ち上がりつつ言った。
「あぁ、分かった」
ウチの冷蔵庫には様々なものが入っている。俺が選ぶよりかは、観月本人が飲みたいものを選んだほうがいいだろう。
ぶっちゃけ、俺はなんでもいいし。
そして、俺は食器棚へと向かう。
そういえば、客人に飲み物を出す場合、どんなコップを出せばいいのだろうか?
そんな考えが頭をよぎった。
別に、特に考える必要などないのかもしれないが、何せ、相手は女だ。
男の俺では思わないことまで、思ってしまうかもしれない。
俺は注意深くコップたちを眺めた。
食器棚の中には二種類のコップがあった。
一つは、ガラス製のグラス。もう一つは、セラミック製のカップ。
いったい、どっちがいいのだろう。
グラスは客に出すというイメージが強いのだが、もし、そのイメージが強すぎて、相手を突き放しているように思われたらどうしよう。
せっかく、観月とも打ち解けてきたのに、ここで仲が悪くなったたなんだか、精神的に来るものがあるし。
かといって、カップを出せば、身内で使うというイメージが強くて嫌がられるかも……。
食器棚の前で考え込むこと約三十秒。
はっ!
俺は画期的な方法を思いついた。
一個ずつ持っていけばいいんだ!
俺ってばマジ天才。
そんなことを考えながらグラスとカップを一個ずつ取り出す。
そこで気づいた。
「うわ、いっぱいあるな。どれにするか」
観月は今、冷蔵庫から飲み物を選んでいる。
つまり、現在、ソファーには誰も座っていない。
そして、ソファーの占有権は早い者勝ちという話を先程したばかりだ。
だが、あの話には明確な占有権の期限は出てこなかった。つまり、本人がソファーから離れた瞬間にその占有権は効力を失う。
ということは、再び、ソファーの占有権は早い者勝ちに戻る。
俺は、ソファーの前にあるテーブルにコップを置こうと歩き出す。
バレないように、悟られないように……。
チラッと、冷蔵庫の方を見る。
よし、まだ、冷蔵庫を覗いている。
「おい、白亜」
「は、はい!?」
な、なんだ。まさか、バレたか?
「面倒だから、複数取り出してもいいか?」
なんだ、そんなことか。
「あぁ、別にいいぞ」
「そうか、なら」
観月は両手を冷蔵庫に突っ込んだ。冷蔵庫から飲み物の紙パックを取り出そうとしているのだろう。
チャンスは今しかない。
俺は冷蔵庫の前にいる観月に全神経を集中させながらソファーへと移動した。
観月から視線を外すことなく、ゆっくりとテーブルにコップを置く。
よし、気づかれていないようだ。
「ソファーはもらった!」
俺は、そう高らかに宣言して、勢いよくソファーに座り込む。
むぎゅー。
「うぎゅ!?」
………………………………………………………………………………!?
今、声がしたような。
それどころか、この感触はなんだ?
俺の家のソファーって、こんなに固いような柔らかいような訳の分からない弾力を持っていただろうか?
……いや、現実逃避は止めよう。分かってる。今、俺が何をしてるかって。
俺は今――、
「いつまで乗ってる気だっ!」
観月の腹の上に座っていたのだから。
「お、お前こそ、どうしてそこにいるんだよ! だって今、冷蔵庫の方に」
俺は、すぐに観月から離れ、冷蔵庫付近を指差した。
だが、俺の指の先にも、もう一人、観月がいた。
「えぇっ!?」
な、何がどうなって……。
いや、待てよ。
「なに、お前、ちゃっかりと能力発動しちゃってんの! そんなに力が残ってんなら、早いとこ俺の部屋を直せ」
観月の能力は質量のある幻覚を操ること。ならば、分身を作るなど朝飯前に決まっている。
「よく見破ったな。これで貴様の思考回路も晴れて使役者の仲間入りだ」
観月がニヤリと笑った。
「嬉しくねぇわ!」
「うわ、私はなにもしてないのに怒るなんて、キレる十代だ。お~、怖い怖い」
「お前は、なにもしてなくないだろう!」
「おい。とりあえず、飲み物はテーブルの上に置いておくぞ」
そこへ、もう一人の観月が割り込んできた。
「そうか、ありがとう」
今度は、こっちの観月がそれに応えた。
「それでは、私は戻る」
ポンッ。
もう一人の観月は、本当に分身みたいに消えていった。
「やっぱ、すげぇな。使役者って」
なんというか、なんでもありだ。
「お? 普通じゃないことに対しても素直になってきたじゃないか。私は嬉しいぞ、白亜」
「う、うるせぇよ」
俺は、なんだか気恥ずかしくなってきたので、観月から顔を背けた。
そして、おもむろに、テーブルの上に置いてあったオレンジジュースのパックとグラスを取り上げ、注ぐ。
「誰かさんのせいで久々に怒鳴ったから喉がカラカラだ」
俺は、オレンジジュースを飲み干した。
なんだか、すごく甘ったるい味がした。