船中の戦い
船着き場や甲板と違い、船の中は騒然としていた。
紫羅が一歩足を踏み入れた途端、進入をつげる声が響き、次にうめき声があがった。
女ボスの武器は猫の名にふさわしく、鋭い爪がついた手袋で引っ掻き、肌色の球石に丈夫な糸をつけた
遠距離用の武器、猫じゃらしを振り回した。
『戦意を失わせるマジックアイテムよ。便利だけど触ったら、私も戦意維無くしちゃうから、扱いが大変なのよ
。もちろん手袋なしじゃ使えないから、面倒くさいけど』
爪に猫じゃらし…まさに『猫セット』と思う助針であった。
その助針は戦意を失い、座り込む人を無傷で通り過ぎることができた。
「しかし…ずごいですねぇ、紫羅さん」
「こんな狭い船内、よく動き回れるってこと?」
「それもありますが、こんな薄暗いのによく敵を見つけて、敵の動きを見極めて、攻撃でかることです」
ちなみに、いま2人のいる船内には明かりというものはあるが、電気のない世界では、薄暗く少しでも明か
りから離れれば暗闇に入ってしまう。
「特殊能力よ。闇の中でも見られる目があるからね」
「…耳としっぽがあれば、完璧ですね」
猫という単語を持ち合わせている紫羅であるが、その姿に耳と尻尾は見当たらない。
「目は光らないわよ。さて…」
紫羅は扉を開けた。
「どうも、気なるのよね」
扉の先は、何かが所狭しにおかれてある倉庫らしい所であったが、紫羅は出ることなく、助針に扉を閉めさ
せた。
「丸虫は、確かに子分たちを待機してあるっていったのに、誰1人いない」
現代のように天井に取り付けられた弱々しい明かりの下、動き回りながら不安を口にした。
「でも紫羅さん。アジトは船で、周りには何一つないんですよ。どこかに隠れてたんじゃないですか」
「あら、頭である私に何も言わず?
町の中を裏路地を通ったのに子分らしい姿、気配すらなかった。影でさえ見つけだすことができず、様子を
見に行かせたのよ」
「それは…」
助針は返答に困り、闇に近い空間で紫羅の姿すら見失ってしまった。
「…これは、女のと頭の勘にすぎないんだけどね…」
「裏切り者…がいるって事ですか?」
率直な言葉を口にした助針は、目を光らせる鋭い視線を感じた…と言っても、実際に光ることなく、助針の
幻ににすぎなかったが。
「まあね。でも外れてほしいものよ。皆、心から信頼している仲間だから、だけど…」
右側の壁から物音がした。
「外れることはないよ『女と頭の勘』は」
紫羅に説明を聞くと、壁に隠し扉があって開いており、その先には階段があるという。
闇に近い中、おっかなびっくり階下に着くと。
助針の足の遅さにあきれ顔の紫羅と、昼間のように明るい通路が待っていた。
「さっきいた通路と全然違いますねぇ」
「倍はある明かりに、高そうなじゅうたん。どう見ても、ボスレベルの部屋につながっているわね」
「じゃあ、いよい…」
「頭」
助針の後ろで声がした。
闇の中から現れたのは、背丈が助針と変わらない青年、細虫。
「頭だけで行かせるわけにはいかないよ」
助針を足すことなく…
「細虫。私は丸虫の見張りをしてって、言ったじゃない」
細虫は苦笑した。
「監視人が近くに入れば、それでいいんだろう」
そう言葉を放つ丸虫を懐から取りだし。
「…ったく。いい根性してるんじゃないの丸虫」
「その言葉、そっくり返すよ」
「…」
紫羅はため息をつくと、くるりと背を向けた。
「じゃあ、行くわよ。皆、気合いをいれてね」
扉は難なく開き、紫羅は重要人物を目にすることができた。
「…………」
全身を血に染めて。
「…どういう事だ」
呆然とする細虫の声を聞きながら紫羅は、慎重に辺りを見回した。
それから顔を背けることなく、その物体に近づき観察を始めた。
「間違いなく、ここのボスね」
「なんで…また」
「仲間割れか…」
「そんな事より兄さん、あいつは?あいつはどこにいるんだ」
細虫の指している単語は、未だに見つからない仲間の事だろう。
「細虫、捜しに行くぞ」
「はい」
兄弟が慌ただしく駆けていく中、紫羅は、あごに手を当てて物体を見つめた。
「…よく、冷静に見られますね。紫羅さん」
真っ赤な物体から目を逸らしているが、温室育ちの助針の顔は真っ青である。
「こういう稼業をしているからよ。で、助針、どう思う?」
「どうって、何がですか?」
「どうして、この男は、こうなったかよ。船内に入ったとき、たくさんの下っ端を片づけなければならなかったの
よ…連中は、この光景を知らない、と見ていいわね」
「知らないうちに、仲間割れが起きて、こうなったんじゃないですか?」
紫羅は、何も答えなかった。近づいてくる足音に警戒するため。
「頭、大変なことになってる…」
聞き覚えのある声に、紫羅は警戒を解いた。
…いや、解いてはならない。
そう紫羅の勘が働いた時にはもう、その者は現れて…彼女は動きを封じられていた。
それは…
私が遠距離武器として使うのと同じものだった。黒雪印の丈夫で光沢があって極めて細い。
でも私のより長く、粘着があって一度触れた者から、離れることのない。やっかいな糸。
さらに重りのついた糸は、私という獲物にあたると、そこから幾重にも回れり、そのつど、両手足の自由が
失っていった。
「私があげた糸で、よくもこんな事ができるわね」
中年の男がにやりと笑っていた。
傷を負い、船から離れていたはずの男が。その服は脇腹を中心に染色しているものの平然としていた。
「黒粘土さん…ケガは?」
「粘土のように姿形を変え、その者になりすます。役者としての能力も兼ね備えている以上、負傷人ぐらい簡
単になりすましたって事よ」
紫羅は、ぱちくりとしている助針に解説した。
「…でも、黒粘土さん。どうして、こんな事をなさったんですか?」
「男が野心を求めるのに、理由なんてないだろう。お前のように敷かれたレールを歩ける奴と違って、道のな
い者のは、血路を作らなければならないのだから」
「裏切りによる血路なんて、必要ないわよ…って、今のあなたに言ったって無駄でしょうが」
配置していたはずの部下たちがいないのも、黒粘土の仕業であろう。頭の新しい命令だと言えば部下たち
や、特殊な存在である影さえも現場から離れさせることができるのだから。
黒粘土はにいっと笑った。
「今回の裏切りもあんたによる、仕業なら、前回の襲撃も、間違いわね」
「ああ。クップルングの主要メンバーさえ、抑えとけば、かなりの有利になるからな。
ファーロ側はうまくいったよ。奴らは、強い指導者が入れば、誰だって構やしない。自分たちが生きていら
れるのならばな」
「ここのボスを倒し、強さによってファーロ団を乗っ取ったってわけね。でもね、黒粘土。同じ方法でうちの連
中が支配できると思って?」
「やってみれば、わかるさ。自分が生き延びるためにはなっ」
力をこめて言い放った男は、同時に短刀の柄に手を当て、女頭を巻きつける糸を引き寄せた。
「あなたは、間違っています」
「……」
「強い力だけで生き延びることはできません」
助針はいつのまにか、紫羅の前にいた。
彼女の前に立ちはだかって。
「…」
男の持っていた短刀は引き抜かれることはなかった。そもそも、男自体身動き一つしていないのだから。
「じょ…」
助針の指先には細い針があった。
「大丈夫です。彼は生きてますよ。ただ、しばらくの間、目覚めることはできませんが」
説明したものの、紫羅の鋭い視線は助針はから離れることはなかった。
『なぜ、動く事ができたの?』と、その目は無言に語っていた。
「お恥ずかしい話、言いたくなかったのですが…一瞬だけならば。それも、ただ一度だけなら、動く事ができ
るんです。火事場の馬鹿力というヤツですね…
だけど…」
体がふわりと揺れた。
「助針」
「あまりにも消費エネルギーが大きいので、その後、動けないんです…」
座り込み、目をグルグルさせながら情けない顔で紫羅を見上げた。
「…」
紫羅は身動きがとれないまま呆れていたものの、ふと頭によぎった疑問を、助針に聞いた。
「助針。今『強いだけでは生き延びられない』って、言ったわね。じゃあ、何が必要なの」
「そりゃ『助けられる』ことですよ。他の方に助けられるからこそ、自分の弱さを知り、助けともらった方に感謝
することができます。
上に立つ方ならば、己の弱さ、弱点を知らなければ、大きくなれません…と、私は思います。
といっても、私は助けてもらってばかりですが…」
ははっと、力なく助針は笑ってみせた。
「……。まあ、確かに。この状態じゃ、助けらもらう以外にないわね」
「でも紫羅さん…」
「何?」
「2人とも助けてもらわなければならない状態で、敵が現れたら、どうしましょう」
不安という言葉は近づいてくる足音により、現実と化してしまった。
「どどど、どうしましょ」
「どうしましょうって、助針、男でしょ。この黒雪印の糸はねぇ、無茶苦茶丈夫で切れないのよ。まったく身動き
が取れない、私と違って動けるでしょ。戦えるでしょ」
「えええっ。そんな無茶苦茶な事、言わないでください」
「頭である私が弱さを見せるのは、相手を信頼しなければらない事。助針、私の信頼を裏切るつもり」
都合の良くなっているが、紫羅の言葉は正論でもあった。
「…。わかりました。私は、紫羅さんのために、戦います」
「頼んだわよ」
助針はふらつく体でなんとか立ち上がり、細い針を剣の様に構えた。
針先がふるえ、全身に汗が浮か噴出しいく。
それでも助針は、扉の先を睨むことを止めなかった。
足音が目の前に現れる。
「………」
助針は、足を前に踏み込み、現れた者に…
「ストーップ、助針」
その直前で紫羅が止めた。
「へ?」
顔真っ青、汗だくだくの助針は攻撃しようと伸ばした腕を慌てて戻したのと同時に、扉から現れた者の体当
たりを見事に食らった。
「頭っ、ご無事ですか」
現れた者は、大切なボス以外目に入らなかったらしい。
『何かに当たったてような…』と思いながらも、カードゲーム時にいた大男は紫羅の前まで進んだ。
「あんたが無事で何よりよ、でか虫」
でか虫。
「助針。この名前の通りよ。この大男。丸虫、細虫の末弟」
衝撃的な事実が発覚されたが…大緊張と体当たりをくらい気を失った助針の耳に入ることはなかった。
「?何です頭、この方は?」
「でか虫。あんたが捕まえたてきたんでしょ。彼は助針よ。頼りないけど…信頼できる、ね」
「?」
哀れな助針に、紫羅は優しく笑みを浮かべた。
しかし、細虫と丸虫の姿に気づいた紫羅は、険しい表情に変わった。
部下だった男を見下ろすため。