第1話 休暇なんてありませんでした?!
「ん~。潮風が気持ちいいわね」
船から降りて潮風を浴びる。磯の香りを胸いっぱいに吸い込みながら、手を上に上げて背筋をほぐした。春先の冷たさの残る潮風が新天地に到着したことによる興奮を適度に冷ます。
「面白そうなものがありそうね。おっといけない、先に入国手続きを済まさないと。いつ、アレクシスが追ってくるかわからないからね」
乗客目当ての露店には興味深い品が並んでいた。しかし、逃避行中の私はグッと堪えて入国審査ゲートへと向かった。しかし――。
「うへぇ、めっちゃ並んでるじゃない」
長蛇の列という名の通り、蛇行しながら溢れんばかりの人が並んでいた。今から並んでも1時間は待たされるだろう。
「うーん、アレクシスが追ってくるかもしれないし、早く進みたいんだけど――まあ、ちゃんと書き置きで休みの許可を取ってきたし、さすがに来ないでしょ。列がはけるまで露店でも見てくるかな」
踵を返して露店の並んだ通路を歩いてみる。慌てて出てきたせいで小腹が空いている。自然と食べ物に目が行ってしまう。
「調理が必要な食材はナシとして――あ、あれは!」
目を付けたのは小ぶりの真っ赤なリンゴ。人気のある品種ではないが、しっかりとした香りと強い酸味が私の好みとピッタリ合致していた。
「おばちゃん、これ1個ください」
「あいよ、銅貨3枚だね」
「うわ、やっす」
財布から銅貨3枚を取り出し、おばちゃんに渡す。手に取ったリンゴをシャクと一口かじると、リンゴの芳醇な香りが鼻を抜け、ほんのりとした甘さと強い酸味が口の中に広がった。
「うーん、酸っぱいぃ! これだよ、この酸味が醍醐味なんだよね!」
「お嬢ちゃん、珍しいね。最近は甘い方が人気があるからの」
「そりゃ大変だ。それじゃあ、頑張ってね!」
リンゴを食べながら、露店を後にする。あっという間に食べ終わって、残った芯は海に向かって放り投げた。
「うるさい男がいないから、気楽でいいわ」
何かと口うるさいアレクシスの顔を思い浮かべる。断罪されかけたところを助けたことがきっかけで、私によく絡んで来る男だ。
ことあるごとに「リーダーとしての自覚が――」と言ってくる。彼の頭の中で、私は『月光評議会』という組織のリーダーらしい。
「しらんがな。全部、妄想じゃないか!」
その妄想の中の組織のメンバーを確保せよと依頼をしてくるんだけど、これがまた面倒なことばかり。先日も依頼でも、断罪されかけた近衛騎士を助ける羽目になった。
結果として彼女も組織に加わったので、アレクシスとしては笑いが止まらないと言ったところだろう。甚だ不本意ではあるが。
イヤな過去を思い出して眉間に皺を寄せながら歩いていると、山のようなクズ魔石を売っているお爺さんがいた。
「おっ、これは魔石じゃない?」
「ああ、クズ魔石ばかりだからな。まったく売れねえんだよ」
「そうなの? それじゃあ私が買うよ」
「いくつだ?」「もちろん全部」
「ぜ、全部ぅぅぅ?! お嬢ちゃん、正気かい?」
買ってあげると言っているのに正気を疑われた。解せぬ。
「それで、いくらになる?」
「数も1000個くらいあるからなぁ。1個銅貨10枚として、金貨1枚くらいでどうだ?」
「悪くないね。じゃあ、これで」
財布から金貨1枚を取り出してお爺さんに渡す。受け取った金貨を大切そうに懐にしまった。
「こんなにたくさんの魔石、持っていけるんかい?」
「大丈夫、まとめるから」
魔石の発する魔力の流れを見る。ちょうどいい具合に魔力が流れていた。これなら簡単にまとめられそう。
「ここかな?」
起点となる魔石に魔力を少しだけ注ぐ。注がれた魔力に魔石の魔力がまとわりつきながら、次から次へと伝播していく。
「魔力が抜けた魔石は海に捨てていって――」
ポイポイと用済みの魔石を海に放り込んでいく。10分ほどで1000個あった魔石の魔力が1個の魔石に集約されていた。
「そんな、バカな」
「それじゃあ、魔石は貰っていくね」
たった金貨1枚で金貨100枚相当の魔石を手に入れることができて、ホクホク顔で露店を後にする。お爺さんはうわ言のように何かをつぶやきながら呆然としていた。
さらにいくつかの露店を見て回りながら1時間ほど経ったので、ふたたび入国審査に向かう。並んでいる人はほとんどなく、それほど待つことなく入国審査に入ることができた。
「身分証をお願いします」
懐から、先日見た身分証を取り出して兵士に差し出す。
「マーガレット様ですね。はい、問題ありません」
名前の違う身分証にも関わらず、問題なく審査をパスすることができた。証明書を持っているという事実しか見ていないのだから当然と言えば当然。これでアレクシスも、ここにいるとは思わないはず。
平然と入国審査を抜けて街に入る。さすがは港町、行き交う人にも活気であふれていた。
「まずは腹ごなしをしつつ、宿を探すか」
繁華街まで行って、店を物色していく。どこも悪くなさそうだけど、今一つ決め手に欠ける。悩みながら歩いていると、服の裾が引っ張られているのに気付いた。
「うん?」
「み、店をお探しでしゅか?」
引っ張られている方を見ると、質素な服を着た少女が裾を手に持って私の顔を見上げている。客引きみたいなことをしようとして噛んでしまった。顔を真っ赤にして恥ずかしがりながらも、まっすぐ見つめていた。
腰を落として目線を合わせながら微笑むと、少しだけ安心したようで表情が柔らかくなる。
「そうだけど、どこか、いい場所を知ってる?」
「うん、ワタシのうち!」
同じ客引きされるなら、やっぱり小さい女の子だよね。少女の純粋さに癒されながら、案内してもらう。たどり着いたのは、お世辞にもキレイとは言えない宿だった。
「食事もできるから、どうか、お願いします」
「いいよ、中に案内してくれるかな?」
こんな小さい女の子に必死で頭を下げられて、イヤとは言えるわけがない。中へ案内するように言うと、ぱぁっと花が咲いたような笑顔になった。
「ままー、お客さん連れてきたよ!」
「あ、サラ! また、客引きの真似事なんかして――危ない目に遭ったらどうするんだよ!」
「ご、ごめんなさい……」
頑張っている母親の力になりたい一心で動いたのだろう。しかし、母親の言葉にも一理あることに気付いているのか、小さくなりながら頭を下げた。
「まあまあ、ちょうど探してたんで助かりました」
「お客さんがそう言うなら……料理は何にする?」
「えっと、じゃあ日替わりで」
さすがに可哀想になって間に入ると、母親も毒気を抜かれて肩をすくめる。注文を受けると厨房へと消えていった。
厨房から流れてくる匂いで食欲が刺激されていく。先ほどまでは、そこまで空腹じゃないと思っていたけど、匂いを嗅いだ途端に胃の中が空になっていく。ヤバい、と感じた直前、母親が料理を手に戻ってきた。
「はいよ、ポークソテーとトマトのパスタだ」
「うわぁ、美味しそう。いただきまーす!」
クルクルとパスタをフォークに絡めて一口。シンプルなトマトソースながらも野菜やチーズから出た旨味が口の中に広がっていく。
次にポークソテーを一切れ、口に放り込む。何の変哲もないありきたりな料理と思いきや、野菜や香草を煮詰めた濃厚なソースが素材の味を引き立てる。
「美味しい!」
勢いに任せて、次々と料理を口に運んでいく。空腹だったこともあって、気付いたら料理を平らげていた。
「ふぅ、ごちそうさまでした」
この分なら宿の方も期待できそう。そう食後の紅茶を飲みながら考えていると、入り口の扉が勢いよく開いた。
「逃げても無駄ですよ、ルミナさん」
「あ、あ、アレクシス?! どうしてここに?」
「どうしてもこうしても、ルミナさんに依頼を持ってきたんですよ」
「えええ――休暇中なんですけど」
アレクシスが眼鏡をクイクイっと上げながらため息を吐いた。いちいち腹の立つ男である。
「言いましたよね、ひとこと言ってくださいと」
「いやいや、今回はちゃんと言ったでしょ!」
「もしかして、これのことを言ってます?」
アレクシスが懐から取り出したのは『お休みをいただきます。旅行に行くので探さないで下さい』とひとことが書かれた書き置きのメモだった。
「なんで直接言わないんですか?」
「ダメって言うじゃん!」
「どっちにしても、これをひとこととは認められません。というわけで、ルミナさんには聖女確保に動いてもらいます」
「ひ、ひどい。横暴だ!」
必死の抗議にもアレクシスは眉一つ動かさない。まるでゴーレムのような男だった。
「とりあえず、聖女が通っている学園に入学していただきます」
「いや、いやぁぁぁ! あっ! そ、それは――!」
アレクシスの取り出した一枚の紙切れを見た瞬間、背筋に鳥肌が立った。
「ええ、魔法大国と言われるデニール王国の王立魔法学園です」
数多の天才魔術師を輩出してきた選ばれし者だけが通える学園。通えるものならと――思っていた私には、その紹介状が喉から手が出るほど欲しかった。




