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ワールドラバーズ・アドベンチャー(そこら辺を漂ってたチカラを捕まえて青春しながら世界を平和にする話)  作者: 諏訪 惠


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第五話 アニミズムとマクドナルド

 郁美の学校にはプールがない。もとは屋内温水プールがあったのだが、一昨年とり壊されてしまった。

理由は簡単、敷地内に変質者が多発したからだ。

 女子校というだけで、世の男はおかしな憧れを持つらしい。敷地内にある付属幼稚園の園児を迎えにくる保護者に紛れこんでゲートをくぐり、教員のふりをして敷地内を闊歩する。正門には警備員が常駐しているとはいえ、短大には非常勤で努める教員が少なくないため、そのすべての顔を覚えるのは至難のわざだ。つまり、ゲートさえ通ってしまえば問題ないのである。

 敷地内のセキュリティが甘いとなっては、学園の名に傷がつく。事態を重くみた学園側は、変質者のかっこうの的である温水プールを取り壊すことを決めたのだ。その代わり、水泳部は近くの娯楽施設にあるプールを利用している。

 時間制とはいえ、学園が貸り切ったプールのフリーパスが配布されているのだから驚きだ。

 中等部の頃から、郁美は水泳部に所属していた。学園内のプールがなくなったというのは、決して他人事ではない。

 馬鹿みたいだ、と郁美は思う。

 女子校にどんな幻想を抱いているのか知らないが、そうまでして覗きたいものだろうか。

 学園側から注意を受けるだけならまだしも、見つかり次第通報される。大した罪ではないだろうが、失う信用は大きいだろう。

 うら若き乙女の水着姿は、つまらない男の半生と同じだけの価値があるということか。

 ザバリと水面から顔を出す。ほぼ同時にホイッスルの音が聞こえた。時間終了の合図だ。

「各自シャワーを浴びてから、いつも通りロビーに集合!」

部長のよく通る声が響いた。

 ロビーとプールを仕切るガラス張りの壁の向こうに、プールが解放されるのを待つ一般の利用客の混雑が見えた。郁美はさりげなくそこに視線を走らせる。あちらとこちらを仕切っているのは曇りひとつないガラス一枚で、音こそほとんど遮断されているものの、互いから互いがよく見える。ガラスの向こう側に、かつて学園に侵入したその人がいるかもしれない。だとしたら、これはある意味本末転倒というものではないだろうか。

 ビキニはOKで下着はNGというのと同じ理屈だ。

 問題は、見せられているか秘められているか。

 秘められているもののほうに魅力を感じるのが、ヒトの心というものだろう。

 リスクを覚悟で秘められたモノに立ち向かう勇気は認めないでもないが、過ぎた勇気はただの無謀だ。無謀な変質者たちは、勇者というより愚者である。

 郁美が髪を乾かしてロビーに出ると、すぐにインフォメーションが始まった。水泳部の活動は週に三日、月水金曜日である。今日は水曜日、顧問が不在で自主練習の日だ。これといった連絡事項もなく、早々に解散になった。

『イクミ、イクミ!』

仲間たちに軽く挨拶をして駅のほうへ足を向けた郁美を、見えない声が呼び止めた。

 郁美は足を止めないまま、ごくさりげない声でそれに応じる。

「ライ?」

『うん』

「姿が見えないけど、どこにいるの?」

『うーんと、郁美の足元にいるよ』

郁美が視線を下げると、そこにライが現れた。郁美の歩調にあわせてトコトコと歩いている。

 ライに実体がなくてよかった、と郁美は冷静に思った。

 白い虎を従えて日本の歩道を歩いているなんて、たとえ法律が許しても常識が許してくれない。

「めずらしいわね、迎えにきてくれたの?」

『ん?うーん、そうともいえるかな?ちょっと、来てほしいところがあるんだよ』

「今から?」

『うん』

「いいけど、あまり帰るのが遅くなるのは無理よ」

『イクミに会わせたい人がいるんだ。大丈夫、そんなに時間はかからないよ。……多分』

「はっきりしないわね」

眉をひそめた郁美に、ライはごまかすように笑った。その反応こそ郁美がよしとしないものであったが、世の中にありふれたものであるのも承知している。

「で、どこに行けばいいの?」

『駅の東口にマクドナルドがあるだろ?あそこの二階に来てほしいんだ』

「マクドナルド?」

郁美はほんの一瞬動きをとめ、何ごともなかったようにまた歩き始めた。

 そこにライが会わせたい人がいる。つまり待ち合わせの場所である。そんなに驚くことだろうか、と不思議に思ったライが郁美を見あげる。

「マクドナルド……」

つぶやいた郁美の瞳は、心なしかキラキラしていた。

 不安と期待の入り混じったような表情である。

 珍しい、とライは密かに思った。普段は滅多なことでキラキラしたりしないのに。

 そもそも、郁美はそういう人だった。感受性が乏しいとか、冷淡であるとかとは少しちがう。表情そのものは豊かだし、何かをむやみに嫌ったりしない懐の深さもある。

 ただ、泣きわめいたり、激しく落ち込んだり、あるいは喜んで羽目を外したりというような、そういう一面を見せないのだ。

 感情の起伏の幅が小さい、といえるだろうか。

 常に一定の、安定した自己を保っていられる。

 それは郁美の発想力に支えられている部分もあるが、基本的には幼いころからの躾と経験の賜物だろう。曖昧を厭う郁美であるが、一方で無意味な偏りも嫌っていた。

 郁美には郁美の天秤があって、それは外の世界の天秤とは必ずしも一致しない。

 なにも郁美に限ったことではなく、人はみんな己の天秤を持っている。それが当たり前で、その不一致も当たり前。

 人とはそういうものだと、郁美は思っていた。

 なぜ、互いの不一致を隠そうとするのか。

 なぜ、お茶を濁してごまかそうとするのか。

 そんなことしなくても、隠さなければ隠されないのかもしれないのに。

『あ、もしかしてマクドナルドきらいなの?ボクは食べるってことができないから、味はわからないんだけどさ』

「ううん、そうじゃないわ。私だってわからないもの」

郁美は首を横にふった。

 ライがこてんと首をかしげる。ネコ科の動物が目をぱちくりさせる様は、どうしてなかなか愛嬌があると郁美は密かに思った。

 そしてライは合点したようだ。

『もしかして、マクドナルド行ったことない?』

郁美はわずかに顎を引く仕草で首を縦にふる。

 なるほどなるほど、とライは一人納得した。

 そもそも、郁美の家はファーストフードを良しとしない。両親とも留守がちではあるが、母親が家にいるときは可能な限り手料理をつくるし、父親はちょくちょく高級スイーツを土産に買ってくる。家政婦さんがいたのだから、カップラーメンなんかを食べたこともないのだろう。

『確かに、それじゃあわからないね』

どれほど大衆的なものだったとしても、行ったことも食べたこともないものを好き嫌いはできないだろう。

 郁美は内心ワクワクしていた。

 自分が少数派であることなどわかっている。でも、だからといって少数派が多数派に無条件に賛成しては、平和なんて来ないだろう。

 これはきっかけだ。

 きっかけさえあれば、迷わずガラスの向こう側へ行ける。

「ねぇ、ライ。あなたにいう必要はないかもしれないけど、一応言っておくわね」

赤信号で立ち止まった郁美が指先でちょいちょいと呼んだので、ライは後ろ足で立ちあがった。前足を郁美の胸のあたりに置き、その顔を近づける。

「あたしがマックに寄ったこと、誰にも内緒ね?」

返事の代わりに、ライは郁美の頬を一舐めした。もちろん、そういう仕草をしただけで、実際に触れることはできないのだが。

 郁美とライは、再び駅へ歩き始めた。

 正直者の郁美は、そのくせ嘘をつくのが上手だ。

 なんの罪もない、子どもの言い訳のような嘘。子どものような無邪気なそれを、大人の賢さで上手に隠す。

 誰も郁美を疑いもしないだろう。郁美が語る物語は完璧で、真実起こり得る、あるいは起こり得たことのみがその唇に乗せられる。

 いささか世間ズレしている節はあるが、郁美ほど純粋なヒトはなかなかいないとライは思っていた。

 郁美は鋭い。鋭くて、冷静だ。それを自覚するだけの賢さがあって、さらに楽しむ余裕すらある。

 そして、郁美は世界を愛していた。

 アニミズム。

 生きとし生けるもの、あるいは無機物にでさえ、たましいとか人格とか、そういうものを見出す。

 それは幼子、原始宗教。

 賢い郁美は、幼くしてそれを覆す理屈を理解しただろう。

 理屈を理解して、それでも郁美の世界は生きていた。

 それが郁美のチカラであった。

 それを必要とする人がいて、それを必要とする世界がある。

 ライはそっとほほえんで、歩く郁美の手にすり寄った。




続く。

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