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【証拠はいらない】本音を話せる人がいない

作者: Wataru
掲載日:2026/02/10

相談者は、五十代の男性だった。


背広はきちんと着ている。

靴も手入れされている。

年相応に、ちゃんとしている人だ。


ただ、椅子に座ってから、

一度も腕を組まなかった。


落ち着かないわけでもない。

警戒している、というほどでもない。


――癖だ。


「今日は、どんな相談だ」


少し間があって、男は言った。


「友達が、いないんです」


「一人も?」


「……いないわけじゃないです」


即座に訂正する。


「仕事の付き合いとか」

「昔の知り合いとか」

「飲みに行く相手も、います」


「でも」


男は、言葉を探した。


「友達、って言っていいのか」

「分からなくなって」


「何が違う」


しばらく沈黙。


「本音を」

「話したことが、ない」


それだけだった。


「誰とも?」


「誰とも」


男は苦笑した。


「五十年も生きて」

「一人も、いないって」

「ちょっと情けないですよね」


「情けないか?」


「はい」


即答だった。


「普通」

「この年なら」

「何人かは、いるものだと」


「誰が決めた」


男は言葉に詰まる。


「……世間、ですかね」


「世間って、誰だ」


また沈黙。


「会社か」

「家族か」

「同世代か」


「全部です」


「で」


俺は続ける。


「本音を話したら」

「どうなると思ってる」


男は、少し考えてから答えた。


「面倒な人だと思われる」

「弱いと思われる」

「距離を置かれる」


「経験がある?」


「……ないです」


「想像だけ?」


「はい」


俺は、軽く頷いた。


「じゃあ」

「なぜ、話さない」


男は、ゆっくり言った。


「話す必要が、なかったからです」


「ほう」


「仕事は回った」

「家庭も、問題なかった」

「誰も、困らなかった」


「でも」


視線が落ちる。


「気づいたら」

「誰も」

「俺の中に、いなかった」


静かだった。


「職場ではな」


俺は言う。


「深い関係は、作れない」


男が顔を上げる。


「それは……」


「仕方ない」


きっぱり言う。


「利害がある」

「役割がある」

「評価がある」


「そこで本音を出すのは」

「無防備すぎる」


男は、ほっとしたように息を吐いた。


「じゃあ」

「自分に、問題があるわけじゃない」


「ない」


「友達が少ないのも?」


「少なくていい」


「一人でも?」


「一人で十分な人もいる」


男は、少し困ったように笑った。


「でも」

「寂しくなるときは、あります」


「だろうな」


「本音を話したいと?」


「はい」


「じゃあ」


俺は、少し間を置いた。


「誰に話したい」


男は、すぐには答えなかった。


「誰でも、いいわけじゃない」

「理解してほしいわけでもない」


「ただ」


拳を、ぎゅっと握る。


「否定されない場所が」

「一つ、欲しかった」


俺は頷いた。


「それが」

「友達じゃなくてもいい」


男が、顔を上げる。


「え?」


「肩書きがいらない関係」

「役割を脱げる時間」


「それが一人あれば」

「十分だ」


長い沈黙。


「……証拠、いりませんでしたね」


「ああ」


「正解も?」


「ない」


少し間を置く。


「無理に作らなくていい」

「無理に増やさなくていい」


「来るなら、来る」

「来ないなら、それまで」


男は、深く息を吐いた。


「なんだか」

「楽になりました」


「上出来だ」


男は立ち上がり、頭を下げた。


「今日は」

「話せただけで、よかった」


「それが本音だろ」


ドアが閉まる。


相棒が言う。


「あの人と、友達になったの?」


「どうだろうな?」


窓の外を見る。


「でも」

「本音を置ける場所が一つあれば」

「人は、そんなに壊れない」


静けさ。


友達がいないんじゃない。

本音を、置く場所がなかっただけだ。


それが分かったなら――

もう、証拠はいらない。


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