【証拠はいらない】本音を話せる人がいない
相談者は、五十代の男性だった。
背広はきちんと着ている。
靴も手入れされている。
年相応に、ちゃんとしている人だ。
ただ、椅子に座ってから、
一度も腕を組まなかった。
落ち着かないわけでもない。
警戒している、というほどでもない。
――癖だ。
「今日は、どんな相談だ」
少し間があって、男は言った。
「友達が、いないんです」
「一人も?」
「……いないわけじゃないです」
即座に訂正する。
「仕事の付き合いとか」
「昔の知り合いとか」
「飲みに行く相手も、います」
「でも」
男は、言葉を探した。
「友達、って言っていいのか」
「分からなくなって」
「何が違う」
しばらく沈黙。
「本音を」
「話したことが、ない」
それだけだった。
「誰とも?」
「誰とも」
男は苦笑した。
「五十年も生きて」
「一人も、いないって」
「ちょっと情けないですよね」
「情けないか?」
「はい」
即答だった。
「普通」
「この年なら」
「何人かは、いるものだと」
「誰が決めた」
男は言葉に詰まる。
「……世間、ですかね」
「世間って、誰だ」
また沈黙。
「会社か」
「家族か」
「同世代か」
「全部です」
「で」
俺は続ける。
「本音を話したら」
「どうなると思ってる」
男は、少し考えてから答えた。
「面倒な人だと思われる」
「弱いと思われる」
「距離を置かれる」
「経験がある?」
「……ないです」
「想像だけ?」
「はい」
俺は、軽く頷いた。
「じゃあ」
「なぜ、話さない」
男は、ゆっくり言った。
「話す必要が、なかったからです」
「ほう」
「仕事は回った」
「家庭も、問題なかった」
「誰も、困らなかった」
「でも」
視線が落ちる。
「気づいたら」
「誰も」
「俺の中に、いなかった」
静かだった。
「職場ではな」
俺は言う。
「深い関係は、作れない」
男が顔を上げる。
「それは……」
「仕方ない」
きっぱり言う。
「利害がある」
「役割がある」
「評価がある」
「そこで本音を出すのは」
「無防備すぎる」
男は、ほっとしたように息を吐いた。
「じゃあ」
「自分に、問題があるわけじゃない」
「ない」
「友達が少ないのも?」
「少なくていい」
「一人でも?」
「一人で十分な人もいる」
男は、少し困ったように笑った。
「でも」
「寂しくなるときは、あります」
「だろうな」
「本音を話したいと?」
「はい」
「じゃあ」
俺は、少し間を置いた。
「誰に話したい」
男は、すぐには答えなかった。
「誰でも、いいわけじゃない」
「理解してほしいわけでもない」
「ただ」
拳を、ぎゅっと握る。
「否定されない場所が」
「一つ、欲しかった」
俺は頷いた。
「それが」
「友達じゃなくてもいい」
男が、顔を上げる。
「え?」
「肩書きがいらない関係」
「役割を脱げる時間」
「それが一人あれば」
「十分だ」
長い沈黙。
「……証拠、いりませんでしたね」
「ああ」
「正解も?」
「ない」
少し間を置く。
「無理に作らなくていい」
「無理に増やさなくていい」
「来るなら、来る」
「来ないなら、それまで」
男は、深く息を吐いた。
「なんだか」
「楽になりました」
「上出来だ」
男は立ち上がり、頭を下げた。
「今日は」
「話せただけで、よかった」
「それが本音だろ」
ドアが閉まる。
相棒が言う。
「あの人と、友達になったの?」
「どうだろうな?」
窓の外を見る。
「でも」
「本音を置ける場所が一つあれば」
「人は、そんなに壊れない」
静けさ。
友達がいないんじゃない。
本音を、置く場所がなかっただけだ。
それが分かったなら――
もう、証拠はいらない。




