逃げたのは業者だった──大宮ふとん店・改装未遂事件
大宮ふとん店は、
昭和40年代の開業以来、一度もリフォームされていない。
壁は斜め、
床はきしむ、
天井のシミは星座のように増殖し、
入口の引き戸は「開く」というより
説得すると応じてくれるタイプだ。
それでも店は立っている。
理由は不明だが、
立っていることだけは確かだった。
ある日、
その店に悪徳リフォーム業者が現れた。
黒い名刺。
やたらと歯の白い笑顔。
「無料点検」という魔法の言葉。
業者は入口で一歩踏み入れた瞬間、
床が「ミシッ」と鳴った。
「おっと……」
祖母は縁側でお茶をすすりながら言った。
「気にしない、気にしない。
この床、昭和から鳴いてるから」
業者は早速、
懐中電灯で天井を照らす。
「これは危険ですよ。
このままだと――」
母がかぶせる。
「でもねぇ、
昨日は静かだったのよ」
「え?」
「天気が良かったから」
業者は一瞬、
“天気と建物の因果関係”について
思考を巡らせるが、
答えは出ない。
父が現れた。
「この柱、
昔、競輪が当たった日に
立て直したんだ」
「立て直し……?」
「気分的に」
業者はメモを取ろうとして、
ペンを落とした。
祖母は業者に言う。
「うちはね、
直すと調子悪くなるの」
「……は?」
「ほら、
このひび割れ、
風通し良くて」
業者は壁のひび割れを見つめる。
確かに、
微妙に風が抜けている。
「それにね」
祖母は続ける。
「この店、
直したら迷子が出るのよ」
「迷子……?」
「昔、一回、
棚を動かしたら
父さんが帰ってこなかった」
父は黙ってうなずいた。
業者の脳内で、
“論理”という単語が音を立てて崩れる。
業者は気を取り直し、
最後の切り札を出す。
「このままでは
資産価値が――」
母が首をかしげる。
「価値って、
増えたり減ったりするもの?」
「ええ、普通は」
「じゃあ今日は増えてる日ね」
業者は
“今日は増えてる日”
という概念に遭遇し、
完全に防御力を失う。
祖母が追い打ちをかける。
「それにね、
この柱、
クロじいが好きなの」
そこへ現れる地域猫のクロじい。
柱にすりっと体をこすり、
満足そうに去る。
業者は悟った。
――これは勝てない。
名刺をしまい、
一礼し、
後ずさりで入口へ向かう。
引き戸が開かない。
父が言う。
「引くんじゃなくて、
待つんだよ」
業者は三秒待ち、
戸は静かに開いた。
外に出た瞬間、
業者は全力で走った。
二度と振り返らず。
その背中を見送りながら、
祖母はぽつり。
「最近の人は、
落ち着きがないねぇ」
母もうなずく。
「リフォームって、
気合い要るからね」
父は競輪新聞を開きながら言う。
「今日は向こうが
大穴だったな」
こうして、
大宮ふとん店・改装未遂事件は終わった。
店は今日も傾いている。
だがそれは、
意図的な傾きなのかもしれない。
上尾のミステリーゾーン――
それが大宮ふとん店だ。
直らないのではない。
直さないという選択肢しか、
存在しないだけなのだ。




