買わなくていいですよ──おすすめしない店の正直すぎる接客
大宮ふとん店には、
営業トークという概念が存在しない。
マニュアルもなければ、
接客研修もない。
「この一言で成約率アップ」などという思想自体が、
この店には一度も侵入したことがない。
あるのは、
人と人の会話だけだ。
その日、
一人の客が暖簾をくぐった。
「布団を探しているんですが……」
その言葉を聞いた祖母は、
布団を見る前に、客の顔を見て言った。
「高いよ?」
客は一瞬、思考停止した。
「……え?」
「無理して買わなくていいからね。
今日は見るだけでいいよ」
ここが布団屋であることを、
客は一瞬疑った。
それでも一応、
仕事だからだろう、客は聞いた。
「おすすめは、どれでしょうか?」
祖母は布団を一枚持ち上げ、
首をひねる。
「うーん……」
沈黙。
「これも悪くないし、
あれも似たようなもんだねぇ」
推さない。
比較しない。
決めさせない。
営業としては、
ほぼ自殺行為だ。
そこへ母が割り込む。
「最近ね、駅前の店が閉めちゃって」
話題は一瞬で、
商店街の噂話へ移行する。
布団を触りながら、
客は知らない店の閉店理由を聞かされる。
さらに父が参戦する。
「今日は競輪が荒れててな」
布団の横で、
突然始まるギャンブル談義。
客は、
自分が何をしに来たのか分からなくなる。
それでも一応、
客は最後の抵抗を試みる。
「一番人気は……?」
祖母は即答した。
「分からない」
「売れてるのは?」
「今日はまだ何も売れてないねぇ」
正直すぎる。
祖母は続ける。
「今日はやめといた方がいいかも」
「……理由は?」
「なんとなく」
その日は結局、
客は何も買わずに帰った。
だが不思議なことに、
その夜、客は考えた。
――あの布団、悪くなかったな。
三日後、
客は再び暖簾をくぐった。
「やっぱり、あの布団で」
祖母は驚かない。
「ああ、そうかい」
値段は変わらない。
説明も増えない。
母は相変わらず世間話をし、
父は昨日の負けを語る。
布団は、
黙ってそこにある。
会計を終えた客が言った。
「ここ、変わってますね」
祖母は少し考えてから答えた。
「そうかねぇ」
その夜、
営業日誌にはこう書かれた。
本日
布団を見に来た人あり
世間話多め
競輪は外れ
布団は一組出た
売上の数字は、
小さく書かれているだけだ。
重要なのは、
そこではない。
大宮ふとん店は、
今日も売らない。
勧めない。
煽らない。
人生相談をし、
噂話をし、
ギャンブルの愚痴を聞かせる。
それでも、
なぜか客は戻ってくる。
クロじいが布団の上で丸くなり、
小さく鳴いた。
「……にゃ」
――訳すと、
「売る気がない方が、よく眠れる」。
これが、
大宮ふとん店の
杜撰営業の極意である。




