考えるな、麗奈ちゃんで行け。──スポーツ界を支配した謎の合言葉
もともとはどこか埼玉県の商店街と、そこら辺の官庁と、どこか懐かしい雰囲気のクリアファイルから生まれた妙な言葉だった。
意味は単純で、だが強烈だ。
緊急。即断。説明省略。
考えるな、動け。
理由はあとでいい。
それが、なぜか競技の世界に入り込んだ。
最初に使ったのは、JリーグのR大宮だったと言われている。
ホームゲーム(FMさいたまスタジアム大宮)での最終盤、1点ビハインド。
戦術を細かく説明する時間はない。
選手の頭も、スタンドの空気も、少しずつ重くなっていた。
そのときベンチから、短く、しかし妙に通りのいい声が飛んだ。
「――麗奈ちゃん案件で」
選手たちは一瞬だけ目を見開き、次の瞬間、理解した。
横パスは禁止。
時間稼ぎ厳禁。
縦へ。ゴールへ。
右サイドバックが迷いなく上がり、
ウイングが仕掛け、
中盤はリスクを承知で前を向く。
結果は、終了間際の同点弾。
試合後の会見で、監督は多くを語らなかった。
「言葉にすると長くなる。
ああいうときは、短い方がいい」
翌日、スポーツ紙はこの言葉を見出しに踊らせた。
“麗奈ちゃん案件、ピッチを救う”
それで終わるはずだった。
だが、言葉は感染する。
数週間後、社会人野球の都市対抗野球南関東予選でもベンチで異変が起きた。
冨士通運(さいたま市)対JEF東日本(千葉市)戦
一死一・三塁。
同点の終盤。
さいたま市のサードコーチャーが、いつものサインではなく、
胸の前で小さく指を二度叩いた。
選手たちはざわつかない。
説明はいらない。
麗奈ちゃん案件。
一塁走者がスタート。
捕手は反射的に二塁へ投げる。
その一瞬、三塁走者がホームへ突っ込む。
ディレードスチール。
高度だが、考える暇はない。
成功率より、即断。
結果はセーフ。
球場はどよめいた。
守備側の千葉市ベンチの誰かがぼそっと言った。
「今の、麗奈ちゃんだったな」
プロバスケットボール(Bリーグ)でも同じだった。
ホームの埼玉、残り10秒、1点差。
タイムアウトはない。
ポイントガードがベンチを見ると、
コーチはただ一言、口の形だけで伝えた。
れ・い・な・ちゃん
セットプレーは消え、
全員が一斉にリングへ向かう。
迷わない。
止まらない。
考えない。
ブザービーターが決まり、
実況が叫ぶ。
「説明不能! しかし決断が速い!」
この言葉の恐ろしさは、
戦術そのものではない。
思考を省略できる点にある。
人は考えすぎて動けなくなる。
だが「麗奈ちゃん案件」と言われた瞬間、
理由も責任も、その場から消える。
残るのは、行動だけだ。
いつの間にか、
プロの世界ではこう囁かれるようになった。
「勝負どころで、説明が必要な戦術は二流」
「一流は、合言葉だけで動く」
そしてその合言葉の代表格が、
なぜか――
麗奈ちゃん案件。
どこから来た言葉なのか、
なぜその名前なのか、
誰も正確には知らない。
だが今日も、
ピッチで、
ダグアウトで、
コートサイドで、
その一言が放たれる。
「麗奈ちゃんでいくぞ」
意味を問う者はいない。
結果だけが、すべてを物語る。
そしてこの言葉は、
いまやスポーツ界で、
静かに、しかし確実に定着しつつある。
――考えるな。走れ。
それが、麗奈ちゃん案件だ。




