国会が止まらなかった一言──「その件、麗奈ちゃんで」答弁事件
それは、霞が関ではすでに日常語だった。
緊急。即断。説明省略。
複数省庁横断、しかも今日中に決めねばならない案件。
そんなとき、官僚たちは短く言う。
「麗奈ちゃん案件で」
意味は誰も説明しない。
だが全員が理解している。
★三つ、祖母デザインの麗奈ちゃんクリアファイル、即日回覧。
説明を重ねるほど遅くなる、あの種類の仕事だ。
問題は、それが外に漏れたことだった。
ある日の国会。
午後の質疑応答。
全国生中継。
独特の緊張と眠気が同時に漂う時間帯。
野党議員が、官房長官に詰め寄る。
「官房長官、当該施策は複数省庁にまたがる重大案件です。
意思決定のプロセスと、責任の所在を明確にご説明ください」
議場が静まり返る。
カメラは答弁席の内閣官房長官を正面から映す。
官房長官は一瞬、原稿に目を落とし、
次に視線を上げた。
——急ぎ。
——横断的。
——説明を積めば、確実に遅れる。
霞が関で何百回も繰り返してきた思考回路が、
そのまま口を動かした。
「はい。ご指摘の件につきましては、
関係省庁と緊密に連携を取りつつ――」
ここまでは、完璧だった。
「……麗奈ちゃん案件として、
適切に処理しております」
一瞬。
本当に一瞬、
国会全体の時間が止まった。
野党議員が眉をひそめる。
与党席がざわつく。
記者席でペンが止まる。
だが、不思議なことに——
誰も遮らなかった。
質問に立っていた野党議員は、
一拍置いて、なぜか深く頷いた。
「……承知しました。
では次の質問に移ります」
議長は槌を打たない。
訂正要求も出ない。
官房長官自身も、
言い間違えたという自覚が一切ない。
そのまま質疑は進み、
答弁は全国に流れ続けた。
テレビの前の視聴者がざわついた。
「今、なんて言った?」
「麗奈ちゃん案件?」
「誰だよ麗奈ちゃん」
SNSは、数分後に爆発した。
「官房長官、国会で麗奈ちゃん言った」
「しかも野党が納得してるの草」
「説明ゼロなのに話進んでるの怖い」
切り抜き動画が量産され、
字幕付きで拡散される。
「麗奈ちゃん案件として適切に処理しております」
なぜか、
異様な説得力があった。
霞が関は騒然となった。
「誰が使わせた!?」
「国会で使う言葉じゃない!」
「でも止まらなかったです」
ある秘書官は青ざめ、
別の秘書官は冷静にメモを取った。
「官房答弁で使用実績あり
=非公式隠語、前例化」
この瞬間、
「麗奈ちゃん案件」は
隠語から“前例”に昇格した。
新橋の戦隊ヒロインプロジェクト室(ヒロ室)では、
中継を見ていた麗奈が、椅子からずり落ちそうになっていた。
「……今、国会で……
私の名前……?」
経理の妖怪・どけちのんは静かに言う。
「正確には、
“麗奈ちゃん”です」
慰めにならない。
答弁後、控室で官房長官は秘書官に尋ねた。
「……何か問題ありましたか?」
秘書官は一瞬言葉に詰まり、
やがてこう答えた。
「いえ……
麗奈ちゃん案件として、
円滑に進行しました」
官房長官は満足そうに頷いた。
その日を境に、
霞が関では別の言い方が消えた。
「至急」「緊急」「ASAP」。
代わりに残ったのは、
短くて、説明不要で、
なぜか全員が従う言葉。
「麗奈ちゃん案件で」
こうしてそれは、
国会答弁を通過した
最も雑で、最も強い言葉として、
正式に都市伝説になった。




