黒い稲妻クロじい外伝 ― 和製シナトラ、恋と修羅場のブルース ―
上尾市の夜に、ひとつの伝説があった。
黒い影が路地をすべり、甘い低音の鳴き声を響かせる。
それを聞いた雌猫は腰を抜かし、人間の女性はスマホを落とした。
その猫こそ――
黒い稲妻クロじい。
上尾の火野正平、和製フランク・シナトラ。
若き日のクロじいは、とにかくモテた。
雌猫が尻尾を揺らせばクロじいがウインクし、
クロじいがウインクすれば雌猫が惚れた。
屋根の上、物置小屋の影、商店街の植え込み……
クロじいと一夜を共にした雌猫の数は、もはや上尾市の統計課でも把握不能と言われる。
商店街の誰かが言った。
「アイツは恋を配達しとるんだよ…クロネコだけにな」
誰かが寒いことを言っても、クロじいは気にしない。
恋多き男(猫)はそんなもの、受け流す余裕がある。
クロじいの武器は、その声だった。
「ンニャァァ……」
ただそれだけなのに、なぜか聞く者の心を震わせる。
雌猫はとろけ、
人間の女性は意味もなく財布を落とし、
商店街の電灯すら一瞬チカっと光った。
まさに 和製シナトラ。
シナトラが「マイ・ウェイ」なら、クロじいは「ミャイ・ウェイ」である。
しかし恋が多ければ修羅場も多い。
クロじいを巡る抗争は、もはや歴史書に載るレベルだった。
「うちのミケを返せ!」
「いや、向こうが来た」
「そんな言い訳が通るかァ!」
上尾中央商栄会の屋根の上で、雄猫たちが火花を散らす。
クロじいは電光石火の跳躍で敵を翻弄し、
最後は尻尾でビシッと一発、勝負をつける。
その姿を見た猫たちは、震えながらこう言った。
「あれは猫ではない……黒い稲妻だ……」
この“黒い稲妻抗争”は、現在も猫界の語り草である。
ただの色男では終わらないのがクロじいだ。
麗奈がまだ小さく、商店街の外れで迷子になったとき。
クロじいは影のように現れ、先導し、
迷惑な記者が追って来れば、猫侍七人衆を召集し撃退した。
麗奈母は今でも言う。
「クロじいほど気が利く男(猫)はおらんねぇ」
商店街の誰よりも紳士で、
誰よりも危険な香りを持つ──
そんな“ナイスガイ猫”だった。
そして今。
歳を重ねたクロじいは、縁側で丸くなりながら、
若者猫たちの憧れの視線を受けて過ごしている。
「クロじい様!昔の恋バナ聞かせてください!」
「黒い稲妻抗争の真相を!」
「何匹と付き合ったんですか!」
取り囲む若猫たち。
クロじいはしばらく黙り、遠くを見つめ、
ハードボイルドな声でこう呟く。
「……そんな昔のことは、もう覚えていないよ」
そこがまたカッコいい。
モテる男(猫)は、語らずして魅せるのである。
若猫たちは「ニャァァ……」と感嘆し、
人間の女性たちは「素敵……」と頬を赤らめ、
麗奈だけが「なんか盛ってない?」と冷静につっこむ。
夜の商店街を吹き抜ける風が黒猫の毛を揺らす。
黒い稲妻クロじい。
恋と戦を駆け抜けた猫は、今も伝説のまま佇んでいる。




