いんすたバエ看板の守護者 ―パン屋の男は、なぜか運命に追われる―
上尾中央商栄会の一角。
昭和の亡霊のように佇む 大宮ふとん店 の軒先に、
今日もひらひらと揺れている “例の看板”。
『いんすたバエ』
祖母が“インスタ映え”を
“新種のハエ”と誤解して描いたあの看板だ。
若者たちは面白がって写真を撮りまくり、
SNSでローカルバズを起こし、
このシャッター通りを奇跡的に賑わせていた。
そして、その看板の周囲にはもうひとつ、
妙な噂が流れていた。
「看板を護る“守護者”がいるらしい」
完全なデマである。
しかしそれが、ひとりの男の運命を狂わせる。
ベーカリー中村の店主、中村修。
職人肌で穏やかな男だ。
その日も、うぐいすパンをふとん店に届けるため、
看板の前を通りかかっただけだった。
ただ、それだけのはずだった。
だが巡礼者の若者が突然叫んだ。
「いた! あの人だ!!
いんすたバエ看板の守護者!!」
修
「は? やめて、違う違う違う!! パン屋だよ俺は!!」
だが、群衆の耳に届くことはない。
誰かが修さんの写真を撮り、
“守護者”として投稿した。
《いんすたバエ看板の近くに必ず現れる謎の男》
《あれは守り人だ》
《パンを持っているのは儀式らしい》
修
「やめろ、パンは商品だ!!」
だがSNSの勢いは止まらない。
翌日には海外アカウントまで引用し、
#InstaBaeGuardian
#GuardianOfTheFuton
#謎のパン男
など意味不明のハッシュタグが量産された。
翌日、修さんはいつものようにパンを届けに向かった。
しかし背後から忍び寄る影。
振り返ると、巡礼者たちが距離を空けてついてくる。
修
「いやいやいや!! ついてこないで!! パン屋!! パン屋です!!」
巡礼者
「守護者が今日どこへ向かうのか……観察しないと」
修
「パン屋だって!!」
逃げる修さん。
追う巡礼者。
その構図はほとんどヒッチコック映画といえる。
――大宮ふとん店の無責任なひと言
修さんが泣きそうな顔でふとん店に飛び込むと、
祖母・父・母は平然としていた。
修
「ちょっと!! 誤解されてるんですけど!!
俺、守護者じゃないですからね!! パン屋ですからね!!」
祖母
「でも毎日来てくれてるし、守護者みたいなもんじゃないかい?」
父
「非常勤スタッフ扱いでいいよな?」
母
「通信販売の発送も手伝ってくれたしねぇ。実質そうよねぇ」
修
「やめてぇぇぇぇ!!!」
その夕方、繁華街の騒がしさも消えた頃。
修さんはひとり、“いんすたバエ看板”の前に立った。
巡礼者が遠巻きに見守り、
カメラを構えている。
修
「……俺は……パン屋だ……パン屋なんだ……
守護者でもなければ、非常勤でもない……」
彼はそう呟いたが、巡礼者たちはこう受け取った。
「守護者が独り言を……尊い」
修
「もうやめてくれ〜〜!!」
しかし翌日のSNSには、
彼の写真がこうキャプション付きで投稿されていた。
《守護者、今日も見守る》
大宮ふとん店は今日も平常運転で、
看板は揺れ、猫は寝て、客は迷い、
そしてパン屋の修さんだけが巻き込まれ続けている。
——疑惑は深まった。




