釣銭迷走曲 〜現金主義の果てに〜
大宮ふとん店には、キャッシュレスの波など一切届かない。
電子決済? そんなハイカラな言葉を出したら、祖母が眉をひそめる。
「“でんし”なんか信用できないよ。昔っから“げんきん”が一番!」
――そう、現金こそがこの店の命脈であり、同時に最大の弱点である。
まず、壊れたレジスターには釣銭がほとんど入っていない。
なぜかというと、「補充しようと思ってたら忘れた」が定期的に発生するためだ。
レジの中には、100円玉が3枚、50円玉が5枚、10円玉が数枚。
そして一番多いのは――ボタン電池。なぜか混ざっている。
釣銭が足りないときの対応も、三者三様。
祖母は豪快に言う。
「100円玉がないから、50円玉2枚でいいでしょ?」
――それは正しい。問題は、その50円玉が見つかるまでに10分かかること。
母は冷静に暗算しながら財布をのぞく。
「えーと、500円玉が…ない。じゃあお札で返す?」
と、なぜか千円札を渡そうとして、父に止められる。
そして父。
彼が店番の時は、釣銭危機=近所のパン屋行きである。
「100円玉がねぇなあ…」
と呟くと、エコバッグを片手に「パンでも買ってくる」と出ていく。
数分後、パン屋の店主が呆れた笑顔で戻ってくる。
「はいはい、また両替ね。うちは両替所じゃないんだけどね~」
それでも100円玉をジャラジャラと渡してくれるあたり、
商店街の“共存共栄精神”は立派だ。
父は感謝の印に、なぜかパンを買わずにアンパンの袋だけ持ち帰る。
店の釣銭が尽きると、営業も止まる。
「釣りが出せないから今日は閉めようか」
という、世界初の“現金欠乏による臨時休業”もたびたび発生。
それでも祖母は言う。
「ほら、うちは寝具屋だから、寝てるほうが似合うのよ」
そんな大宮ふとん店。
今日も「100円玉ありますか?」が合言葉になり、
商店街のあちこちで、釣銭がさまよう。
――レジは壊れても、笑いと現金は、まだ回っている。




