大宮ふとん店・税務地獄大戦 第一章 帳簿という名の狂気の書物
カランカラン──。
昭和のまま時が止まった店に足を踏み入れた関谷は、
まず“空気”に殴られた。
乾いた綿ぼこりの匂い。
昭和のポスターが微妙に黄ばみ、猫が自由に寝転がる床。
最新のPOSシステム導入から三日で故障したタブレットが棚の隙間で埃まみれになっている。
関谷は胸ポケットから調査票を取り出し、
「帳簿を拝見したいのですが」と告げた。
祖母が奥から出てきて、当然のように言う。
「帳簿ね、はいこれだよ。重いから気をつけてね」
ドサッ。
出てきたのは、
紙袋2つ分の“なにかの束”。
関谷「……これは、帳簿、ですか?」
祖母「うん。帳簿の“つもり”だよ」
不穏な単語が混ざった。
関谷は紙袋の中を見た。
中には──
・黄ばんだ大学ノート
・レシートの裏に猫の落書き
・競輪新聞の余白に書かれた数字
・祖母のそろばんメモ
・麗奈ちゃん枕カバーの試作品を包んでいた紙
・古い領収書(平成元年など)
それらすべてが、**“帳簿”**として混在していた。
関谷「……あの……正式な帳簿は?」
祖母「それが正式だよ? 形式に正しいも間違いもないから」
関谷(ある。大いにある。)
関谷は震える手で大学ノートを開いた。
そこに書かれていた勘定科目は──
「安い」「ちょっと高い」「おまけ」「猫が寝た」
「謎」「まぁまぁ」「麗奈の努力」「んー微妙」
関谷「…………」
祖母「わしが付けたのよ。分かりやすいでしょ?」
関谷「いえ、何一つ分かりません」
さらに次のページには衝撃の光景。
借方:売上
貸方:現金
……が逆に書かれている。
しかもその下に
「気にしないで」
と祖母の書き置きが添えられている。
関谷「借方と貸方が逆になっていますが……」
祖母「あー、それね? 昨日のわしは右と左を間違えててねぇ」
関谷「そんな日があっていいんですか」
隣のページには、母の字で
「現金:まあまあ」
「仕入:猫」
「値引:今日の気分」
関谷「もはや意味が……」
母「そろばんするより楽でしょ?」
関谷「“楽”は基準に入れないでください……」
さらに混乱は続く。
別の紙には、父の字で
「今日の売上は−120円(電卓押し間違え)」
と堂々と記載されている。
関谷はこめかみを押さえた。
この瞬間、彼の脳内で“職務への信頼”という名の糸が一本バチンと音を立てて切れた。
◆帳簿の底なし沼は続く
奥のほうから、麗奈が遠慮がちに顔を出す。
「すみません……うちの家族、こういう感じでして……」
関谷は淡々と返す。
「あなたの戦隊イベントの帳簿は……?」
麗奈「そ、それはスマホで……」
関谷「スマホで?」
麗奈「スマホが……まだ……使えなくて……」
関谷「(戦隊ヒロインも駄目なのか……)」
関谷は祖母のそろばんメモを一つ拾い上げた。
「売上 3980円
仕入 2000円
誤差 300円
まあいい」
最後の三文字が決定的にダメだった。
◆そして、狂気は頂点へ
極めつけは、ノートの中央に大きく書かれた一文。
「貸し布団事業の帳簿は怖いのでちゃんとやる」
関谷は慌てて別のファイルを開いた。
そこには──
借方・貸方整然、日付も数字も完全に合致、字も美しく、訂正印すら完璧。
関谷「……誰がこれを?」
母「官公庁は怖いからね。ちゃんとやらないと怒られるのよ」
祖母「ここだけは誤差ゼロ」
父「そっちは本気なんだよ」
関谷の脳内で、巨大なクエスチョンマークが爆発した。
(じゃあ店舗もやれ!!!!!!!!)
心の中で叫んだが、声にはできなかった。
彼は確信した。
──これは税務調査ではない。
──これは“異世界探索”だ。
そしてこの時点で、まだ序盤。
大宮ふとん店の狂気は、関谷の想像を遥かに超えて続いていく。




