本人不在で就任──麗奈、いつの間にか名誉顧問
麗奈が自分の立場に異変を感じたのは、上尾中央商栄会の掲示板を何気なく見たときだった。
色あせた紙、ガムテープの跡、いつ貼られたのか分からない「大創業祭」の文字。その中に、ひときわ堂々とした一行があった。
――
名誉顧問 麗奈
――
「……いや、聞いてない」
声に出した瞬間、通りがかった商店街の人が「ああ、それね」と軽くうなずいた。
「名誉顧問だよ。クロじいがOK出したって」
「クロじい!?」
麗奈は急いで商栄会の事務所に向かった。
理事長はいつものようにお茶をすすっていた。
「理事長、私が名誉顧問ってどういうことですか」
「うん、名誉顧問だね」
「だから、それは何なんですか!」
「特に何もない」
「仕事は?」
「ない」
「責任は?」
「ない」
「じゃあ何で私なんですか!」
理事長は少し間を置いて、こう言った。
「クロじいが“にゃあ”って言ってた」
「……それ、どういう意味ですか」
そのとき、事務所の隅から黒い影がゆっくりと現れた。
クロじいだった。
「クロじい!」
「にゃあ」
「名誉顧問の件、クロじいが決めたって聞いたんだけど!」
「……にゃ」
「それ、肯定? 否定?」
麗奈はクロじいの目をじっと見る。
クロじいは瞬きを一度して、床に座り込んだ。
「……たぶん、賛成っぽい?」
その瞬間、後ろから声がした。
「あ、それね」
振り返ると、麗奈母が立っていた。
「クロじいは“名誉顧問って言葉はよく分からないけど、あの子がいるなら大丈夫”って言ってる」
「え、今そんな長文しゃべったの!?」
「にゃん語は圧縮されてるのよ」
「圧縮しすぎ!」
理事長は感心したようにうなずく。
「なるほどねぇ」
「なるほどじゃないです!」
「じゃあ、正式にクロじいの了承が取れたってことで」
「私の了承は!?」
クロじいがもう一度鳴く。
「にゃ」
麗奈はその鳴き声の“雰囲気”から読み取ろうとする。
「……『気にするな』って言ってる?」
母が首を振る。
「違う。
『どうせ勝手に決まる』って言ってる」
「ひどくない!?」
「事実だし」
結局、その場にいた全員の意見をまとめると、こうなった。
・名誉顧問だが、何もしない
・本人の許可は特に必要ない
・クロじいが“なんとなく”OK
・麗奈母が通訳したので成立
「それ、猫の一存じゃないですか!」
「にゃ」
「今のは?」
「“人間の会議もだいたいそんなもの”って」
「やめて、妙に納得しちゃうから!」
その夜、大宮ふとん店に戻った麗奈は、祖母に話した。
「私、名誉顧問になってた」
祖母はそろばんを弾きながら言った。
「名誉ならいいじゃない。
ただの顧問だったら面倒だよ」
父は競輪新聞をめくりながら言う。
「名誉ってつくと、責任なくなるんだろ。
それ一番いいやつだ」
母はお茶を注ぎながら笑った。
「クロじいが認めたなら大丈夫よ」
そのとき、クロじいがふとんの上で丸くなりながら鳴いた。
「にゃあ」
麗奈は頷く。
「うん、分かるよ」
母が補足する。
「“役職なんて気にするより、今日の天気の方が大事”だって」
「……私、ちゃんと通訳つけて会話した方がいいよね?」
こうして麗奈は、
自分の意思とは無関係に、
猫の了承と母の通訳によって、
上尾中央商栄会・名誉顧問(実務なし・責任なし・本人半分理解)
に就任した。
なお、この件が正式に寄合の議題になることはなかった。
なぜなら次の寄合の議題は、
・お茶の銘柄
・余ったせんべいの行方
・クロじいが来るかどうか
で手一杯だったからである。
クロじいはその様子を遠くから眺め、静かに鳴いた。
「にゃ」
――
(訳:人間は今日も平和)




