歌詞が毎回違う応援歌──それでも正式採用
上尾中央商栄会の寄合は、いつだって本題に入る前に余興が長い。
この日も例外ではなかった。議題は「最近、客足が戻ってきた理由を真面目に考える」。ところが開始三十分で、誰かが持ち込んだカラオケ機材の電源が入った瞬間、議題は自然消滅した。
八百屋の店主が、すでに泥酔していた。
ネクタイは額に巻かれ、マイクを握った瞬間に目が据わった。
「よし……歌うぞ……」
流れ出したのは、誰もが知っている、上を向いて歩くあの曲。
だが、歌詞は一音目からおかしかった。
「♪ 今日は安いぞ〜、ねぎ三束百円〜」
寄合の空気が一瞬凍りつき、次の瞬間、爆発した。
「それ、いいねぇ!」
「商店街の歌っぽい!」
「麗奈ちゃん入れよう、麗奈ちゃん!」
八百屋は勢いづき、歌詞をその場で増殖させていく。
「♪ 今日は特売〜、大根も安い〜」
「♪ 商栄会〜、理事長は寝てる〜」
「♪ 創業祭〜、何年目かは知らない〜」
歌詞はもはや宣伝なのか内輪ネタなのか判別不能だったが、寄合にいた全員が涙を流して笑っていた。
そして、誰かが言った。
「……これ、麗奈応援歌にしない?」
その瞬間、正式決定した。
翌日、噂は光の速さで広まった。
「麗奈応援歌ができたらしい」
「商栄会公式らしい」
「歌詞は毎回違うらしい」
肝心の麗奈本人は、事情を聞いた瞬間、頭を抱えた。
「お願いだからやめて……カッコ悪い……」
だが、商栄会の反応はいつも通りだった。
「別にイイじゃない」
「盛り上がってるし」
「麗奈ちゃん人気なんだから」
こうして、誰も止めないまま、応援歌は独り歩きを始めた。
問題は、その“歌えなさ”だった。
朝の商店街放送で流そうとすると、放送担当が困惑する。
「……歌詞、どれですか?」
「昨日のが正解?」
「いや、今日は八百屋バージョンだろ」
昼になると、喫茶店のマスターが独自の歌詞で口ずさむ。
「♪ ナポリタンが美味しい〜、麗奈も一度食べた〜」
夕方には文房具店の店主が参戦する。
「♪ ノート半額〜、三冊買うと一冊おまけ〜」
歌詞は統一されるどころか、指数関数的に増殖していった。
ついには、同じ曲なのに、三人同時に歌うと三種類の歌詞が重なるという、前代未聞の現象が発生した。
「これ……応援歌なの?」
「もはや商店街の議事録では?」
麗奈は顔を隠しながらも、商店街を歩く。
通りのあちこちから聞こえてくる、微妙に違う応援歌。
自分の名前が出たり出なかったり、八百屋のセール情報が唐突に挟まったりする。
「……私の応援、してないよね?」
その夜、地域猫たちが集まる空き地でも、誰かが鼻歌を歌っていた。
クロじいだった。
「♪ にゃ〜、今日は平和〜、魚はもらえなかった〜」
誰も教えていないのに、猫バージョンまで派生していた。
結局、応援歌は誰も正しく歌えないまま、正式なままだった。
歌詞カードは存在せず、正解もなく、間違いもない。
上尾中央商栄会の理事長は、胸を張って言った。
「その日の気分で歌えばいい。商店街も人生も、そんなもんだ」
麗奈はため息をつきながら、苦笑いした。
「……まあ、私を応援してる“気分”だけは伝わるから、いいのかな」
こうして、
歌詞が毎回違うのに正式採用された応援歌は、今日もどこかで勝手に歌われている。
誰も責任を取らず、
誰も正解を知らず、
それでもなぜか、商店街だけは妙に元気だった。




