一枚の領収書で人生が整う店 ――大宮ふとん店・但し書き哲学編――
大宮ふとん店でいちばん時間がかかる作業は、ふとんを選ぶことではない。
領収書を書くことである。
「領収書、お願いします」
この一言が発せられた瞬間、店内の空気は一段、昭和に沈む。
祖母は奥の引き出しから、慎重に一冊の領収書を取り出す。
紙は黄ばんでいる。
紙質は厚く、妙にざらつく。
表紙には印刷会社の名前と、見たことのない旧字体。
住所欄には、区画整理前の
「埼玉県上尾市○○番地」
丁目も号もない。
電話番号は当然のように
62-XXXX。
市外局番は存在しない。
そして、貼られる収入印紙。
デザインは二世代前。
鳳凰の羽がやけに細かく、色味もくすんでいる。
「これ、今使っていいんですか?」
客が恐る恐る聞く。
祖母は一言。
「届いてるから大丈夫」
法の壁を、経験で突破する。
だが、本番はここからだ。
金額が書かれ、日付が書かれ、宛名が書かれたあと。
祖母はペンを止める。
「……但し書き、どうする?」
普通の店なら、
「寝具代として」
「商品代として」
で終わる。
しかし大宮ふとん店では違う。
祖母は少し考え、ゆっくり書き始める。
――よく眠れますように。
客は固まる。
「えっと……経費で……」
「大丈夫。眠れないと仕事できないから」
謎の説得力がある。
別の日。
「会社名でお願いします」
「はいはい」
但し書きにはこう書かれた。
――体を冷やさないように。
「これは……」
「冷えると判断が鈍るからねぇ」
その場にいた全員が、なぜか頷く。
父は横で言う。
「昔の社長は、みんなそれ言ってた」
母も言う。
「合ってるわよ」
誰も反論しない。
ある日、税理士が来た。
「領収書を確認させてください」
真剣な目で束をめくる。
「……これは?」
祖母の但し書き。
――人生いろいろ。
税理士は沈黙した。
三秒ほど考え、
「……まあ、確かに」
と言った。
否定できなかったのだ。
マニアが来たこともある。
「この印紙、見たことない!」
「この住所表記、昭和何年ですか?」
「62-XXXX!?生きてる!?」
祖母は笑う。
「古いけど、嘘は書いてないよ」
たしかに全部、事実だ。
そして今日も、但し書きは哲学する。
――無理しないこと。
――人は寝てから考える。
――焦ってもいいことない。
領収書を受け取った客は、なぜか背筋が伸びる。
ふとんより先に、心が整う。
会社に戻って提出すると、
「この但し書き、何?」
と聞かれる。
だが説明しているうちに、
「まあ……そうだな」
となり、話が終わる。
経費は通らなくても、人生は通る。
大宮ふとん店の領収書は、
金銭の証明書ではない。
生き方のメモだ。
今日も祖母はペンを持つ。
紙は古い。
番号も古い。
だが、書かれる言葉だけは、妙に今を突いてくる。
ここは上尾のミステリーゾーン。
一枚の領収書で、なぜか前向きになれる店。




