買わずに満足、買った気になる店 ――上尾ミステリーゾーン・大宮ふとん店――
大宮ふとん店では、今日も売上が立っていない。
正確に言えば、「売っていない」のではない。「買われていない」のだ。それなのに、店を出ていく客の表情は、なぜかみな晴れやかで、帰り際に「今日はいい買い物をしたわ」と言い残していく。
買っていないのに。
昼下がり、店の引き戸ががらりと開く。観光がてら上尾中央商栄会を歩いてきたらしい若い女性が、少し緊張した顔で入ってくる。
祖母はいつもの調子で言う。
「いらっしゃい。寒くなってきたねぇ」
それは接客でも何でもなく、天気の話だ。だが、女性はなぜかそれだけで肩の力が抜ける。
母が湯のみを差し出す。
「お茶、飲む?」
女性は戸惑いながらも座り、三口ほどで「美味しいですね」と言う。特別な茶葉ではない。ただの番茶だ。
話題は布団に向かわない。仕事の愚痴、最近のニュース、近所の八百屋が閉めたこと、そしてなぜか昭和の冬の話になる。
「昔はねぇ、霜がすごくてね」
祖母の記憶は正確で、年代と世相がすらすら出てくる。石油ストーブ、みかんの木箱、紅白歌合戦。女性は相槌を打ちながら、いつの間にか聞き入っている。
足元ではクロじいが伸びをし、尻尾をゆっくり振る。
「撫でてもいい?」
「どうぞどうぞ」
撫でると、クロじいは「それでいい」とでも言うように目を細める。
十分後、女性は立ち上がる。
「あの……布団は、また今度で」
「いいよいいよ。気にしない、気にしない」
祖母の魔法の言葉が出る。これを言われると、なぜか罪悪感が消える。
女性は店を出て、商店街の角でスマホを見ながら小さくつぶやく。
「なんか、スッキリした……」
別の日。サラリーマン風の男性が来る。
「腰が痛くて」
父が言う。
「それなら無理しない方がいい。今日は買わなくていい」
商売として致命的な一言だが、男性は安心した顔で頷く。
結局、腰痛の話と競輪の外れ馬券の話を聞いて帰る。
また別の日。親子連れが来て、子どもは布団の上でゴロゴロし、母親は母と噂話をする。買わない。だが、子どもは帰り際に「また来るね」と言う。
帳簿には今日も「売上ゼロ」と書かれる。だが、営業日誌にはびっしりだ。
「若い人、元気なかったけど帰りは笑顔」
「猫、今日はよく撫でられた」
「お茶三杯」
それでいいのだと、誰も疑わない。
外から来た人だけが首をかしげる。
「ここ、何屋なんですか?」
答えは毎回違う。
「ふとん屋」
「休憩所」
「相談所」
「猫に会う場所」
たぶん全部正しい。
夕方、誰もいなくなった店内で、祖母がぽつりと言う。
「今日はよく売れたねぇ」
父も母も頷く。売上はゼロだが、満足度は満点だ。
こうして今日も、大宮ふとん店は静かに営業を終える。
買わなくても満たされ、用がなくても立ち寄り、理由がなくても帰りたくなる。
ここは上尾の――
ミステリーゾーン。




