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憂いの果てのマフィカ   作者: 並木祐太
6/12

4

「ほら! 一丁上がりだ!」

 どんっ、と大皿を置きながら言ったのはエルパの外から来た旅人だ。老齢に差し掛かっていると思しき細身の女性で、波打つ淡い金色の髪を高い位置でひとつにまとめ、ぴったりと身体に合う乗馬服を着こなしている。名をヨーコという――と自己紹介をしたのはつい先ほどだが、到着するなり「腹が減ったから厨房を借りれるかい?」と躊躇いなく入っていくと、あっという間にとんでもない量の料理を拵えて戻ってきた。

「「は……!?」」

 宿の主夫婦――アマンとクイニーは啞然とした。ぽっちゃりと丸いふたりは微動だにせず、さながら双子のぬいぐるみのようである。

「さ、アンタらもいっぱい食べな!」

 卵と燻製肉と葉物を炒めた、比較的ありふれた料理だった。

 問題は、それが大皿に三つも出てきたことだ。

「えっ、ひ、ひとりで食っていいのか? この大皿……!?」

「ちょっともうアマン! お客様の前で食い意地張らないでちょうだいよ!」

「あっ、こ、これは失敬……」

 一喝されてしょげるアマンの隣、クイニーも目の輝きは隠し切れていない。ヨーコはからからと笑った。

「構やしないよ。食欲をそそれたようで何よりだ」

「いやあもう、本当にうまそうで! たまらん!」

「でも、うちにこんないっぱい食材置いてないわよね……?」

「アンタのとこからなんかもらっちゃいないよ! これはあたしの私物だ、魔法みたいなもんさ」

「「魔法!?」」

 予想だにしなかった言葉にまたも声が揃う。

「ま、待って、どういうことなの一体――」

「おっと! 詳しくは聞かないでおくれ。女にゃ秘密の四、五十万はあるもんだろ?」

「し、四、五十万!?」

「……クイニー、君も……?」

「なっ、ないわよそんなに! この方が多すぎるの!」

「多かないさ、一年でたかだか一万個だ。……さ、みんなを呼びな! ちょうど昼時だろ? こっちの二皿は厨房を貸してくれたお礼だからね」

 やっぱりパンは欲しいねえ、と呟きながら厨房に戻りかけるヨーコを呆然と見送りかけたところで、はっと我に返ったクイニーが呼び止めた。

「ちょっと待って! その……ごめんなさい、信用してないようで申し訳ないんだけど……」

「ああ食糧庫かい? もちろんだ、あたしもその方がいい」

 恐る恐る切り出したヨーコの快諾を受けて、ふたりは食糧庫を見た。が、元々の貯えが減った様子はない。一体どうやったのかは分からないが、どうやら私物の食材を使ったというのは本当らしかった。

 ふたりは戻ってくるとあっという間に大皿を平らげ、パンを待たずに完食してしまったことをヨーコに陳謝すると、その足で村中に触れ回りに行った。


 大木の下で昼寝をしていた三人のもとにクイニーがやってきたのは、そんな流れがあってのことだった。

「飯を出す魔法使いのばあさん? 冗談だろ?」

「いーえ。冗談じゃありません」

「本当に魔法なのか?」

「本当よ! 本人が魔法みたいなものだって言ったの。それに、さっき大皿みっつに料理出してくれたけど、うちのものは一切使われてなかった。きっと本物ね」

「そりゃあすごい」

「やれやれ……」

 ユージンは呆れ気味だった。

「なんだって変なもんしか出てこねえんだこの村は」

「あら、そんな言い方しないでちょうだいよ。あなただって変な村に来た変な人でしょ?」

「いやまあ……」

「しかもマフィカに死体と間違われるなんて。一番変じゃない」

「……それをすんなり受け入れてるあんたも大概だと思うぞ」

「ぜーんぜん普通よ! ここは変な人しかいないところなんだから」

 ますますあきれ返っているらしいユージンが黙り込むと、クイニーはいたずらっぽく笑った。

「ま、なんでもいいからいらっしゃいな。本当においしかったんだから……。早くいかないとなくなっちゃうわよ?」

 じゃあ、とクイニーが去っていくと、マフィカがユージンのところへやってくる。また何か書かれるのだろうと思いきや、掴まれた手首はそのままぐいっと引っ張られた。

 決して力が強いわけではないが、問答無用の意思はひしひしと感じられる。

 はー、とカフカが嘆息した。

「いやー若さじゃなー。昼寝しただけで腹が減るなんて羨ましい限りよ」

「え?」

 どうやら空腹らしい。

「なんだ。あんた意外に食いしん坊だな」

 ユージンがにやっと笑うと、マフィカの中指がとんとんと手首を叩いた。はいはいマフィカ、と一応言ってやりつつ、素直について行く。この短期間で随分とユージンになついている様子のマフィカに頬を緩めつつ、カフカも後ろからついて行った。

 いくらもいかないうちに、おいしそうな匂いが三人の鼻先に香りだす。

「はあ……?」

 遂に見えたその光景に、カフカがぽかんと口を開けた。マフィカもユージンも目を丸くしている。

「こりゃちょっとした祭りだな……」

「いや、祭り以上かもしれん」

「あ? だとしたら祭りが地味すぎるぞ」

「あーいや。なんしろみんな穏やかなんでな。ここまでの大はしゃぎというのはまー珍しい、ホントに」

「ああそういう……」

 あふれんばかりのご馳走と人々で宿の周りはごった返していた。家から持ち出してきたのか、宿の前の往来にまでテーブルと椅子が出てきている。ある者は立ち、ある者は椅子に座り、そして何人かは地面にそのまま腰を下ろしたりと、思い思いにこの予期せぬ宴を楽しんでいた。

 呆気に取られている三人の視線の先、宿の入り口から何かの揚げ物を山盛りにした見慣れない女が軽い足取りで出てくる。

 ヨーコである。

「芋とチーズのが揚がったよ! さっきの麦酒の御仁はどこだい?」

「おうここだ! ――って、ええ!? ば、ばあさんそれ何人前だい!?」

「みみっちいこと言ってんじゃないよ、足りなきゃいくらでも作ってやるからみんなで食べな! あと次ババア扱いしたらアンタを揚げるよ」

「あっ、す、すまん! 申し訳ない、ええと……」

「ヨーコだ。ま、ババアには違いないから今回は見逃すさ」

 にっと笑んだヨーコは踵を返しかけ――宿へと戻ろうとして、素早く窺った景色の中に遠く、銀の煌めきを見た。

 ふたりの視線が正面からぶつかり、互いが互いを認識する。

「――まさか本当にいるとは」

 小さく呟くと、ヨーコは軽くその場を辞し、大股に近づいていった。

 予期せぬ接近に、ユージンはさりげなく半歩前へ出てマフィカを庇える位置に立った。が、それを見て取ったヨーコは軽く笑みを浮かべ、マフィカには手の届かない位置で徐に膝を折ると、相手に両手の甲を見せながら頭を垂れる最上級の礼を取ってみせる。

「いと高き者、輝ける星の子(フィブ・リュステ)。謹みを以て御前に申し上げます」

 ユージンへの牽制も兼ねているがゆえの威圧感は滲んでいるが、星の子に対する、極めて一般的で非の打ち所のない挨拶だった。

 が。

「――」

 突然の挨拶にマフィカは無言でおろついている。

「……えー、あー、そのお……」

 カフカまでおろついている。ユージンは小さくため息をついた。

「――『許す』」

 本来、星の子自身から返されるべき応答である。

 何事かと顔を上げたヨーコに肩を竦め、ユージンは視線をマフィカとカフカに向けた。

「……と、本来なら言うところだ。覚えといた方がいい」

「え!? そっ、そう言うもんなんか!?」

「まあ大抵どこもそうだ」

「はぇ~……」

 素直に感心したらしいカフカとマフィカから見る見るうちに肩の力が抜ける。

「いやー知らなんだ、たまーにこれやる人おって毎度困っとったんじゃ。……正直仰々しすぎんか?」

「そういうもんさ。……てなわけだ、あんたも適当でいい」

 と、ユージンはヨーコに教えてやった。

「――あっははは!」

 完全に呆気に取られていたヨーコだったが、数瞬遅れて状況を理解すると、豪快に声を上げて笑い出した。平伏を崩して前に足を投げ出し、金の髪を揺らしてひとしきり腹を抱える。

「いやー笑った、こりゃ一本取られたね! ――悪かったね坊や、驚かせたかい?」

 問われたマフィカはふるふると首を横に振る。マフィカが差し伸べた手をヨーコは取った。立ち上がり、そのまま軽く握手を交わす。

「ヨーコだ。北の果てから来た」

 マフィカはこくりと頷き、例の如くヨーコの手に自分の名前を書いていく。ヨーコは一瞬目を見開いたようだったが、すぐに動揺を消して微笑んだ。

「マフィカだね。覚えたよ。――アンタたちは?」

「俺がユージン。こっちがカフカ」

「うむ、カフカだ。よろしく頼む」

「ユージンにカフカね。よろしく」

 言い終えるか否かというところで、マフィカの腹が盛大に鳴った。おっと、とヨーコがおどけて視線を向ける。

「こりゃ大変だ、急いで行きな! 今なら出来立てにありつけるよ」

 ぱっと目を輝かせたマフィカは、最早ユージンもカフカもほったらかして一目散に駆けていった。マフィカに乱入された卓からは歓声ともどよめきともつかない声が上がり、やがてそれが賑やかな笑い声に変わっていく。いけいけ、全部食べちまえ、と不穏な声援も聞こえてきて三人は苦笑した。

「やれやれ。ほんとに食べかねん」

 ぼやくように零したカフカがのんびりと後を追う。ユージンは意図的にヨーコと二人その場に留まった。ヨーコがそれを望んでいるようにユージンには思えた。そしてその直感は正しかった。

「――ユージン。アンタ、あの子のお守じゃないね」

 実にあっさりとした調子でヨーコは切りこんだ。

「……なんでそう思う?」

「護衛対象に対してあんな位置に立つ従者はいないよ。あれは坊やを囮にしてあたしを仕留めたい奴の位置だ」

 違うかい、とヨーコが問う。一瞬思案してから、なるほど、とユージンは呟いた。

「有識者って訳か」

「いや? そこまでじゃないよ。今のも半分は勘さ」

「で? わざわざ俺にそれを言ってどうする?」

「ちょうどいいなと思ってね」

 にやあ、とヨーコは悪人面で笑んだ。

「――アンタ、あの坊やのお守をする気はないかい?」

「あ?」

「ほら、あたしが言うことでもないけど、あっちのお守は年だろ? 幾らか若いアンタに頼む方が確実だ」

「何をだよ」

「あの子をこの村から連れ出しておくれ」

 ヨーコは笑んでいた。だが、声色には愉快さの欠片もなかった。

「悪いようにはしない。ふたりともね。あたしの望みが叶えばここに戻してやれるし、その過程であたしが死んでも好きにしていい。坊やには世界を見せてやれるし、アンタにやれるものは……そうさね。一生分の食い物と『自由』ってところか」

「ほーう。随分ぼんやりした報酬だな」

 あからさまに不服そうなユージンを見て、ヨーコは少し苦笑する。

「そう言われても。『自由』なんてもん、『自由』って言葉以外で表現できやしないだろ?」

「屁理屈だな」

「哲学っていうのさ。もしくは美学だね」

 すんと鼻を鳴らすと、無理強いはしないよ、とヨーコは断った。

「明日の朝にはここを出て、ネネ・テレッタから街道沿いに海へ向かう。その気があればおいで」

「待て」

 話を切り上げて戻ろうとするヨーコをユージンは引き止めた。

「目的は?」

「アンタ殺し屋にしちゃ質問多いね」

 ふっと息をついたヨーコは、実に何気ない仕草で徐に両掌を合わせると、ぱっと開いた。


 両手の間。

 たった今開いた空間に、真っ赤なりんごがひとつ浮かんでいた。


「魔法みたいなものだと言ってはいるが、これはあたしの『呪い』だ」

 絶句するユージンに淡々と告げて、ヨーコはすっと目を細めた。

「――こいつを解きたい」

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