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憂いの果てのマフィカ   作者: 並木祐太
第一章
13/14

10

「意外と遠いわねえ~」

 街道、という程でもない。草原の一部が曖昧に土の色を覗かせているのが便宜上道と呼ばれている程度のものである。ここ数年程、弔いのために通うもの以外の人通りはなかったが、最近になってぽつぽつとそこを訪う人も現れだした。

「こんなにおっきな木なのにねえ」

「あれでもちっちゃく見えてるんじゃない? 枝が大きいから縦が分かんないんだよ。この距離でもう木陰に入ってるなんて信じられない」

「そうねえ。まーでも、こんなにおっきいとなんだか色々分かんなくなっちゃうわねえ」

「ホントですね」

 のほほん、というほかない会話。若い夫婦とその夫の母らしい三人連れのやり取りを背中に聞きながら、ゴルドは内心憂わしげな溜め息をついた。確かに周囲に怪しい気配はないが、人通りのさしてあるわけでもない草原を行くにしては緊張感がなさすぎる。

 まあこういうものなのだ。白き人(リヒタ)というのは。

「ああでも、ほら。村の入り口だわあ」

 老婦人が指し示したのは廃墟だ。通常の劣化ではありえないほど漂白された家――もとい、家だったものの壁。所々に破壊の痕を残しながらも形を保っているそれは、村の跡地にぽつぽつと残っている。その間を抜け、小高い丘を登ってゆけばあの大木の根元だ。五年前に星の光が天へ繋がったそこは、人々の祈りの場として神聖視されている。

「――ご存知かと思うが」

 あと数歩で踏み入るという時。ゴルドは静かに振り返ると、深みのある低音で言った。

「入ったら、できるだけ言葉を発さないように。その方が祈りが通じやすくなるとされている」

「ええ、そうします」

 男が微笑んで頷き、妻と視線を交わす。女は僅かに膨らんだ己の腹をいとおしげに撫でた。

「静かにしててね。あなたのためにお祈りするのよ」

 言いながら腹を撫で、かと思えば突然目を丸くして笑う。

「やだ、蹴ったわ」

「まあ静かにはしてるから大丈夫だよ」

「あらあ、きっと『わかった』ってお返事してくれたのよ。気にすることないわあ」

「そうですね。……ふふ、テオに似て賢いんだから」

「暴れん坊ぶりはナナ似かな?」

「ちょっとやめてよ」

 笑いあう一行を紳士的な微笑で見守りつつ、ゴルドはその間も周囲の気配にそれとなく糸を張っていた。祈りのために訪れる人々の案内も仕事のひとつだが、その安全を確保することもやはり仕事のひとつなのだ。何しろ今日は嫌な予感がしている。冒険者として諸国を巡った時の経験から身につけた、勘としか言いようのない違和感が胸をざわつかせている。

 短く刈り込んだ白髪交じりの髪を撫で上げ、これも短く整えた髭に触れる。ちくちくと指を刺す感触はいつも通りだが、何か、毛穴の奥が痺れるような、そんな感覚が残って消えなかった。

 碌なことにならん。恐らくだが。

「――あ、すいません余計な話しちゃって」

 男の言葉に軽く頷くと、ゴルドは先導して歩き始めた。相変わらず動くものの気配はない。だが、妙なざわつきも消えない。いくらもしないうちに例の大樹の根元に着いたが、それは一向に軽くなりはしなかった。

「……ここだ」

 大樹からほんの少しだけ離れたところでゴルドは立ち止まった。

「これ以上近付くと足元が崩れる可能性がある」

 端的にそう言い、三人が頷く。ゴルドが少し離れてやると、三人は無言のまま膝をつき、両手の甲を大樹に向けながら深く首を垂れる。やることのないゴルドは徐に頭上を見上げた。降り注ぐ木漏れ日は煌めき、葉擦れの音が己を包むようで心地がいい。水先案内などという職に大した思い入れはなかったが、この場所の空気だけはそれなりに好ましく思っている。

 ささやかな、実にささやかなゴルドの憩いだった。


 が。


 ――真っ先に反応したのは腹の奥だった。


「――!」

 その微かな筋肉の緊張が自分の重心変化によるものだと判断するより早く、ゴゴゴゴと重いものの動く音を捉える。三人は気付いていない。だが、続いて足元から生じたガラッという不穏な音には、流石にはっと顔を上げた。

「下がれ!」

 意外にも三人はしっかり反応して動いた。老婦人の動きはやや鈍く、僅かに後ずさっただけだったが、幸いにも足場は固そうだった。女は腹が重いせいか動き出しが遅れ、それを庇うべく抱きかかえようとした男が逆に前へ出る。足場が崩れる。退避は間に合わない。ここからなら落下の瞬間に庇うことはできる。しかし、二人は受け止められない。

 一瞬の判断の後、ゴルドは地を蹴った。男の腹を最小限の威力で蹴り飛ばして後方へ退けつつ、女を抱えて大樹に向かって飛びのく。空中で半回転したゴルドの背は大樹に叩きつけられたが、その一瞬の差の間に足場が崩れ切った。己の身を盾として大樹の幹を滑り下り、なんとか落石の上に着地する。

「っ、大丈夫か!」

 ゴルドの言葉に女は半ば呆然としたまま振り返り、かくかくと頷いた。その両腕がしっかり腹を抱えており、軽い擦り傷以外に目立った怪我のないことをゴルドは見て取った。

「……ちゃんと守ったな」

 短い言葉だった。だが、それを聞いた女は僅かに緊張を緩め、微笑んで頷いた。

「ナナちゃん――!?」

 老婦人の甲高い悲鳴が聞こえる。

「無事だ! 危ないから離れて待て!」

 大声を出すだけでもどこが崩れるか分からない。

 幸いにも老婦人が動く気配はなく、ゴルドは女を立ち上がらせると周囲を確認した。大樹の根元に地下墓地があるという話はゴルド達案内人も知っていたが、あくまでも崩落の危険を避けるための情報共有であり、立ち入りは許可されていなかった。勿論内部構造の知識などもない。

 ぐるりと見まわすと、ちょうど大樹を背にして立った正面に上り階段があった。恐らくは出口だろうとゴルドは見当をつける。そして背後の女に先に行くよう促そうとして、ふと大樹の幹に奇妙なものを見つけた。


 巨大な木のうろだ。

 その中に、身を丸めたひとが重なって眠っている。


 ……ひとが眠っている?


 どういうことだ、とゴルドは凍りついた。ここにひとがいるはずがない。自分が知る限り唯一の入り口は封鎖されている。先ほど見つけた上り階段の先がそこなら、報告書を覚悟でブチ抜く(・・・・)しかないと腹を括ったところだったのに。

 どこから入った?


「――おお!」


 しかも三人も。

 ひとりはまだら髪の子供で、これは眠っているらしい横顔が見える。もうひとりは藍色の髪で恐らくは男だ。これは顔は見えないが、規則正しく上下する背中の動きからして恐らく眠っているのだろう。そしてもうひとり――いや、これは「ひとり」でいいのか?

「あんたわしが見えとるな!?」

 丸っこい老爺のぬいぐるみ、とゴルドはそれを認識した。白髪に白髭、ゴルドの膝にも満たない背丈で、そして、唯一自分の足で立って、ぱくぱくと口を動かしながらゴルドに向かって話しかけてきている。一体どういう仕組みなのか、刺繡らしき目が時々、ぱちぱちとまばたきをしさえする。

「頼む! この二人を起こしてやってくれんか! わしでは外から(・・・)干渉できん、あんたの力がいるんじゃ。触れてくれれば実体も得るし目も覚ます、頼む!」

 何を言っているんだこいつは、とゴルドが言葉を失う最中、女がゴルドの視線に気付いて目を向けた。あら、というように小首をかしげると、少し大樹に近寄ってうろの中を覗き込みはしたが、その足元でぽやんと自分を見上げているぬいぐるみ風の存在には目も向けない。

 ああすまん、とぬいぐるみがゴルドに視線を戻した。

「わしらの存在はあんた以外に届いとらん。こうして話しかけとるが返事はせんでいい、アブないやつと思われるでな」

 振り返った女が、大きいですね、と言わんばかりに手を広げて見せる。ふふ、と咄嗟に笑いを貼り付けて応じながら、ゴルドは内心とんでもなく深い溜め息をついた。


 ほら見ろ。碌なことにならん。


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