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前編

 ラスティアは、物心ついたときにはすでにひとりだった。ゴミ漁りやスリをして食いつなぐ、スラム暮らしの薄汚い孤児の一人だ。


 けれどある時、手先の器用さを買われて旅芸人の一座に拾われて、彼の人生は一変する。


 何も持っていなかったラスティアに名を与えたのは、その一座の座長だ。

 男か女かわからない中性的な容姿と、枕代わりに抱いていた安酒の空き瓶。それが座長の目を引いたらしい。

 欲望と陶酔を司る、庶民の味方の酒と芸事の神(ラスティエリカ)。娯楽の守護者たる両性具有の神にあやかって、座長は路地裏の薄汚い孤児にその名をつけた。


 スリの代わりに手品を仕込まれた。歌と楽器も覚えさせられて、場末の酒場で覚えた悪態だって客を笑わせるための愉快な口上うそに様変わり。気づけば路地裏の悪童はどこにもいなくなっていた。


 一座の芸人達は、なんでもすぐに吸収してしまうラスティアに次から次へと自分の技術を伝授していった。“自分”がもう一人いれば芸の幅が広がるからだ。

 軽業、獣の調教、声帯模写に腹話術、それから演劇も。一人でなんでもできるラスティアは、誰かの助手の器に収まらない。


 道化の厚化粧でも隠しきれない美貌、そして芸能の神の名に恥じない技術が、ラスティアをまるで神子みこのように飾り立てる。舞台の上で、彼は確かに支配者だった。


 芸と名のつくものであればなんでもできる器用なラスティアは、旅芸人の一座の中でもひときわ人気者になった。

 座長に拾われてから七年が経ち、十四歳になったころには、一座を離れてまでになっていた。


 一座を離れた本当の理由は、ラスティアの万能ぶりを危惧して人気に嫉妬した同僚達に一座から追い出されたからだが……それでも、新しい主人の金払いは悪くない。座長に恩はあったが、これもさだめということだろう。古巣に戻るつもりはなかった。



 多才なラスティアには多くの信奉者がついていた。性別不詳の謎めいた道化師を面白半分で雇った富豪が、その友人達に評判を広めて、今度はその友人がラスティアを呼ぶ……そういう風に、ラスティアの評判は富裕層に知れ渡っていたのだ。

 だからこれまで接点のなかった子爵に呼び立てられても、ラスティアは二つ返事で雇われてやった。というか、そうなるようにさりげなく周囲に売り込んだ。


「お前が道化師ラスティアか。此度こたびお前を雇ったのは他でもない。晩餐会の余興を頼みたいのだ」


 今回の雇い主は、メルゼーニ子爵ハルク・トラステ。王都でも知られた名家の嫡男だ。数年前に父公爵から分け与えられた子爵位を名乗っているそうだが、公爵位を譲られるのもそう遠くない話だろう。


「今回のご主人様は貴方です。なんなりとお申し付けを」


 子爵は冷えきった氷彫刻のような、美しくも近寄りがたそうな男だった。


 年は三十五らしいが、容姿に気を使っているのかもう少し若く見える。

 とてもラスティアの倍も歳を重ねているとは思えない。もっとも、ラスティアの自認している年齢なんて、ひどく曖昧なものだったが。


 彼は、その美貌から貴婦人達には黄色い声を上げられているようだ。だが、どんな秋波にも一切なびかずむしろ迷惑そうに切り捨てることから、陰では社交辞令も理解できない堅物朴念仁と囁かれているとか。

 確かに今ラスティアに向けているような軽蔑の眼差しをよそでも振りまいているのなら、嫌われていても無理はない。その身分の高さから邪険にできず、おべっかで人気者扱いされているだけだ。


「時にお前、男か女か、どちらだ?」

「どちらに見えますか?」

「ふざけるな。真面目に答えろ」

「旦那様が男だとお思いになりたいのであれば男に、女だとお思いになりたいのであれば女になりましょう。ラスティエリカの二つの顔は、見たいほうだけが見えるのです」


 にっこり笑って答えると、子爵は不愉快そうに鼻を鳴らした。



 ラスティアが余興を命じられた晩餐会には、宮廷の有力者達が客として招かれているようだ。

 ちらりと覗いた招待客の名簿には、王侯貴族のそうそうたる名前が並んでいた。

 その中には、過去のラスティアの雇い主達の名前も散見される。本当の主人・・・・・の名もあった。

 たとえ路地裏の酔っ払いが観客だろうと気は抜かないし、どんな舞台も客にとっては一期一会だから最高の一瞬を届けたいとラスティアは思っているから、あまり関係はなかったが。



 一ヶ月後の晩餐会当日まで、ラスティアはメルゼーニ子爵の屋敷に滞在することにした。

 屋敷の間取りを完璧に把握し、使用人と仲を深めることで、大掛かりな手品の仕込みができるし、そもそも仕事がやりやすくなるからだ。旅芸人の一座にいたころのように、周りの玄人に助手を頼めるというわけではないのだから、せめてお互い気持ちよく自分の仕事に専念したい。


 愛想を振りまいた甲斐はあり、たった三日でラスティアはすっかり屋敷に溶け込んだ。


 けれど一つ、気になることがある。屋敷の離れ……まるで童話に出てくるような、可愛らしく飾り立てられたとんがり屋根の小屋。どこか現実感の薄いその小屋からは、確かに人の気配がした。

 おまけに、子爵はことあるごとにその小屋に立ち入っている。好奇心を抑えろというのが無理な話だ。


「ねえ、あの小屋は一体なんなんだい?」


 ラスティアは、すっかり親しくなった下級使用人達一人一人に尋ねて回ることにした。


「あそこにはお可哀想な方がいらっしゃるんだ。お前さん、人を楽しませるのが仕事なんだろう? ちょっとあの方に会いにいってやっちゃくれねぇか。旦那様には内緒にしとくから」


 庭師の老人はバツが悪そうな顔をしてそう囁いた。


「近づいちゃダメですよ! あの方付きになったメイドはみんな死んでしまったんです。うかつに関わったら最後、貴方もどんな恐ろしい目に遭うか……」


 一方で、厨房付きのメイドはすっかり怯えきっていた。心からラスティアを案じ、同僚達の末路を憂いているのがよくわかる。


 他の下級使用人の回答も、おおむね同じようなものだ。

 誰も深い事情を話そうとはしなかったが、どうやらあの小屋には、他人に会わせられない“誰か”がいて、使用人達はその“誰か”の存在は認識しているらしい。


「芸人風情が気にすることではありません。旦那様の許可なく勝手な真似をしないように。お前の代わりなどいくらでもいるのですから」


 ただ、古くからメルゼーニ子爵に仕えている上級使用人になると、少し勝手が違うようだ。彼ら彼女らは、ラスティアが“誰か”に興味を持つことをあからさまに嫌がっていた。


(禁じられるとやりたくなるのが人のサガってね)


 よくしてくれている下級使用人達の頼みもある。ラスティアは上級使用人の警告を無視して離れの小屋に赴いた。


 数度ドアをノックする。しばらくの静けさのあと、ドアは警戒心たっぷりにゆっくりと開いた。


「どなた?」

「これはこれは。こんにちは、素敵なお嬢さん」


 年は十代前半だろうか。ラスティアより年下なのは間違いない。うっかり目を離せば泡にでもなって消えていってしまいそうな、儚く透き通った華奢な少女がそこにいた。


「私は怪しい者ではありません。メルゼーニ子爵のご厚意でお屋敷に滞在させていただいている、しがない旅人でございます」


 ラスティアがもったいぶって一礼すると、少女は大きな目をぱちくりさせる。

 構わずラスティアは空っぽの手を差し出した。何もないその手の上に一輪の白いバラが突然現れると、少女は柔らかそうな頬を歓喜の色に染めて感嘆の声をあげた。


「あなた、魔法が使えるの?」


 しかし少女はすぐに表情を固くする。何事もなかったようにそう尋ねる声は、精一杯の真面目さと威厳を演出しようとしているように聞こえた。


「ええ。内緒ですよ。実は私、魔法使いの国の王子なのです。今はわけあって流浪の身ですが」


 王子というのはラスティアがよくつく嘘だ。ハッタリまみれの社交界にその身を滑り込ませるのに、ハリボテの権威は大いに役立っていた。

 見栄と金とエゴで成り立つ社交界は、異国のお忍び貴族や大富豪を騙る詐欺師が素知らぬ顔でうろつくような場所だ。王子の一人や二人、ひょっこり現れるのは日常茶飯事と言える。あからさまな嘘とわかっていても、そこに一握りの真実が宿っている可能性がある限り、人々はラスティアに関心を寄せざるを得なかった。


「このバラは貴方にさしあげます。秘密を守っていただけるなら、誓いのしるしとして受け取っていただけませんか?」

「ええ。わたくし、絶対誰にも言わないわ」


 魔法なんてあるはずがない。魔法使いという見え透いた嘘を、少女はあっさり信じ込んだ。よほどの世間知らずらしい。


「お嬢さんはここで一体何を?」

「ここはわたくしのおうちなの。メルゼーニ子爵が、成人するまでここで生活するようにって」


 少女は寂しそうに答えた。


「挨拶が遅れてしまったわね。わたくしはリエリー・クレンス。メルゼーニ子爵の婚約者よ」

「まさか婚約のために、ご家族と離れて暮らしているのですか?」

「仕方ないわ、子爵はわたくしの後見人だもの。わたくしの両親はもう死んでしまったし、叔母様と叔父様は……わたくしにとっては、あまり優しい方々ではなかったから……」

「申し訳ありません。立ち入ったことを訊いてしまいましたね」

「構わないわよ。どうせもうあなたと会うことはないでしょうから」


 綺麗にトゲを抜いておいたバラの茎を、少女は愛しげに握っている。けれど放たれたのは冷たい言葉だ。困惑するラスティアをよそに、少女は目を伏せたままドアを閉める。


「それじゃあね、魔法使いの王子様。もう二度とここに近づいてはだめよ。でないと、あなたも呪われてしまうもの」


*


 離れで暮らす、浮世離れした謎の美しい少女。何か訳ありの様子の婚約。全部忘れて見なかったふりができるほどラスティアはお上品ではなかった。


 それからラスティアは情報を収集しつつ、人目を盗んではリエリーのいる小屋へと足を運んだ。

 ドアは固く閉ざされたままだったが、窓辺に残したささやかな贈り物─花束とか、お菓子とか、小さなぬいぐるみとか─はリエリーの心を少しでも融かしてくれているだろうか。


 あの手この手で使用人達から話を聞き出して、使えるツテも総動員し、わかったことがいくつかある。


 リエリーは没落貴族の娘。三年前に両親が亡くなり、いっときは叔母夫婦に引き取られたが、そこでは召使いのようにこき使われて日常的に暴力を振るわれていたらしい。

 不憫に思ったメルゼーニ子爵が叔母夫婦をやりこめて彼女を救い出し、以降は自身の婚約者として傍においているという。離れで暮らさせているのは、いくら婚約者とはいえ親戚でもない未成年の貴族令嬢への配慮に違いない。


 リエリーは現在十六歳。あの小柄で発育不良の様子からすると意外だったが、ラスティアの自認年齢よりたった一つ年下なだけだった。

 子爵とは二年後に成人を迎えたらすぐに結婚することになっていて、今は離れで花嫁修業に精を出しているとか。次期公爵の夫人としての心構えや家政の取り仕切り方を、子爵直々に説かれているそうだ。


 ここまでは普通というか、ラスティアでもなんとなく予想できた範疇だった。問題は、彼女の特異な体質だ。


 いわく、リエリーに近づく者はみな不幸になるらしい。平気なのはメルゼーニ子爵だけだ。


 彼女の両親、最初の婚約者である従兄、それからメルゼーニ子爵がつけてくれた親切な使用人……今ではもう誰もいないという。

 叔母夫婦がリエリーをいじめていたのは一人息子を喪った原因だからではないか、という声もあった。リエリーが子爵に引き取られた後、その叔母夫婦もひっそり自殺してしまったらしい。


 あの可憐な姫君には似合わない、ずいぶん血なまぐさい過去だ。

 だが、ラスティアに見せた寂しげな横顔がその呪いのせいなら合点はいく。


「人を楽しませるのが芸人ってもんだろ」


 ラスティアがリエリーのところに通うのに、それ以上の理由はいらなかった。



 窓辺の贈り物を十日ほど続けると、とうとうドアが開いた。


「せっかく忠告してあげたのに、あなたもしつこいのね。あなたからのプレゼント、子爵に見つからないようにいちいち隠すのは大変なのよ」

「捨ててしまっても構わなかったのに。取っておいてくださったんですね」

 

 笑顔のラスティア。言葉に詰まるリエリー。

 ラスティアは気にせずに、手品で今日の贈り物を取り出すことにした。モノが残って困るというなら、次々飛び立つハト達のショーにしよう。


「子爵は貴方のことをずいぶん大切にされているようですね。私のような悪い虫がつかないように、貴方を宝石箱にしまいこんでいる」

「違うわ。あの方はきっと、呪いの犠牲者を出したくないだけよ。わたくしの呪いが効かないのはあの方だけだから、わたくしを管理する責任があるとお考えなのでしょう」

「なるほど?」


 リエリーの顔色はどことなく悪い。ハトのショーでは足りなかっただろうか。


「魔法使いの王子である私にも、貴方の呪いなど効きませんよ」


 ラスティアがパチンと指を鳴らすと、空からキャンディの雨が降ってくる。


 甘さというのは、幸せを意味する味だった。親を知らない孤児だったラスティアにとって、子供の頃に憧れ続けた甘味は極上のごちそうなのだ。もちろん、腐っていないお肉をたらふく食べられることも、温かいスープを飲めることも嬉しいけれど。


「あいてっ、あっ、ちょっ、待って待って!」


 降り注ぐキャンディは容赦なくラスティアの頭にも落ちてくる。その間抜けな様子に、やっとリエリーは小さな笑みをこぼした。


「ご覧なさい。私に不幸が訪れるとしても、この程度のものです。むしろ得をしたかもしれませんね」


 ラスティアは包装紙を解いてキャンディを口に放る。リエリーにも一つ渡すと、リエリーは戸惑いながらも受け取った。

 ラスティアを真似まねて包みを開き、つやつやと輝く黄色のキャンディを口に含む。「おいしい」、その言葉をラスティアは聞き逃さない。


「いけない、わたくしったら……!」


 リエリーは、はっとした様子で顔を隠そうとする。顔を覆おうとした彼女の手を止めたのはラスティアだ。


「何が悪いのですか。楽しいなら楽しい、美味しいなら美味しいと表現するのは当然のことでしょう?」

「だけど、わたくしは多くの人を不幸にしてきたのよ。そのわたくしが幸せを享受するなんて許されないわ。子爵だってなんとおっしゃるか……」


 ここにはいないメルゼーニ子爵の影に、リエリーは確かに怯えていた。ラスティアはまっすぐに彼女の目を見つめる。

 

「幸せになることは誰もが持っている当たり前の権利だ。どんな理由があったとしても、それだけは奪われちゃいけない」


 ラスティエリカは庶民の味方。娯楽とは選ばれた一部の人間だけのものではないと伝える平等の象徴。

 衣食住だけでは満たされない、心の隙間を埋める彩り。

 その名を冠するラスティアにとって、かの神の教義は信条そのものだ。


「貴方が過去に苦しめられているのはわかった。だけど、それを理由にして現在いまと未来まで苦しみと悲しみで染める必要はない。不幸な星が巡ってきたからといってずっと暗い顔をしないといけないなんて、一体誰が決めたんだ?」


 リエリーの目に涙が浮かぶ。きらきら輝くキャンディと同じ、透き通った蜂蜜色の目。キャンディを初めて見たラスティアがそれを宝石だと思った時のように、彼女の瞳も宝石のように見えた。


 その日から、リエリーはラスティアの訪問を拒まなくなった。

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