17_後日談(リグレット)
「行っちゃったね…。」
「行っちゃいましたね…。」
リグレットの言葉に、犬獣人メイドのシロが相槌をうつ。
今しがた、王都を経つリック達を見送ったばかりだ。
リック達の前では、気丈に明るく振る舞っていたリグレットだったが、彼が去った今、彼女の心には深い悲しみが──
「ねぇ…。」
「…何でしょうか?」
「昨日のリックの言葉、覚えてる?」
「はい、覚えております。」
「あれさぁ…。」
…………。
「ヤバかったよねぇっ?!」
「ヤバかったですともっ!!」
──どうやら、悲しさはあまり感じていないようであった。
「何でしょうね?あれだけの美女が二人も一緒に居るのに、「クローと離れたくない!」って。完全にそういう事じゃないですか?!」
「だよね、だよね?!…そう思うとクロー君が最初に騒いでたのも、リックを取られたくないから、だったんじゃないかとも考えられるよね?」
「嫉妬ですか、なるほど。…でもそれなら、クロー君がリックさんに「こんな幸運な事、もう無いんだよ」と説得してたのは、複雑な想いがありつつリックさんの幸せのために身を引こうとしていた事になりますね。…それもなんか、グッと来ますね。」
「うわあぁぁ、確かに!」
シロもリグレットの「お気に入り」としてメイド採用された女性だ。
当然、仕事は完璧にこなせるし、その上、屋敷ではリグレットを説得出来る数少ない人物の一人でもある。
リグレットと話が合い、たまにこうやって「男性同士の恋愛妄想話」で盛り上がる事もある。
この「妄想話」については、リグレットの後押しもあって、シロが執筆したものがこれまで何度か出版されており、王都周辺の婦女子の間で熱狂的な支持を受けている。
今回の件も後に、「王族の第三者の我儘で引き裂かれそうになる二人」のお話として、シロが脚色した物が出版され、シロの代表作の一つと言われるまでになるのであった。
「また貴女方はそんな…。」
見かねたフィザリスが、二人を嗜めるような声を掛ける。
「私には、単に友人として話してるだけに見えましたがねえ。なんでもそう言うお話に持っていくのは、いささか…。」
「え〜?もう、男の子心が分かってないなぁ、じいやは。」
「え?い、いえ、私はもう五十年以上、男性として生きて来たのですが…?」
「も〜白けるなぁ!じいやは黙ってて!今、盛り上がってるところなんだから。」
「フィザリスさん、我々も妄想と現実の区別は付いているのですよ。けれど、別に彼らに何か強要するでもなし、迷惑を掛ける訳でも無いのですから、大目に見ていただけませんか?」
「……分かりました。」
まぁ、迷惑を掛けていないという点ではその通りなので、フィザリスはそれ以上の追求は止めた。
また、昨日の件でリグレットに強く出れないフィザリスは、代わりにリグレットへ進言出来るシロにまで強く言うわけにはいかなかった。
「でも実際、残念でしたね、リックさんの事。…もし、また会える機会があれば、どうします?」
不意にシロが、リグレットに問うてきた。
「う〜ん…、正直、今回が最後のチャンスだったかな、って思うんだ。クロー君が「父上にだって仕えられるようになれる」って言ったでしょ?ボクもそう思う。今のリックなら、なんとかその位に収まってくれてたと思う。…ダメだったけど。」
「えっ……?」
リグレットの言った意味が一瞬理解出来ず、シロは固まってしまう。
やがて、その言葉の意味を理解したシロは、リグレットにさらに問うた。
「あの、「今なら」と言う事は、今後はそれにすら収まらなくなる、と?」
「うん。…多分、一国の家臣程度には収まらなくなるんじゃないかな?」
「「……。」」
リグレットの予想にシロもフィザリスも言葉を失う。
「…それがどう言う立場なのか分からないけど、ボクのようなただの王女程度では、なびいて貰えなくなるかも。あ〜あ、だから今のうちにボクの元に置いときたかったのになぁ。」
「王女程度って…。」
リグレットと気の合うシロも、リグレットの話についていくのがやっとだ。
「ああ、何の強みの無い、ただ安穏と暮らしてきただけの王女、って意味ね。それだけじゃあ、リックと再会出来たとしても、見向きもされなくなる…。」
本当にそれほどの人物になるのだろうか?
さすがにフィザリスもシロもリグレットの予想を信じられなくなって来ていた。
「だから面倒臭いけど、ヒトの為になる事や、慈善活動とか、何かしら頑張ってないと興味も持ってもらえないよ、きっとね。」
「申し訳ありません。一つ、伺っても良いですか?」
「ん、なに?じいや。」
「彼のお仲間三人につていては、どんな感想でしたでしょうか?」
「ん〜…。」
リグレットは少し上を向き、中空を見つめながら語った。
「司祭のセレナさんは良いね。優しそうで甘やかしてくれそう!ヴェロニカさんも、ああ見えて押しに弱くて、なんだかんだ優しくしてくれそう。…でも、なんか怖い、かも。」
「怖い…?本当は厳しい、と言う意味ですか?」
リグレットの珍しい反応に、フィザリスが思わず言葉を返した。
「ううん。性格的な話じゃないけど、なんかこう…、う〜ん…。ごめん、言葉に出来ないや。」
「じゃあ、クロー君はどうでしたか?」
悩むリグレットの気分を変える意味で、シロがクローについて尋ねた。
「クロー君は、わっかんない!」
「はぁ?…いえ、それはどう言う事でしょう?」
「だってさぁ…、さっき「次にリックに会う時は、一国に収まらないヒトになってる」って言ったじゃない?」
「は、はい…。」
「クロー君は、今時点でそのレベルなんだよ。だからこの先、もっと成長したクロー君がどうなるかなんて、想像も出来ないよ。」
「──っ?!」
リグレットの語るクロー少年の人物像に驚き、声も出ないシロ。
一方の、フィザリスの驚きは、さほどでもなかった。
リグレットの語る話が、奇しくも事前にナスバレイから聞いていた見立てと同じだったからだ。
ナスバレイは曲がり成りにも商会の会頭を務める商人だ、彼のヒトを見抜く人物眼は信頼出来る。
そんなナスバレイの意見と、リグレットの意見が合ったとなれば、もはや間違いは無かろう。
クロー少年は、一国の王家が取り込もうとする事など出来ない人物だと言う事だ。
これまでにリグレットが、似たような批評をした人物が一人だけ居た。
リプロノ王国の南西の端に位置するトルーチカ伯爵領の現当主の次男だ。
リグレットにお目通りしたのは、今年の年始。
リグレット曰く、「正直、凄く有能って感じはしないんだけど、どうなるのかよく分からなくて気になる」との事だった。
これ以降、彼の動向は王家から注視される事となった。
何せトルーチカ伯爵領は、例の「魔王領」に国内で一番近い位置にある。
「どうなるのか分からない」彼が、万が一「魔王領」に干渉する事態にでもなれば、下手をすると帝国の再侵攻を招く結果になりかねないからだ。
そのように注視されている国内貴族の子息よりも、明らかに有能と評される少年が、無軌道に国内を闊歩している。
フィザリスの本来の務めとしては、当然、速やかにこの事を王妃様にお伝えするべきである。
しかしそうすると、気ままに旅するリック達に国からの干渉が行われるかも知れない。
そうなればリック達に迷惑となるであろうし、最悪、クローの逆鱗に触れ、この国への印象が悪化してしまう事も考えられる。
「じいや。」
「──は、はい?」
黙して考え込んでいたフィザリスに、リグレットが不意に声を掛けた。
「余計な事、考えなくて良いよ。お母様に言ったら、絶対、ちょっかい出そうとするのが分かりきってるもの。…次にお母様と会う時に、ついでに話すくらいで大丈夫だって。」
(…お見通しですか。)
「承知いたしました。そのようにいたします。」
「うん。文句言われたらボクに指示されたって言って良いから。」
リグレット第三王女はよく、怠惰だとか、甘やかされて育っただのと陰口を言われる事が多い。
実際、リグレットはそう言われるに値する行動をする事も多く、ある意味その評価は正しい。
しかし反面、周りのヒトをちゃんと見て、話し、気遣う事も出来る。
更には、第六感とも言えるヒトの潜在能力を見抜く才能と、それを上手く利用する聡明さもちゃんと兼ね備えている。
もし、この眠れる獅子のやる気を呼び起こしたならば、彼女はどれほどの事を成すのだろうか。
そう思う一方、リグレットには穏やかなまま、安穏と暮らして欲しいとも思うフィザリスであった。
「──そういえば!…先程、「何かしら頑張ってないと」とおっしゃいましたが。」
「えっ?…う、うん。」
フィザリスのもの言いに、何かの勉強をさせられるのではと思い、リグレットは身構えた。
「実は、ナスバレイ殿から面白い提案をされたのです。まずはそれから手を付けて行くのはいかがでしょうか?」
「面白い、提案?」
「はい。なんでも、トレントを養殖してみようと考えているそうです。その許可と、適当な場所の確保、可能であればアドバイザーとなる魔物学者を紹介して欲しい、と言っておりました。」
「なにそれ?!超面白そうじゃん!いいよ、ボクのコネで繋げそうな所は、全部回してあげて。」
「はい、仰せのままに。」
「…あ、でもさぁ。」
「はい、何か気になりますか?」
「う〜ん、育てるのがトレントなら、「植林」とか「植樹」って言うんじゃない?」
「…そうですねぇ。「植林」と言えるほど多くのトレントを一度に育てる訳では無いでしょうし。かと言って「植樹」ですと、記念樹のようなイメージがありますし…。当然、畜産系の用語を使うのもしっくりきませんし。」
「ん〜、ま、いっかぁ。じゃあとりあえず、ナスバレイさん呼んで、ちゃんと話を聞いてみよっか。」
「はい、すぐに連絡を入れます。」