16_フィザリス
「そろそろ来る、よね?じいや?」
「はい、もちろん。」
「……ッ。」
私の返答に、リグレット様が言葉を飲みます。
リグレット様がこれほど緊張するなんて、いつぶりでしょうね。
…半年前にお父上にお会いした時以来でしょうか?
それほど、リック君が「お気に入り」なんでしょうね。
ここは私の働くお屋敷、リグレット様の私邸です。
その一室、小規模のパーティならば催せるほどの広さの部屋で、リグレット様は待機なさってます。
広いお部屋は今日のために、机や椅子が隅に寄せられています。
リグレット様だけが部屋の最奥で椅子に腰掛け、我々使用人はその横に付き従っております。
また、リグレット様には内緒で、私の方でも密かにとある準備をさせてもらいました。
リック君では無く、彼のパーティメンバであるクロー君、ヴェロニカ殿へ、「あまり余計な事は言わないように」との牽制にはなるでしょう。
リック君達が帰って来たと連絡が来たのは、昨日の昼頃です。
その後、ナスバレイ殿から話を聞き終えたのが、夜。
…なんなら、聞き足りないくらいでした。
そして今はもう夕方。
リグレット様がリック君達を夕食に招待したのです。
その夕食の前に、リグレット様からリック君に話したい事が有ると呼び出しをした所です。
さぁて、どうなることやら…。
**********
コンコンッ!
「失礼しまっす。」
リック君の声です。
「ひゃいっ?!」
「リグ様落ち着いて!」
「う、うんっ!」
メイドで犬獣人のシロから檄が飛びます。
こういう時は彼女の言葉の方が、緊張がほぐれるでしょう。
カチャッ!
「どうもっす。…って、リグちゃん!」
「リック!」
先程までの緊張も忘れ、笑顔を見せるリグレット様。
…やはりリグレット様には笑顔が似合います。
しかし──
ザッ!
おやっ?
すぐさま二人の間にクロー君が体を割り込みました。
「リック、周囲警戒して。セレナさんはヴェロニカさんの後ろに隠れて!」
クロー君が小声で、それでいてしっかり聞こえるトーンで語りました。
「──っ?!なんの真似ですっ?!」
「…とぼけているつもりですか?武装したヒトを7人も配し、僕らをとり囲んでおいて!なんの真似か、とはこっちのセリフですよっ!」
──っ!?
な、なんで正確な人数までバレてるんですか?!
というか、マズい!
牽制程度のつもりが、完全に裏目になってしまいました。
「ご、誤解です!彼らは単純に護衛として──」
「護衛ならばこの場に配置すれば良いでしょう?何故隠すのです?…ご丁寧に僕らが入って来た扉の裏にまで移動して来て退路まで塞いで、…完全に僕らは袋のネズミじゃないですか!」
なんで見えない場所のヒトの動きまで完全に把握してるんですか?!
いや、これはナスバレイ殿の言っていた魔術ですね。
…という事は、この後は──
「…どうしてもこちらを逃がすつもりが無いと言うなら、仕方ない。この屋敷の一部を破壊してでも、身の安全を計らせてもらいますよ?」
やっぱりぃ!!
こんな所で攻撃魔術なんて使われたら、屋敷全体が崩壊しかねません!
「落ち着いてくださいっ!本当に、彼らを使用する気は無いのです!お気に召さなければ、彼らを下げさせますので、どうか、どうか穏便にっ!」
「武装したヒトで取り囲んでおいて、「穏便に」なんて済ませられる訳ないじゃないですかっ!」
ダメだ、完全に私の言う事に聞く耳を持っていただけない。
…いや、彼の言う通り、信頼関係を一方的に崩壊せしめたのは私なので、弁解のしようも無いのですが。
ただ、このまま強硬な姿勢を取られると、彼らを使わざるを得なくなるのですが…。
「鎮まれっ!!」
突然、リグレット様がお帽子を脱ぎ、叫びました。
お帽子を取った事で、獅子獣人としての特徴が発現されている耳が顕わになりました。
リグレット様、何を?
「リプロノ王国、国王タクトが第三王女リグレット・レーヴェハーツの名に於いて命ずる。この声か聞こえる者は、速やかに我が前へ参集し、武器を置け!さもなくば──」
は?な、何を?
…何故、短刀を出したのです?
「──私はこの場で手首を切ります!」
「「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」」
ドタドタドタッ!
ガシャン、ガシャンッ!
「リ、リグレット様!この通り、護衛7名全員、ただちにこの場に集いました!どうか、御身に傷を付ける事はお止めくださいっ!!」
「リグレット様!私もこれ以上、勝手な真似はいたしませんので、どうか気をお鎮め下さいっ!」
我々はすぐさまリグレット様の前まで進み出て訴えました。
「ふん、ふん、ふん…、すごい!本当に7人隠れてたんだ?!…あ、大丈夫だよ?切らないって。痛いの嫌だもん。」
いやいやいやいや!
我々は分かっておりますよ。
リグレット様が、ノリと勢いがつけば、軽率に実行しかねないと言う事を!
「…んっと、じゃあみんな、その机に武器を置いて。そんで、とりあえずボクの後ろ立っておいてよ。あ、シロ!リック達の後ろの扉を開け放っておいて。彼らの退路を塞がないように。」
「はい。承知いたしました。」
リグレット様の指示で、護衛とシロが動きます。
「…じいや、この事は後でじっくり話そうね?」
「…はい。承知いたしました。」
うう…、今でさえ強くは言い難い状況なのに、更に立場が弱くなりそうです。
別に私のプライドなどはどうでも良いのですが、リグレット様が勉強したくないと駄々をこねられた時に、強く言えなくなるのが困るんですよね…。
リグレット様の為にならないので、最低限の教養は身につけていただきたいのですが。
「さて、…クロー君、これで少しは信用して貰えるかな?」
…ふぅ。
リグレット様の言葉に、クロー君は小さく息を吐きました。
「…分かりました。こちらこそ、騒ぎ立ててしまい、申し訳ありません。」
ペコリッ。
クロー君が深々と頭を垂れます。
クロー君は、もう落ち着いたようですね。
あるいは、わざと冷静では無い風に演じていたのでしょうか?
「こちらこそ、余計な心配をさせてしまってごめんなさい。」
リグレット様がわざわさお立ちになって、謝罪の言葉を口になさいました。
「いやいや、リグレット様が謝る事では…。」
「ううん。ボクの命令を聞くヒトが、ボクのために行った事は、ボクに責任があるから。」
クロー君の言葉に、リグレット様は即座に首を横に振ります。
…いや、確かにそうお教えしましたが。
良いんですよ、こんな事は不手際をした私をお切り捨てになり、「これで無かった事にして欲しい」と言ってしまえば!
……無理でしょうね。
お優しいリグレット様が、そんな事を言うはずがありません。
なればこそ、今度、強めに申し上げておかなくては。
「リック、ほらっ!前に出て。」
リグレット様のお言葉に、軽く肩を竦めたクロー君は、リック君の所まで下がり、リック君を押し出しました。
「…っと。は、はいっす。」
押し出されたリック君は、後ろを気にしつつ、リグレット様の方を向きました。
「えっと…、久しぶりっすね、リグちゃ…王女様?」
「「リグ」で良いよ。「様」も要らない。公式な場でも無ければ、誰にも文句言わせないから。」
「あっと…、じゃあリグちゃん。」
「うん、えへへ。」
「王女様だったんすね?」
「うん。本当はもうちょっと隠しとくつもりだったんだけど。…黙っててゴメンね?」
「それは、まぁ、良いんすけど…。えっと、それがオレに話したかった事っすか?」
「…っ?!……ううん、違う。」
「ん〜?じゃあ、話ってなんすか?リグちゃんから話があるから、ってこの部屋に呼ばれたんすけど?」
(バカッ!話を進めるのが早すぎるって!もうちょっと、こう…あるじゃん?!)
クロー君が小声でツッコみます。
ご配慮はありがたいですが、もう遅かったようですね。
リグレット様は完全に緊張してしまったようです。
「う、うん。…あのね──」
リグレット様、しっかり!
「──リック、ボクの側近として、ここで暮らす気は無い?」
「……へっ?」
「この屋敷で、僕の側で働かない?空いた時間にボクとゲームしたりしてさ…。」
「あっ……。」
「あ、あのっ!ボク、リックとずっと一緒に居たい!お願いしますっ!」
「……。」
唐突な展開に、リック君は口を空けたまま固まってしまいました。
この場に居る者は、誰一人声を発せずに、リック君の回答を待ちました。
「…………………だめっす。」
やっと言葉を発したリック君の答えは、否定でした。
「…オレはともかく、クローは絶対そういうのに収まる性格じゃないっす。オレがここに留まったら、もう、クローに会えなくなるっす…。」
リック君が、彼らしからぬ弱々しい声でそう呟きます。
「リック!」
そんなリック君にいち早く反応したのはクロー君でした。
「よく考えて!王族に仕える機会なんて、普通に生きてたら一生ありえない幸運なんだよ?!」
クロー君の言う事はもっともです。
市井に生きる者にとって、王族とは雲の上の存在です。
そんな方に会えるだけでも幸運だというのに、仕える機会に恵まれる事など、万に一つの可能性でしょう。
「今のリックなら、王様にだって仕えられるようになれるよ。そうなれば、一生安泰なんだよ?」
…ん?
何か、王族に仕える事が名誉とか言うでは無く、単純に優良な就職先として推されてる感じですか、これ?
…ま、まあ良いでしょう。
とにかく、リック君がここに留まってくれるように説得してくれるなら、何でも良いです。
頑張って、クロー君!
「…じゃあ、オレがここに残れば、クローも残ってくれるっすか?」
「う゛ぅっ……。」
あ……。
クロー君、目を伏せてしまいました…。
「………。」
「………。」
リック君がクロー君を見つめたまま、無言の時間が過ぎます。
「…ごめん、リック。僕はそういうつもりで旅をしている訳じゃないから…。」
ナスバレイ殿から聞いていた通りですね。
クロー君は名誉にこだわらない、なんなら避けようともする。
そして、「お金のため」だけでは動かない。
更には、正直過ぎます。
リック君のためと言うなら、嘘でも「残る」と言って欲しかったですが、それはこちらの我儘ですね。
「じゃあ、オレも残らないっす!」
「リック…。」
「オレ、クローと離れたく無いっす!クローには、大きな恩があるんす。一生掛かっても返しきれない恩が。だからオレ、少しでもクローの役に立てるようになって、ずっとクローに付いて行くっす!」
シン……。
「はぁ…。やっぱりダメだったかぁ。」
沈黙を破ったのはリグレット様でした。
「そうなりそうな気はしてたんだよね…。でも、何も言わないで諦めるのも違うじゃん?」
「リグちゃん、ごめんっす。」
「謝らないで。ボクは「命令」じゃなくて、個人的に「お願い」しただけなんだから。それを断ったって、リックが悪い訳じゃ無いよ。」
努めて明るく、笑顔でリグレット様がおっしゃいます。
「さっ!夕食にしよう?今日はそのために呼んだんだから。その後はゲームに付き合ってよね?」
「リグちゃん…。うっす、やるっすか!今日こそは負けないっすよ?」
リック君は、…分からないですね、天然でしょうか?
リグレット様のテンションに負けないような、明るい声で返しました。
そんな二人の様子に、周りの皆も安心したようです。
そうですね…。
せめて今夜は、夜ふかしをしていても、何も言わないで差し上げましょう。