戦いの後
雨が降る中、手負いのフェルモを追って森を走ってきた大人たちが見たのは、茂みに肩を寄せ合って座り込む少年と少女の姿だった。
フェルモの死骸はその先で、まだちろちろと青い炎を燃やしていた。
唖然とする大人たちに、フローネがひどく興奮した様子で、レヴィンがフェルモをやっつけた、この雨もレヴィンのおかげだ、というようなことを捲し立てた。
「しっかりしろ、フローネ」
フローネの父親が娘の言動に顔をしかめた。
「よく無事だった。もう大丈夫だから、そんなに興奮するな。少し落ち着け」
「そういうことじゃないのよ」
フローネはじれったそうに父親の胸を叩く。
「レヴィンが本当に剣でやっつけたんだから!」
だが、それを言葉通りに受け取る大人はいなかった。
無理もなかった。
フェルモは己の発する油で火の塊のようになって燃えたせいで、大人たちが着いた時には前脚も後脚もすっかり黒焦げになっていて、レヴィンが剣で斬った跡は判別できなかった。
確かにフェルモの本体から少し離れたところに前脚や後脚らしきものの燃えかすも残ってはいたが、それを斬ったのがレヴィンの持っている錆びて折れた剣だと言われて、信じる方がどうかしていた。
大人たちは、フェルモの致命傷になったのは結局のところ脇腹に刺さった二本の槍で、ここまで跳ねてきた後で力尽きたのだろうと結論付けた。
レヴィンが少年らしからぬ勇気を奮って幼馴染の女の子を守ったことに間違いはないだろうが、その過程で振り回したがらくたの剣がフェルモに何がしかの傷を与えられたはずもない、と。
レヴィンの父親は、血と泥と灰で汚れた顔の息子に歩み寄ると、その頭を撫でた。
「お前がフローネを守ったのか」
「ううん」
レヴィンは首を振った。
「フローネは僕を応援してくれたんだ」
首を傾げる父親を、フローネが真剣な顔で見上げた。
「違うよ、おじさん」
フローネは言った。
「レヴィンが守ったのは、私じゃない。レヴィンはこの村全部を守ったんだよ」
悪夢のようなフェルモ払いの夜が明け、それからしばらくが経った。
レヴィンもフローネもそれぞれの母親からこっぴどく叱られたが、それでも最後には自分たちの勇気を誉めてもらえた。
フェルモに焼かれた家々も速やかに再建が進められ、村は元の平穏を取り戻しつつあった。
秋の色が深まる村の外れの空き地では、今日もタリスが他の子たちを相手に熱弁をふるっていた。
「そこで、そいつが俺を睨みつけてきたんだ。俺と同じか一つ上くらいの奴さ。こっちをばかにしてるのがすぐ分かったぜ。俺のことを、山の向こうの小さい村から来たつまらねえ野郎だなって思ってるのが見え見えだった」
今日の話題はどうやら、先日タリスが自分のお兄さんに西の山を越えた先の大きな村に連れていってもらったときの武勇伝のようだった。
「『おい、きょろきょろするんじゃねえ』とそいつは俺に言ってきた。『この村のものがそんなに珍しいのか』ってな」
「むかつくな、俺たちの村をバカにしやがって」
話を聞いていた少年の一人が憤慨する。
「それで、タリスはどうしたの」
「やってやったに決まってるだろ」
別の一人が興奮した口調で言った。
「タリスが、がつんと」
「まあ焦るなよ」
タリスはにやにやと笑って、続きを急かす少年たちを押しとどめると、視線をその背後に向ける。少年たちから少し離れたところで、レヴィンが座り込んで草をむしっていた。
「俺がそいつをどうしてやったのかは、俺一人じゃあ再現するのが難しいな。おい、レヴィン」
そう言って、レヴィンに手招きをする。
「ちょっと俺の相手役をやってくれよ」
「またバカがバカなこと言ってる」
レヴィンの隣に座るフローネが鼻を鳴らした。
「レヴィン。相手にしなくていいわよ」
「いや」
レヴィンは立ち上がった。
「いいよ。相手役をすればいいんだね」
臆する様子もなくすたすたと歩いてきたレヴィンに、タリスは一瞬意表を突かれた顔をしたが、すぐに意地悪な笑みを浮かべた。
「よし、そっちに立て」
そう言ってレヴィンを自分の前に立たせると、タリスは再び話し始める。
「俺は言ってやったのさ。『お前の村には、珍しいものなんて何もねえ。つまらねえところだ』ってな」
「いいぞ」
少年の一人が拳を握る。
「さすがタリス」
「それで相手はどうしたの」
口々に尋ねてくる年下の少年たちに、タリスはもったいぶった口調で言った。
「やつは、顔を真っ赤にして拳を握って、俺のほうに歩いてきたぜ。それで、俺の目の前に立って、こう言ったんだ。『生意気な野郎だ。痛い目に遭わせてやる』ってな。ほら、言ってみろ、レヴィン」
「ああ、うん」
レヴィンは頷く。
「なまいきなやろうだ、いたいめにあわせてやる」
レヴィンの棒読みの台詞に、聞いていた少年たちがくすくすと笑う。タリスもにやにやと笑いながら、拳を固めた。
「それを聞いた瞬間、俺は間髪入れずにこうしてやったのさ」
そう言って、タリスは腰を落とした。そのままレヴィンの腹を思い切り殴り飛ばすつもりだった。
だが、レヴィンの自分を見る目に気付いて思わず動きを止める。
レヴィンは驚くほど冷静な目でタリスを見ていた。いつものレヴィンではない。
その視線に有無を言わせぬ迫力があった。
うかつに殴ろうとすれば、逆に自分がどんな目に遭うか分からない。そんな得体の知れない恐怖がタリスを襲う。
「どうしたのさ、タリス」
周囲の少年たちがタリスを急かす。
「向こうの村の奴を、どうやってやっつけてやったのさ」
「早く教えてくれよ」
だがタリスは、レヴィンの目に射すくめられたように拳を握りしめたままの格好で動けなかった。
秋だというのに、その額にはじわりと汗が滲む。
「ねえ、タリス」
さすがに奇妙な空気を感じた少年たちがざわめく。
「どうしたんだよ」
「何してるんだ」
「早く教えてくれってば」
だがタリスは動けない。はあはあ、と荒い息を吐いてレヴィンを見る。
「レヴィン、もうその辺にしておいてあげたら」
草を編みながら、フローネが穏やかな声で言った。
「あんまりいじめたら、タリスがかわいそう」
「うん」
レヴィンは頷いた。
「そうだね。そうするよ」
そう言って身を翻す。
その途端、呪縛が解けたようにタリスが尻もちをついた。
「どうしたんだよ、タリス」
きょとんとした少年たちがタリスを囲む中、レヴィンは悠然とフローネのところに戻る。
フローネは器用に編みあげた草の腕飾りをレヴィンに手渡しながら、微笑んだ。
「まだこの季節ならワーンベリーが摘めると思うの」
「いいね」
レヴィンは微笑む。
「行ってみよう」
ほかの少年たちは、仲良く歩き去る二人と冷や汗をかいて息を切らすタリスを不思議そうに交互に眺めた。
茂みの奥の、一本の木。
その幹に、大きなうろがぽっかりと口を開けている。
そこには、錆びた剣が大事にしまってある。
鞘に収められてはいるが、折れてしまった刀身は半分しか残っていない。
だがそれは、少年の勇気の証だった。
大事なものを守りきることができたという、誇りの象徴。
その存在が、少年を少しだけ大人に変えた。
暗いうろの中。
錆びた剣は、いつかまた光を放つ時を待っている。