覚悟
レヴィンが剣を持って、前に出る。
白い光が燐光のように夜の空気を照らした。
二人が走ってきた茂みから、フェルモの追ってくる音が聞こえてくる。
もう、すぐそこまで迫っている。
こっちもどうせ、そんなに長くは走れない。
レヴィンは思った。
二人で逃げるのは、この辺が限界だろう。
それなら、一か八か、この剣で。
「フローネ。君は逃げて」
レヴィンは言った。
「僕は、この剣でどうにかしてみる」
「いやよ」
レヴィンの後ろでフローネが言った。
「私がいなくなったら、あなたの活躍、誰がみんなに伝えるの」
「伝えなくていいよ、誰にも」
レヴィンは前方から目を離さずに答える。
「ああ。茂みが燃え始めてる」
脚に炎の付いたフェルモが走り回り、飛び回ることで、茂みのそこかしこから不穏な煙が上がっていた。
まだ大きな炎にはなっていないが、このままでは炎に巻かれてしまう。
逃げ遅れる前に、フローネだけでも。
「ねえ、フローネ。本当に」
そう言いかけた時、不意に茂みが大きく揺れた。
次の瞬間には、黒い巨体が猛然と飛び出してきた。
「来たわよ!」
「見えてるよ!」
レヴィンは剣を振りかざした。白い光が、ひときわ強く輝く。
それに照らされたフェルモがいきなり足を止めた。
光から逃れるように、わずかに後ずさる。
「動きが止まったわ」
フローネが言った。
「嫌がってるみたい」
「うん」
レヴィンは頷いて、もう一歩前に出た。
またフェルモがじわりと後ずさる。
「本当だ」
レヴィンは呟く。
「嫌がってるね」
「でも、どうするの」
フローネの声が震えていた。
「このままフェルモとにらめっこしてたら、私たち二人とも」
「うん」
レヴィンは頷く。フローネの言わんとしていることは分かった。
フェルモの脚を覆う炎。それが、フェルモの足元の低木の葉に燃え移り始めていた。
一度燃え始めてしまえば、火の回りは速い。
このままじゃ、二人とも焼け死ぬしかない。
一か八かだ。
レヴィンは覚悟を決める。
さっき、そう決めたじゃないか。
行く。
「うわあっ」
恐怖を吹き飛ばすようにそう叫んで、レヴィンはフェルモに飛びかかった。
剣が強く輝く。
両手で思い切り振った剣の軌道は、以前にタリスが遊び半分で振り回していたときよりもよほど遅かったが、フェルモを恐れさせるには十分だった。
二度、三度と振り回された剣を見て、フェルモの六本の脚がせわしなく動いた。
「届いてないわよ、レヴィン!」
フローネが背後で励ますように叫ぶ。
「男なら覚悟決めて!」
そう言って、レヴィンの背中を強く叩く。
「もっと思い切り踏み込みなさい!」
フローネったら、さっきまで震えてたくせに。
レヴィンは、大きく息を吸う。
勇気があるのかないのか分からないや。
けれど、おかげで勇気はもらえた。
レヴィンは踏み込んだ。フローネに文句を言わせないくらい、大胆に。
一歩、二歩、三歩、四歩。
五歩、六歩。
「ちょっと、踏み込みすぎ」
フローネの悲鳴に近い声が背後で聞こえる。
まだまだ。
七歩、八歩、九歩。
十歩も踏み込んだレヴィンの目の前に、動く巨大な脚があった。
炎も、それを燃やし続けるもととなっている油も、はっきりと見える。
「ええいっ」
レヴィンは思い切り剣を振るった。
まるで藁のように、脚は簡単に両断された。
炎が舞う。
前脚を半分に斬られたフェルモが跳躍した。だが、飛距離が出なかった。
フェルモは二人を飛び越えてその背後、うろのある木にぶつかり、そのまま着地した。
「フローネ!」
レヴィンはフローネに駆け寄ると、その手を引いて自分の後ろに回す。
「レヴィン、あなた」
フローネが叫ぶ。
「近付きすぎよ。食べられちゃうかと思ったじゃない」
「君が踏み込めって言ったんじゃないか」
そう答えながら、レヴィンは木の根元でこちらに背を向けているフェルモを見た。
跳ばさせちゃだめだ。
レヴィンは剣を振りかざして駆け寄った。
それには、前脚じゃなくて、この。
レヴィンの振った剣が、ひときわ太い後脚を一本、斬り落とした。
フェルモが苦しそうに身をよじる。
脚を斬り落とされたから、だけではない。それによって、炎が自分の身体にも伝わり始めたのだ。
「フェルモが、燃えてる」
フローネが叫ぶ。
もう一太刀。
レヴィンが剣を振り上げた時だった。
フェルモが跳んだ。
まともに動く片脚だけで跳躍したので、斜め横に、奇妙な体勢のままで飛び上がった。
フェルモはそのままごろごろと地面を転がり、また跳ねた。
着地に失敗して転がると、また跳ねる。
そのたびに炎が舞った。
フェルモが狂ったように跳ね回るせいで、辺りは火の海と化そうとしていた。
「レヴィン!」
フローネが叫ぶ
「あいつを止めないと」
「分かってる!」
分かってるけど。
狂ったように無軌道に跳ぶフェルモ。飛距離はまるで出ないけれど、そのせいでレヴィンたちの周りから離れていかない。
それならとどめを刺すまでだ。
剣のおかげで、恐怖心はもうとっくに消えていた。
レヴィンは剣をかざして必死にフェルモを追おうとした。
だが、跳ねて転がるフェルモの動きはまるで予想がつかない。
とても追いきれない。
「剣が届かない」
レヴィンは呻いた。
「もう駄目よ、逃げようレヴィン」
フローネが言った。
「このままじゃ焼け死んじゃう」
「うん。でも」
このまま放っておいたら、山一帯が火の海になるかもしれない。
村人たちが避難している高台まで炎が回ってしまうかもしれない。
フェルモがまた跳ねた。
その脇腹に刺さる槍を見て、父の顔がすぐに思い浮かぶ。
村の頼れる大人たちの顔も。
けれど、大人たちはここにはいない。
いるのはレヴィンとフローネだけだ。
今、フェルモを止めることができるのは、この不思議な剣を持ったレヴィンしかいない。
「フローネは逃げて」
もう一度レヴィンは言った。
「僕はあいつをどうにかして止める」
その言葉に呼応するように、剣がひときわ強く輝いた。