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炎の夜

「フェルモが、山から」

 母親の言葉は、レヴィンに腹の奥がきゅっとなるような不安をもたらした。

 それとともに、レヴィンは外から漂ってくる異臭に気付く。

「母さん、焦げ臭いよ」

 レヴィンは言った。

「何か、燃えてる」

 母親もそれに気付いて、顔をしかめる。

「もう、こんな近くまで」

 母親はそう言うと、厚手の外套をレヴィンに頭からかぶせた。

「うちにいたんじゃ、だめかもしれないわ」

 準備してあった荷物を掴み、母親はレヴィンの手を取る。

「出ましょう、レヴィン」

 有無を言わせぬ強い口調の母親に急き立てられるように、レヴィンは家を出た。

 夜だというのに、驚くほど明るかった。

 夜の闇を明々と照らしているのは、家屋の燃える炎だった。

「母さん。メリドの家が燃えてる」

「次はうちに来るかもしれないわ」

 母親は火の手の方を見ようともせずそう言って、レヴィンの手を強く引いた。

「ほら、急ぎなさい」

「来るって何が」

 なおも炎から目を離せずにそう尋ねたレヴィンは、母親が答える前に自分でその答えを見つけてしまった。

 炎を吹き上げるメリドの家の壁に、異様なものが張り付いていた。

 壁の半分も覆い隠すような黒い塊。

 それが、巨大なフェルモだと理解するまで、少しかかった。

「フェルモだ」

 レヴィンは叫んだ。

「あんな大きなフェルモが、壁に。でも全然炎を怖がってないよ」

 それどころか、フェルモの細い体毛に包まれた脚は火に包まれていた。

 だが、フェルモはそれをまるで意に介していないように見えた。

「急いで、レヴィン」

 母親の声が厳しさを増す。

「あんなものに追いつかれたいの」

 確かにそれはごめんだった。

 レヴィンは、母親とともに村はずれの高台へと走った。

 村に何かが起きれば、村人たちはそこへ集まると決まっていた。

 走りながら、レヴィンは時々背後を振り返った。

 炎に包まれていく家の壁に張り付いたまま、巨大なフェルモはぴくりとも動かなかった。

 死んでいるのかと一瞬思ったが、それは淡い期待に過ぎなかった。

 火に包まれた前脚が、壁を叩くように動いた。

 そうか。

 レヴィンはようやく気付く。

 メリドの家の炎がフェルモの脚に燃え移ったのではない。フェルモの脚の細い毛を覆っていた炎が、メリドの家に燃え移ったのだ。

「どうしてあのフェルモの脚は燃えているの」

 レヴィンの質問に、母親は首を振る。

「分かるわけないでしょう、あんな大きな化け物のことなんて」

「父さんたちは」

 急に心配になって、レヴィンは言った。

「あいつの近くにいるの」

「走りなさい、レヴィン」

 答える代わりに母親は言った。

「質問は、高台に着いてからにして」


 高台にはすでに多くの村人が集まっていた。

 見慣れた顔を確認出来て、レヴィンはほっとする。

 腕に包帯を巻いたタリスの姿もそこにあった。

「タリス」

 レヴィンは声をかける。

「大変だったね。怪我は大丈夫かい」

 だがタリスは顔を歪めた。

「レヴィン。てめえ、俺のことを笑ってるんだろ」

「え?」

「俺がびびってけがをした臆病者だって、笑ってやがるんだろ」

「そんなことないよ」

 レヴィンは首を振る。

「どうして、そんなことを」

「いい子ぶりやがって。いつもそうだ、てめえは」

 タリスは地面に唾を吐いた。

「気に入らねえ」

 レヴィンが言葉に詰まると、周囲の大人たちが、おお、とざわめいた。

 顔を上げると、皆、眼下の村を見ていた。

 レヴィンもタリスから離れて、大人の身体の隙間から覗き込む。

 燃える家の間を、一つの黒い塊が跳ね回っていた。

 まるで地獄から使わされた悪魔のようなそれが、先ほど見た巨大なフェルモであることはレヴィンにも分かった。

 村から離れたこの高台から見ると、その大きさはちょうど普通のフェルモくらいにも見えた。しかしフェルモの周囲の家の大きさと比べると、自分の目がおかしくなったような、遠近感の狂いを感じて軽いめまいを覚える。

 跳ねまわるフェルモの足元を、武装した大人たちが走り回っている。その中に、自分の父親がいるのが見えた。

「母さん。父さんがいる」

 レヴィンが母親に呼びかけると、母親は、小さく頷く。

 男たちはフェルモを追いかけ、何度も槍を突き出しているが、それがフェルモの体に当たることはなかった。

 しばらくその光景を見ていたが、不意にレヴィンは気付いた。

 そういえば。

 慌てて周囲を見まわす。

 村人たちの中に、フローネの姿が見えなかった。

「おじさん、フローネたちはいないの」

「え? その辺に来てるんじゃねえのかい」

 近くの顔見知りの大人に尋ねるが、そんな要領を得ない答えが返ってきた。

 フローネの家は、集落から少し離れたところにあった。

 もう鐘楼の鐘の音は聞こえない。

 まさか。

 嫌な予感がした。

 その時、誰かが、あっ、と叫んだ。

「あそこを見ろ。まだ残ってたのか」

 指差す先。フローネとその母親、それに祖母が走ってくるのが見えた。

 やっぱり、気付くのが遅れたんだ。

 レヴィンは自分の手を握りしめる。

 フローネの祖母はかなり高齢だ。フローネと母親が手を引いているが、その足取りは遅い。

「はやく、こっちこっち」

 高台から女性たちが手を振る。

 だが、フローネたちは、まだ遠い。

 その向こう、村の方で、不意にフェルモが今までになく大きく跳躍したのをレヴィンは見た。

 それに弾き飛ばされて、武装した男たちが数人、地面に投げ出される。

 誰かの槍が、フェルモの脇腹に刺さっていた。

 それに刺激されたように、フェルモは狂ったような跳躍を繰り返した。

 その姿が、少しずつ大きくなる。近付いてきているのだ。

 ああ、と悲鳴のような声が高台を包んだ。

 フェルモが、高台へと駆け上がってくるフローネ一家のすぐ後ろに着地したからだ。

「危ない!」

 フローネたちは必死に走る速度を上げようとするが、高齢の祖母を連れていては限界があった。

 たちまちその背後にフェルモが迫った。

「フローネ!」

 思わず、レヴィンは叫んだ。

 と、フローネが不意に振り返って高台に背を向けた。

 フローネは家族から離れて一人、そのままフェルモの目の前を横切るようにして村の方へと駆け戻っていく。

「フローネ!」

 フローネの母親の絶叫が響く。

 フェルモが向きを変えた。

 六本の脚が別々の生き物のようにごちゃごちゃと動き、村へと駆け下りていくフローネの方へと向き直る。

 フローネはまるでそのフェルモを誘い込むかのように村へと駆け下りていく。

 そうする理由は、誰の目にも明らかだった。

 母親と祖母を逃がすため。

「あのばか女」

 タリスが、レヴィンの後ろからぼそりと言った。

「ありゃ死ぬぜ」

 それを聞いた瞬間、レヴィンの中で何かが弾けた。

 気が付くと、レヴィンは全力で走り出していた。

「レヴィン!」

 背後で母親の声がしたが、足は止まらなかった。





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― 新着の感想 ―
[良い点] レヴィンとフローネとタリス。 三人の子供達の性質、紡がれる物語が生き生きとしていて、ここまで夢中で拝読しました。 ここまで描かれてきたフローネの気の強いながらに優しく温かな気質によって、…
[良い点] フェルモ、結構厄介ですね。 でかいサイズだと人間襲うのか、怖い! そして予想外のピンチがっ……。 ここからどう挽回するか見物です。
[良い点] ひしひしと伝わる恐ろしさと、それでも誰かのために走る勇気。走り出した少女と少年はいったいどうなるんでしょうか……次回も楽しみです!
2021/09/20 01:33 退会済み
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