フェルモ払い
村に、フェルモ払いの季節がやって来た。
フェルモというのは、山に棲む大型の虫の名前だ。
小さいものは手の平に載せられるくらいの大きさだが、大型化すると子犬くらいの体格になる。中には、突然変異で子馬くらいまで大きくなるものもいるという。
硬い外殻と、強い後脚によってもたらされる跳躍力。
山の中でおとなしくしている分には問題ないが、大量繁殖してしまうと大挙して人里を襲うことがあった。
そうなると、村は悲惨だ。その年の貯えまで根こそぎ食い散らかされる。しかも、大型のフェルモの中には、人を喰らうものまでいるのだ。
夏の終わり、強い風が三日続けて吹いた後が、フェルモの産卵の季節だ。
この時期になると、村の大人たちは武装して、松明を手に山へ入る。
フェルモたちを追い散らし、生んだばかりの卵を焼いて回るのだ。
そうすることで、次の年のフェルモの大量発生を防ぐことができる。
村を守るための大事な作業であるこのフェルモ払いは、子供たちにとっては大人の仲間入りをする憧れの儀式でもあった。
「今年から、俺はフェルモ払いに加わっていいって言われてるんだ」
ある日の空き地で、タリスはそんなことをレヴィンたちに言った。
すげえ、いいなあ、などと年下の少年たちが口々に騒ぐ中で、タリスは得意げに自分が持ってきた手斧を掲げて見せた。
「松明で卵を焼くって言ったってよ。フェルモどももおとなしく卵を焼かれちゃいねえからな。こっちに向かってくるフェルモを、この斧で」
タリスは地面に向かって斧を振り下ろす。
鈍い音とともに雑草交じりの土が舞い上がる。
「こうやって叩き潰して回るんだ」
おー、と歓声を上げる少年たちを気分よさげに見回してから、タリスは離れたところで見ているレヴィンを振り返った。
「どうだ、レヴィン。本当の武器ってのはこういうのを言うんだぜ」
そう言うと、何も答えないレヴィンを見て、へっ、と鼻で笑い、木に向かって斧を振り上げた。
「見ろ」
振り下ろされた斧は、木の幹にがっしりと刃を食い込ませた。
「ほらな」
そう言ってもう一度振り返ったタリスから目を背けて、レヴィンは足元の草を手でむしった。
「浮かれちゃって。ばかみたい」
レヴィンの隣に腰を下ろしたフローネがそっと囁いた。
「どうせ大人の後をくっついていくだけのくせに」
「でも、確かに早いよね。僕らの二歳上でもうフェルモ払いに加われるなんて」
レヴィンの言葉に、フローネはため息をついた。
「またそんなこと言って。タリスがお兄さんに無理やり頼み込んだに決まってるじゃない」
「そうかなあ」
レヴィンは草をむしる。
「タリスは力もあるし、それで選ばれたんじゃないかな」
「いいのよ。ばかをいちいち褒めなくても」
フローネは呆れた顔でレヴィンを見てから、まだ得意げに他の子供たちに自慢しているタリスを見てちらりと意地悪な笑顔を浮かべた。
「おっきなフェルモに追いかけられて逃げ帰ってくるわよ、きっと」
「そんなこと言っちゃだめだよ、フローネ」
レヴィンは言った。
「フェルモ払いがうまくいかなかったら、村が大変なことになるって父さんも言ってたよ」
「それはそうだけど」
フローネは口を尖らせた。
「気にすることないからね、レヴィン。あなたの大事な剣はちゃんとあそこに隠してあるんだから」
「うん」
レヴィンは頷いた。
「ありがとう、フローネ」
フェルモ払いの日が来た。
今日から数日にわたって、村の男たちは毎日集まって、二組に分かれて山へと入る。
山へ入る男たちはめいめいが剣や斧、手槍で武装していた。
隣村へと通じる西の山は、比較的浅いので入る人数も少なめだが、反対側の深い東の山に入る組は人数が多かった。
「あ、タリスあっちにいる」
見送りの村人たちに交じって大人たちの出発を見守っていたレヴィンの隣で、フローネがそう声を上げた。
タリスは自分の兄とともに、深い東の山に入る組に加わっていた。
腰に手斧を提げて、嬉しそうに松明をかざしている。
「初めてなんだから、浅い西の山に行けばいいのに。かっこつけちゃって」
「この前、広場でみんなに自慢していたから、引っ込みつかなくなっちゃったんじゃないかな」
レヴィンが言うと、フローネは頷いた。
「そうね、自分のせい。でも、大丈夫かな」
この前は、フェルモに追いかけられちゃえばいい、などと言っていた割に、フローネはちらりと心配そうな表情を見せた。
「怪我とかしなければいいけど」
「優しいね、フローネ」
レヴィンが言うと、フローネはむっとした顔でレヴィンを睨んだ。
「別にタリスを心配してるわけじゃないからね。ただ、みんなの足を引っ張ったら困るでしょ」
「そ、そうだね」
レヴィンは慌てて頷いた。フローネは優しいけれど、時々怖い。
その日の夕方帰ってきた大人たちは、口々に、今年はフェルモの卵が少ない、と話した。
「去年、ずいぶん焼いたからな。だいぶ山奥の方にフェルモが引っ込んだのかもしれないな」
東の山に入ったレヴィンの父親も、家に帰ってくると、母親の差し出した水をうまそうに飲んでそう言った。
「出てきたフェルモも、ほとんど手に乗っかる程度の奴ばかりだ。何もしなくても、火を見ただけで逃げていったよ」
初めてフェルモ払いに参加したタリスは、自慢の手斧を振るう機会が一度もなくて不満そうだったらしい。
「今年は明日一日あれば、フェルモ払いは終わりそうだな」
父親はそう言って笑った。
その翌日のことだった。
朝から再び山に入っていった村人たちのうち、西の山に入った組は日暮れ前にとっくに戻ってきていたが、レヴィンの父親たち東の山に入った組はなかなか戻ってこなかった。
おかしいな、と誰もが言い始めた頃、暗くなりかけた道に、松明の明りが見えた。
「あ、帰ってきたよ」
レヴィンが声を上げる。
その明かりに続くように、ぽつぽつと明かりの数が増えた。
だが、炎はどれも激しく揺らめいていた。
「どうした!」
レヴィンの隣にいた大人が叫んだ。
「何があった!」
「フェルモだ!」
そう声が返ってきた。
「ばかでかいフェルモが出た!」
叫び返していた男は荒い息をしながら駆け戻ってきていた。炎が揺らめいていたのはそのせいだった。
「怪我人が出た!」
「なんだと」
それからはあっという間だった。
レヴィンは大人の邪魔にならないように隅で見ていることしかできなかった。
東の山から帰ってきた組の中で数人の怪我人が出ていた。
その中に、タリスも含まれていた。
傷の深い者の中には、腹から血を流している者もいた。タリスは右の上腕から少し出血していたが、今にも死んでしまいそうな声で、いてえ、いてえ、と叫んでいた。
今日はフローネがいなくてよかった、とレヴィンは思った。
何があったんだ、という問いに、幸い怪我をせずに帰ってきたレヴィンの父親が答えた。
「馬ほどもあるフェルモが出やがった」
まるで水を浴びたような大量の汗を流しながら、父親は言った。
小さなフェルモを追い散らし、順調に卵を焼いていた時、それは突然現れたのだという。
「いきなり、木の上から黒い塊が降ってきた。最初は熊かと思った」
だが、それは巨大なフェルモだった。
まるで肉食獣のような牙を光らせて、見たこともない大きさのフェルモは村人たちを襲った。
「火も恐れなかった。斧も槍も、あの殻にゃ歯が立たなかった」
村人の何人かが、なぎ倒され、たちまち負傷した。
残った男たちは、とにかく松明の炎を大きくして突きつけながら後退した。
大きくなった炎にフェルモがわずかに怯んだ様子を見せたのを機に、村人たちは負傷者を担いで逃げ出したのだった。
「じゃあ、タリスもフェルモにやられたの」
レヴィンが口を挟むと、父親は苦い顔で首を振った。
「あれはフェルモに驚いて、自分で転んで怪我したんだ。あいつのはかすり傷だ」
タリスはまだ連れていくには早かった、と父親は呟いた。
「明日は西の山はやめだな」
大人たちが深刻な顔で話し合うのがレヴィンにも聞こえた。
「全員で東の山に入るしかないな」
その夜のことだった。
けたたましい鐘の音でレヴィンは目を覚ました。
村はずれの鐘楼の鐘だ。
村人たちに時刻を知らせる鐘がこんな深夜に鳴っているのを、レヴィンは初めて聞いた。
「母さん」
ベッドから起き出した時には、すでに父の姿はなかった。
「何があったの。あの鐘の音は」
「いつでも出られる準備をして」
母親は怖い顔でレヴィンに言った。
「東の山から、フェルモが下りてきたのよ」