錆びた剣
老人のくれた剣は、抜いてみるとひどく錆びついていて、レヴィンをがっかりさせた。
興味津々で覗き込んでいたフローネが、なあんだ、と遠慮のない声を上げる。
「錆びちゃってるじゃない。レヴィンったら、がらくたを押し付けられたのよ」
「そうかなあ」
レヴィンはそれでも未練がましく、錆びた剣の柄を両手で握って太陽の光に翳してみた。
錆が浮いた刀身は、それ以外にも大小の無数の刃こぼれがあって、とてもではないがまともに使えるようには見えなかった。
「やめなさいよ、レヴィン」
フローネが嫌そうな顔でレヴィンから離れる。
「そんなに高く持ったら、錆がこっちにまで落ちてくるじゃない」
「うん」
レヴィンは渋々剣を下ろす。
「ごめん」
「鞘は立派だったのにね」
フローネは残念そうに、足元の草の上に投げ出された鞘を見た。
「きっと、全然手入れをしていなかったのね」
「そうだね」
レヴィンは、屈みこんで鞘を拾い上げる。
「あのおじいさんは、錆びちゃってることに気付かなかったんだろうね。そうでなきゃ、お礼にわざわざこんな錆びた剣をくれるわけないもの」
その言葉に、フローネは呆れたように鼻を鳴らす。
「相変わらず、レヴィンはお人よしね。こんな、売りたくたって売れないようながらくた、邪魔だからあなたに押し付けたのよ」
「あのおじいさんが、かい」
レヴィンは首を傾げる。
「そんな風には見えなかったけどなあ」
「とにかく」
フローネが、ぱん、と手を叩いた。
「そんなつまらないものを見ているのはおしまい。他のことをして遊びましょ」
レヴィンがその老人を助けたのは、今朝のことだ。
子供の遊び場になっている村外れの空き地へ向かって、レヴィンが一人、拾った木の枝を振り回しながらぶらぶらと歩いている時だった。
びっこを引いた老人が前からゆっくりと歩いてくるのが見えた。
最初は、外れに住んでいるクロードさんのところのおじいさんだと思った。だが、どうも様子が違う。
近付いてきたその老人が、見たことのない人、つまりレヴィンにとっては村の外から来た人間であると分かったとき、レヴィンは思わず足を止めた。
村の外れから山へと延びる道をずうっと行けば、すなわち、威張りん坊のタリスの家のお兄さんの言葉を借りて言うなら、『山を登って下りて登って下りて二日も歩き詰めれば』、この村よりも大きな村に出ることはレヴィンも知っていた。
そこからさらに何日も歩けば、もっと大きな街に出るのだということも。
けれど幼いレヴィンはまだこの村の外に出たことはなかった。時折、村に住む親類を訪ねて外から人が来ることがあったが、レヴィンにとってはそれもひどく珍しい事件だった。
誰かの親戚のおじいさんが、村の外から訪ねてきたんだ。
だから、レヴィンはとっさにそう思った。
慣れない外の人を相手に、どうしたらいいか分からない。
目の前で老人が足をもつれさせて転んだときには、レヴィンは動転してこの場から逃げ出そうかと思ったほどだ。
だがかろうじて自分のやるべきことを思い出し、老人に駆け寄った。
「あ、あの、大丈夫ですか」
「ああ」
老人は薄くなった白髪頭を上げてレヴィンを見た。
「やっと人里まで下りてきたと思ったら、安心して足がもつれおった」
そう言って苦笑いするその表情を見て、レヴィンはようやくこの老人が自分と同じ人間だと実感でき、ほっと息をついた。
「立てますか」
そう言って、肩を貸して老人を立ち上がらせる。
まだ子供のレヴィンの力では、いくら痩せこけた老人の身体とはいえひどく重かったが、それでもなんとか老人は立ち上がることができた。
「ありがとうよ、坊や」
ようやく一人で立てるようになった老人は、息をついて身体を離したレヴィンに言った。
「見ず知らずのじじいに親切にしてくれて」
「いえ。僕の村を訪ねてきたんですよね」
レヴィンは答える。
「誰の家に行くんですか。案内します」
だが老人はレヴィンの申し出に首を振った。
「坊やの村が儂の目的地ではないんだよ」
「え?」
目を瞬かせるレヴィンを優しい目で見やり、老人はレヴィンの背後の山を指さした。
「あの山を越えていくのさ」
老人は言った。
「ここは旅の途中に通りかかっただけなんだよ」
旅の途中。
レヴィンは振り返った。
大きな村へと通じるこちら側の山と違い、向こうの山の先は、何日歩いても人里になどたどり着かないと聞いていた。険しい山や谷が連なり、そこから先は人が踏み入ることはできない、と。
老人がそんなところへ向かおうとするのも不思議だったが、何よりレヴィンは、旅人という人種を見るのが初めてだった。
「向こうの山は、こっちの山よりももっと険しいんです」
レヴィンは言った。
「おじいさんのその足じゃ、とても」
「心配してくれるのか、見ず知らずの儂を」
老人は皺だらけの顔をさらにくしゃくしゃにして相好を崩した。
「優しい坊やだ」
「いや、別に」
そんな風に褒められることに慣れていないレヴィンは、照れくささと気恥ずかしさで老人の言葉を否定した。
「僕は別に優しくなんかないです。フローネにだっていつも気が弱いとは言われるけど、優しいなんて言われたことはないし」
「フローネっていうのは坊やのお友達かな」
「はい」
「なあに。本当はお友達にだって分かっておるよ。坊やの優しさは」
老人はそう言うと、レヴィンに右手を差し出した。
その手にはいつの間にか一振りの剣が握られていた。
「親切にしてくれたお礼に、坊やにはこれをあげよう」
「え?」
レヴィンは戸惑ってその剣を見た。
大人が使う剣よりは少し短く小ぶりな、レヴィンでもなんとか持てそうな剣だった。
だが、大きさはともかく、複雑な装飾が施された鞘と柄はだいぶ色褪せてはいたが、子供に気軽に渡すようなものには見えなかった。
それにしても、レヴィンが肩を貸したときには、老人がこんな剣を持っていようとはまるで思わなかったし、そんな気配もなかったのだが。
「もらえません」
レヴィンは首を振った。
ただ起き上がるのに手を貸しただけだ。自分がこんな高価そうな物をもらうに値するとはとても思えなかった。
得体の知れない怖さもあった。
「こんな立派な剣」
「儂にはもう要らないものなのでな」
老人は軽い口調で言った。
「坊やが受け取れないなら、仕方ない」
老人はきょろきょろと周囲を見回す。
「ここにでも置いていくかの」
そう言うと、脇の茂みにぽんと剣を置いてしまう。
「え、あのちょっと」
「世話になったね、坊や」
老人は困り顔で茂みの剣を見つめるレヴィンにそう声をかけると、また覚束ない足取りで歩き始めた。
「あ、おじいさん」
慌てて剣を拾い上げて老人を呼び止めようとして、レヴィンは目を見張った。
老人の背中が、もう手の届かないくらい離れたところにあった。
相変わらずびっこを引きながら、ゆっくりとした足取りで歩いている。なのに、その背中はどんどんと小さくなっていく。
レヴィンがいつも夕方に家へと駆け戻る速さよりも速い気がする。
呆気にとられているうちに、老人は道の先に消えてしまった。
レヴィンは自分の手に握った剣を見た。
このまま置いていくわけにもいかなかった。
とりあえずいつもの空き地へとやって来て、剣を持ったまま途方に暮れていると、同い年のフローネがやって来た。
「どうしたの、その剣」
フローネは目を輝かせた。
「今日はなにをしようか」
村外れの空き地。
すっかり剣に興味を失ったフローネがレヴィンを振り返った。
「ワーンベリーでも摘みに行く?」
「この間摘んだばかりだし」
レヴィンは首を傾げる。
「ちょっと早くないかな」
「そっか」
フローネも口を尖らせる。
「じゃあー」
「なんだ、レヴィン」
太い声がして、二人は振り返った。
「あっ」
嫌な奴が来た。
レヴィンは顔を曇らせる。
「お前、珍しいもん持ってんじゃねえか」
レヴィンよりも二つ年上のタリスが意地悪な笑顔を浮かべて立っていた。