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大人検定

作者: ゆうすけ

 そこには一言「不合格」とだけ記されていた。その一言はあまりにも重く、正久は目の前が真っ暗になった。

――どうしよう? お母さんにばれたら生きていけないよ。この僕が不合格だなんて、これじゃまだ子供ってことじゃないか。

 合格したと思しき仲間たちは飲み会の打ち合わせをしたり、車の話をしたりとかで盛り上がっている。彼らが僕を見て、そして話かけてきたらどうしよう? 

「おい正久、顔色悪いぞ。お前まさか落ちたんじゃ?」

 ついに来た。友人のマナブの問いかけに、正久は緊張を隠しながら言い返す。

「まさか、この僕が不合格通知を受け取るわけないだろ」

 平静を装って周囲を見渡す正久、こっそりと同類を探すが、誰もが楽しそうにしているのだった。

――僕だけか? 僕だけなのか? そんな……。

「じゃあさ、これから早速役所行こうぜ。大人の証が欲しいもんな」

「そ、そうだね」

 卒業間近の高校の教室、希望に輝いているはずのこの場所が、ゆらゆらとした暗黒に包まれていくように正久は感じていた。


 大人検定、満十八歳から取得できる資格だ。合格することで、運転免許、選挙権、正社員としての雇用、結婚などが可能となる。検定には上級もあって、起業、立候補、公務員試験などの資格を得られる。

 特定政党連立政権の下、NHK含む全てのマスコミの強い後押しもあって十年前に制定されたのだ。

 

 仲間と歩く町並み、行き来する大人たちは額に「大人」の文字がある。なんて眩しいんだろう、正久は急に自分が子供っぽく思えてならないのだった。

――どうしよう、このまま役所に行ったら僕だけ不合格なのがばれちゃう。逃げなきゃ。

「ごめん、ボクちょっと急用あるんで今日は先に帰るよ」

 正久はそう言って一人家に向かって駆け出した。

「ちょ、ちょっと待てよ。お前まさか落ちたんじゃ……」マナブの声が背中に痛い。

 家を前にして思い悩む正久。

――お母さんにばれたら怒られる。早く自立した大人になれって散々に言われてきたんだもんな。お母さんは、女手一つで頑張ってボクを育ててくれたのに。どうしてボクにはお父さんがいないんだろうな。それ聞くといつも怒るのはなんでなんだろうな。

 家を見上げて立ち尽くし思い悩む正久の背後から不意に声が聞こえた。

「あら、正久お帰り。今日は発表じゃなかったっけ。はやく合格通知見せてよ。ほら、お祝いにシャンパン買ってきたわよ。早く車の免許とってね、あなたが欲しがっていた車、予約してきたわよ」

 驚いて振り返る正久の目に、期待に輝く目のお母さんが見えた。

――言えない、言えないよ不合格だなんて。先走りすぎだよお母さん。なんとか話題を変えないと。

「あ、あのさ、ボクにはなんでお父さんがいないの? ずっと教えてくれなかったじゃんか。一応大人として知っておかないとさ」

「ああ、あいつのことね。いいでしょう、あなたが大人になったのだから今こそ教えましょう。十年前、大人検定の法律が施行された時にね、私は簡単に合格したわよ、でもね、お父さんは合格できなかったの。私はそんなの恥ずかしくて我慢できなかった。何度もきつく言ったわ。そうしたらどこかに行っちゃった。大人になれない子供だけの国、ネバーランドにでも行ったのかもね」

 正久の脳裏に、お母さんに激しく責め立てられるお父さんの姿が浮かんだ。それにしてもネバーランドってなんだろう? たまに噂には聞くけど、あるんだけど法律上は無いことになっているとか。たしか港の外れの……そうだ、思い出した。小さい頃、お父さんと一緒に歩いた岸壁から見えた島だ。あの優しかったお父さんに会いたい。大人になるなんてなんの意味があるんだろう? 人を子供だとバカにする大人なんて最低じゃないか。なにが大人試験だ、ばかばかしい。

 正久は走り出した。「ちょっと、正久、どこ行くの?」母親の声を背中に無視して。目指すはネバーランド。こんなお母さんとは一緒にいられない。


 一方、正久を見送ったマナブは意気揚々と帰宅する。玄関脇にある平和の少女像に会釈して玄関を開けると、満面の笑みの母親が待っていた。

「お帰りなさい。あなたの事だから当然合格したわよね」

「そりゃそうだよ母さん、俺が落ちるわけないでしょ」

 マナブは母親を心から尊敬している。女手一つで育ててくれた恩は天よりも高く海よりも深いと思っているのだ。マナブは、ずっと思っていたけど聞けなかったことを聞いてみた。

「なあ、なんで俺には親父がいないんだ?」

「そうね、大人になったあなたになら教えてあげましょう。あの人はね、大人になれなかったの……ううん、違うわ。大人になるのを拒絶したのよ。それでね、子供だけのネバーランドにいるのよ。恥ずかしいわよね」

「だったら俺が連れ戻してやるよ。再試験を受けさせて必ず合格させてやるよ。同級生にも一人、落ちたっぽいのがいるし。大人の義務として当然だろ」

 駆け出すマナブ。

「ちょっと待ちなさい! あの人は……」母親の静止の声は燃えるマナブには届かない。



「はあ、はあ、ここだ」

 正久は岸壁にたどり着いていた。肩で息をしながら額を流れる汗を拭うと西日がまぶしい。

 斜陽を受けて赤く輝く橋の周囲には、年齢は壮年だが額に「大人」の刻印がない、大子供たちがたむろしていた。酒瓶を持った無精ひげに太鼓腹の男が立ち上がって通せんぼする。

「おい坊主、ここはお前のような若造が来るところじゃねえぞ。若い身空で諦めんじゃねえぞ。とっとと帰んな」

 彼らのように大人になることを諦めてしまった者は世間から疎まれ行き場をなくし、あるものは自から命を断ち、あるものはここに流れ着くのだった。

「ボクもここに入れてよ。大人になんかならなくたってへっちゃらだ」

「そうか、だったら付いて来いや。キングに会わせてやる……お前、もしかして正久か?」

 なんという感動的な再会、お父さんはすっかり情けない風貌になり、正久の心は揺れ動いた。踵を返して再試験に挑もうか?

「そうか、お前もこっち側か、そりゃそうだよな、よし分かった、俺に付いて来い」

 前を行くお父さんが太鼓腹をたっぷんたっぷん揺らすのを見るたびに揺れ動く心に狼狽えつつ歩く先にネバーランドはあった。仮設テントが軒を連ね、そこかしこに炊煙があがっている。辛うじて寝泊りできるだけの居場所、定期的に訪れるボランティアによって生き存えているだけの人々の集う場所。真ん中のテントに通された正久は、そこでキングと呼ばれる中年の男に引き合わされた。

 キングと呼ばれる男は童顔にまばらで長い無精ひげ、中肉中背でお腹だけがぽっこりと出た、実に大したことなさそうな中年だったので正久は拍子抜けしたばかりか、妙な親近感が湧いた。

 キングは大音量で聴いていたラジオの音量を下げると、優しい眼差しで迎えてくれた。

「ここはいつまでも純粋な心と汚れなき魂を持った子供だけが暮らすネバーランド。あの試験は醜き心を持つ悪魔の踏み絵だ。あんな物で大人とか言わないでほしいものだ。俺は子供の心を持ち続ける誇りある男だ。だがお前はまだ若い、戻ってやり直せ」

「ボクはもう帰りたくない。子供で何が悪いんだ、子供を馬鹿にするような腐った大人になんかなりたくないんだ」

 恥ずかしいから逃げてきただけの正久だが、いつしか子供の誇りを持っているように勘違いしているのだった。自己正当化による認識改竄、若気の至り以上の何物でもない。

「そうか、ならここにいてもいいぞ」

 正久がほっとすると、背後に荒い息遣いが聞こえてきた。

「おい、正久! お前こんな所でなにやってんだ」

 突然の怒鳴り声に驚いて振り返ると、マナブが顔を赤くして睨んでいた。

「こんな落伍者と仲良くなってどうする? まさか落第したのか? こんな簡単な問題を!」

 不意に現れたマナブに、正久は恥ずかしくて赤面して硬直してしまう。

「とりあえず、その試験問題を見せてみろ」

 そこにキングが穏やかな笑顔で手を出した。そこに蔑んだ目のマナブが問題を手渡す。

 

 以下の問いに〇か×で答えよ。

1、女系天皇を認めないのは差別なのでただちに女性天皇をたて、その系譜を皇室として認めなくてはならない。

2、日本は、父親としての中国と兄としての韓国を敬い、絶えず援助をせねばならない。

3、これまで日本が平和だったのは憲法九条があればこそであり、これを守り続ければこれからも平和である。

4、戦犯国である日本はアジア諸国に多大な迷惑をかけたのだから、加害者として永遠に謝罪と賠償をしなければならない。

5、平和のために軍隊は不要であり、必要となったら中国や韓国に守ってもらえばいい。

6、拉致被害者など存在せず、従軍慰安婦と強制徴用工は存在するのだから謝罪と賠償は必要だ。

7、夫婦は別姓であるべきだ。

8、在日韓国人は強制連行された被害者なのだから税金の免除など様々な特権があって当然であり、強姦や詐欺などの犯罪も許さなくてはいけないし、報道してもいけない。

9、中国は平和を愛する国家なので虐殺も臓器売買も侵略もしないので、積極的に交流するべきだ。

10、旭日旗はハーゲンクロイツに相当する戦犯旗なので掲揚してはいけない。

11、在日韓国人が日本人に「出て行け」「死ね」というのは当然の権利であるが、日本人が在日韓国人に意見をするのはヘイトスピーチなので許してはいけない。

12、日教組の教育は正しいので、学生は全て従軍慰安婦土下座ツアーを行わなくてはいけなく、自衛隊や検察官の子供が先生主導で虐められてもなんら問題はない。



「……で、お前らはどう答えたんだ?」キングは寂しい眼差しで二人に問う。

「当然全部〇だ! 〇に決まっているじゃないか。学校でも習ったし、テレビや新聞でも言っているじゃないか。平和を愛すれば当然分かることだ」マナブは激高して叫んだ。

「本当にそうなの? 全部日本だけが悪いの?」正久はおどおどと聞く。

「貴様! なんで分からないんだ! 平和を愛していないのか」

 怒り狂ったマナブの拳が正久の頬を叩いた。「平和! 平和!」平和を連呼しながら殴り続ける。

「痛いよ、やめてよマナブ君」

「マナブ……お前、マナブなのか?」キングが驚いた顔で問う。そのキングをの顔を覗き込んだマナブは驚愕の表情を浮かべる。

「まさか、親父なのか?」

 絶句して沈黙が訪れ、ラジオから流れる声だけが響く。

「臨時ニュース、沖縄が独立を宣言しました。中国が侵略してきました。中国軍は酒を飲んで仲よくしようとする活動家を踏みつぶして進軍中です。韓国が九州は韓国のものだと侵略してきました。ロシアが北海道に侵攻してきました。なんということでしょう! 誰も助けてくれません!」

 キングは泣きながら叫ぶ。

「一番子供なのは日本じゃないか!」


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