12R 不思議な人(ブーケ視点)
退屈な入学式を終えたあたしは、温室に向かう。
この学園の温室には、まだ4月なのにバラが満開なんだそう。
花が好きだったお母さん。バラを見ながら思い出に浸ってもいいよね。
3か月前、お母さんが死んだ。
何年も前から具合は悪かったけど、働けるくらいだったのに。急に起き上がることもできなくなって、そこからは1週間ももたなかった。
倒れた後、お母さんは、もう長くないからって言って、あたしに手紙の隠し場所を教えてくれた。お母さんが死んだら、ガルーニ男爵様のところに手紙を持って行けって。
…あたしは、ガルーニ男爵様の子供だって。
お母さんは、1人であたしを育てることにして、男爵様のところを飛び出してきたんだって。
お母さんは、あたしに、男爵様のお世話になれって言った。
「あなたは、何も恥じることはありません。まだ、恥じるべきことも誇るべきことも、何もしていないのだから。私は信念に従って生き、あなたを育てました。あなたは、これから、自分で誇れるような生き方をしなければなりません。誰に何を言われようと、恥じることなく胸を張れる生き方をしなさい」
お母さんの最期の言葉。
男爵様のところに手紙を持って行ったあたしは、男爵様の庶子として生きることになった。
庶子っていうのは、奥様じゃない女──愛人が生んだ子供って意味だ。
男爵様の意向から、使用人の人達はあたしのことを“お嬢様”って呼ぶけど、みんな冷たい目で見てくる。
奥様もお兄様(と呼ぶよう言われた坊ちゃま)も、あたしのことはほぼいないみたいに距離を置いてる。
そりゃそうだよね。ある日突然、14の女の子が現れて、娘です妹ですなんて言われても、はいそうですか、なんて言えないよね。
だって、愛人の子だもん。
だから、お母さんは「あなたは何も恥じることはありません」って言ったんだ。あたしがどうやって生まれてきたかなんて、あたしのせいじゃないから。これからあたしは、自分で生きていけるようになんとかしなきゃならないんだ。
お母さんは、信念に従って生きたって言ってた。
それって、要するに男爵様──お父様って呼ぶように言われた──を愛してたってことだよね。
だったら、あたしは、お母さんに恥ずかしくない生き方をする。だから、お母さん、心配しないでね。
あたしは、4月から、聖芳学園っていう、貴族しかいない学校に行くことになった。
それまでの3か月間、家庭教師から手ほどきを受ける。今まで、勉強なんてしたことがなかったから。
あたしは、学園で、1人で生きていけるよう色々なことを勉強しよう。
それと…できれば、お母さんみたいに、心から好きになれる人に出会えたらいいな。
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温室の中は、バラの香りでいっぱいだった。
赤、白、ピンク、色とりどりだ。
匂いを嗅ぎながら歩いてたら、バランスを崩して頭からバラに突っ込んじゃった。なんだか制服に引っかかっちゃったみたいで、体を起こすことができない。
どうしよう。無理に外すと、新品の制服が破けちゃうかも。なんとかこのまま脱げないかな。
「うっ」「くっ」「よっ」「はっ」…ダメだ、体がうまく動かないから、上着を脱ぐこともできない。
なんとか体をひねろうと横を向いたら、誰かが立ってた。すごく綺麗な人。
えっと、たぶん呆れてるんだよね。あたしのこの格好を見て。
「あの…えっと…」
これには、色々と事情があってね?
言い訳しようとしたら、その人は黙ってあたしの背中に手を伸ばしてきた。助けてくれるみたい。
「あの、ごめんなさい」
「黙って。動かない。少し背中をそらしなさい」
その人の言うとおりにすると、首のところと腰の方から、それぞれ手を突っ込んで、ひっかかってたのを外してくれた。
「取れましたわ。もう動いていいですわよ」
助けてくれた人をよく見たら、その人も生徒だった。リボンタイが赤だから、あたしと同じ1年生だ。
「何をしていたかは知りませんが、少しは恥というものを知りなさい」
なんて怒られた。うん、まぁ、恥ずかしい失敗だよね。
「ここで私に会ったことも忘れなさい」
美人さんは、名前も教えてくれずにどこかに行こうとする。
「あの、待って…」
まだちゃんとお礼も言ってないのに。
伸ばした手は、パシンと払いのけられた。
どうして? 親切に助けてくれたのに、忘れろとか。
しばらくぼーっと立ってたけど、助けてもらってお礼も言わないなんてダメだよね。
自分に恥じない生き方を、だよ。
「待っ…」
追いかけようとしたら、スカートが枝に引っかかってた。うそぉ。
また背中側だよ。ホック外したら、体だけ捻って後ろ向けるかな。
「何をしている?」
うわぁ…。今度は男の人だよ、うえぇ、恥ずかしいなぁ。
「引っかかったのかい? スカートに触れるけどいいかな?」
「はい、すみません」
男の人は、ぱぱっと手早く外してくれた。
今度はちゃんとお礼言わなくちゃ。
「あの、ありがとうございました」
「いや、大したことは…おや、怪我をしたのかい?」
言われて気が付いた。右の手首に血が付いてる。え? いつの間に?
触ると血は乾いていてポロッと取れた。あたしのじゃない…、さっきの人、怪我してたんだ! どうしよう、あたしのせいで。
えっと、医務室? だっけ? 連れて行かなきゃ。
「怪我をしたのなら…」
「いえ、あたしじゃないの。その…」
忘れろって、誰にも言うなって意味だよね。どうしよう、なんて言ってごまかそう。
「そうか、言うなと言われたんだね」
「そうなんだけど、その…」
あ、しまった!
「なら、私からは訊かないよ。
君は早く帰りたまえ」
「え? え?」
なに? どういうこと?
「彼女のことは、僕に任せてもらおう」
えっと、つまり、美人さんの知り合いってこと?
「えっと、じゃあ、お願いします」
「気を付けて。三度目はないようにね」
そう言って、男の人は行ってしまった。さっきも引っかかったことはバレてるみたい。
あ、また名前聞けなかった。どっかで見たような気もするけど、あたし、貴族に知り合いなんていないしなぁ。
それにしても、親切に助けてくれる人が2人もいるなんて、貴族にもいい人がいるんだなぁ。
あんな人達と友達になれたら嬉しいんだけど。
13話は本日午後9時に更新します。




