プロローグⅡ
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「ふーん。あの爺さんは一丁前の兵士だったわけだ。お国の為になんて人間のくせして随分大層で上っ面なことを言うんだね。」
緩やかな傾斜を下る馬車がガタガタと音を立てながら揺れ、凹凸の激しい山道を走る。暖かな木漏れ日に照らされながら馬車を引く大きな黒皮の馬が、自分の背に跨がった主人にそう言葉を投げ掛けた。
「……そんな事言っちゃ失礼だよエリック。」
「んな事言ってもよ。本当に王国第一って言い切れる奴がそのお国の兵士の中にどれだけいるんだよ。人間なんて所詮我が身第一だろうよ。逃げちまえばよかったんじゃねえの?」
あの少女を乗せた黒馬、エリックは心無くそう言った。すぐさま少女に「エリック!」と軽く叱られたことは言うまでもないが、彼はやはりどこか納得できないと、憤慨からか蹄を強く地面に打ち付けた。
「何度も楯突くようで悪いがよ……カルナだってあの爺さんの話を馬鹿みたいに鵜呑みにしてる訳じゃないんだろ?」
エリックの言葉に「勿論」と返す少女。どうやら少女にも思うところは少なからずあったようで、一息ついてゆっくりと話し出した。
「勿論全部嘘って訳じゃないけど、自分をよく見せる為の法螺が所々にあった。嘘混じりとはいえ話すことができて満足だったみたいだね。彼の求めた物は時間と話し相手だったみたい。」
「それじゃあやっぱりあの爺さんは……」
「ああ、恐らくもう亡くなってると思うよ。」
カルナは特に気負う様子もなくそう言い放った。エリックもそんなことわかってるといった様子で気にせず地を駆ける。
「まぁ話で聞いた限りの善人って訳ではないだろうな。国の為に戦った若き兵士ねえ……。どうも違和感がするんだよ。〈竜の残り香〉なんて胡散臭くね?」
「〈竜の残り香〉自体は今でも信じられている逸話、宗教、伝承に組み込まれているひとつなんだけどね。」
呆れたように大きく深呼吸をするカルナ。その表情はお手上げだと苦笑いしているようにも見えた。
「奥さんの手前、あまり惨めなことを言ってられなくなったのかもね。既に亡くなっているとはいえ、自分をより良く見せたいと思うのは自然なことだし、小話で聞く分には中々面白かったよ。」
「人が亡くなっている話で面白がるなんて、不謹慎だと思わないのかよ?」
「別に?」
「即答かよ……。」
もうダメだこいつは、と呆れた様子のエリックを差し置いてカルナは話続ける。
「まず私が嘘だと感じたこと……兵士として実戦に参加した時の話だけど、彼の役割についてさ。ジェスさんは槍を投げて必死にワイバーンと戦った。結果彼の所属する隊は壊滅。その生き残りとしてむざむざと王国に帰っていった。この意味がわかる?」
「俺は賢くねぇし、人間のことなんて解りっこねえよ。生き残るためなら逃げたって仕方ないんじゃねーの?」
そう豪語するエリックの言葉にやれやれと溜め息をつくカルナ。エリックは人間を利己的かつ自己中心的なものだという前提で考えているようで、話が中々噛み合わない。カルナは既にそんな事解りきってると話を続ける。
「彼は十歳にして軍に引き抜きされたって言ったでしょ?それから何年経って実戦に参加したかなんて解るわけもないけど……普通十代前半の男子が槍なんて投げられないと思わない?」
「さあ?カルナは十代中頃の体躯で鎌をぶん投げるような筋肉馬鹿だから爺さんでも投げられるんじゃない?」
「……斬り裂くよ?」
カルナは背に納めていた黒の鎌に手を掛ける。エリック曰く彼女は相当強いらしく、現に冷めた目付きでエリックを睨み付けている。このままでは本当に斬りかねない。
「……俺の冗談はさておき、続けてくれよ。」
「……そして彼は壊滅した隊をほっぽりだして国にむざむざ帰った。普通ならこれ斬首ものだよ?忠誠心の欠片もないって言われて無理ない行為だと思う……ただ一例を除いてはだけど。」
その一例とは、とエリックが言う前にカルナは長めの深呼吸をした後、口を開いた。
「要するに物見兵だよ……。言い方を変えれば偵察。だからこそ彼は敵前逃亡が許されたし、ワイバーンを前にしても生き残れた。兵は兵でも物見兵。それでも立派な仕事だと思うけど、彼は出世したかったんだろうね。誇りを失わなかっただけ救いようはまだあるけれど。」
カルナの言葉に成る程、と納得した様子のエリックだったが、ふと疑問に思ったのか走る速度を僅かに緩める。
「でも出世したかったかどうかなんて、本人にしかわからないことなんじゃねえの?」
「本当に現状に満足してた人は嘘なんてつかない。見栄を張る必要がそもそもないんだよ。」
エリックは再び「成る程」と小さく声を上げ、先程の速度まで脚を速めた。
「後はどんな嘘が混じってたんだ?流石にそれだけじゃ俺も楽しめねぇ。あるんだろ?もっとドロドロとした、殺伐とした話がよぉ!!」
「もうないよ……。強いて言うなら家族を人質にされたって話くらい。多分ジェスさんは当時相当な問題児で、逃亡を繰り返していたからそう言われたんだと思う。だから出世は叶わなかった……といってもこれはあくまでも私の推論でしかないけど。」
「確か自分で家族と村を人質にされたと理解してたって言ってたな。言われてみれば学のないガキが唐突に理解するには無理がある話だよなぁ!!」
思ったよりよい感触を得られたようだとカルナはほっと胸を撫で下ろす。テンションが上がったエリックは更に勢いよく駆ける。突然の加速に驚いたカルナだが、特に咎める様子もなくエリックの首に付けられた手綱を握る力を強めた。
「……それでも人を見る目だけは優れていたと思う。私の眼が変わったことを即座に見抜いていたし、彼がワイバーンを前にして生き残ったのは……きっとその目のお陰だと思う。」
「へえ。眼術使いってやつかよ。」
それはちょっと違うとカルナは呟いた。エリックはその言葉を聞いたか否か、速度を安定させて落ち着きを取り戻しつつ、カルナに問いかけしてみせた。
「そういや爺さんの女の話は聞けたのか?」
「聞けたよ。彼女の名前はローレンヌ。頭蓋骨が部屋に飾ってあった。」
「………………え、それだけかよ?」
「うん。それだけ。」
あまりにも少ない情報にエリックはガックリと項垂れた。速度が落ちると思われたが、憂さ晴らしからか更に駆ける足は勢いづき、どんどん速くなっていく。後ろに馬車を牽いていることなどお構い無しに、一心不乱にでこぼこ道を走る。
「後ろに荷物あるんだからそれ以上速くしないでよ。」
「うるせえぇぇぇぇ!女の情報が一番大事じゃねえかよこん畜生がぁ!!ほんっっっっっっっと男心を解ってねぇな!」
ギャーギャー悪態をつきながらも、次の場所へと馬車は走る。カルナは片手で手綱を必死に握り締めながら、いつの間にか首に掛けていた懐中時計を眺めていた。言うまでもなくジェスから受け取った品である。それ自体は時計のそのものの見た目をしていたが、時計と言うよりも円盤に秒針だけが掛けられた何かに近い。ソレは僅か十秒でぐるりと一周する。
(これ……多分王国から支給されたものですよね。成る程、貴方は兵士としての役目を自分の中で完全に終わらせたかったのですね。ああは言ってもやはり国の事は気にかけていたのがわかります。今回の取引でもう満足でしょう。安らかにおやすみなさい。)
カルナは懐中時計の蓋をパタンと閉め、空を仰ぎ見る。山道を丁度抜けたらしく、空は雲一つない快晴であった。まるで気が晴れたかのようなその空は、ジェス自身に既に心残りがないことを伝えてくれているように見えた。
「……まいどあり。」
カルナは空を眺めながら時計を握りしめ、小さな声でそう言った。