第一章 怪盗ハロウィンズ6/9
これだけの人数と戦う術は、さすがに持ち合わせていない。だが逃げようにも、廊下に面した扉はスーツ連中に塞がれており、二階の窓から逃走することも不可能だ。
つまり――絶望的な状況といえる。
(少なくとも――凡人ならそうだろうな)
そんなことを心内で呟きつつ、ティムはリリーとササに目線で合図を送り、素早く踵を返して窓へと駆けていった。背後から「逃げ場なんてないわよ!」とベリエスの勝ち誇る声が聞こえてくる。だがティムは特に慌てずに、隣を並走するササに声を掛ける。
「ササ! 頼む!」
ティムの言葉に、お辞儀をするようにぺこりと頭を下げるササ。すると直後、彼が背負っていた巨大なリュックサックの、その留め金がバチンと外れて――
リュックサックの中から、バネのついた巨大なパンチンググローブが飛び出す。
「――は?」
ベリエスが間の抜けた声をこぼす。それとほぼ同時に、リュックサックから飛び出したグローブが窓ガラスを粉々に砕いた。ティムは駆ける速度を緩めることなく、割れた窓ガラスを抜けてベランダへと飛び出す。そしてリリーと一緒にササの体に抱きつくと――
ぴょんとベランダから外に飛び出した。
「またまた、ササ頼む!」
リュックサックから伸びていたグローブがバネの根元からパチンと外れて、今度はリュックサックから棒状の物体が突き出る。さらにその棒状の物体から、折りたたまれていた四枚の羽根がカシャンと広がり、ギュルルルと高速で回転を始めた。
簡易なプロペラだ。空を飛ぶことはできないが、発生した浮力によりティムとリリー、ササの三人は、二階のベランダからゆっくりと庭園に滑空して、無事地面に着地した。
リュックサックから生えていたプロペラが根元からパチンと外れて地面に落ちる。一回限りの使い捨てなのだ。ティムは汗をぬぐう仕草をして、ササに親指を立てる。
「ササの発明品は役に立つな。商売すれば大儲けできると思うのだが?」
「いやだよ。人に売るとなると安全性とか考えることが多くなるじゃないか」
人に売らずとも安全性は気にして欲しいところだが、それはそれとしてティムは頭上を振り仰ぎ、自身らが飛び出した二階のベランダを見やった。ベリエスがベランダの柵から上半身を乗り出して、激しい剣幕で声を荒げている。
「何なのよこいつらは! ちょっと、絶対に逃がすんじゃないわよ! あの像を失ったら私の信用はガタ落ちよ! こうなったら殺してでも捕まえなさい! いいわね!」
リビングにいるだろうスーツの男たちを、ベリエスがそう怒鳴りつける。だが彼らが一階に降りるまでには、この庭園を抜けて逃げ出すことが十分にできるだろう。
ティムは任務の成功を確信すると、リリーとササの三人で笑顔を交わし――ササもカボチャの奥で笑っているに違いない――、屋敷の門に向けて駆け出そうとした。
だが――ここで思いがけない来客が現れる。
門扉を抜けて、ぞろぞろと大勢の人間が庭園に入り込んできたのだ。咄嗟に駆けようとした足を止めるティム。庭園に入り込んできた者たちは、二十歳前後と思しき者から、五十を超えているだろう者と様々いたが、その誰もが共通して、青を基調とした服を着用していた。地下世界の住民ならば、知らぬ者はいないだろうその制服は――
治安維持組織たる――警備兵のものだ。
「いたぞ! 珍妙な恰好をした子供――ハロウィンズを名乗る盗人だ!」
「子供とて油断するな! 出入口を塞いで、この敷地から一歩も外に出すなよ!」
予想外となる警備兵の登場に、ティムは顔から血の気を一瞬にして引かせた。
「うげ……警備兵の連中が来やがったぞ!」
「わわわ……どうしようティム!」
門前に人垣をなしていく警備兵に狼狽するティムとリリー。その場で足踏みをしたり小躍りをしたりと、それぞれで困惑を表現する二人に対し、至極冷静にササが呟く。
「……妙だね。ベリエスの通報を受けて集まったにしては早すぎる」
カボチャ頭を捻るササだが、そのような疑問などこの際どうでもいい。現状解消すべき課題は、この十数人にもなるだろう警備兵の人垣をどう突破するかだ。
(――って、無理に決まってんだろ!)
反射的に警備兵から逃げ出そうと、踵を返そうとするティム。だが屋敷からぞろぞろと出てきたスーツの男たちに、返しかけた足をすぐさま止めた。
屋敷の前に人垣をなしていくスーツの男たち。その彼らと門前に並んだ警備兵とを、ティムはクルクルと首を回して、忙しなく何度も見返した。だがいくら見返そうとも、鬼の形相で警棒を構えている彼らが、煙のように消えてなくなることなどありはしない。
ティムは強く拳を握りしめると、「ぐぬぬ」と歯を食いしばり痛恨に呻いた。
「これは……前日の発熱、肛門に座薬だ」
「発熱も座薬も嫌いなんだよ」
「たぶん前門の虎、後門の狼って言いたいのかな? 全然違うけど」
あくまで冷静にそう呟いてから、ササが諦めたように小さく嘆息する。
「……僕としては警備兵に捕まることを推奨するよ。身売りされる心配がないしね」
「ダメだ! 俺たち怪盗ハロウィンズが捕まるなどあってはならない!」
「あたしたちは捕まるぐらいなら死を選ぶんだよ! そういう感じの設定なんだよ!」
ササの提案を拒絶するティムとリリー。この二人の反応は予想していたのか、ササも特に自身の意見にこだわる様子もなく、ただ小さく頭を振る。そして――
「それじゃあ……あの二人に頼ろうか」
ササが溜息まじりに呟いた、その直後――
「――ぐはっ!」
門前に人垣をなしていた警備兵から、うめき声と人の倒れるような物音が聞こえてきた。こちらを油断なく見据えていた警備兵にざわめきが広がり、その人垣が左右に割れる。開かれた人垣の先。そこには、地面にぐったりと倒れ込んだ三人の警備兵と、そして――
魔術師と侍がいた。
黒いロングコートをまとい、フードを目深に被った若い男性。そして、着物という珍しい衣服を着込んだ若い女性。突然に現れたこの二人に、警備兵が狼狽する。地面に転がる三人の警備兵が、この二人によって倒されたことを理解したのだろう。
若い男性と女性の登場に、ティムは意気を取り戻して「ふははは!」と哄笑した。
「残念だったな! だがしかし、奥の手とは最後に取っておくものだ! 我が怪盗ハロウィンズの暴力担当! ウィザードとサムライが貴様らをけちょんけちょんに――」
言葉を言い終える前に、ティムは駆け寄ってきたサムライに脳天を強かに叩かれた。