第五章 それぞれの選択8/11
======================
「子供たちが地下世界に戻ることを諦めていない以上、俺もそれを諦めるわけにはいかねえ。悪いなマリエッタ。そういうわけで、お前の希望は叶えてやれそうにねえよ」
カイは体をふらつかせながら立ち上がると、マリエッタを見やり苦笑を浮かべた。マリエッタが哀しみとも落胆ともつかない顔をして、小さく頭を振る。
「……いいえ……子供たちのために、貴方がそれを選択するわけには参りませんものね」
「まあ……そいつも確かにあるんだけどよ」
一息の間を挟み、カイはおどけるように肩をすくめた。
「救ってやりたい奴がいてな……そいつのために、地上世界に残るわけにはいかねえんだ」
怪訝に眉をひそめるマリエッタ。彼女の無言の問い掛けには気付いていたが、カイは特に説明することなく、マリエッタから視線を外して、正面を見据えた。
少年の姿をした神聖樹。地上世界を生み出したその存在を睨みつつ、カイは口を開く。
「……なあ、マリエッタ。お前がこの地上世界に魅せられた気持ちは……分からないでもない。確かにこの地上世界は、窮屈な地下世界に比べて開放的だ。こんな世界を知っちまったら、息苦しいあの地下世界に戻ることに不安を覚えちまうよな」
マリエッタから返答はない。だがカイは構わずに、そのまま言葉を淡々と続ける。
「だけどよ……まだ地下世界を見限るには早すぎるんじゃねえか? 確かに地下世界は窮屈だが……俺たちはまだあの世界の全てを、知っているわけじゃねえだろ? あの世界でできることを、やり尽くしたわけじゃねえだろ? だったらまずそれをやってみようぜ? そしたら意外によ、俺たちが思っているよりも、ずっとでかい世界かも知れねえだろ?」
やはりマリエッタから反応はない。カイは一呼吸の間を挟み、僅かに口調を落とす。
「ヴァルトエック家での息苦しさは……俺には分からねえ。色々面倒なんだろうなと想像できる程度だ。だからそのことで俺がどうこう言えることなんざねえけど……」
ここでマリエッタを見やる。これまで反応のなかった彼女だが、カイの言葉には耳を傾けていたようで、逡巡するようにその金色の瞳を小さく揺らしていた。
マリエッタの濁りのない金色の瞳を見つめて、カイはニヤリと唇を曲げる。
「ヴァルトエック家の人間として疲れを感じたら、うちを訪ねて来ればいいさ。うちの子供は馬鹿ばかりだからな。マリエッタがヴァルトエック家だろうと無関係にちょっかいを掛けてくるぜ? まあそれは、マリエッタも十分に理解してくれてるだろうがよ」
「……そうですね」
マリエッタの表情に小さな笑みが灯る。初めて孤児院の子供たちと対面した時のことを思い出したのだろう。それは、彼女にとって決して良い思い出ではないだろうが、ヴァルトエック家の人間であることを忘れさせてくれる場所であることは、間違いないはずだ。
「……しかし……この地上世界を消滅させれば……クリステルと……メラニーが」
マリエッタの微笑みが、またしぼむようにして消える。地上世界が消滅すれば、地上世界で暮らしている人間もまた消滅する。この七日間の生活を通じて、メラニーと深く心を通わせていた彼女にとって、少女の消滅は受け入れがたいことなのだろう。
金色の瞳を僅かに伏せるマリエッタ。表情を沈めた彼女をしばし眺めて――
「……ティムから聞いたんだが、あいつらがお前のこと兄妹と認めたんだろ?」
そうマリエッタに尋ねた。
躊躇いながらも首肯するマリエッタ。彼女の答えに満足して、カイは口調を軽くする。
「だったら……俺にとってもマリエッタは家族ってわけだ。だから……俺を信じろよ」
カイはそう話すと、マリエッタから視線を外して、神聖樹をまた見据える。こちらを傍観している神聖樹を見やり、カイは黒い瞳を決意に尖らせていった。
「俺は……家族を悲しませない。マリエッタに辛い想いなんかさせねえからよ」
「……カイ」
愁いを帯びたマリエッタの呟き。その彼女の声を確かに心に留めておきながら――
カイは神聖樹に向けて足を踏み出す。
伝えるべきことは伝えた。これでマリエッタが納得するかは分からないが、なるようにしかならない。あとはただ、神聖樹との決着に全神経を注ぎ込むだけだ。
「……彼女が消滅したようだ」
唐突に意味不明なことを話す神聖樹。構わず歩を進めるカイに、神聖樹が息を吐く。
「彼女は、僅かな髪の毛から再生された、存在だった。ゆえに記録が決定的に不足していて、その肉体も精神も不安定だ。ボクの体の一部を与えて、ようやく自立できるようにはなったが、罪悪感に苛まれていた彼女は不要なちょっかいを掛けて……自滅した」
「……何を言ってやがる?」
舌打ち混じりに尋ねる。神聖樹がまたも息を吐き、小さく頭を振る。
「忠告だよ。感情的になるなってことだ。まあ記録から再生された彼女は、ほどなくして蘇ることになるが……君は死んだらそれまでなんだからね。意固地になったところで、得なんかない。君が僕に勝てる可能性なんてないに等しいんだからね」
「お前のそのスカした面を、足蹴にするぐらいはできるかも知れねえぞ」
「……どうやら、徹底的に痛めつけてやらないと理解できないようだね」
神聖樹の視線がカイの左腕に移動する。力なくぶら下げられた異形の腕。カイにとって唯一の武器となるその腕を見据えて、神聖樹の瞳が怪しく細められていく。カイは神聖樹のその視線を意識しながら、慎重に呼吸を整えると、歩く足を徐々に速めていき――
全速力で駆け出した。




