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地中の森  作者: 管澤捻
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第五章 それぞれの選択1/11

 第五層主要都市アレクシア。第五地下階層においても突出して巨大なその都市の、広大な地下空間を支える四つの柱。そのうちの一つ。南区の中心部にある大木。神聖樹。


 神聖樹の周囲は、一般の者が入り込めないよう、塀により封鎖されている。これは二つの理由から為される処置だ。一つ目の理由は、神聖樹が地下空間を支える重要な柱であり、いたずらに傷つけられることを防止するためだ。そして二つ目の理由、それは――


 神聖樹が食生植物であるためだ。


 神聖樹は生物から活動エネルギーを得る。その対象となる生物は、人間もまた例外ではない。活動エネルギーを得た神聖樹は爆発的に成長を始めて、周囲の生物を無差別に取り込もうとする。ひとたび成長を始めたその神聖樹を止める手立てはない。ゆえに、万が一にも神聖樹が生物と接触しないよう、厳重に周囲を封鎖しているのだ。


 もっとも、地下空間の柱となる神聖樹は、通常その活動を停止している。活動が停止している神聖樹に、生きた生物を取り込めるほどの力はない。時折、根の近くに偶然ある虫などの死骸を摂取し、僅かに枝葉を揺らすこともあるが、基本的には安全とされている。


 だがそうとは言え、万が一の事態を避けるためにも、地下世界の住民には神聖樹には近づかないよう、指導が徹底されていた。もとより、封鎖されている神聖樹に近づくことなどできないのだが、多くの者がその指導に従い、神聖樹とは距離を取り生活していた。


 しかしとある日のこと――


 神聖樹を封鎖する塀の内側に、一つの小さな人影が入り込んでいた。


 その影は、長い黒髪をポニーテールにした、まだ十代前半ほどの幼い少女であった。神聖樹の塀に入り込んだ少女が、塀のある方角に振り向いて、弾んだ声を出す。


「ほら、早く来てよ。カイお兄ちゃん」


「ちょっと……待てってば、ルーラ!」


 少女が見つめている塀から、また小柄な影が姿を現す。その影は、少女よりも年嵩に見えるがやはり十代前半の、黒髪を首筋まで伸ばした目付きの鋭い少年であった。


 四つん這いの姿勢で塀の内側に入り込んだ少年が、少女の手前で立ち上がる。目を丸くして周囲をクルクルと見回す少年に、少女が得意げに胸を反った。


「ほらね、ほんとだったでしょ? 神聖樹の塀が壊れていて、隙間があるってあたしの話。小さい隙間だから大人だと通れないけど……カイお兄ちゃんでギリギリだね」


「……確かに……そうみたいだけど」


 一通り周囲を見回した少年が、はっと我に返った様子で、少女に口早に言う。


「だからまずいってば。クリス姉さんからも注意を受けているだろ? 神聖樹には近づいちゃいけないって。ルーラが嘘ついてないのは分かったから、すぐにここを離れるぞ」


「あれ? カイお兄ちゃん怖いんだ。だらしないなあ」


 少年のひどく慌てた様子に、少女が可笑しそうにクスクスと笑う。忠告を真剣に聞こうとしない少女に、苛立ちを見せる少年。だが彼はそれでも、辛抱強く少女に言った。


「怖いとかだらしないとか、そういう話をしてるんじゃない。神聖樹は生き物を食べて成長するんだ。もしも神聖樹が動き出したら、ルーラだって食べられちゃうんだぞ」


「そんなの、あたしは怖くないもんね。だって神聖樹はずっと動いてないから、食べられるなんてないよ。カイお兄ちゃんも大人の人も、みんな怖がりなんだよ」


 またもクスクスと肩を揺らす少女に、少年がガリガリと頭を掻き、口調を強める。


「ああもう……怖がりでもなんでもいいから、すぐにここを離れるぞ。早く来いルーラ」


「あ、ちょっと待ってよ。カイお兄ちゃん、ちゃんとナイフ持ってきてくれた?」


 引き返そうとしたところで少女からそう問われ、少年が怪訝に眉をひそめる。自身の腰元に下げていた細身のナイフを取り出し、少年がそれを少女にかざして見せる。


「まあ一応あるけど……そもそもこんなもの何に使うつもりだったんだよ」


「だって神聖樹の近くまで行ったなんて、施設のみんなに話しても信用してくれないでしょ? だからちゃんと、証拠を持って帰ろうと思ったんだよ」


「何だよ証拠って?」


「神聖樹の枝とか根っことか……それを切って持って帰るの。みんなきっと驚くよ」


 少女の発言に、少年の顔が蒼白に変わる。


「ば……何を考えてるんだ! そんなことできるわけがないだろ!」


「できるよ。カイお兄ちゃんが怖いならあたしがするから、そのナイフ貸してよ」


「いい加減にしろ! そんな理由で貸せるか! 馬鹿なことは止めてもう行くぞ!」


 少年が少女の腕を掴もうと手を伸ばす。だが少年から怒鳴られて機嫌を損ねたのか、むすっと表情に不満の色を浮かべた少女が、少年の手を避けて――


 神聖樹へと走りだした。


「な――馬鹿! おい止めろルーラ!」


「カイお兄ちゃんの臆病者! こんなもの、あたしは全然怖くないんだからね!」


 神聖樹に近づいた少女が、神聖樹の巨大な幹に寄り掛かり、少年に向けて勝ち誇った顔をする。少女の行動に表情を強張らせた少年が、狼狽も顕わにして声を荒げる。


「戻ってこい、ルーラ! お前がすごいのは分かったから、神聖樹には近づくな!」


「ほらね。こんなの大したことじゃないんだよ。それなのに怖がっちゃって馬鹿みたい」


 ひどく慌てる少年を見て、少女が気分良さそうにケラケラと笑う。するとその時――


 少女の背後にある神聖樹が――


 ざわりと動いた。


「――あ……あれ? どうして……」


 突然、少女がもどかしそうに後頭部に手を伸ばす。少女のその奇妙な行動に、少年が硬直する。少女の表情がみるみると蒼白に変わり、陽気に弾んでいた声が震えだす。


「なんで……髪が引っかかって……取れない……痛い……なに……なんで――」


「――ルーラ! どうした!? 何があった!?」


「髪が引っ張られる! カイお兄ちゃん! 痛い! 髪が――引っ張られて痛いよ!」


 少女の恐怖に震えた声に、体を硬直させていた少年が駆け出した。神聖樹から離れようと必死に体を揺らしている少女の、そのすぐそばまで駆け寄り、少女の後頭部にまとめられたポニーテールを、少年が見やる。そこで少年が見たものは――


 少女のポニーテールが、神聖樹の幹に呑み込まれている光景であった。


「――いやああああああああ! カイお兄ちゃん! 助けてよ! 痛いよ怖いよ!」


 瞳に涙を浮かべた少女の絶叫に、少年がギリリと奥歯を噛みしめる。


「じっとしてろ、ルーラ! いま助けてやるから――この……俺の妹から離れろ!」


「痛い! 痛いよ! 引っ張らないで!」


 少年が少女の体を掴んで、神聖樹から少女を引き剥がそうとする。だが少年がいくら力を込めようとも、少女の悲鳴が大きくなるだけで、神聖樹は少女のポニーテールを離そうとしない。焦燥に表情を歪める少年。そこで彼は、自身が握るナイフの存在に気付く。


 一瞬の躊躇い。だが少年はすぐに決断したようで、ナイフの刃先を少女のポニーテールの根元に当てた。大きく息を吸い込んで、少年がナイフを力強く振り抜き――


 少女のポニーテールを切断する。


 神聖樹から切り離された少女が、つんのめるようにして転倒する。すぐさま転んだ少女に駆け寄る少年。屈み込んだ少年に少女が抱きついて、カタカタとその体を震わせた。


「……ひっ……こ……怖かったよ……カイお兄ちゃん……」


「ああ……もう大丈夫だから……とにかくここはもう離れて――」


 少年が少女をそう慰めていると――


 神聖樹がドクンと脈打った。


 少年が神聖樹に振り返る。地下空間の天井にまで伸びる巨大な神聖樹。その姿は先程から変わりない。それでも少年は、緊張を湛えた表情で、神聖樹を睨みつけていた。


 その時――


「うわあああああああああああ!」


 少年の背後から悲痛な声が上がる。


 少年が神聖樹から視線を外して、背後を振り返る。悲鳴の出所は、神聖樹を囲い込む塀のさらに頭上。塀越しに見上げた少年の、その視線の先には――


 木の根に体を拘束され、頭上高く持ち上げられた、警備兵の姿があった。


「なんで――神聖樹が動き出すはずはな――あ……あがぁあああああああああ!」


 巻き付いた木の根に、警備兵の体がバキバキとへし折られる。距離的に聞こえるはずのない骨の砕ける音。それを確かに聞いて、カイは咄嗟にルーラの体を強く抱きしめた。


「見るな! ルーラ!」


 砕かれた警備兵の体に、木の根が包み込むようにして、何重にも巻き付いていく。そして警備兵を球状に包み隠した木の根が、その大きさを徐々に圧縮していくと――


 木の根の隙間から赤い血が滲み出てくる。


 警備兵を包み込んだ木の根を見上げて、少年は絶望的なまでに表情を歪めた。少年には理解できていたのだろう。停止していた神聖樹が活動を始めたこと。その活動を始めた神聖樹が、偶然近くにいた警備兵を喰らったということ。そしてそれは――


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことが、全ての原因なのだということ。


「……あ……ああ……」


 カタカタと凍えるように体を震わせて、少年に抱かれた少女がうわ言のように呟く。


「あ……あたし……あたしが……こんな……こんなことになるなんて……」


「ルーラ! 落ち着けって! すぐに施設に戻って、クリス姉さんに相談しないと!」


 少年がそう声を荒げたところで、神聖樹がまた脈動した。先程よりも明らかに力強いその鼓動に、少年の浮かべていた絶望がさらに色濃くなる。警備兵を喰らったことで、神聖樹の力がさらに増したのだろう。そして少年がそれを理解した、その直後に――


 神聖樹の周囲から無数の樹々が突き出した。


「――これは!?」


 地面に張り巡らされた神聖樹の根。そこから神聖樹の分身となる樹々が、次々と生えてくる。その勢いはすさまじく、舗装された石畳を軽々と砕くものであった。


「――ルーラ! 立て! ここにいたら不味い! 逃げろ! 立って逃げるんだ!」


 少女を強引に引き起こし、少年は少女の腕を掴んで駆け出した。神聖樹により生まれた樹々が急速に成長して、縦横無尽に伸ばされたその枝葉が、神聖樹を取り囲んでいた塀を容易に砕く。少年はその砕かれた塀をよじ登り、街の通りに飛び出した。


「まずは施設に戻るぞ! 子供たちを逃がさないと! 走れ、ルーラ!」


 少年が少女に声を掛ける。だが少女から応答はない。神聖樹から生まれた樹々が森を形成し、瞬く間に膨れ上がる。少年は少女の応えを待たずに、通りを全力で駆け出した。


「……あたしの……せいで……」


 誰にも聞こえない少女の呟き。少年に腕を引かれて通りを走る少女の、その瞳には――


 先程まで浮かべていた涙がどこにもなく、ただ濃い闇だけが湛えられていた。


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