第四章 過去の邂逅10/11
======================
マリエッタの言葉は、カイにも理解できた。閉塞された地下世界。それと比べて、この地上世界は確かに、居心地の良いものだ。圧迫感を伴う地下空間の天井。それがないというだけで、これほどに心が軽くなるものか。貧弱な街灯に照らさた薄暗い空間。それが光に満たされるだけで、これほどに心が明るくなるものか。それを初めて理解した時――
カイもまた心がぐらついたのを覚えている。
それは恐らく、カイだけに限った話ではないだろう。ルーラやティム、リリーやササ、地下世界から地上世界へと移動した誰もが、その想いを少なからず抱いたはずだ。これまで過ごしてきた閉塞された世界が、どれだけ不満のあるものか、理解できたはずだ。
だがマリエッタのその想いはカイたちのそれよりも、さらに強いものかも知れない。そう考える根拠は、マリエッタが――ヴァルトエック家の人間であるためだ。
息苦しささえも、まるで空気のように、存在して当たり前のものとして受け入れる。閉塞された地下世界での暮らしを、マリエッタはそう語った。だがそれは何も、地下世界に限った話ではないのだろう。マリエッタは自身でも気付かないうちに、ヴァルトエック家という立場に、息苦しさを覚えていたのかも知れない。
それはマリエッタの会話の節々から感じられた。もともと彼女は、ヴァルトエック家の人間であることに、強い拘りを見せていた。それだけに彼女は、ヴァルトエック家の人間であり続けることを、自身に強制していたはずだ。
そんな彼女が、一人の女性であるマリエッタ・ヴァルトエックとして、生活を送ることとなった。ヴァルトエック家という閉塞された世界から開放されたことで、これまで自身でも気付いていなかったヴァルトエック家の重圧を、彼女は認識してしまったのだろう。
地下世界とヴァルトエック家。この二つの世界に閉じ込められていたマリエッタ。地下世界を救おうと、誰よりも志を強くしていた彼女が、その根幹となる二つの世界から開放されたことで、決意を揺るがした。彼女の心境の変化は、それが原因ではないだろうか。
その推測が正しいものかは分からない。だが何にせよ、彼女がただの思いつきで、地上世界に留まりたいと、口にしていないことは明らかだ。しかしだからといって――
そのマリエッタの言葉に、容易に頷くわけにもいかない。
そのカイの戸惑いを感じたのだろう。沈黙するカイから、金色の瞳を背けるマリエッタ。膝の上に置かれた自身の手をじっと見つめながら、彼女が薄紅色の唇を開く。
「……すみません。下らないことを話してしまいましたね」
「……いや、そんなことねえけど」
「一時の気の迷いだと思います……今お聞きしたことは、どうか忘れてください」
マリエッタ自身がそう言うのならば、食い下がるのも奇妙な話だ。マリエッタの言葉に無言に頷いてやると、彼女がこちらを振り返り、力のない笑みを浮かべた。
「すっかり話し込んでしまいましたね。神聖樹の調査に戻りましょう」
マリエッタがベンチから立ち上がる。だが長話が過ぎたため、調査を切り上げる時刻がすでに迫っていた。今日のところはこのまま施設に戻るのが良いかも知れない。
そんなことをつらつら考えながら、カイはベンチの背もたれを左手で支えて、立ち上がろうとした。だが左手で掴んだはずのベンチが――
抵抗もなくすり抜けて、バランスを崩したカイはベンチから強かに転げ落ちた。
「……何をしているのですか?」
きょとんと金色の瞳を丸くして、地面に転がり落ちたカイを見下ろすマリエッタ。カイは「いっつ……」と後頭部を右手で押さえながら、自身の左手に視線を向ける。
「手袋外してんの忘れてた……いって……おかげでベンチがすり抜けちまったんだよ」
「まあ……大丈夫ですか?」
心配するような言葉を口にしながらも、可笑しそうに微笑むマリエッタ。カイは軽く舌打ちをしてから立ち上がると、ベンチの背もたれに干していた手袋に左手を伸ばす。
そして――カイは重大な見落としに気付いた。




