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地中の森  作者: 管澤捻
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第四章 過去の邂逅7/11


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 神聖樹跡地。これは便宜上の言葉である。地下世界に存在しているはずの神聖樹が、この地上世界には存在していない。位置的に神聖樹が存在しているはずの、地上世界のその場所には、広い草原と木製のベンチが一脚だけぽつんと置かれている。


 マリエッタとカイは、その広場に置かれているベンチに、並んで腰掛けた。水に濡れた左手の手袋を外したカイに、マリエッタは自身のハンカチを差し出してやる。


「どうぞ、お使いください。貴方はハンカチなど持ち歩いてはいないのでしょう?」


「決めつけられんのも癪だが……まあ事実そうだからな、ありがたく貸してもらうぞ」


 カイがマリエッタの差し出したハンカチを右手で受け取り、自身の濡れた左手を拭き始めた。彼の左手は神聖樹の腕であり、その質感は木肌そのものだ。初めてカイからその腕を見せてもらった時、マリエッタは失礼ながら小さな悲鳴を上げたのを覚えている。


 念入りに濡れた左手を拭くカイに、マリエッタは小さく首を傾げて尋ねる。


「……その腕、やはり水に濡れてしまうと腐ったりするのでしょうか?」


「あのな……一応これも生きた腕なんだ。それぐらいで腐りはしねえよ」


 そう苦笑するカイに、マリエッタも微笑を返す。濡れた左手を拭き終えて、カイが「サンキュウな」とハンカチをマリエッタに返した。カイからハンカチを受け取ると、マリエッタは丁寧にそれを畳んでポケットにしまう。


 塗れた手袋をベンチの背もたれに干すカイに、マリエッタは小さく頭を下げた。


「改めて……先程は失礼しました。いつも冷静な貴方が慌てていたもので、つい……」


「冷静? 俺がか?」


 心当たりがないのか首を傾げるカイ。マリエッタは頭を上げて、言葉を続けた。


「そうではありませんか。このような状況にも、貴方には慌てた様子が見られません」


「……そう見えてんなら、何よりだがな」


 眉根を寄せるマリエッタ。カイが左手をハラハラと振りながら、唇をニヤリと曲げる。


「実際のところ……内心は穏やかじゃねえんだ。いかんせん、この地上世界の脱出の目途が、まるで立っちゃいねえんだからな。地下世界に置いてきた子供たちも気掛かりだ。連中を信頼してないわけじゃねえけど、それでも想定外の事態はいくらでもあり得る」


「……貴方も焦っていると? しかしそのような素振りは見られません」


 マリエッタの疑問に、カイが「必死に隠してんだよ」と肩をすくめた。


「クリス姉さんがいなくなり、俺は孤児院の最年長になった。俺が焦っている姿を見せれば、子供たちが動揺する。だからまあ、表面上は落ち着いたふりをしてるわけだ」


「……そうだったのですね」


 カイの心中を知り、マリエッタは彼に対する見方が少し変わる。決して冷たいわけではないが、何事にも動じることのない彼を、マリエッタはこれまで理性的な男なのだと考えていた。それもまた彼に対する正しい評価なのだろうが、それだけではない。カイは守るべき子供たちのために、敢えて感情を押し殺して、理性的であろうとしていたのだ。


 マリエッタはどちらかといえば、感情を率直に表現するタイプの人間だ。それだけに、自分ではない誰かのために自身の感情を抑制できるカイを、素直に感心した。


 だがその感想は敢えて口にせず、マリエッタはおどけるようにクスリと笑った。


「私はてっきりその左手の魔法があるので、どうにでもなると高を括っているのかと」


「そこまで楽観的じゃねえよ。それに、この左手もそこまで万能じゃねえからな」


 カイが左手をマリエッタにかざすように持ち上げて、その指先を握りしめる。


「こいつの魔法は、物体に残されている記録を読み取り、特定の位置から再生することだ。物体が完全な状態じゃねえと、記録も欠損して、過去に戻すことができなくなる」


「それはつまり……遺骨などから人を生き返らせることはできないということですか?」


 マリエッタの問いに、カイが「まあな」とかざしていた左手で頭をポリポリと掻く。


「遺骨じゃなくても、損傷の激しい遺体も無理だろうな。仮に完全な状態でも、死後時間が経過していれば、人間の体からは多くのものが失われる。だが死亡した直後なら、人体に残された記録も完全で、生き返らせることもできるかもな……試したことはねえけど」


「例えば病気ならば……その者が病気になる前に戻してやれることも可能なのですか?」


「できる……が、記憶も一緒に消えちまうからな。人間には普通、この魔法は使わねえよ……にしても、やけに詳しく聞いてくるな。誰かに魔法を試してやりてえのか?」


 怪訝にそう尋ねてくるカイに、マリエッタは「ああ……いえ」と躊躇いつつ答える。


「特定の誰かと言うわけではありません。しかしその魔法があれば、今回に限らず、今後も地下世界を救うための、何か役に立てるのではないかと考えていただけです」


「そのたびに駆り出されんのかよ、俺は?」


「すみません。もちろんお礼は――」


「まだ駆り出してもねえのに、謝る必要なんてねえよ。しかしまあ、さすがヴァルトエック家の人間ってところか。常日頃から、地下世界のことを考えてんだな」


 カイが何気なく口にしたその言葉に、マリエッタは静かに笑みを打ち消していく。


 マリエッタの表情の変化に、カイが訝しげに眉を曲げた。マリエッタはカイから視線を逸らすと、自身の膝の上に置いた手を見つめて、「そうですね……」とぽつりと呟く。



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